第1章 連合艦隊の躍進  

ハワイ海戦(真珠湾攻撃)

昭和16年12月8日

         機動部隊による前例のない軍港空襲
昭和16年11月26日、空母6隻を基幹とする南雲機動部隊は密かに択捉島単冠湾を出撃した。めざすはハワイのオアフ島
真珠湾攻撃作戦開始である。南雲機動部隊は12月8日午前零時30分(現地12月7日午前5時30分水偵により港内偵察で
目標確認後、55分に攻撃隊が発進した。攻撃第一派183機、ついで第二派167機が発進する。7時52分、
抵抗なく真珠湾上空に飛来した攻撃隊指揮官”田淵中佐”は全軍突撃を発令し、(トラ・トラ・トラ)我奇襲に成功なり を発信する
8時50分、第二派の攻撃が行われた。第二派は主に艦船などに損害を行うが、米軍も対空砲で応戦し、攻撃隊にも被害がでる。
日本の航空攻撃は10時に終了。戦果拡大の為に第二次攻撃の意見具申もあったものの機動部隊は帰途についた。
この時点で米軍の空母攻撃が全く出来ないことが今後の海軍戦に影響でる
日本海軍編成
機動部隊

  空襲部隊
第一航空艦隊 司令長官:南雲忠一中将 参謀長:草鹿龍之助

第一航空戦隊 司令官:南雲忠一中将 航空母艦 : 赤城   加賀
第二航空戦隊 司令官 :山口多聞少将 航空母艦 : 蒼龍   飛龍
第五航空戦隊 司令官 :原 忠一少将 航空母艦 : 翔鶴   瑞鶴
   警戒隊
第一水雷戦隊 司令官:大森仙太郎少将 軽巡洋艦 : 阿武隈
第一七駆逐隊 司令官:杉浦嘉十大佐 駆遂艦  : 谷風  浦風  浜風  磯風
第一八駆逐隊 司令官:宮坂義登大佐 駆遂艦  : 不知火・ 霰・ 霞・ 陽炎  秋雲
  支援部隊
第 三 戦隊 司令官:三川軍一中将 戦艦  :  比叡  霧島
第 八 戦隊 司令:阿部弘毅少将 軽巡洋艦 : 利根  筑摩
   哨戒隊
第二潜水隊 司令:今和泉喜次郎大佐 潜水艦:伊19 伊21 伊23
  ミッドウェー破壊隊
第七駆逐隊 指揮官:小西要人大佐 駆遂艦  潮  漣  給油艦
  先遺部隊
第六艦隊 司令長官:清水光美中将

第一潜水部隊 司令官:佐藤勉少将 潜水艦:伊9 伊15 伊17 伊25
第二潜水部隊 司令官:山崎重輝少将 潜水艦:伊1 伊2 伊3 伊4 伊5 伊6 伊7
第三潜水部隊 司令官:三輪茂義少将 潜水艦:伊8 伊68 伊69 伊70 伊71 伊72 伊73 伊74 伊75
特別攻撃隊 指揮官:佐々木半九大佐 潜水艦:伊22 伊16 伊18 伊20 伊24  特殊潜航艇X5
要地偵察隊 潜水艦:伊10  伊26
補給部隊 特務艦:6隻

     艦載航空機350機(零式艦上戦闘機78機、九九式艦上爆撃機129機、九七式艦上攻撃機143機)
アメリカ軍編成
 アメリカ太平洋艦隊 司令長官:H・E・キンメル大将
  第1任務部隊                                       米戦艦ウェストバージニア
第2戦艦戦隊 戦艦:テネシー(中破) ・ オクラホマ(沈没) ・ カルフォルニア(着底)
第4戦艦戦隊 戦艦:ウェストバージニア(着底) ・ メリーランド(小破)
第9巡洋戦隊 軽巡洋艦 : 4隻
第1駆遂戦隊 軽巡洋艦 1隻  駆遂艦 18隻
第1敷設隊 敷設艦:8隻
  第2任務部隊                                       轟沈する米戦艦カリフォルニア
第1戦艦戦隊 戦艦:ベンシルヴァニア〈着底) ・ アリゾナ(沈没) ・ ネバダ(着底)
第5巡洋戦隊 重洋艦: 5隻
第2駆遂戦隊 巡洋艦: 1隻  駆遂艦 7隻
第2敷設隊 敷設艦: 4隻

 損害
日本軍損害 アメリカ損害
 喪失 :   艦載機     29機  沈没 :  3隻   (戦艦 2)
 沈没 :  特殊潜航艇   2艇  着底 :  3隻   (戦艦 3)
 大破 :  4隻
空襲部隊:未帰還機29機、損傷74機、戦死55  中破 :  1隻   (戦艦 1)
別攻撃隊:甲標的 未帰還5隻、戦死9  小破 :  3隻   (戦艦 2)  
(岩佐直治大尉[25]など)捕虜1(酒巻和男少尉)  喪失 :  基地航空機   300機以上
 戦死者: 2345名 (民間人)57名
  宣戦布告遅延
 アメリカ東部時間午後2時20分(ハワイ時間午前8時50分)野村吉三郎駐アメリカ大使と来栖三郎特命全権大使が、
 コーデル・ハル国務長官に日米交渉打ち切りの最後通牒を手交した。
 この文書は、本来なら攻撃開始の30分前にアメリカ政府へ手交する予定であったのだが、駐ワシントンD.C.日本大使館の
 井口貞夫元事官や奥村勝蔵一等書記官(2人ともその後外務事務次官を務めたらが翻訳およびタイピングの準備に手間取り、
 結果的にアメリカ政府に手渡したのが攻撃開始の約1時間後ととなってしまった。その為に、
 「真珠湾攻撃は日本軍の騙し打ちである」とのアメリカ全国で憤慨して全面戦争

 沈んだ戦艦8隻のうち6隻は後に引き揚げられ復帰しており、最終的にアメリカ軍が失った戦艦は2隻であった。
 主力空母は真珠湾外で輸送などの任務に従事していたため無傷であり、その後の作戦において大きな力を発揮した。

 日本軍の入手した島の地図が古かったことから、実に合計450万バレル相当を貯蓄していた石油タンクを爆撃せず、
 海軍幹部の娯楽施設を爆撃してしまった
 日本軍は短期決戦を想定していたが、攻撃目標に含まれていた主力空母を撃沈できなかった事は緒戦でアメリカ軍が
 持ちこたえる原動力となり、日本軍の短期決戦戦略が頓挫する一因となった。

戦争:大東亜戦争 / 太平洋戦争
 年月日:日本時間1941年12月8日未明, ハワイ時間12月7日
 場所:アメリカ合衆国ハワイ州(当時はアメリカ合衆国の準州)オアフ島真珠湾
 結果:日本の勝利と太平洋戦争勃発


   交戦勢力
日本軍 アメリカ軍
南雲忠一中将 指揮官 ハズバンド・キンメル、ウォルター・ショート大将
赤城・加賀・蒼龍・飛龍・翔鶴・瑞鶴 6隻 航空母艦
     比叡 ・ 霧島      2隻 戦艦 8隻
2隻 重巡洋艦 2隻
2隻 軽巡洋艦 6隻
9隻 駆逐艦 30隻
艦上航空機 350機 航空機 基地航空機 399機
特殊潜航艇 5隻 その他 カタリナ哨戒機 5機
真珠湾攻撃の各司令官
南雲忠一中将 日本海軍機動部隊の司令長官として主要な海戦で指揮を執った提督である。海軍大将
昭和19年)3月4日に中部太平洋方面艦隊司令長官を拝命し皇居に参内サイパン島に
着任したが、既に死を覚悟していたと言われている。同年6月15日にアメリカ軍がサイパン島に
上陸してくると迎撃戦闘の指揮にあたった。
約20日間の抗戦の末サイパン島守備軍は玉砕、 南雲も戦死した(サイパンの戦い)。
山口多聞少将 日本海軍を代表する提督として高く評価されている人物である
ミッドウェー海戦に二航戦司令官として「飛龍」で参加第二航空戦隊司令官として
戦死した海軍中将。
原 忠一少将 最終階級は海軍中将
昭和17年)7月14日- 第8戦隊司令官、昭和19年第4艦隊司令長官、
昭和24年)1月21日- 米グアム軍事法廷 禁固6年判決
大森仙太郎少将 最終階級は海軍中将
兼軍令部出仕・艦政本部出仕、兼海軍特攻部長、第7艦隊司令長官
三川軍一中将 1942年7月に第八艦隊司令長官に着任、第一次ソロモン海戦を指揮し、勝利を収める。
第二南遣艦隊司令長官、南西方面艦隊司令長官、第十三航空艦隊司令長官、
第三南遣艦隊司令長官を歴任
阿部弘毅少将 最終階級は海軍中将
1942年11月12日〜15日にソロモン海で行われた第三次ソロモン海戦において
第11戦隊を中心とする。挺身攻撃隊を率いたが、指揮下の戦艦2隻を喪失し、
責任を問われる形で予備役に編入された。
航空母艦「信濃」の艦長阿部俊雄少将は、彼の弟にあたる。
清水光美中将 1942年2月マーシャル・ギルバート諸島機動空襲に遭遇、空母「エンタープライズ」の
艦載機による攻撃を受けて負傷している。治療のため軍令部出仕となった後に
第一艦隊司令長官に親補される。
停泊中の戦艦「陸奥」が原因不明の爆沈事故を起こし、責任を取らされる
源田實大佐 源田は真珠湾における奇襲作戦の立案者で4月10日、南雲忠一司令長官、
草鹿龍之介参謀長とする第一航空艦隊が編成され源田は航空参謀に任命される。
昭和17年)4月上旬のセイロン沖海戦に参加した成果良し、源田はミッドウェー作戦には
反対であり、昭和21年)12月、極東軍事裁判、1962年7月、参院選に自由民主党公認で
全国区から出馬し第5位で当選


フィリピン 侵攻

昭和16年12月8日

            開戦と同時にアメリカ軍基地を空襲
 開戦時、フィリピンはアメリカの領土で米軍の根拠地となっており、軍事施設の大部分はルソン島に集中している。
 マニラ湾のキャピテ軍港はアジア艦隊の根拠地、その他ダパオ、セブ、クラーク航空にはB17基地ある。
 日本は開戦とほぼ同時にフィリピン侵攻を計画していた、陸軍2個師団と海軍航空隊で航空撃滅戦を実施上陸船団の
 護衛と支援を行う。12月8日の払暁、台湾の高雄・台南・日本鹿児島鹿屋基地より集結して攻撃する。

 フィリピン侵攻作戦 両軍の編成と損害
日本軍構成 米  軍
第一一航空艦隊 司令長官 塚原二四三中将 フィリピンアメリカ軍司令官 ダグラス・マッカーサー大将
第二一航空戦隊 司令官  多田武雄少将         航空機     約400機
  鹿屋航空隊 司令  藤吉直四朗大佐 主力機はB-17で空の要塞と呼ばれ零戦でも撃墜は困難であった、 
10名乗りで462km/hのスピード
  東港航空隊 司令  三浦鑑三大佐
  第一航空隊 司令  森 敬吉大佐
第二三航空戦隊 司令官  竹中龍造少将
  高雄航空隊 司令  伊藤良秋大佐
  台南航空隊 司令  斉藤正久大佐
  第三航空隊 司令  亀井凱麻夫大佐
  損害
喪失 一式陸上攻撃機 1機 喪失 航空機 約300機
零式艦上戦闘機 12機
各司令官
塚原二四三中将 最終階級は海軍大将 昭和17年10月、最前線に立ち放しの塚原はマラリアに罹患
昭和19年9月15日、塚原は内戦部隊の頂点にある横須賀鎮守府司令長官に任じられた。
多田武雄少将 最終階級は海軍中将
昭和18年)9月20日には第13航空艦隊参謀長も兼任する。
同年11月1日、海軍中将に進んだ。
昭和19年)に入ってからは、航空本部総務部長、更に海軍省軍務局長に栄転。
海軍次官を辞任


マレー沖 開戦

昭和16年12月10日

             ハワイの勝利に続き英東洋艦隊に完勝
 昭和16年12月8日イギリス海軍東洋艦隊司令長官フィリップス提督は戦艦”プリンス・オブ・ウェールズ”、
 巡洋艦”レバルス”を主力するZ部隊を率いてシンガポールのセレター軍港を出撃した。前日夜半から日本陸軍
 がマレー半島に上陸しており、その船団攻撃が任務であった。
 Z部隊は、9日午後3時すぎに日本潜水艦に発見された。一報を受領した小澤中将の艦隊に第一航空部隊
 に敵と誤認されるという事件が発生し、夜戦を断念する。
 11時45分元山航空隊の九六陸攻撃機36機、美幌航空隊36機、鹿屋航空隊27機がZ部隊を攻撃して
 14時:50分 戦艦”プリンス・オブ・ウェールズ” 巡洋艦”レバルス”等を沈没させる
 このマレー沖海戦こそ、作戦行動中の戦艦が航空機によって撃沈された、史上初めての戦いである。

 マレー沖海戦 両軍の編成と損害
日本軍構成 連合軍(イギリス海軍)
第一航空部隊 指揮官 松永貞市少将 イギリス海軍東洋艦隊司令長官 トーマス・フィリップス大将
 第二一航空戦隊 司令官 多田武雄少将 戦艦       1隻  プリンス・オブ・ウェールズ
    鹿屋航空隊  一式陸上攻撃機 27機 巡洋戦艦    1隻  レパルス
 第二二航空戦隊 指揮官 松永貞市少将 駆逐艦     4隻  エレクトラ、エクスプレス
    元山航空隊  九六式陸上攻撃機 36機  テネドス、ヴァンパイア
   美幌航空隊  一式陸上攻撃機 36機
プリンス・オブ・ウェールズ

レパルス
 第二三航空戦隊 司令官 竹中龍造少将
 零式艦上戦闘機 27機
 九六式陸上攻撃機 12機
 九八式陸上偵察機 6機
空襲部隊編成
甲空襲部隊 (元山航空隊 九六式陸上攻撃機 17機)乙空襲部隊 (美幌航空隊 九六式陸上攻撃機 23機)丁空襲部隊 (鹿屋航空隊 一式陸上攻撃機  26機)
   損害
九六式陸攻 1機 戦艦 プリンス・オブ・ウェールズ 沈没
一式陸攻 2機 巡洋戦艦 レパルス  沈没
不時着大破 1機 戦死:フィリップス大将、リーチ大佐ほか将兵840名
偵察機 2機
戦艦:プリンス・オブ・ウェールズ号

最新鋭の戦艦で対空兵装を搭載してイギリス軍
基準排水量:3672トン 全長:227m 最大幅:31.39m
速度:28ノット 武装:36cmr4連装砲X2 36cm連装砲x1
13.3cm連装砲X8 乗員:1422名 同型艦:5隻
  各司令官
松永貞市少将 中将昇格
硫黄島の海軍航空隊の指揮官に就任するが、病気を患い、米軍上陸前に本土に帰還した。
ちなみに後任で海軍兵学校同期で同郷の市丸利之助少将は、
硫黄島玉砕に伴い戦死している


ウェーク島沖海戦

昭和16年12月11日〜21日

                日本軍に衝撃 緒戦の思わね苦戦
 日本軍は航空哨戒基地として有用と思われウェーク島攻略作戦を発動米軍は開戦直前にウェーク島の
 防衛強化を行い守備隊450人と5インチ砲台6門、3インチ高射砲17門 F4F戦闘機12機を配備していた。
 12月10日夜半、攻略部隊は 上陸を試みるが、失敗し米軍の5インチ砲の射撃で 駆遂艦”疾風”が
 撃沈され次に”如月”も爆沈された。
 救援を求めても、 絶海の孤島ウェークまで届く戦闘機はなく、一時攻略を中止、事の重大さから
 第四艦隊司令長官”井上中将は、連合艦隊に 空母派遣を要請、12月21日に100機の艦載機に
 より空襲を行い、 23日上陸が敢行されるが、またしも失敗それでも陸戦隊は 苦戦し、500名の損害を
 生じて、なんとか攻略には 成功する。井上中将の手腕は疑問視される この時の米軍捕虜鵜の
 扱うブルドーザーの 作業力の高さに日本軍は圧倒される。

  
ウェーク島沖海戦 両軍の編成と損害
日本軍 米 軍
第四艦隊 司令長官 井上成美中将 ウィンフィールド・カニンガム
ウェーク攻略部隊 指揮官 梶岡定道少将 ジェームズ・デベル
 第六水雷戦隊 司令 梶岡定道少将 ウェーク島基地部隊 軍人522、軍属1236
 軽巡洋艦 軽巡洋艦 夕張
 第二九駆遂隊 駆遂艦 疾風、追風
 第三〇駆遂隊 駆遂艦   睦月、如月
 弥生、望月
上陸部隊 - -
特設巡洋艦 - 金龍丸、金剛丸
第二航空戦隊 司令官 山口多門少将
  航空空母     飛龍、蒼龍
  第八戦隊 重巡洋艦 利根、筑摩
駆遂艦 谷風、霞
海軍陸戦隊:舞鶴特陸一個中隊(350名)
第6根拠地隊一個中隊(310名)
舞鶴第二特陸一個中隊(310名)
     損害
駆逐艦 沈没 疾風、如月 捕虜  1200名 上海へ
哨戒艇 放棄処分 - 戦死122、 戦傷4
戦死 一次攻撃 469  600. 900 -
 主にトラック諸島を拠点にしていた第4艦隊が割り当てられたが戦域は非常に大きく戦力は少なかった
 第4艦隊参謀長矢野志加三大佐はウェーク島の残存機撃滅を連合艦隊司令部に依頼
各司令官
井上成美中将 将昇格、終戦前に海軍次官となる
梶岡定道少将 最終階級は海軍中将
1944年9月にヒ72船団を指揮中に乗艦の海防艦「平戸」が撃沈されて戦死した。
海軍中将に進級
矢野志加三大佐 最終階級は海軍中将
電波本部設置に伴い総務部長に就任した


ラバウル攻略

昭和17年1月20日〜23日

             
南方の要衝 ラバウルを攻略
 昭和17年1月5日、南洋部隊指揮官、井上成美中将はR作戦命令を発した。これがラバウル攻撃命令である
 これを受けて第一九戦隊と第十八戦隊を基幹にR攻略部隊が編成されたが、ウェーク島攻略部隊などと ほぼ同じ
 顔ぶれだった。南雲機動部隊の支援のもと、R攻略部隊は陸軍の南海支隊と協力してラバウル、カビエンを攻略する。
    両軍の編成と損害
日本軍 連合軍(オーストラリア)
第一空襲部隊 司令官 南雲忠一中将 -
  第一航空戦隊 空母 赤城、加賀
  第五航空戦隊 空母 翔鶴、瑞鶴
第二空襲部隊 司令官 山口多聞少将
  第二航空戦隊 空母 飛龍、蒼龍
  第七駆遂隊
支援部隊
 第三戦隊第一小隊
 第八戦隊
警戒隊
 第一水雷戦隊
陸軍部隊
 南海支隊
 舞鶴第二特別陸戦隊第二中隊
  損害
輸送船   沈没X5 -


バリックパパン沖海戦

昭和17年1月24日

          
日本輸送船団に被害甚大
 
昭和17年1月23日、西村祥治少将率いる船団はボルネオ島東海岸のバリックパパンへの上陸作戦を敢行した。
 目的はバリックパパンにある油田の確保である。多数の輸送船を護衛するために、日本海軍は軽巡洋艦「那珂」を旗艦とする
 第4水雷戦隊(西村祥治少将)のほか哨戒艇(旧式駆逐艦)や掃海艇などを出動させた。揚陸はおおむね順調に行われたが、
 オランダ軍のB-10爆撃機による空襲とオランダ潜水艦「K-18」の雷撃により、輸送船「南阿丸」と「敦賀丸」が沈没した。

          
両軍の編成と損害
日本軍 連合軍(オランダ軍・米軍)
第一護衛隊 指揮官 西村祥治少将 指揮官 ポール・H・タルボット中佐
 第四水雷戦隊  司令官 西村祥治少将 駆逐艦  4隻 ジョン・D・フォード・ポープ、パロット
軽巡洋艦 那珂 ポール ・ ジョーンズ
  第二駆遂隊 駆遂艦 村雨、春雨五月雨、夕立 潜水艦「K-18」 オランダ軍
  第九駆遂隊 駆遂艦 朝雲、峯雲、夏雲
アメリカ駆逐艦「ジョン・D・フォード」   オランダ潜水艦「K-18」
  第二四駆遂隊 駆遂艦 江風、海風
  輸送船   16隻 敦賀丸、須磨浦丸、呉竹丸
南阿丸 朝日山丸辰神丸
  掃海艇 4隻
  駆潜艇 3隻
  哨戒艇 3隻
  損害
輸送船 沈没X5 敦賀丸、呉竹丸 駆遂艦 米 小破 1隻
哨戒艇 沈没X1 -
輸送船 2隻損傷


日本軽巡洋艦「那珂」
  


エンドウ沖海戦

昭和17年1月27日
  
             
 英駆遂艦の襲撃を水雷戦隊が一蹴
 昭和17年1月26日、マレー(馬来)部隊は、マレー半島の先端に近いエンドウへ、陸軍の航空資材を揚陸する作戦を実施した。
 作戦本部は輸送船2隻と軽巡洋艦”「川内」を旗艦とする第三水雷戦隊で編成、荷揚げ最中に米軍機が爆撃するが
 被害無く順調に作業進むが27日早朝4時2隻の英国駆遂艦が出現日本軍の駆遂艦が砲戦始める。
 700メートルまで接近して撃沈と小破する。

              
両軍の編成と損害
日本 連合軍(イギリス・オーストラリア)
第三水雷戦隊 司令官 橋本信太郎少将 ABDA艦隊
軽巡洋艦 川内 駆遂艦 サーネット (イギリス)
  第一一駆遂隊 3隻 吹雪、白雪、初雪 駆遂艦 ヴァンパイア(オーストラリア)
  第二〇駆遂隊 4隻 天霧、朝霧
有霧、狭霧
    損害
軽微 駆遂艦 沈没 サーネット (イギリス)
駆遂艦 小破 ヴァンパイア(オーストラリア)
 司令官
橋本信太郎少将 1944年10月 海軍中将
1945年5月 太平洋戦争最後の水上戦闘であるペナン沖海戦で
乗艦「羽黒」戦没により戦死。




ジャワ沖海戦

昭和17年2月4日

             連合軍艦隊を一式陸攻が襲撃
 昭和17年、日本軍はジャワ攻略に乗り出す。まず同地の制空権掌握を目指して、塚原中将の第11航空艦隊
 に航空撃滅戦を行わせた。戦闘機96機、急降下爆撃機9機、陸上攻撃機71機保有する基地航空部隊である
 航空基地に打撃を与えた後、連合艦隊を発見して襲撃する

     両軍の編成と損害
日本 連合軍
第一一航空艦隊 司令長官 塚原二四三中将 ABDA部隊 指揮官 カレル・ドールマン少将
 第二一航空戦隊 司令官  多田武雄少将 重巡洋艦
  鹿屋航空隊 - 軽巡洋艦
  第一航空隊 - 駆遂艦 11
  高雄航空隊 - -
航空兵力 -
  零式艦上戦闘機 96機
 九九式艦上爆撃機  9機
 一式艦上攻撃機 71機
   損害
一式陸上攻撃機 喪失 1機 重巡洋艦 小破 1 ヒューストン
軽重洋艦 小破 2 マーブルヘッド ・デ・ロイテル

   



ポート・ダーウィン空襲

昭和17年2月19日

             連合国反撃の拠点を空襲
 当時、オーストラリアの港町ポート・ダーウィンは飛行場もある港南とはいえ大がかりな基地ではなかった。
 2月19日に空母機188機が空襲を敢行する、充分な戦果があったと作戦を打ち切るが4月25日、意外にも
 早く機能を回復したので再度空襲する。 8月まで散発的に空襲する。

     両軍の編成と損害
日本軍 オーストラリア
第一空襲部隊 司令 南雲忠一中将
 第一航空戦隊 空母 赤城、加賀
第二空襲部隊 司令官 山口多聞少将
 第二航空戦隊 空母 飛龍、蒼龍
 第八戦隊 重巡洋艦 利根、筑摩
 第一水雷戦隊 軽巡洋艦 阿武隈
 第一七駆逐艦 駆逐艦 谷風、浦風、浜風、磯風
 第一八駆逐艦 駆逐艦 霞、


ニューギニア沖海戦

昭和17年2月20日

           護衛なし陸攻隊に被害続出
 今までマーシャルやギルバ−トの日本軍基地を攻撃していた 空母「レキシントン」を中心とした第11任務部隊は、
 今度は日本軍が攻略して間もないラバウル襲撃を決定する。
 2月20日午前、日本軍の哨戒中の九七式飛行艇がアメリカ艦隊を発見した。12時20分、日本軍はラバウルから
 第24航空戦隊の魚雷は到着していなかったため、一式陸上攻撃機17機を発進させた。零戦の増槽や対艦攻撃用の
 戦闘機の護衛はなく、武装も爆装のみであった。14時35分、第2中隊9機が攻撃を開始したが命中弾はなく、
 F4F戦闘機の迎撃と対空砲火で第2中隊は全滅した。15時、第1中隊8機が攻撃を開始した。
 レキシントンに至近弾が1発あったのみで、攻撃隊は4機を失った。さらに2機は不時着した。
 日本軍の機動部隊は2月15日にパラオを出航して豪本土ポートダーウィン空襲に向かうためバンダ海にあり、
 すぐさま反撃できなかった。日本軍は空母1、艦型不詳1を撃沈したとし、この戦いをニューギニア沖海戦と呼称した。

     
両軍の編成と損害
日本軍 米 軍
第二四航空戦隊 司令官 後藤英次中将 第11任務部隊 指揮官 W.ブラウン中将
 一式陸上攻撃機  17機  航空母艦 1隻 レキシントン
・日本軍大敗となる  重巡洋艦 4隻 インディアナポリス・ミネアポリス
ベンサラコ、サンフランシスコ
 駆遂艦 10隻
   損害
一式陸上攻撃機 喪失 15機  艦載機 2機 喪失


  上:一式陸上攻撃機
   下:零式艦上戦闘機

空母:レキシントン
満載:41,000 トン、902ft (全長
最大速:34.25 ノット、乗員:2,122名
兵装:8インチ砲8基、5インチ砲12基
搭載機: 91機


F4F-4 1942年初期
生産数:7,722機
                        


バリ島沖海戦

昭和17年2月20日

         劣勢の第八駆遂隊、夜襲で大活躍
 ジャワ島攻撃をめざす日本軍は、足がかりとして隣のバリ島攻略を計画する。2月19日未明阿部大佐率いる
 輸送船2隻と駆遂艦4隻で陸上完了して他の船団も作業完了後出航しょうとした時にオランダ艦船と交戦20日0000頃、
 2隻の軽巡が 「朝潮」に対し砲撃を開始して戦闘は始まった。。「朝潮」も反撃したが、出航直後で速度が上がらず見失った。
 先に出航していた「大潮」も「デ・ロイテル」と「ジャワ」に対し砲撃を開始し、この軽巡2隻は戦場を離脱した。さらに、「大潮」は、
 後続の「ピートハイン」に対し魚雷を発射して撃沈した。「デ・ロイテル」と「ジャワ」の2隻を追撃していた「朝潮」と「大潮」は、
 数分後に「フォード」と「ポープ」を発見した、交戦の後、「フォード」と「ポープ」も離脱を開始した。軽巡「トロンプ」を中心とした
 2つ目の 部隊が到着し、「大潮」と「朝潮」に発見されて交戦を開始した一時、連合軍艦隊がバリ島の影に隠れたため
 見失ったが、 0341に再び戦闘となり、 「大潮」(小破)と「トロンプ」(中破)がそれぞれ損傷した。 戦闘発生を知り応援のため
 バリ島へ戻ってきた 「荒潮」と「満潮」は、「スチュワート」と「エドワーズ」に遭遇して0347に交戦を開始した。この戦闘で
 「満潮」が大破し、 「スチュワート」が小破した。以上の戦闘で連合軍艦隊はすべて戦場を離脱し、海戦は終了した。

       
 両軍の編成と損害
日本 連合軍(米軍・オランダ)
第八駆遂隊 司令 阿部俊雄大佐 ABDA部隊 指揮官 カレル・ドールマン少将
    駆遂艦 朝潮 吉井五郎中佐 第1攻撃隊 司令 カレル・ドールマン少将
大潮 吉川潔 中佐  軽巡洋艦 2隻  「デ・ロイテル」と「ジャワ」蘭
満潮 小倉正身中佐  駆遂艦 3隻 「ピートハイン」「フォード」と「ポープ」(米)
荒潮 久保木英雄中佐 第2攻撃隊
 軽巡洋艦 1隻 トロンブ(蘭)
 駆遂艦 4隻 「スチュワート」と「エドワーズ」バロット、
ビルスベリー(全米)
    損害
駆遂艦 中破 満潮 駆遂艦 沈没 「ピートハイン」
駆遂艦 小破 大潮 軽巡洋艦 中破  トロンブ
駆遂艦 小破  スチュワート

排水量:6,642トン・全長:170.92m・全幅:15.7m
最大速力:32.0ノット・乗員:士官:35名兵員:438名
15cm口径連装速射砲3基・ブローニング 12.7mm(50口径)
連装機銃4基

満潮 (駆逐艦) トロンプ (軽巡洋艦) 軽巡洋艦 「デ・ロイテル」
   指揮官
阿部 俊雄大佐 バリ島沖海戦において武勲を挙げ、のち空母・「信濃」艦長として戦死した海軍少将である


スラバヤ沖海戦

昭和17年2月27日〜3月1日

            一昼夜にわたって続いた遠距離砲戦
 昭和17年2月27日から3月1日にかけて、インドネシア・スラバヤ沖で日本軍のジャワ島攻略部隊を連合国軍が
 迎撃した海戦である。 日本海軍が連合軍の艦隊を撃破し、これにより日本軍のジャワ島上陸・占領が進むこととなった。
 米英オランダ軍合同のABDA艦隊との 遠距離砲撃と魚雷攻撃であり、命中は困難、2万メートルの距離で日本の砲弾、
 魚雷が当たり日本の勝利となった

     
両軍の編成と損害
日本軍 連合軍(米・蘭・英・オ)
◎主力部隊 ABDA艦隊 司令官 カレル・ドールマン少将
東方支援隊 指揮 高木武雄少将 英軍 重巡洋艦 2隻 エクセター、
 第五戦隊     駆逐艦 3隻 エレクトラ、エンカウンター、ジュピター
   重巡洋艦 2隻 那智、羽黒 オランダ軍軽巡洋艦  2隻 デ・ロイテル、ジャワ
   第七駆遂艦第一小隊  2隻  潮、漣     駆逐艦 2隻 コルテノール、ヴィテ・デ・ヴィット
   付属駆遂艦 2隻 山嵐、江風 アメリカ海軍
第一護衛隊 指揮 西村祥治少将  第5任務部隊 司令官 A・H・ルークス海軍大佐
 第四水雷戦隊    重巡洋艦 1隻 ヒューストン
   重巡洋艦 1隻 那珂    駆逐艦 5隻 ジョン・D・エドワーズ、アルデン、ポープ
   第二駆遂隊・ 4隻 村雨、五月雨 ポール・ジョーンズ、ジョン・D・フォード
春雨、夕立 オーストラリア海軍
 第九駆遂艦第一小隊  2隻 朝雲、峯雲   重巡洋艦 1隻 パース
第二護衛隊 指揮 田中頼三少将
   エクセター (重巡洋艦)                 ヒューストン (重巡洋艦)
排水量:8390・全長:175.25m
全幅:17.67m・最大速力:32.5ノット
乗員:630名
20.3cmMk.II 連装砲3基6門
10.2cm単装高角砲4基4門

排水量:9050トン・全長:600ft
全幅:66ft・最大速力:33ノット
乗員:1100名
20.3cm(55口径)3連装砲 3基
12.7cm(25口径)単装砲 4門
12.7mm(50口径)機銃 8挺
 第二水雷戦隊
   重巡洋艦 1隻 神通
   第一六駆遂隊 4隻 雪風、時津風
初風、天津風
◎夜戦参加部隊
蘭印部隊 指揮 高橋伊望中将
 第一六戦隊
   重巡洋艦 2隻 足柄、妙高
   第六駆遂隊 2隻 雷、曙
 第五戦隊
   重巡洋艦 2隻 那智、羽黒
     付属駆遂艦 2隻 山嵐、江風
 第四航空戦隊
・    空母 龍驤
駆遂艦 汐風
   損害
駆遂艦 大破 朝雲 重巡洋艦 沈没 エクセター
軽巡洋艦 沈没 デ・ロイテル、ジャワ
駆遂艦 沈没 5隻
重巡洋艦 小破 ヒューストン

羽黒 (重巡洋艦)14000トン

朝雲 (駆逐艦)2000トン

高木武雄少将 昭和19年)7月、サイパン島防衛戦で戦死昭和19年)7月8日、海軍大将に昇進。
田中頼三少将 第13根拠地隊司令官(ビルマ)に任ぜられ終戦を迎えた。最終階級は海軍中将
高橋伊望中将 呉鎮守府司令長官時代には戦艦「陸奥」の爆沈事故が発生している同職在職中に病を得、
昭和19年12月、予備役に編入された。


バタビア沖海戦

昭和17年3月1日

       敵艦隊を撃沈するも味方輸送船も誤射
 スラバヤ沖海戦で損傷した米軍の重巡洋艦「ヒューストン」、オーストラリア軽巡洋艦「バース」はジャワ南岸チラチャップへ
 向かった。 その途中の昭和17年3月1日深夜、陸揚げ作業中の日本軍輸送団に遭遇した。揮官ウォーラー大佐は攻撃を
 決意船団護衛中の 第五水雷戦隊と連合軍の戦闘が開始

      
編成と損害
日本軍 連合軍(米・豪)
第三護衛隊 指揮官 原 顕三郎少将 指揮官: H・ウォーラ少将
 第五水雷戦隊 司令 原 顕三郎少将 アメリカ重巡洋艦 ヒューストン
    軽巡洋艦 名取 オーストラリア軽巡洋艦 パース
    第五駆遂隊 朝風、春風、旗風
    第二二駆遂隊 皐月、水無月、
パース (軽巡洋艦)
排水量:6830トン
全長:555ft
全幅:56ft
最大速力:32.5ノット
乗員:650名
長月、文月
 第三水雷戦隊(編入部隊)
    第一一駆遂隊 初雪、白雪、吹雪
    第一二駆遂隊 白露、叢雲
 西方支援隊
  第七戦隊第二小隊 重巡洋艦 三隅、最上
    第一九駆遂隊 敷波
  損害      赤字は沈没  紫字は大破  緑字は中破  茶字は小破
駆遂艦 小破 春風 アメリカ重巡洋艦 沈没 ヒューストン
 駆遂艦 春風
                      1270トン
オーストラリア軽巡洋艦 沈没 パース
指揮官H・ウォーラ少将 戦死
 バタビア沖海戦では味方酸素魚雷が今村均・陸軍中将の座乗艦を撃沈してしまい、謝罪している。輸送船「佐倉丸」が
 沈没、その他輸送船3隻が大破着底という損害が出た。輸送船団は直ちに魚雷を発射した敵影を探したが
 どこにも見つからなかった。大破着底した中には第16軍司令官今村均中将座乗の陸軍特殊船(揚陸艦)神州丸が
 含まれており、今村中将は海上へ投げ出され、3時間の漂流後に救助された。





セイロン島沖海戦

昭和17年4月5日〜9日

           
無敵南雲機動部隊の絶頂期
 
昭和17年3月26日、南雲機動部隊はセレベス島を出撃、インド洋のセイロン島攻撃へと向かう。同じころ米軍は暗号解読で
 南雲機動部隊のインド洋侵攻をキャッチし英国軍に警告うぃ発する。英東洋艦隊司令長官:ソマーヴィル提督は艦隊を
 日本軍の 知らない秘密基地モルジブ諸島のアッヅ環礁へ退避させた。だが、退避した英艦隊は攻撃の機会を
 うかがい続けていた。 ところが4月1日に先手を取っても日本軍は現れず作戦中止と判断しアッヅへ帰還し、
 それぞれの船艦はバラバラとなって 修理や船団護衛、空母は別な攻撃地に出港、日本軍は4日直後英軍哨戒機に
 よって発見、5日より両軍の戦となる。

     
編成と損害
日本軍 連合軍(英・蘭)
南方部隊機動部隊 司令長官 南雲忠一中将 英)東洋艦隊 司令長官 ジェームス・ソマヴィル大将
 第一航空戦隊 司令 南雲忠一中将 A部隊(高速機動部隊)
     航空空母 1 赤城 空母 インドミダブル、フォーミダブル
 第二航空戦隊 司令官 山口多聞少将 戦艦 ウォースバイト
     航空空母 2 蒼竜、飛龍 重巡洋艦 ドーセットシャー、コーンウォール
 第五航空戦隊 司令官 原 忠一少将 リベンジ エンタープライズ、エメラルド
     航空空母 2 翔鶴、瑞鶴 駆遂艦
 第三戦隊 戦艦 4 金剛、比叡、榛名、霧島 B部隊(低速機動部隊)
 第八戦隊 重巡洋艦 2 利根、筑摩 空母 ハ−ミズ 
 第一水雷戦隊軽巡艦 1 阿武隈 戦艦 ラミリーズ (旗艦)、ロイヤル・オ−ク
  第四駆遂隊第二小隊 駆遂艦2   萩風、舞風 ロイヤル・ソブリン、リベンジ
    第一七駆遂隊 駆遂艦4   谷風、浦風、浜風、磯風 軽巡洋艦 カレンドン、ドラゴン
    第一八駆遂隊 駆遂艦5   不知火、霞、霰、陽炎、秋雲 ヒ−ムスカ−ク(オランダ軍)
馬来部隊機動部隊 指揮官 澤治三郎中将 駆遂艦 8隻 (1隻はオランダ軍)
     重巡洋艦 1 鳥海
ハーミーズ (空母・初代)
排水量:10850トン
全長:182m・全幅:21.3m
最大速力:25.0ノット・
乗員:650名、搭載機:20機


コーンウォール (重巡洋艦)
排水量:9750トン、全長:192 m
全幅:20.8 m、最大速力:31.5ノット
乗員:700名
Mark VIII 20.3cm 連装砲 4基
Mark V 10.2cm 単装高角砲 4基

     軽巡洋艦 1 由良
 第四航空戦隊 空母1 龍驤
駆遂艦1   汐風
 第七戦隊 重巡洋艦 4 熊野、鈴谷、三隅、最上
    第二〇駆遂隊 駆遂艦4   夕霧、朝霧、白雲、天霧
 第三水雷戦隊軽巡艦 1 川内
    第一九駆遂隊 駆遂艦1   磯波
   損害
艦載機 喪失 20機 空母 沈没1 ハ−ミズ
重巡洋艦 沈没2 コーンウォール、ドーセットシャー
駆遂艦 沈没1 ヴァンパイヤ
基地航空機 喪失 50機




海軍 TOP 海戦 TOP

海軍 TOP 海戦 TOP