阿武隈川と谷津田川の間に位置する、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城である。 |
東北では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城、若松城とともに東北三名城のひとつにも数えられている。 |
2011年3月11日の東日本大震災により石垣等が崩壊したため、三重櫓も含め本丸は立ち入り禁止となっておる |
1590年(天正18年) 城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されると、その後、この地は会津領となり、 |
蒲生氏、続いて上杉氏、再度、蒲生氏が支配した。 |
1627年(寛永4年) 丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封され、幕命により、寛永6年より |
城郭の大改築に着手、4年の歳月を費やして1632年(寛永9年)に完成した。 |
その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代が |
があったが1867年(慶応3年)最後の阿部氏が棚倉に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の |
預かるところとなる。1868年(慶応4年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と |
新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城した。 |