近畿編 平成28年4月5日~4月8日まで関西方面のお城巡りに行ってきました。春欄間で各お城の桜満開で
ライトアップが奇麗で特に姫路城は特別で何回見ても飽きない |
伏見城 |
伏見城 |
伏見城 |
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伏見城
豊臣秀吉の隠居として建設慶長2年)に完成した
秀吉の死後、五大老筆頭の徳川家康が
入り政務をとった。
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関ヶ原前に家康の家臣鳥居元忠ら石田三成に
迫られ自刃焼失した伏見城は1602年(慶長7年)
頃に家康によって再建され、1619年(元和5年)に
廃城とされた。
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昭和36年に伏見桃山城キャッスルランド」が建設され、
その後倒産して京都に寄贈するが、耐震に問題があり
修復に高価格2012年10月時点では具体的に活用がない |
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水口城跡 |
水口城跡 |
甲賀忍術館 |
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水口城
3代将軍徳川家光が京都への上洛の際の宿館として、
道中の水口に築かせた。1682年(天和2年)に
加藤明友が2万石で入城し、水口藩が成立した。 |
水口藩歴代藩主
加藤家:(譜代格) 2万石(1682年 - 1695年)2代
鳥居家:譜代 2万石(1695年 - 1712年)1代
加藤家:(譜代格) 2万5,000石(1712年-1871年)9代
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甲賀五十三家筆頭望月本家の旧邸
からくり仕掛け、忍者の道具等の展示や説明 |
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伊賀上野城 日本100名城(47番) |
伊賀上野城 |
伊賀上野城 |
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伊賀上野城
織田信雄(北畠信雄)の家臣である滝川雄利は
平楽寺の跡に砦を築いた。その後天正13年(1585年)
に筒井定次によって改修
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慶長16年に徳川家康の命を負って藤堂高虎が拡張した
筒井家:20万石。外様 富田:外様。5万石(1595年-)
藤堂家:外様 27万950石 12代 |
大阪に続ぐ石垣の高さ約30mである |
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岸和田城 続日本100名城(161番) |
岸和田城 |
岸和田城 |
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岸和田城
羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され。
豊臣秀吉は小出秀政3万石城主に
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岸和田藩歴代藩主
小出家:外様 3万石→5万石(1600年~1619年)
松平〔松井〕家:譜代5万石→6万石(1619年~1640年)
岡部家:譜代5.3万石 (1640年~1871年) 13代
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大雨の中で桜満開で綺麗な堀、天守は10:00よりで
登城せずライトアップも良いようで再度来たい
昭和29年天守再建、昭和44年城門と櫓再建 |
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和歌山城 日本100名城(62番) |
和歌山城 |
和歌山城 |
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和歌山城
豊臣秀吉の弟・秀長が築城して紀伊・和泉の2ヶ国を
治める普請奉行に藤堂高虎、補佐役に羽田正親、
横浜良慶を任じ、1年で完成させた。
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紀州藩 藩主
江戸期は徳川御三家の一つ紀州藩紀州徳川家の
居城である。
浅野家:外様 37万6,000石
徳川家(紀州徳川家):親藩 55万5,000石11代
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明治4年廃城令により解体もしくは移転、昭和10年国宝に
昭和20年に空襲により炎上、昭和33年により再建
平成18年御橋廊下復元開始 |
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明石城 日本100名城(58番) |
明石城 |
明石城 |
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明石城
徳川幕府が西国の外様大名の抑えの城として、
譜代大名たる小笠原氏10万石の居城として城郭を、
建設するよう、第2代・将軍徳川秀忠より築城命令された。
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明石藩 藩主
小笠原家 、松平〔戸田)〕家 、大久保家、
松平〔藤井〕家、本多家、
松平〔越前〕家:親藩6万石→8万石(10万石格)10代
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天守は建設なく櫓合計:20基、門合計:27棟あった。
現在の櫓は2つで明治34年- 巽櫓と坤櫓の修理 |
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姫路城 日本100名城(59番) |
姫路城 |
姫路城 |
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姫路城 国宝
姫路城の始まりは、1346年の赤松貞範による
築城が有力戦国時代は黒田家、羽柴家が
城代となる、山陽道上の交通の要衝で姫路城は
本格的な城郭に拡張
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姫路藩 藩主
池田家:外様 52万石3代、本多家:譜代15万石3代、
松平(奥平)家、松平(越前)家、榊原(松平)家
、松平(越前)家本多家、榊原家、松平(越前)家、
酒井家:10代
雨降りの中、突然に西の空から太陽出て城を照らす
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昭和6年)1月、大小天守など8棟が国宝に指定
1993年世界文化遺産
平成大修理後ライトアップ奇麗、
中央の画像は夕陽照す
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立雲峡より竹田城 日本100名城(56番) |
立雲峡より竹田城 |
立雲峡より竹田城 |
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竹田城
永享3年(1431年)に但馬守護山名宗全(持豊)
によって築城され、太田垣光景が初代城主と
言われる伝承を紹介している。
秀吉は秀長を有子山城主に、秀長の武将で
ある桑山重晴を竹田城主にそれぞれ命じた。
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江戸幕府の方針により、竹田城は廃城となった。
東に立雲峡を望む標高353.7mの古城山(虎臥山)
の山頂に築かれ縄張りは南北約400m、東西約100m。
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立雲峡から撮影予定で山頂へ登る途中雨降り出し
山頂断念する。桜が両方満開で綺麗、立雲峡の
駐車場は天気悪いのか空き多い
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福知山城 続日本100名城(158番) |
福知山城 |
福知山城 |
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福知山城
小笠原長清の末裔とされる福知山地方の国人
塩見頼勝が、八幡山の脇に掻上城を築城した
のが始まりと言われる。丹波国を平定した
明智光秀が築城し、女婿の明智秀満を
城主とした。 |
福知山 藩主
江戸幕府歴代藩主
有馬家:6万石→8万石 外様、岡部家、稲葉家、
松平(深溝)朽木(くつき)家:3万2000石。譜代 13代
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天守の石垣には宝篋印塔、五輪灯篭どの石造物が
大量に使用。
明智光秀は丹波を平定後に福知山城と
改名する。
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丹波篠山城 日本100名城(57番) |
丹波篠山城 |
丹波篠山城 |
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丹波篠山城
徳川家康は豊臣、西国諸大名のおさえとするのが
目的で築城を命じた。藤堂高虎が縄張を担当した。
普請総奉行を池田輝政が務め6か月で完成した。
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歴代藩主
松平〔松井〕家、松平〔藤井〕家、松平〔形原〕家5代
青山家:譜代 5万石 (1748年 - 1871年)6代
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明治6年) - 城郭の建造物が取り壊され始めた
昭和19年)1月6日 - 失火により大書院が焼失
昭和28年)頃 - 内堀が埋め立てられ、公園化が進む
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追加画像 |
大阪城 日本100名城(54番) |
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大阪城 1984年撮影
1583年に豊臣秀吉が築城後1629年徳川家康が修築
江戸時代は天領地となり、大阪城代が預かる
1665年落雷により天守火災消失し、その後天守はない
1931年復興天守建設(SCR)現代にいたる |
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