東北・関東編 2017年東北世界遺産とお城巡りに行きました |
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白石城 続日本100名城(105番) |
白石城 |
白石城 |
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白石城(別名益岡城)
宮城県白石市にあった城である。
主として仙台藩伊達氏の支城として
用いられ片倉氏が代々居住した。
会津に封された蒲生氏郷の家臣・蒲生郷成
によって本格的に築城 |
江戸幕府の一国一城制の対象外とされて
明治維新まで存続した。1819年 火災で焼失する。
4年後の片倉宗景の時に再建、戊辰戦争の際、
東北諸藩の代表たちが白石城に於いて
白石列藩会議を開く。 1875年 - 白石城破却 |
平成7年木造天守閣復元 |
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上山城 |
上山城 |
青葉城跡 |
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上山城
上山には天童氏(最上氏庶流)の一門上山氏が
城を持っていた。城主上山義房は滅亡。
伊達家臣小簗川貞範がこの地に入った。
その後、上山義房の子武衛義忠が城を奪還。
義忠によって改めて築城された平山城が現在の
上山城である。廃城令の影響で1873年より
取り壊されたり払下げる
昭和57年3層の模擬天守が建立
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上山藩藩主
最上家:52万石山形全域を治めるが
御家騒動で改易後上山藩、本荘藩、鶴岡藩など
様々な藩が立藩された。
松平(能見)家4→蒲生家→土岐家(2→
金森家→松平(藤井)家10代 明治維新 |
青葉城跡
AM9時に到着して観光客少なく
良い画像撮影できる |
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白河小峰城 日本100名城(13番) |
白河小峰城 |
白河小峰城 |
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白河小峰城
小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城である。
1340年)に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して
小峰城と名づけたのが始まりとされる。
1629年)より城郭の大改築に着手、3年の
歳月を費やして寛永9年(1632年)に完成した。
1868年戊辰戦争で大半を焼失し落城した。
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白河藩歴代藩主
丹羽家2代→松平〔榊原〕家2代→本多家 2代→
松平〔奥平〕家→松平〔越前〕家3代→
松平〔久松〕家4代→阿部家8代→天領
10万石~15万石 |
2014年に行きましたが2011年3月東日本大地震により
石垣が数か所崩落と天守に影響で工事中で見れず、
今回は天守は修復完成で登城可能であるが一部の
石垣はまだ修復中 |
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会津鶴ヶ城 日本100名城(12番) |
会津鶴ヶ城 |
会津鶴ヶ城 |
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会津若松城
鶴ヶ城、会津若松城、黒川城とも言う
蘆名直盛が1384年に造ったのが若松城のはじまり
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会津藩 藩主
・蒲生家 外様 60万石 加藤家 外様 40万石
・保科(松平)家 親播 23万石 以下10代続く |
天守閣より飯盛山を望む
戊辰戦争で天守閣は砲弾で破損され
1965年に再建された |
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二本松城跡 日本100名城(11番) |
二本松城跡 |
二本松城跡 |
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二本松城(平山城)
別名は霞ヶ城・白旗城言う
畠山氏7代当主・二本松満泰が、1414年に
二本松城を築いた。
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日本松藩 藩主
・松下家 外様 3万石 加藤家 外様 3万石
・丹羽家 外様 10万石→5万 以下11代続く
箕輪門、附櫓を撮影 |
今回は箕輪門、附櫓のみ見学したが
天守台やその他の石垣が整備されている |
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金山城跡 日本100名城(17番) |
金山城跡 2019年11月5日撮影 |
金山城跡 |
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金山城跡(群馬県太田市)) 月ノ池と大手虎口
太田市のほぼ中央にそびえる標高235.8メートルの
独立峰、本丸のあったところに新田神社がある。
関東平野を一望できる絶景が見られる。
平成4年より発掘調査を開始し、石垣を多用した
山城の姿が解明しつつある
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金山城跡(太田市) 大手虎口
別名:新田金山城、太田金山状とも言われ、新田城は
新田義貞が築城されたいるがその時代の遺構や遺物が
検出されたない。1469年新田一族であった岩松家純に
よった築城、その後1528年由良成繁・国繁、
1584年北条氏に代わり上杉謙信の攻撃受け
1590年豊臣秀吉の小田原征伐により落城して、
その後廃城
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金山城跡(太田市) 大手虎口 上より
テレビ放映の影響でお城好きな人々が大勢いた。
難攻不落の山城で左右の急な絶壁でなかなか
攻められない程、石垣は見応えあり、展望からは
太田市全展望と東京方面も見れる
2019年11月5日撮影
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弘前城 日本100名城(4番) |
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重要文化財 1986年撮影
築城主:津軽氏 築城年:1610年
津軽藩城主:津軽家12代 外様4.7万石→10万石 |
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