江戸時代、現在の滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城である。 |
多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城であった |
徳川四天王の一人・井伊直政は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて |
近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した。 |
三成の居城であったことを嫌い、湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画 |
井伊直政は関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去 |
その後直継が家督を継いだが、幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して |
彼の遺志を継ぎ、(慶長8年)琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山、現在の彦根城の場所)に彦根城の築城を開始した。 |
築城には公儀御奉行3名が付けられ、尾張藩や越前藩など7か国12大名(15大名とも)が |
手伝いを命じられる天下普請であった。 |