四天王寺 2025.11  四天王寺 四天王寺  
         石鳥居(重要文化財)
中心伽藍の西側、西門のさらに外に立つ。
扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と
浮彫風に鋳出してあり、釈迦如来が仏法を説いている
場所で、ここが極楽の入口であるとの意である
               西大門(極楽門)
和宗の総本山の寺院。山号は荒陵山(あらはかさん)。
本尊は救世観音(ぐぜかんのん)日本における本格的な仏教寺院
としては最古のものである。593年)に聖徳太子は摂津難波の
荒陵(あらはか)で四天王寺の建立に取りかかった
               中金堂
釈迦如来坐像 - 当寺本尊。5代目
木造薬王菩薩・薬上菩薩立像(重要文化財)
木造四天王立像(国宝) - 鎌倉時代の作
*国宝館には国宝の仏像の多くを堂内に安置特に
阿修羅像見られたのが良かった
 
 四天王寺 2025.11  四天王寺 四天王寺  
                金堂
和36年)3月再建。入母屋造で屋根は上下二重とする。中門、
講堂と同様、錣葺とし、鴟尾を乗せる。外観は法隆寺金堂に
似るが、裳階(もこし)を付さない点が異なっている
内部には中央に本尊救世観音菩薩(ぐぜかんのんぼさつ)像、
向かって左に舎利塔、右に六重塔を安置し、仏壇周囲に四天王像が立
               五重塔
現在の塔は1959年(昭和34年)再建の8代目。
「六道利救の塔」ともいう。壁面には山下摩起筆の仏画がある。
舎利塔が奉安されている5重目まで階段で上がれる


              講堂
入母屋造単層。堂内西側を「夏堂」(げどう)、東側を「冬堂」
(とうどう)と称し、それぞれ阿弥陀如来坐像(松久朋琳・宗琳作)
、十一面観音立像(佐川定慶作)を本尊とする


 
 四天王寺 2025.11  四天王寺 四天王寺  
               中心伽藍
四天王寺は戦乱に何回も焼滅して、特に太平洋戦争で空襲
で壊滅状態となる
               伽藍回廊
金堂・五重塔を一周中心伽藍回廊で再現されている

               北鐘堂
北の引導鐘ともいうが、正式には、黄鐘楼(おうしょうろう)という。
昭和24年)再建
 
 
 興福寺 2025.11  興福寺 興福寺  
         東金堂と五重塔(共に国宝)
法相宗の大本山の寺院。山号はなし。本尊は中金堂の
釈迦如来。南都七大寺の一つ。藤原氏の祖・藤原鎌足と
その子息・藤原不比等ゆかりの寺院
五重塔は現在修復中で見られず

               中金堂
2018年(平成30年)10月再建 9代目
714年)3月に建立されたとする[3]。後に東金堂・西金堂が
建てられてからは中金堂と呼ばれるようになった。創建以来
たびたび焼失

               中金堂
釈迦如来坐像 - 当寺本尊。5代目
木造薬王菩薩・薬上菩薩立像(重要文化財)
木造四天王立像(国宝) - 鎌倉時代の作
*国宝館には国宝の仏像の多くを堂内に安置特に
阿修羅像見られたのが良かった
 
 興福寺 2025.11  興福寺 興福寺  
            南円堂(重要文化財)
南円堂は「西国三十三所」の第九番札所として人々の参拝が
多い御堂です。不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、
四天王像が安置されている。

               猿沢池
池面に映る月は、奈良八景の一つとされる。芥川竜之介の
小説「竜」や謡曲「采女」はこの池にちなんだ作品。池には
多くの鯉や亀がいる。

              奈良国立博物館
奈良国立博物館は奈良公園の一角にあって、東大寺、
興福寺、春日大社などに隣接しています。
1894年(明治27年)竣工したもので、明治期の洋風建築の
代表例として重要文化財に指定されている。
 
 東大寺 2025.11.4  東大寺 東大寺  
                南大門
国宝。平安時代の962年8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の
1199年に復興されたもの。木造金剛力士立像
国宝。高さ8.4メートルの巨大な木像。1203年にわずか
69日で造られた。右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、
左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。
               中門
(重要文化財)1716年9月再建。大仏殿の手前にある入母屋造
の楼門(2階建ての門)。持国天と多聞天が祀られている
中門の両脇から「コ」の字形に回廊が伸び、金堂の左右に至る。
*2回目で今回外国人が50%、修学旅行20%と大勢の観光者
そして鹿の数が昔より増えているよう
              大仏殿(金堂)
国宝。当初の大仏・盧舎那仏および大仏殿は、聖武天皇の
発願により、8世紀に造られたものであったが、その後2度
の兵火で焼け落ち、現存する大仏殿は江戸時代の再建。
間口57メートル、奥行50.5メートル、高さ46.8メートルで、
奥行と高さは創建時とほぼ変わりないが、間口は約3分の2に
縮小されている。
 
 東大寺 2025.11  東大寺 東大寺  
                大仏殿 国宝
聖武天皇の発願により創建された東大寺の本尊は、「華厳経」
の教主である
毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)
東大寺では大仏創建に力のあった良弁、聖武天皇、行基、
菩提僊那を「四聖(ししょう)」と呼んでいる
東大寺大仏(像高約14.7m)、鎌倉大仏(像高約11.39m)、
京の大仏(像高約19m)の三尊が、日本三大仏と称される
               広目天像(金堂西北隅)




          虚空蔵菩薩像(重要文化財)
大仏の左側に安置されている




 
 唐招提寺 2025.11  唐招提寺 唐招提寺  
                唐招提寺の碑
律宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は盧舎那仏。
開基(創立者)は唐出身の僧鑑真である。鑑真が晩年を
過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの
文化財を有する。753年、6回目の渡航計画で遂に日本に

               南大門
天平様式を模して1960年に再建された。柱五間の中央を三扉
とする切妻造の門。



               金堂(国宝)
奈良時代(8世紀後半)建立の寺院金堂としては現存唯一の
ものである(奈良・新薬師寺の本堂は奈良時代の建築だが、当初から本堂として建てられたものではない)。本尊・盧舎那仏坐像、
向かって右に薬師如来立像、左に千手観音立像の3体の
巨像を安置
 
 唐招提寺 2025.11  唐招提寺 中国 鑑真記念館 江蘇省揚州市 
              鼓楼と礼堂
礼堂(重要文化財) - もとの僧房を弘安6年(1283年)に改築
したもの。鼓楼の東にある南北に細長い建物。桁行19間、
梁間4間、入母屋造、鼓楼(国宝) - 舎利殿。鎌倉時代の
1240年建立。

           講堂
国宝。入母屋造、本瓦葺き。正面9間、側面4間。平城宮の
東朝集殿を移築・改造したもので、天平宝字4年(760年)頃、
平城宮の改修に伴って移築された。堂内には
本尊弥勒如来坐像(重要文化財、鎌倉時代)と、持国天、
増長天立像(国宝、奈良時代)を安置する。
            中国の鑑真高僧鑑真が住職
私は2005年に中国江蘇省楊州にある鑑真が中国滞在時
住職していた
大明寺へ行きました
唐の天宝2年(743年)、日本へ仏法や戒律を伝えた高僧鑑真
が住職を務めていた。 素晴らしい風景です

 
 唐招提寺 2025.11  唐招提寺 唐招提寺  
                開山堂
もともとは元禄年間(1688年 - 1704年)に徳川将軍家歴代
の位牌を祀る御霊殿として建立されたものだが、1881年に
現在地に移築されると、国宝の鑑真和上坐像を安置する
開山堂とされた。
           鑑真和上御廟
御廟への道左右は苔が綺麗



               鑑真和上御廟
大僧都に任じられ、後に大和上の尊称を贈られた鑑真は、
天平宝字7年(763年)5月、波乱の生涯を日本で閉じた。
数え年76であった

 
 薬師寺 2025.11  薬師寺 薬師寺  
                薬師寺の碑
法相宗の大本山の仏教寺院。山号はなし。本尊は薬師三尊。
南都七大寺の一つ。薬師寺の歴史は680年11月に当時の
天皇・天武天皇の皇后である鵜野讃良(うののさらら、持統天皇)
が病気を患い、天武天皇が鵜野讃良の病気平癒を願って
本寺院の造営を誓願したことに始まる。
           金堂
昭和51年再建。奈良時代仏教彫刻の最高傑作の一つとされる
本尊・薬師三尊像(国宝)を祀る
上層は写経が納められた納経蔵となっている。

 
               東院堂(国宝)
鎌倉時代の弘安8年(1285年)再建。境内の東側、回廊の
外に建つ。元明上皇の冥福を祈るために娘の吉備内親王が
養老年間(717年 - 724年)に建立した東禅院が前身である。


 
 薬師寺 2025.11  薬師寺 薬師寺  
                東塔(国宝)
現在寺に残る建築のうち、奈良時代(天平年間)に遡る唯一
のもの。総高34.1メートル(相輪含む)。日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、・・・・・
に次ぎ、6番目の高さを誇る。
                 西塔
昭和56年再建。東塔と対称的な位置に建つ三重塔。旧塔は
享禄元年(1528年)に戦火で焼失している。

 
               大講堂
2003年(平成15年)3月21日再建。正面41m、奥行20m
、高さ17mあり、伽藍最大の建造物である。以前の大講堂は
1528年に戦火で焼失後、1852年に再建されたもので
あったが、今回の再建にあたって解体されている。
 
 薬師寺 2025.11  薬師寺 薬師寺  
 
                月光菩薩
月光菩薩は月の様な清涼をもって衆生の生死煩悩の焦熱
から離れるという意味がある。

               薬師如来
薬師三尊は、仏教における仏像安置形式の一つである。
日本における薬師三尊像の古例であるとともに、最高傑作の
一つである
               日光菩薩
日光菩薩は、一千もの光明を発することによって広く天下
を照らし、そのことで諸苦の根源たる無明の闇を滅尽するとされ、

 
 
 法隆寺 2025.11  法隆寺 法隆寺  
                中門
聖徳宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。
創建当時は斑鳩寺、法隆寺は7世紀に創建され、古代寺院の
姿を現在に伝える仏教施設であり、聖徳太子ゆかりの寺院である。
           金堂と五重塔
国宝。入母屋造の二重仏堂。桁行五間、梁間四間、二重、
初層裳階付。上層には部屋はなく、外観のみである。
釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来を本尊として安置 
               大講堂
大講堂(国宝) - 桁行九間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺き。
平安時代の延長3年(925年)に焼失後の、990年に再建。
薬師三尊像(平安時代、国宝)と四天王像(重要文化財)を安置
 法隆寺 2025.11  法隆寺 法隆寺  
              中門
7世紀後半頃の再建 中門(国宝) - 入母屋造の二重門。
正面は四間二戸、側面は三間。日本の寺院の門は正面の
柱間がこの門は正面柱間が4間で、真中に柱が立つ点が特異である。

               回廊
廻廊(国宝) - 金堂などとほぼ同時期の建立。廊下であるとともに
聖域を区切る障壁でもある。ただし、大講堂寄りの折れ曲がり
部分より北は平安時代の建立である。当初の廻廊は大講堂前
で閉じており、大講堂は廻廊の外にあった。
               五重塔
国宝。木造五重塔として現存世界最古のもの。裳階付きで、
高さは32.55mであり、初重から五重までの屋根の逓減率
が高いことがこの塔の特色で、五重の屋根の一辺は
初重屋根の約半分である。
 
 法隆寺 2025.11  法隆寺 法隆寺  
 
             聖霊院
聖霊院 | 聖徳宗総本山 法隆寺 聖徳太子信仰の高揚にとも
なって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の
南端部を改造したのがこの聖霊院です。
           東室と妻室
法隆寺には東室と妻室という建造物が横に並んで存在する。
東室が飛鳥時代の国宝であるのに対し、妻室は平安時代の
重要文化財となっている。妻室は、正式には「東室小子房」と
称され、小子房としては現存する唯一の建造物である。
               大宝蔵院
法隆寺に残る数々の国宝や重要文化財を保存している建物
1998年に完成した新しい建物が特徴で、空調が効いた屋内


 
 法隆寺 2025.11  法隆寺 高野山  奥之院  
 
               夢殿 国宝
東院伽藍は聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に
建立された。夢殿(国宝) - 奈良時代建立の八角円堂。堂内に
聖徳太子の等身像とされる救世観音像を安置する。
             東院鐘楼 国宝
 
            南大門より中門と五重塔
法隆寺の建物は国宝、重要文化財が多くて今回2回目。
 
 2025年11月12日 高野山へ弘法大師へお参り 午前8時前に行くがまだ観光客いなくゆっくり探索でき、紅葉が綺麗
 高野山 2025.11  高野山  奥之院 高野山  奥之院  
 
      大門 高野山全体の総門  国の重要文化財
平安時代の816年に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が
下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における
聖地の1つ 1705年再建  真言宗
      奥之院 入口の一の橋
一般寺院でいう墓域である。国の史跡・世界遺産。御廟橋の先に灯籠堂、その裏に空海の御廟がある。一の橋から御廟までは約2km 
      奥之院の参道にある灯籠
参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び、
その総数は正確には把握できないものの、20万基以上は
あると言われている。戦国大名の6割以上の墓所がある。
 
 高野山  奥之院  高野山  壇上伽藍 高野山  壇上伽藍  
 
          奥之院 御廟橋
奥之院は、弘法大師空海の御廟がある場所で、壇上伽藍と
並ぶ高野山の二大聖地の一つ。高野山の信仰の中心と
されています。弘法大師は853年に62歳で入定し、
以来1200年にわたってこの地で永遠の瞑想を続けていると
信じられています。これより撮影禁止
             中門 壇上伽藍の入口
一般寺院でいう本堂がある伽藍地区である。国の史跡・
世界遺産。空海(弘法大師)が曼荼羅の思想に基づいて
創建した密教伽藍の総称であり、奥の院とともに高野山の
二大聖地である。847年に建立で火災で8代目2017年に再建
  
         金堂 2025.11
空海(弘法大師)が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教
伽藍の総称であり、奥の院とともに高野山の二大聖地である。
金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が
執り行なわれる。弘法大師伝説のひとつである「三鈷の松」
 
 高野山  壇上伽藍     高野山  壇上伽藍   高野山  壇上伽藍
         高野山 六角経蔵
鳥羽上皇妃、美福門院が鳥羽法皇の菩提を弔うために、
平治元年(1159年)に建立された。本尊「宝冠釈迦如来坐像」
が安置紺紙金泥一切経3575巻 1934年に再建 
            高野山 西塔
834年に弘法大師空海によって記された「知識を勧進して
仏塔を造り奉る書」(性霊集)の「毘盧遮那法界体性の塔二基」
は、根本大塔と西塔を指すと言われている。五度目の再建で、
天保5年(1834年)に建立
          金剛峯寺 山王院鐘楼
高野山開創以来、1200年以上にわたり金剛峯寺の中心と
して連綿と保持されてきた壇上伽藍の堂舎群 弘法大師空海
の構想を遵守しつつ、中世における経済的基盤の確立に伴い
充実した伽藍は、度重なる火災により焼失と復興を繰り返した 
 
 高野山  壇上伽藍 御影堂    高野山  壇上伽藍  高野山  壇上伽藍
 
 御影堂 最重要の聖域 回りに火災防止の水のカーテン
御影堂は桁行15.1m梁間15.1mの向背付宝形造りをした
建物。堂内外陣には弘法大師の十大弟子像が掲げられている。
もともとは弘法大師の持仏堂として建設された建物だが、
大師の入定後に十大弟子のひとり真如親王が描いた大師の
御影(絵画)を奉安して以来御影堂と名付けられたという。
          根本中堂 1937年に鉄筋再建
真言密教のシンボルとして建てられた朱塗りの大塔は、弘法大師
空海と真然の二代により約70年をかけて完成しました。
日本で最初に造られた多宝塔様式の塔で、堂内全体が曼荼羅を
立体的に表現したものといわれています。ご本尊の胎蔵大日如来    
             東塔
大治2年(1127年)白河法皇の御願によって、京都醍醐
三宝院の勝覚権僧正が創建した。白河法皇等身の金色尊勝
仏頂尊と不動明王、降三世明王の三躰を安置して落慶供養が
執り行われた。1984年に141年ぶりに、高さ18m、
四方6.4mの塔が再建
 
   高野山 金剛峯寺  高野山 金剛峯寺 高野山 金剛峯寺
 
          金剛峯寺 入口
金剛峯寺は、山のほぼ中央に位置する高野山真言宗の
総本山で、全体の宗務を司っている寺院です。豊臣秀吉が
母の菩提寺を建立し、その後隣の寺と合併して金剛峯寺と
改称されました。
             主殿(総本山金剛峯寺 本坊)
松と鶴が描かれたふすま絵がある大広間や、その奥には持仏間、
さらに柳と鷺が描かれたふすま絵の「柳の間」などがあり、
美しく施された装飾は見ごたえがあります
                石庭「蟠龍庭」
柳の間は、ここで豊臣秀次が自害したことから「秀次自刃
の間」とも呼ばれています。境内には、約2,340㎡の面積を
持つ日本最大級の美しい石庭「蟠龍庭」があり
 宝光寺新潟新発田市   聖運寺 (西尾市)   善光寺
 
      宝光寺 山門  2025.6
安土桃山時代の開基で、新発田藩主溝口家の菩提寺。
 曹洞宗
         聖運寺 (西尾市) 2023.7
  
真宗大谷派
  2009年4月  長野 善光寺 御開帳 国宝
長野県長野市元善町にある無宗派の単立仏教寺院。
善光寺前立本尊御開帳。7年目ごとに1度
 
        清水観音堂 2025.3                 西郷隆盛像 2025.3           伏見宮邦家親王像    
重要文化財。上野公園内、西郷隆盛銅像の近くにあり、
千手観音を祀る。 寛永8年(1631年)の建築
 広重『名所江戸百景』より寛永寺清水観音堂が
描かれた「上野清水堂不忍ノ池」
 「上野の西郷さん」は、身長370.1cm、胸囲256.7cm、
足55.1cmという、大変大きくて立派な像です。
明治31(1898)年12月18日に除幕式が行なわれました。
 
小松宮彰仁親王像は、明治維新の功労者であり、会津征討
の総督(東征大将軍)に任じられました。伏見宮邦家親王の
第8王子の騎馬像です。           
 
          上野東照宮 (東京)2025.3               上野東照宮 (東京)         上野東照宮 (東京) 
   
         唐門(拝殿側から見る)
左甚五郎の彫刻あり
         拝殿 
            銅燈籠
 
        上野東照宮 (東京2025.3             旧寛永寺五重塔(重要文化財)               上野東照宮 (東京) 
    拝殿と唐門
三大東照宮の一つに数えられることが多い。
近隣の芝東照宮は自らを「日光東照宮・久能山東照宮
上野東照宮に並ぶ四大東照宮の一つ」としている。
徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を祀る
 重要文化財。寛永8年(1631年)建立の初代の塔が
寛永16年(1639年)に焼失した後、同年ただちに
下総古河城主土井利勝によって再建された。
併設する五重塔はもとは東照宮所属であったが明治の
神仏分離令により、当時は現在の上野公園全域を寺地と
していた寛永寺の所属となった。  
    
            神門から参道を見る
多くの灯籠が並んでいる


 
        太宰府天満宮 (福岡)2024.12          太宰府天満宮 (福岡)2024.12          太宰府天満宮 (福岡) 
   
       参道
菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の
一つ(天神様のお膝元)。年間にすると850万人以上の
参詣者がある。

              楼門
菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀に
よって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、翌々年の
延喜3年(903年)に同地で死去した。 

             本殿(工事中)
道真の遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が止った
所が現在の天満宮で墓所となる
有名な歌で「
東風(こち)ふかば にほひおこせよ 梅の花
      
あるじなしとて 春な忘れそ」 飛梅
学問の神様
 
 川崎大師 2024.1 川崎大師   川崎大師
   川崎大師本堂平間寺(へいけんじ)
真言宗智山派の大本山 山号は金剛山。院号は
金乗院(きんじょういん)
平間兼乗は海中へ網を投げ入れたところ、弘法大師の
木像を引き揚げた、

                 大山門
高野山の尊賢上人と 兼乗と力をあわせ、1128年(大治3年)
に平間寺を建立した。
1945年4月の空襲で焼け落ちたため、伽藍の多くが戦後の
再建である 

            八角五重塔  
川崎大師は近代以降の初詣発祥の地であり、2012年の
初詣客は296万人となり、明治神宮・成田山新勝寺に次ぐ
全国3位 10年に1度、大開帳が行われ、参拝者には
「南無阿弥陀仏」と手刷りされた特別な護符「赤札」が
授与される 今年 令和6年5月1日~31日まで
 
 中尊寺 2023.11  中尊寺  中尊寺
   中尊寺 金色堂
平安時代後期建立の仏堂である。奥州藤原氏初代
藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、
平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例
であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定
されている。 
       中尊寺 釈迦堂の門
 旧覆堂、白山能舞台、白山神社


 
      中尊寺 参道の紅葉  


 
 
 中尊寺2023.11  中尊寺  中尊寺
     中尊寺 山門
天台宗東北大本山の寺院。奥州三十三観音番外札所。
寺伝では円仁の開山とされる。実質的な開基は
藤原清衡、奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名
       中尊寺 本堂
(850年)、円仁(慈覚大師)が関山弘台寿院を開創した
のが始まりとされ、その後(859年)に清和天皇から
「中尊寺」の額を賜ったという。 
        中尊寺 参道の紅葉
早い時間にいって参道を撮るとすぐに団体観光客
が来る(台湾人)
 
 
毛越寺 2023.11  毛越寺  毛越寺
  毛越寺 大泉が池の築山
 浄土庭園
平成23年6月25日に世界遺産に登録された。

      毛越寺 出島石組と池中立石 
池中立石(左側奥の尖った石)は東日本大地震で
8度傾いたそうで修復しました

        毛越寺 池中立石と紅葉
 毛越寺の山門は一関城の大手門を移築している
 入口付近に松尾芭蕉の句碑があります
 
 「夏草や 兵どもが 夢の跡」
 
  報恩寺
 山門の仁王像(金剛力士像) 

       報恩寺
 山門の仁王像(金剛力士像)


       報恩寺 山門
 左右に仁王像ある
 
 
報恩寺 岩手 盛岡  報恩寺 岩手 盛岡  伊達政宗廟
      (中門と本殿)2023.11
南部藩内曹洞宗208ヶ寺の総録であった寺 
木造漆塗の五百羅漢で知られる
      報恩寺 (羅漢堂の華厳殿) 2023.11
羅漢堂には五百羅漢が華厳殿を取り囲んで並んで
見ごたえあり
2017年5月 藩祖伊達政宗廟「瑞鳳殿」
  
昭和20年)7月10日 - 仙台空襲で焼失
  昭和54年) - 「瑞鳳殿」再建
  平成13年「瑞鳳殿」改修工事を実施
 
 豊川稲荷 2023.7  豊川稲荷 豊川稲荷 
  豊川稲荷
 正式の寺号は曹洞宗 妙厳寺(みょうごんじ)。
 詳しくは「円福山 豊川閣 妙厳寺」と称する寺院である
 豊川稲荷は神社ではないものの、境内の参道には
 鳥居が立っている。

       豊川稲荷
 日本三大稲荷の1つとされる。妙厳寺の本尊は
 千手観音である。豊川稲荷の「稲荷」とは、境内の鎮守と
 して祀られる吒枳尼天(だきにてん)のことである


        井伊谷宮 浜松市北区
 御祭神宗良親王(後醍醐天皇第四皇子)で南北朝
 時代に一品中務御征東将軍として50余年の間。
 吉野朝のために御活躍、73歳でこの地で死去する
 墓は本殿背後のあり明治元年明治天皇より当宮創立
 勅旨が出され、明治5年2月御鎮座
 
 本山専修寺 三重 津市2023.7  本山専修寺 三重 津市  本山専修寺 三重 津市
      本山専修寺 唐門 (重文)
 専修寺は、三重県津市一身田町にある真宗高田派の
 本山の寺院。山号は高田山。
 本尊は「証拠の如来」と呼ばれる阿弥陀如来。
 本山専修寺、一身田専修寺と呼ばれている。

 
       本山専修寺 如来堂 国宝 
 
如来堂(重要文化財) - 本堂。元禄14年(1701年)再建。
 
天台宗の延暦寺と本願寺が敵対して真慧は比叡山に登り、
 専修寺門流(高田派)は全く別であることを陳述した。
 高田派こそ浄土真宗の正統だと認められ、円仁(慈覚大師)
 が一刀三礼で彫り上げた阿弥陀如来立像を延暦寺から
 譲られたとする
       本山専修寺 山門(重文)
 宝永元年(1704年)頃の再建。1層目の屋根の裏側が
 3間分だけ張り出している造りの裏向拝は他に例を見ない。




 本山専修寺 三重 津市  本山専修寺 三重 津市  本山専修寺 三重 津市
    本山専修寺 御影堂 本堂内 2023.11
 

 
      本山専修寺 御影堂 国宝
 
建築様式は純和様であって、質素ではありますが
 落ち着いた外観を醸し出しております。
 正保二年(1645)の大火による伽藍焼失後
 寛文六年(1666)に上棟、延宝七年(1679)に
 落慶供養法要が行われました。
      本山専修寺
 左側 如来堂は教義上この堂が伽藍の本堂となります。
 右側 御影堂 
 その他に多くの重要文化財があります


 
 龍潭寺  龍潭寺  龍潭寺
     龍潭寺山門
 静岡県浜松市北区にある臨済宗妙心寺派の寺院。
 山号は万松山。本尊は虚空蔵菩薩
 平安時代から井伊氏の菩提寺であったとされる。 
      龍潭寺仁王門
 平安時代から井伊氏の菩提寺であったとされる。
 井伊直虎ゆかりのお寺として話題のスポットは、
 その歴史と共に多くの文化財を残しています。
   井伊直政の出世の碑
 2017年の大河ドラマの主人公に選ばれ、注目が
 高まる井伊家唯一の女領主「井伊直虎」その井伊
 系統の 直政は徳川四天王の一人である
 
  龍潭寺

                  
 龍潭寺の見事な庭園 2023.11
    小堀遠州作龍潭寺庭園は、江戸時代初期に造られた池泉鑑賞式庭園である。                         井伊家御霊屋に庭園
 
 慈眼院(じげんいん)(群馬2023.4.19
慈眼院は、群馬県高崎市にある高野山真言宗の
寺院である。本尊は聖観世音菩薩。通称、高崎観音。
境内に
高崎白衣大観音(高崎観音)がある。
 
  高崎白衣大観音2023.4.19
慈眼院はもともと高野山金剛峯寺の塔頭のひとつで、
昭和16年(1941年)、現在地に移転した。
1936年(昭和11年)、実業家の井上保三郎が建立した
鉄筋コンクリート製の観音像で、
 高崎白衣大観音2023.4.19
 高さ41.8メート重さは5,985トン。建立当時は世界最大
の観音像だった。中に入ると146段の階段が9層を
結んでおり、20体の仏像が安置されている。

 
  鑁阿寺(ばんなじ)(栃木)2023.4.18
鑁阿寺はもともとは足利氏の館(やかた)であり、
現在でも、四方に門を設け、寺の境内の周りには土塁と
堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館の面影が
残されている。
  
山門と太鼓橋  
  鑁阿寺(ばんなじ)(栃木)2023.4.18
12世紀半ば - 足利氏の祖・源義康が同地に居館
(足利氏館)を構える。1196年(建久7年) - 足利義兼
(戒名:鑁阿)が理真を招聘し、自宅である居館に
大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立。 

  鑁阿寺(ばんなじ)多宝塔
 国宝鑁阿寺(ばんなじ) 
 



 
  出流原弁天池(栃木)2023.4.18
いずるはら昭和60年)出流原弁天池湧水として名水百選
に選定された。佐野市の北域にあたる後山は秩父古生層の
石灰岩で形成されており鍾乳洞から、年間を通じ水温は16℃、2400(m3/日)の湧水量の水が湧き出しておる


  出流原弁天池(栃木)2023.4.18
磯山公園内あり、磯山弁財天があります。
池の隣には涌釜神社が鎮座しています。
地元では「命の池」として信仰されるパワースポットと
なっている

    出流原弁天池(栃木)2023.4.18
 磯山弁財天の歴史
200段登ると約1000年前に建てられていて、現在の
建物は鎌倉時代に再建されたものだそうです。
弁財天は七福神の紅一点で元々、ヒンドゥー教の水の
神「サラスヴァティ」とされています。

 
 佐野厄除け大師(栃木)  佐野厄除け大師(栃木)  佐野厄除け大師(栃木)
  佐野厄除け大師(栃木)2023.4.18
惣宗寺(そうしゅうじ) は、栃木県佐野市にある天台宗の
寺院である。
「関東の三大師」の一つに数えられることが
多く、毎年の正月には初詣の参拝客で賑わう。


 
  佐野厄除け大師(栃木)2023.4.18
天慶7年(944年) 藤原秀郷が春日岡(今の佐野城址の地)
に創建したものと伝わる。
慶長7年(1602年) - 佐野信吉によって現在地に移転する。
 春日岡に佐野城を築くためであった。
元和3年(1617年)3月 - 徳川家康の遺骸が日光へ移される
 ときに宿所とされた。江戸時代には寛永寺の末寺であった。 
    佐野厄除け大師(栃木)2023.4.18
 天台宗の関東厄除け三大師とは
      佐野厄除け大師、青柳大師、川越大師
 真言宗の関東厄除け三大師とは
      西新井大師
      川崎大師
      観福寺大師堂
 
鳳来寺   鳳来寺 元善光寺(長野飯田) 
    鳳来寺本堂(愛知)2022.11.10
 
愛知県新城市の鳳来寺山の山頂付近にある
 真言宗五智教団の寺院。寺伝では702年に
 利修仙人が開山したと伝える。1450段の階段 
 標高695m、1,500万年前の火山の名残で流紋岩
 などでできています。景観すばらしく、紅葉良いね
 現在は鳳来寺山パークウェイ駐車場があり

 
  鳳来寺山 東照宮(愛知)2022.11.10
 鳳来寺山に鎮座する神社である。正式名称は「東照宮」
 日光・久能山と並ぶ三大東照宮の1社を称している。

 家康の父母である松平広忠と正室於大の方は、鳳来寺に
 参篭したところ、間もなく家康を 懐妊したという。
 3代家光と4代家綱が社殿が竣成


 
    元善光寺(長野飯田)2022.11.8
 地の住人本多善光が、難波で一光三尊(善光寺如来)の
 本尊を見つけて持ち帰り、安置したところ、臼が燦然と
 光を放ったことからここを「坐光寺」としたとされる。
 その後、皇極天皇元年(642年)、勅命により本尊は
 芋井の里(現在の長野県長野市)へ遷座され、
 この寺が善光の名をとって善光寺と名付けられた
 ことから、坐光寺は元善光寺と呼ばれるようになった。
 
 久能山東照宮  久能山東照宮  久能山東照宮
       久能山東照宮 楼門 2022.7
 
久能山(標高216m)は、もともと日本平と共に、
 太古、海底の隆起によって形成されたもので、
 長い年月の間に 浸食作用などのために硬い
 部分のみが残り、現在のように孤立した山となった。

        唐門 望む
 
拝殿正面にある門で、屋根は銅瓦本葺黒漆塗の
  四方唐破風造の門です。
 羽目板に唐獅子牡丹、黒松に鳥の透彫があります。

          御社殿 正面 国宝
  年を駿府で過ごした徳川家康が元和2年(1616年)に
  死去した後、遺命によってこの地に埋葬された。
  

 
久能山東照宮 久能山東照宮   久能山東照宮
     御社殿 横壁画 2022.7
 
御祭神徳川家康公をおまつりする「本殿」と参拝を
 するための拝殿」を「石の間」で連結した「権現造」と
 呼ばれる様式で、元和3年(1617)建立。江戸幕府
 大工棟梁中井大和守正清の代表的な遺構のひとつ、
         神廊
神廟は本殿の後方にある。ここは御祭神徳川家康公の
 御遺骸を埋葬し 奉った所で西向きに建てられています。
 西の方には、公の御両親が子授け祈願の参籠
 西に松平家の菩提寺大樹寺、家康公誕生の地である岡崎城
       東門
 
久能山東照宮に登る方法は海
 表参道からは1159段の石段を登り社殿に至る。
 日本平よりロープウエイにて7分で
 
 恵林寺 山梨  恵林寺 山梨  恵林寺 山梨
 2022年5月 乾徳山 恵林寺 庫裡
 
明治38年の火災によってそのほとんどを焼失。
 現在の本堂、庫裏も、明治末期に再建されたものである。
 庫裡から入口500円、内部は本堂~鶯張り廊下、庭園見る
 2022年5月 乾徳山 恵林寺 方丈庭園
 本
堂の正面を進むと、左手にみえるのが
 山水式の庭園である。 廊下を歩くと外側に柳沢吉保夫婦
 の墓所もあり

 2022年5月 乾徳山 恵林寺 庭園
  京都嵯峨野の天龍寺、嵐山の西芳寺(苔寺)庭園と
  ともに、夢窓国師の代表的な築庭庭園として
  有名である。
 
 恵林寺 山梨  恵林寺 山梨  恵林寺 山梨
 2022年5月 乾徳山 恵林寺 臨済宗妙心寺派
 
乾徳山恵林寺は、1330年に夢窓国師によって創建
 甲斐武田氏の菩提寺 
黒門

 2022年5月 恵林寺 四脚門(重要文化財)
 
武田氏滅亡後、織田氏は焼き討ちにした。
  信長亡き後、家康が武田遺臣を庇護し、再建する

 2022年5月 恵林寺 三門
 恵林寺は信玄公の墓所で、その他に柳沢吉保公廟所
 もあり、本堂には歩くと音がする鶯張りと呼ばれる
 外敵の侵入を拒む廊下 
 
 甲斐善光寺  甲斐善光寺  甲斐善光寺
 2022年5月 甲斐善光寺 山門 重要文化財
 
当山は、開基武田信玄公が川中島の合戦の折、
 信濃善光寺の焼失を恐れ、永禄元年(一五五八)
 御本尊善光寺如来像等を奉遷したことに始まります。

 2022年5月 甲斐善光寺 本堂
 
江戸時代は浄土宗甲州触頭を勤め、徳川家位牌所
 重要文化財 5件あり
 今年は開帳年となっています。
 本殿の中に有名な泣き龍が有名

   2022年5月 甲斐善光寺 本殿
 本堂下には「心」の字をかたどる「お戒壇廻り」もあり、
 暗闇の中の鍵を触れることによって、御本尊様と御縁を
 結ぶと言われている。

 
浄発願寺 (神奈川)  浄発願寺   里山ガーデン
 2022年4月 伊勢原市 浄発願寺 天台宗
 
1608年に木食遊行の開祖と呼ばれた弾誓(たんせい)
  によって開かれた寺   日向林道へ野鳥撮影へ

 2022年4月 伊勢原市 浄発願寺 天台宗
 
もとは奥の方にあったが、昭和13年に台風により山津波
  により現在の場所に移転 3重の塔

 2022年4月 横浜市旭区 里山ガーデン
 
こいのぼりが数十匹風に舞う

 
 熊谷妻沼聖天山 埼玉   熊谷妻沼聖天山 埼玉   熊谷妻沼聖天山 埼玉
 2021年11月熊谷妻沼聖天山/歓喜院 貴惣門
 歓喜院(かんぎいん)は、高野山真言宗の
 仏教寺院である。 日本三大聖天の一つとされる。
 
国指定重要文化財の貴惣門
 2021年11月熊谷妻沼聖天山 仁王門
 一般的には山号に地名を冠した「妻沼聖天山
 (めぬましょうでんざん)」と呼称され、
 「埼玉日光」と言われ 
国宝に指定された

 2021年11月熊谷妻沼聖天山/御本殿
 平成24年7月9日指定奥殿・中殿・拝殿よりなる権現造
 斎藤別当実盛公が聖天宮を開創されてから何度も修復・
 再建されて来ましたが、火災で御本殿は、江戸中期に再建
 
  熊谷妻沼聖天山 埼玉   熊谷妻沼聖天山 埼玉   熊谷妻沼聖天山 埼玉
  2021年11月 熊谷 妻沼聖天山/歓喜院
  仁王門の左右に配置され、仁王(金剛力士)像は、
  向かって右側が口を開けた「ア」形、左側が口を
  結んだ「ウン」形です。

  2021年11月 熊谷 妻沼聖天山/歓喜院
 二天王像は貴惣門に、右側に毘沙門天、左側に持国天
 の像があります。仁王(金剛力士)像とは違い、
 邪鬼を踏んだ 像となっています

  2021年11月 熊谷 妻沼聖天山/歓喜院
 「歓喜院聖天堂」は、外壁一面に精緻な彫刻が施され、
 日光東照宮にも負けない圧倒的な迫力の建築です。
  
国宝
 
 
  熊谷妻沼聖天山 埼玉   熊谷妻沼聖天山 埼玉   熊谷妻沼聖天山 埼玉
  2021年11月熊谷 妻沼聖天山/歓喜院
 奥殿は内外ともに彫刻、漆塗、彩色、金具等を華麗に
 ほどす装飾性の高い建築である。
 彫刻職人の左甚五郎作、彫刻棟梁は石原吟八郎(吟八)
 と 関口文治郎、
 
国宝
  2021年11月熊谷 妻沼聖天山/歓喜院
 大羽目板には七福神、縁下には唐子遊びを中国の故事に
 ちなむ主題が「三聖吸酸」及び「司馬温公の瓶割り」

 「琴棋書画」など 見飽きない圧巻である 国宝

  2021年11月 熊谷 妻沼聖天山/歓喜院
  平和の塔 空海像がある



 
 喜多院 埼玉 喜多院 埼玉   喜多院 埼玉
  2021年11月 川越 喜多院 多宝塔
 
天台宗の寺院。山号は星野山(せいやさん)。
 平安初期の830年、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が
 東国に無量寿寺として開創
 1599年、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が
 第27世住職 として入寺し、寺号を喜多院と改めた。


  2021年11月 川越 喜多院 客殿・書院 
 
1638年、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、
 翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の
 一部を移築した。
 画像の建物は、徳川家光誕生の間 春日局化粧の間が移築
 
徳川家光の誕生の間と周りの庭園が見ごたえあります


  2021年11月 川越 喜多院 仙波東照宮
 
重要文化財が多く建物としては 
 客殿・書院・庫裏・山門・鐘楼門・慈眼堂・仙波東照宮・
 慈恵堂・多宝塔・太刀 銘友成・
 
五百羅漢像
 「日本三大羅漢」の1つ・五百羅漢は1782年から
 1825年の半世紀にわたって建立されたもので、
 538体の石仏が鎮座する。
 
 長安寺 箱根  大福寺  千葉   大福寺  千葉
  2020年11月箱根仙石原 長安寺 曹洞宗
 1356年創建と歴史深く、自然豊かな竹林の中に
 ひっそりと 佇む「長安寺」。秋は紅葉の名所として
 知られております
 昭和60年より建立が始まった「五百羅漢」の像も見どころ。  
 
   2020年12月 真言宗 大福寺の崖観音
 
境内の船形山の中腹に浮かぶ朱塗りの観音堂は
 「崖の観音」と呼ばれる。本尊は十一面観世音菩薩
 観音堂から館山市街地が一望に見える

   2020年12月 大福寺 真言宗
 
717年行基が地元漁民のために、安全と豊漁を祈って
 観音像を刻んだ。天台宗の僧 円仁(慈覚大師)観音堂を
 建て、寺を興したとされるが、いつ真言宗になったか不明
 
 
 備中国分寺 2019.11  備中国分寺  出雲大社
     備中国分寺五重搭(岡山県総社市)
 備中国分寺跡は、聖武天皇が天平13年(741)に仏教の
 力を借りて天災や飢饉(ききん)から人々そして国を
 守ること(鎮護国家)を目的に建てられた
 官寺の一つです。

     備中国分寺五重搭(岡山県総社市)
 建物は南北朝時代に焼失したと伝えられ、現在の建物は
 江戸時代中期以降に再建されました。
 五重塔は、高さ34.32メートル 
国の重要文化財 

       出雲大社
     
 2019年11月28日


  
 
 称名寺 神奈川   称名寺 神奈川  西方寺 神奈川 
   2018年5月横浜金沢区の称名寺
 
真言律宗 金沢北条氏一門の菩提寺
 本尊は弥勒菩薩  池の周りはキ菖蒲の花


  2018年5月横浜金沢区の称名寺
  
5月連休にはライトアップして素晴らしい
  特に池の周りすべて菖蒲(黄)が咲き見応えあり



  2020年9月28日 新横浜 新羽 西方寺
  
西方寺は800年前に鎌倉で創建され
  500年前に新羽に移転した真言宗のお寺です
  お花の寺で有名で特に彼岸花は参道に白・赤・黄と
  見応えあります。
 
 建長寺 鎌倉  建長寺 鎌倉  洋建屋 鎌倉
 2015年4月 鎌倉 建長寺 山門 重文
禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山。
山号を巨福山(こふくさん)と称し、
寺号は正式には建長興国禅寺と称する。


  2015年4月  建長寺 唐門
 
重要文化財で方丈入口の門。仏殿と同じく、
 芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。



    2006年11月  鎌倉 洋館 
古我邸(旧荘清次郎別荘)。大正5年(1916年)建築。
大正5年に三菱銀行重役荘清次郎が別荘として建築し、
その後浜口雄幸、近衛文麿等の首相経験者が
別荘として使用した由緒ある建物。

 
 伊勢原 日向薬師 身延山久遠寺 山梨  身延山久遠寺 山梨
 2020年11月 伊勢原 日向薬師 
 高野山真言宗の寺院。本尊は薬師三尊。
 日向薬師付近の田畑に彼岸花が有名
日蓮宗総本山久遠寺の山号  日蓮宗の開祖日蓮聖人が、
身延山の草庵に居を定めたのは、文永11年(1274年)
身延山の周辺には鷹取山(1,036m)山頂へは
ロープウェイで7分程度で登れる。
山麓の標高400m付近に日蓮宗総本山である身延山久遠寺
があり、山頂にも日蓮が父母を偲んで建立したと言われる
奥之院思親閣がある。

 
 
 
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