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四国編 |
2015年4月7日より四国のお城巡りに行きました。四国には 現存天守12の内4天守があり、
国の重要文化財となっています
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松山城 日本100名城(81番) |
松山城 |
松山城 |
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松山城 別名:金亀城、勝山城 重要文化財
2015.4.7撮影連郭式平山城
伊予松山にある城で1852年に建築された
3重3階地下1階築城主は加藤嘉明で
現存12天守の1つで、天守を含め21棟が国指定の
重要文化財に認定されている。
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松山藩歴代藩主
1602年~1627年:加藤嘉明 20万石
1627年~1634年:蒲生家 24万石
1637年~幕末:松平(久松)家 15万石 久松家は
家康の 母於大の方の異兄弟の子松平定行が
初代松山藩主
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松山城に登城するにはロープウェーかリストに乗る
天気は曇りでいまいち撮影には適しないが、
桜花が散り中々いいものであった。
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大洲城 日本100名城(82番) |
大洲城 |
大洲城 |
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大洲城 別名:比志城、地蔵ヶ嶽城、大津城
愛媛県大洲市にある。初期の築城主は宇都宮家、
江戸初期に藤堂高虎により改修、近世城郭としての
体裁を整えた。明治に入りほとんどの建物が
解体される。現在の天守・櫓は平成16年に
木造として忠実に再建
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大洲藩歴代藩主
江戸初期は藤堂高虎の領地であった
1608年~1617年:脇坂家 外様 5.3万石
1617年~幕末 :加藤家 外様 6万石
初代加藤貞泰は豊臣家臣で関ヶ原では西軍に属し
ていたが、東軍に寝返り功績を挙げる
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近年の天守は鉄筋コンクリート造りが多いが、
大洲城の再建では明治期の構造図が残っており
忠実に再建している。撮影は曇りで残念であるが。
対岸の川岸より撮影が良いでしょう。
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宇和島城 日本100名城(83番) |
宇和島城 |
宇和島城 |
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宇和島城 重要文化財 連郭式平山城
愛媛県宇和島市にある。現存12天守の1つで
築城は941年に橘遠保が砦を築くが、
戦国時代1595年に藤堂高虎が7万石で入城して
大改修し1601年完成 別名:懸川城、懸河城
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宇和島藩歴代藩主
1608年~1613年:富田家 外様 12万石
1613年~1614年:幕府領
1614年~ 幕末:伊達家 外様 10万石
伊達家の初代は仙台藩伊達政宗の長男
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登城するにはかなりきつい坂と石段があり、
小振りな天守天守閣からの展望はいいです。
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中村城 |
中村城 |
高知城 |
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2015.4.8 平山城
土佐四万十市にある城であるが郷土資料館として再建
関ヶ原の戦い後に山内一豊が土佐一国の大名となり
弟の康豊が入城するが、一国一城令で廃城となる
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現在の四万十市郷土資料館として二の丸に
天守閣風に造られる。
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高知城のライトアップ撮影、まだ八重桜満開で
三の丸広場で夜桜飲み会でにぎわい
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高知城 日本100名城(84番) |
高知城 |
高知城 |
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2015.4.8連郭式平山城 重要文化財
土佐藩の居城 別名:鷹城
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで功績挙げた
山内一豊は土佐24万石与えられ浦戸城に入るが狭く
1603年に新地に築城2代藩主時代に高知と名変更する
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土佐藩歴代藩主
戦国時代は長宗我部家が収めていたが徳川との
敵対で取り潰しとなり、山内家が幕末まで
16代藩主として続く
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天守以下15棟が国の重要文化財
に認定され、本丸御殿が現存するのと、
追手門と天守が同時に見えるのは
高知城だけである。ライトアップの撮影もいい
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丸亀城 日本100名城(78番) |
丸亀城 |
丸亀城 |
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丸亀城 連郭式平山城 重要文化財
室町初期に細川家家臣の奈良元安が築城する
豊臣時代に生駒家が讃岐17万石で丸亀は支城と
なり、日本一の石垣が有名 別名:亀山城、蓬莱城
日本100名城(78番)
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丸亀藩歴代藩主
1602年~1640年:生駒家外様17万石生駒騒動で改易
1641年~1658年:山崎家 外様 5万石 改易
1658年~ 幕末 :京極家 外様 6万石
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石垣の見応えは日本のお城の中で一番であり、
天守台よりの展望もいい、天守は小振りながらも
重要文化財である今回、二の丸広場の桜満開で
綺麗だった。
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高松城 日本100名城(77番) |
高松城 |
高松城 栗林公園 |
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高松城 平山城 別名:玉藻城
高松市の官庁街にある城でお堀廻りに電車走る
築城は1588年に生駒親正で17万石賜るが
明治に天守は廃城され、その他の建物は
戦争の空襲で焼失
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高松藩歴代藩主
1587年~1640年:生駒家 外様 17万石
1640年~ 幕末 :松平(水戸)家 親藩12万石11代
初代藩主の頼重は水戸藩初代の長男で
水戸黄門の兄である。光圀は水戸本家3代を兄の
子を後継とし、高松藩の2代を自分の長男とした
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栗林公園
高松城は現在太守台の石垣等の工事している。
4つに櫓(月見櫓、水手御門・渡櫓、東の丸良櫓等)が
国の重要文化財に認定
栗林公園は生駒氏が造園して、高松松平家の5代で
100年掛けて完成した高松藩別邸として使われる。
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今治城 日本100名城(79番) |
今治城 |
今治城 |
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今治城 輪郭式平山城
愛媛県今治市にある名城で、1602年より藤堂高虎が
築城開始1604年に完成、日本三大水城
(高松城・中津城・今治城)である当初は城門9ヶ所、
櫓20ヶ所あり、別名:吹上城、吹揚城
藤堂高虎の像と天守
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今治藩歴代藩主
1600年~1608年:藤堂高虎家 外様 20万石
1635年~ 幕末 :松平(久松)家 譜代 4万石
初代松平定房は定勝の五男で松山藩主定行の弟である。
つまり、家康の甥となる
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堀は今でも海水を引きこみフグや鯛が泳いでいる。
雨の中ライトアップが綺麗、天守のは多くの甲冑が
陳列され見ごたえあり、堀に映る画像もいいが、
天気が曇りで残念
2015..4..10 撮影 |
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九州編 |
2014年4月8日より九州お城巡りに行きました |
唐津城 続日本100名城(185番) |
唐津城 |
唐津城(虹の松原) |
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唐津城 連郭式平山城 別名:舞鶴城
唐津城で撮影スポットの船着き場で対岸に大きい
駐車場唐津城は当時は海に突き出した城で陸
からの攻撃は困難1966年5層5階の模擬天守が築かれた
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唐津藩城主
寺沢家2代 8.5万石で改易、その後大久保家
松平(大給)家、土井家、水野家、小笠原と続く
8万石~6万石
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天守に行くには駐車場正面から左半周するとエレベータ
が有ります。画像は天守閣より日本三大松原である
虹の松原を望む、全長4Km 幅500mで江戸初期より
寺沢家が植えたもの
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平戸城 日本100名城(90番) |
平戸城 |
平戸城 |
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平戸城 梯郭式平山城
現在天守と2つの櫓がある。
平戸港を見下ろし、対岸の九州本土を望む平戸瀬戸に
突き出た丘陵上にある。三方を海に囲まれ
天然の堀としている。 |
平戸藩城主
松浦家 外様 6万石幕末まで12代続く
画像は北虎門櫓 |
南側の高校の上の国道より天守閣と2つの櫓を見る
北側の下には平戸観光センターが有ります。
1962年模擬天守及び復興の見奏櫓・乾櫓・
地蔵坂櫓・懐柔櫓が建てられた。 |
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島原城 日本100名城(91番) |
島原城 |
島原城 |
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有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。
城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、
高く頑丈な石垣が特徴 1964年天守復元
画像は城内より天守閣を仰ぐ、5層の美しい城である
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島原藩城主
有馬家 外様 4万石 ・松倉家が島原城を築城
高力家 譜代 4万石 ・松平(深溝)家 譜代6.5万石
戸田家 譜代 7.7万石 ・松平(深溝)家 譜代6.5万石
画像は島原城の撮影スポットで天守と2つの櫓と堀 |
大手門と櫓の石垣を望む、
築城当時として石高4万石としては規模が大きく
町民の税金が重くなり一揆が発生して3万の町人が
暴動を起こしてやがて島原の乱となりキリスト教徒と
原城に立て籠もり幕府軍12万人と壮烈な戦いになる。 |
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熊本城 日本100名城(92番) |
熊本城 |
熊本城 |
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熊本城 梯郭式平山城で別名千葉城、隈本城、銀杏城
広大な敷地で日本三名城と言われる。
国の重要文化財:櫓11棟、門1棟、塀1棟で特に
宇土櫓は加藤清正時代の天守とも言われている。
天守は1960年に復元、重要文化財:櫓11棟
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熊本藩城主
加藤 外様 52万石 2代で改易となる
細川家 外様 54万石 12代 幕末まで続く
画像は宇土櫓より撮影 |
熊本城の石垣はすばらしい。
明治初期までは現存していたが西南の役の激戦で
ほぼ焼失してしまう。
宇土櫓は五階櫓は、3重5階の三重櫓である
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岡 城 日本100名城(95番) |
岡 城 |
岡 城 |
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大分県竹田市大字竹田)にあった山城である。
岡城の築かれた天神山は標高325メートル
城域は、東西2500メートル、南北362メートル、
総面積は23万4千平方メートルに及んだ。
戦国時代には島津軍が攻撃したが難攻不落な城で
落城しなかった。
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岡藩城主
1594年播磨国三木から中川秀成が移封され、
入城後に3年がかりで大規模な修築を施した。
中川家 外様 7万石 13代幕末まで続く
竹田市内は城下町で古い家並みが残っております
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明治維新後、廃城令によって廃城とされ,
,城内の建造物は全て破却された。現在は堅固な石垣
だけが昔を忍ぶ、岡城で有名な滝廉太郎の荒城の月
の舞台になった名曲である。
大手門口から天守台まで1km以上あり広大な城内で
思っていた以上に感動した、もう一度行きたい |
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臼杵城跡 続日本100名城(193番) |
臼杵城跡 |
臼杵城跡 |
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大分県臼杵市臼杵湾に浮かぶ丹生島に築かれた
平山城(海城)である。
戦国時代、大友宗麟により築かれ、江戸時代には
臼杵藩の藩庁が置かれた。
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臼杵藩城主
1600年 稲葉家 外様 5万石 15代幕末まで続く
画像は戦国時代の武将大名 大友宗麟のプレート |
城は当時は島に築かれて現在は周りは
埋め立てられ市街地となっている。
2001年二の丸大手門に当たる大門櫓が木造で復元 |
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杵築城 |
杵築城 |
杵築城 |
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大分県杵築市杵築にあった城郭
木付氏によって八坂川の河口にある台山の上に
築かれたが江戸時代に暴風にて台山北麓に居館が
移された。1970年天守模擬建る |
杵築藩城主
小笠原家 譜代 4万石
松平〔能見〕家 譜代 3.2万石 12代幕末まで |
武家屋敷は北側と南側と別れて谷間は町人の町
と非常に珍しい城下町である。海側は埋め立られ
天守よりの眺めは絶景です。
戦国時代は島津と大友の激戦地である
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中津城 続日本100名城(191番) |
中津城 |
中津城 |
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中津城 梯郭式平城
黒田孝高が築城をし、細川忠興が完成させた。
周防灘(豊前海)に臨む中津川河口の地に
築城された。
今治城・高松城と並ぶ日本三大水城の一つに数えられる。
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中津藩 藩主
・黒田家 外様 12.3万石 2代 福岡藩へ
・細川家 外様 40万石 2代 熊本藩へ
・小笠原 譜代 8万石 5代 改易
・奥平家 譜代 10万石 9代 幕末続く |
戦国時代は豊臣の武将として黒田官兵衛が
九州平定で大友との戦いの古戦場が多くある。
今年のNHK大河ドラマで人気高まる
1964年に模擬天守建築 |
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小倉城 続日本100名城(181番) |
小倉城 |
小倉城 |
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小倉城 輪郭式平城で別名勝山城、指月城
毛利氏が縄張し細川忠興が南蛮造の天守などを建てた。
1959年模擬天守建築
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小倉藩 藩主
・細川家 外様 40万石 2代 熊本藩へ
・小笠原 譜代 15万石 10代 幕末まで |
現在は耐震改造工事で天守閣の入場は中止でした。
小倉の中心街でビルに囲まれている。
城内には松本清張記念館があり |
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福岡城 日本100名城(85番) |
福岡城 |
福岡城 |
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福岡城 別名、舞鶴城
(1600年) - 黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの
功績により豊前国中津16万石から、一躍筑前一国
52万3千石を得て名島城に入城した
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福岡藩藩主
・黒田家 52万石 2代 幕末まで続く
画像は天守台の門と櫓の石垣 |
現在は櫓と門があるが天守台と石垣が
残されている。敷地は広大で運動場になっている
天守台より城内を一望できる |
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鹿児島城 日本100名城(97番) |
鹿児島城 |
鹿児島城 |
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鹿児島城(鶴丸城)
1601年に島津氏築城するが天守はなく、後ろに城山があり
籠城できる。本丸と二の丸だけ、大手門にあたる御楼門は
再建中で2020年完成予定
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鹿児島城(鶴丸城)
鶴丸城の堀、石垣には西南戦争による弾痕数多く
残っている。 城主は島津氏で鎌倉続く名門
江戸時代72万石
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西郷隆盛像
上野公園の西郷どんの銅像が有名で和服浴衣に
犬を連れた姿であるが、鹿児島の銅像は軍服姿
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首里城 日本100名城(100番) |
今帰仁城跡 日本100名城(98番) |
首里城 |
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沖縄 2014年1月撮影
1992年 再建 2019年10月火災にてすべて焼き落ちた
築城主は不明 14世紀頃 城主 尚氏
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今帰仁城跡
英祖が築城 13世紀頃
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守礼門 |
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2019年4月8日~10日南九州へ歴史探訪旅行に行きました |
飫肥城 日本100名城(96番) |
飫肥城 |
飫肥城 |
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2019年4月宮崎県 日南市
群郭式平山城で天守は建設されず、大手門1978年再建
日本100名城の96番選定
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飫肥藩 5.7万石 伊東家
伊東家は伊豆の工藤祐経(曽我兄弟仇討ち)の子伊東佑時
が鎌倉幕府より日向地頭職となり、戦国時代に島津家に
滅ぼされるが、関ケ原に東軍に味方して領地安堵られる
以後幕末まで14代続き、日清戦争の初代連合艦隊司令長官
務めた元帥海軍大将伊東佑亨がいる |
城の周りには武家屋敷がきれいに整備されおり散策
明治時代の外務大臣 小村寿太郎記念館、生家
江戸初期に刀鍛冶の名工が多く、山城、大阪に移住 |
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人吉城 日本100名城(93番) |
人吉城 |
人吉城 |
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2019年4月熊本県 人吉市
群郭式平山城で天守は建設されず、球磨川と
その支流胸川の合流点の山に築かれており
天守はは築かれなく、大火で建物失う。
画像は大手門跡で脇多聞櫓と続塀が復元された
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人吉藩2.2万石 相良家
相良家は鎌倉幕府より地頭職となり、幕末まで続く
江戸時代には多くの騒動が発生 15代続く
現在は公園として整備され、三の丸、二の丸、本丸
上画像は御下門跡の石垣で本丸への登城階段
石垣は上の方も残っている
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左側は水の手門跡で球磨川に面して手前に米倉庫跡
右側は武者返しの石垣で特有が積みで洋式風
公園の中に資料館ある
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