
世界初の空母対空母の対決(史上初の機動部隊決選)
昭和17年春、日本はポートモレスピーを攻略するためのMO作戦を立案する。東部ニューギニア最大の拠点である
ポートモレアビーは、 南方資源地帯の防衛、及びアメリカとオーストラリアの連絡線を遮断にためにも、日本にとって
ぜひとも確保しておきたい地域MO作戦は、 井上成美中将率いる第四艦隊が担当することとなり、ポートモレスビーに
向かう陸軍船団を支援するために、 第五航空戦隊(大型空母「瑞鶴」 「翔鶴」)を主力とするMO機動部隊と小型空母
「翔鳳」と重巡洋艦4隻のMO主隊(攻略部隊) 組織された。一方、米海軍は日本海軍のこれらの動きを察知していた。
米太平洋艦隊のニミッツ長官は第17任務部隊と
第11任務部隊で対戦
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
MO機動部隊 |
指揮官 |
高木武雄少将 |
|
第17任務部隊 |
指揮官 |
F・J・フレッチャ―少将 |
主隊 |
|
航空母艦 |
2 |
レキシントン、ヨークタウン |
第五戦隊 |
|
重巡洋艦 |
7 |
・ |
重巡洋艦 |
2 |
妙高、羽黒 |
|
軽巡洋艦 |
1 |
・ |
第七駆遂隊 |
2 |
曙、潮 |
|
駆遂艦 |
13 |
・ |
航空部隊 |
|
艦載機 |
141 |
・ |
第五航空戦隊 |
司令官 |
原 忠一少将 |
|
・ |
・ |
O.W.フィッチ少将 |
航空空母 |
2 |
翔鶴、瑞鶴 |
|
・ |
・ |
J.G.クレース少将 |
第二七駆遂隊 |
駆遂艦4 |
有明、夕暮、白露、
時雨 |
|
 |
排水量:41000トン
全長:902ft・全幅:105.5ft
最大速力:32.5ノット
乗員:2122名
搭載機:91機 |
空母「レキシントン」の沈没 |
・ |
・
 |
MO攻略部隊 |
指揮官 |
五藤存知少将 |
|
主隊 |
|
第六戦隊 |
|
重巡洋艦 |
4 |
青葉、加古、衣笠、古鷹 |
|
航空部隊 |
|
航空母艦 |
空母1 |
祥鳳 |
|
駆遂艦 |
1 |
漣 |
|
ポートモレスビー攻略部隊 |
指揮官 |
梶岡定道少将 |
|
第六水雷戦隊 |
軽巡洋艦 |
夕張 |
|
駆遂艦5 |
追風、朝風、睦月 |
|
・ |
弥生、望月 |
|
敷設艦 |
津軽 |
|
掃海艇 |
1 |
|
護衛部隊 |
|
第一八戦隊 |
軽巡洋艦 |
天龍、龍田 |
|
水上機母艦 |
・ |
神川丸、聖川丸 |
|
ツラギ攻略部隊 |
指揮官 |
志摩清英少将 |
|
第一九戦隊 (特設掃海艇7隻・特設運送艦2) |
|
敷設艦 |
1 |
沖ノ島 |
|
駆遂艦 |
2 |
菊月、夕月 |
|
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
航空母艦 |
沈没 |
祥鳳 |
|
航空母艦 |
沈没 |
レキシントン |
航空母艦 |
中破 |
翔鶴 |
|
駆遂艦 |
沈没 |
シムス |
艦載機 |
喪失 |
141機 |
|
給油艦 |
沈没 |
1隻 |
・ |
・ |
・ |
|
艦載機 |
喪失 |
66機 |
米空母へ着艦した日本機 「史上初の機動部隊決戦」となった珊瑚礁海戦では両軍が航空戦に
不慣れであったことから お互いにミスを連発する。夜間米軍空母を爆弾搭載して出撃したが敵空母は
発見できずに爆弾を捨てて帰投開始したが 2隻の空母を発見し、これを第五航空戦隊と思い着艦を
開始した。だがなんと、この空母は「ヨークタウン」だった 着艦ぎりぎりで気づいて無事に生還した。

祥鳳は、日本海軍の祥鳳型航空母艦1番艦

運命の一戦、主力空母4隻喪失 、日本海軍未曾有の大惨敗
日本海軍は「MO」作戦と前後して、ハワイ西方のミッドウェー島と、北太平洋のアリューシャン列島えお攻略するMI作戦を
立案する。 MI作戦は連合司令長官 山本五十六より強引に決定されたもので、ミッドウェー島へ侵攻、敵空母を戦場に
誘い出して一挙 日本海軍は「MO」作戦と前後して、ハワイ西方のミッドウェー島と、北太平洋のアリューシャン列島を
攻略するMI作戦を立案撃滅 しようとの作戦であった。大本営や軍司令部は反対したが、4月10日に米軍が空母艦上から
B25爆撃機を飛ばし東京を空襲したこと 一方、アメリカ軍は暗号解読によってまたもや日本海軍の侵攻情報を捕捉。
エンタープライズ、ホーネットの空母を主力して 第16任務部隊と珊瑚海海戦で被害を受けた
ヨークタウンを修理して戦列に復帰
損害:船舶の損害区分 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
第一機動部隊 |
司令長官 |
南雲忠一中将 |
|
|
指揮官 |
フランク・J・フレッチャー少将 |
第一航空戦隊 |
司令官 |
南雲忠一中将 |
|
第17任務部隊 |
司令 |
フランク・J・フレッチャー少将 |
航空空母 |
2 |
赤城、加賀 |
|
航空母艦 |
1 |
ヨークタウン |
第二航空戦隊 |
司令官 |
山口多聞少将 |
|
重巡洋艦 |
2 |
アストリア 、ポートランド |
航空空母 |
2 |
蒼竜、飛龍 |
|
駆遂艦 |
6 |
ハンマン 、ヒューズ、モリス |
第三戦隊第二小隊 戦艦 |
2 |
霧島、榛名 |
|
アンダーソン、ラッセル 、グウィン |
第八戦隊 |
司令官 |
阿部弘毅少将 |
|
第16任務部隊 |
指揮官 |
レイモンド・A・スプールアンス少将 |
重巡洋艦 |
2 |
利根、筑摩 |
|
航空母艦 |
2 |
エンタープライズ、ホーネット |
第一〇戦隊 |
司令官 |
大村進少将 |
|
重巡洋艦 |
5 |
ニュ−オリンズ 、ミネアポリス |
軽巡洋艦1 |
1 |
長良 |
|
ビンセンス 、ノーザンプトン、ペンサコラ |
第一〇戦隊駆遂隊 |
4 |
秋雲 、夕雲 |
|
軽巡洋艦 |
1 |
アトランタ |
巻雲 、風雲 |
|
駆遂艦 |
9 |
フェルブス 、ウォーデン、モナンガ |
第四戦隊駆遂隊・ |
4 |
萩風、 舞風 |
|
エイルウィン、バルク 、ユニンハイム |
野分 、嵐 |
|
ベンハム 、エレット 、マウリ― |
主力部隊 |
指揮官 |
山本五十六大将 |
|
- |
第一戦隊 戦艦 |
3 |
大和 、陸奥 、長門 |
|

 |
第三水雷戦隊 |
司令官 |
橋本信太郎少将 |
|
軽巡洋艦 |
1 |
川内 |
|
第一一戦隊駆遂隊 |
4 |
吹雪 、白雪 |
|
初雪 、叢雲 |
|
第一九戦隊駆遂隊 |
4 |
磯波 、浦波 |
|
敷波 、綾波 |
|
空母隊 |
|
航空母艦 |
1 |
鳳翔 |
|
駆遂艦 |
1 |
夕風 |
|
特務隊 |
・ |
・ |
|
潜水母艦 |
1 |
千代田 |
|
母艦 上機母艦 |
1 |
日進 |
|
警戒部隊 |
指揮官 |
高須四郎中将 |
|
第二戦隊 戦艦 |
4 |
伊勢 、日向 |
|
山城 、扶桑 |
|
第九戦隊 軽巡洋艦 |
2 |
北上 、大井 |
|
第二四駆遂隊 |
2 |
海風 、江風 |
|
第二七駆遂隊 |
3 |
夕暮、白露 、時雨 |
|
第二〇駆遂隊 |
4 |
天霧 、朝霧 |
|
|
|
夕霧 、白雲 |
|
攻略部隊 |
指揮官 |
近藤信竹中将 |
|
本隊 |
|
第四戦隊第一小隊 |
司令官 |
近藤信竹中将 |
|
・ |
|
航空母艦:ヨークタウン |
性能 |
重巡洋艦 |
2 |
愛宕 、鳥海 |
|
 |
排水量:19,800 トン
全長:247 m・全幅:35 m
最大速力:32.5 ノット
乗員:2,217名
搭載機:90機 |
第四戦隊 重巡洋艦 |
2 |
妙高 、羽黒 |
|
第三戦隊第一小隊 戦艦 |
2 |
金剛 、比叡 |
|
第四水雷戦隊 |
司令官 |
西村祥治少将 |
|
軽巡洋艦 |
1 |
由良 |
|
第二駆遂隊 |
4 |
村雨 、 夕立 |
|
第九駆遂隊 |
3 |
朝雲、峯雲 、夏雲 |
|
・ |
航空母艦 |
1 |
瑞鳳 |
|
駆遂艦 |
1 |
三日月 |
|
護衛隊 |
|
第一五駆遂隊 |
2 |
親潮 、黒潮 |
日本軍とアメリカ軍の兵力比較 |
第一六駆遂隊 |
4 |
雪風 、時津風 |
日本軍 |
アメリカ軍 |
天津風 、初風 |
航空母艦 |
6 |
航空母艦 |
3 |
第一八駆遂隊 |
4 |
不知火 、霞 |
戦艦 |
11 |
重巡洋艦 |
7 |
陽炎 、霰、 |
重巡洋艦 |
10 |
軽巡洋艦 |
1 |
支援隊 |
軽巡洋艦 |
6 |
駆逐艦 |
15 |
第七戦隊 |
司令官 |
栗田建男少将 |
駆逐艦 |
53 |
ミッドウェー島の基地航空隊 |
重巡洋艦 |
4 |
熊野 、鈴谷 |
参加兵力 |
10万人 |
|
三隅 、最上 |
・ |
第八駆遂隊 |
2 |
朝潮 、荒潮 |
航空隊 |
第一一航空戦隊 |
司令官 |
藤田類太郎少将 |
水上機母艦 |
1 |
千歳 |
駆遂隊 |
1 |
早潮 |
損害 |
艦船は損害は色分けしてあります 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
艦載機 |
喪失 |
285機 |
|
艦載機 |
喪失 |
95機 |
戦死者 |
|
3057名 |
|
艦載機 |
喪失 |
35機 |
・ |
|
戦死者 |
|
307名 |
航空機搭乗員の戦死者は110名 |
|
航空機搭乗員戦死者は172名 |
司令官
山口多聞少将 |
戦死後中将に特進 |
岡田次作大佐 |
戦死後少将に特進 空母「加賀」艦長 |
柳本柳作大佐 |
戦死後少将に特進 航空母艦「蒼龍」艦長 |
加来止男大佐 |
戦死後少将に特進 空母・飛龍艦長 |
崎山釈夫大佐 |
戦死後少将に特進 |
太田実海軍少将 |
のちに第八連合特別陸戦隊司令官に転じ、ムンダ、コロンバンガラなどで苦闘した。
沖縄戦では、海軍最先任者として沖縄根拠地隊司令官を務め大田は
那覇小禄地区豊見城にあった海軍壕内で拳銃で自決した。海軍中将に特別昇進 |

伝統の夜戦による殴り込みで完勝 (1000キロを長駆、夜戦に賭けた第八艦隊)
昭和17年米海軍はガダルカナル島への上陸作戦「ウォッチタワー」を計画する。ガダルカナル島はソロモン諸島南端に
位置する孤島であり、日本軍の拠点ラバウルと、米軍の策源池ニューカレドニア島のヌーメアとの結節点に位置する
重要な拠点である。日本軍はミッドウェー海戦後、ソロモンの制空権を得るため、ガダルカナル島に飛行場を建設していた。
これに対し、米国がオーストラリアの安全確保上の必要から、同島の奪取を計画するのは当然の成り行きである。
昭和17年8月7日早朝、米軍海兵隊約3千名を主力とする米軍がガダルカナル島および対岸のツラギ島に奇襲上陸した。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
第八艦隊 |
司令長官 |
三川軍一中将 |
|
南方部隊 |
指揮官 |
クラッチレー少将 |
重巡洋艦 |
1 |
鳥海 |
|
重巡洋艦 |
3 |
キャンベラ 、シカゴ、オーストラリア |
第六戦隊 |
司令官 |
五藤存知少将 |
|
駆遂艦 |
2 |
バターソン 、バークレー |
重巡洋艦 |
4 |
青葉 、古鷹 |
|
北方部隊 |
指揮官 |
リーフコール大佐 |
衣笠 、加古 |
|
重巡洋艦 |
3 |
ビンセンズ 、クインシー、アストリア |
第一八戦隊
|
司令官 |
松山少将 |
|
駆遂艦 |
2 |
ヘルム 、ウィルソン |
軽巡洋艦 |
2 |
天龍 、夕張 |
|
東方部隊 |
指揮官 |
スコット少将 |
軽巡洋艦 |
1 |
夕凪 |
|
軽巡洋艦 |
2 |
サンジュアン 、ホボート |
重巡洋艦 加古 は帰投時に敵潜水艦の機雷で沈没 |
|
駆遂艦 |
2 |
モンセン 、ブキャナン |
|
|
|
|
レーダー哨戒隊 |
駆遂艦3 |
ラルフ 、タルポット 、ブルー |
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
重巡洋艦 |
小破 |
鳥海 |
|
重巡洋艦 |
沈没4 |
キャンベラ、ビンセンズ |
重巡洋艦 |
沈没 |
加古 |
|
クインシー、アストリア |
戦死 |
104名 |
|
|
大破1 |
シカゴ |
・ |
|
駆遂艦 |
中破3 |
ラルフ 、タルポット、バターソン |
|
戦死 |
24名 |
・ |
日本軍は米軍より少ない艦船で夜襲により大戦果をあげたが、本来は米軍のガダルカナル島沖あいで揚陸作業船団を
撃滅すべきであったが、夜が明けて、米軍航空部隊の攻撃を恐れて反転を決意し、鳥海 の早川艦長は船団攻撃を進言
司令部はおしだまったままであった。ラバウルへの帰還中 重巡洋艦 加古 が敵潜水艦、機雷で沈没
|
 |

キャンベラ (ケント級重巡洋艦) |
就役:1928年7月9日
排水量:9,850トン
全長:192.02 m
全幅:20.8m
最大速力:31,5ノット
乗員:700名 |
司令官
長早川幹夫大佐 |
重巡洋艦「鳥海」艦長 最終階級は海軍中将
1943年3月、「山城」艦長に転出し、同年8月「長門」艦長となり、同年11月に海軍少将に進級。
第2水雷戦隊司令官となり、オルモック湾海戦により1944年11月11日戦死し、
海軍中将に進級した。兄 小林躋造(海軍大将) |
大西 新蔵少将 |
第八艦隊参謀長 最終階級は海軍中将
第1次ソロモン海戦で敵重巡洋艦5隻を数十分で撃破する戦果をあげたが、輸送船団攻撃を
省略した戦術には内外の批判もある。
昭和18年3月18日にニューブリテン島ラバウルで発生した外国人殺害容疑で、
司令長官であった 三川軍一と共に豪州政府から
B級戦犯に指名された。結局三川、大西は起訴却下となった。 |
三川 軍一中将 |
第八艦隊司令長官
その後、航海学校長、第二南遣艦隊司令長官、南西方面艦隊司令長官、
第十三航空艦隊司令長官、第三南遣艦隊司令長官を歴任 |
神 重徳大佐 |
第八艦隊司令部参謀 最終階級は海軍少将。鹿児島県出水市出身。
第八艦隊参謀在職中は第一次ソロモン海戦での敵泊地への艦隊夜襲作戦を立案し
成功したことで注目、多摩艦長時代は、キスカ島撤退作戦に従い、突入に躊躇する
艦隊長官に「ぐずぐずしていると突入の時期を失する」と進言し、作戦の成功に貢献した。
神の立案能力の高さは戦後アメリカ側から評価されている。終戦直後、
津軽海峡において搭乗機が不時着水し、神を知る者は神は自決したと信じているという。
|

新編成第三艦隊の初陣 (空母 エンタープライズ 中破の戦果)
昭和17年8月中旬、連合艦隊司令長官・山本五十六大将は、ガダルカナル島を奪回すべく、
連合艦隊の主力である。 第一から第三艦隊をトラックに進出させる。このうち第三艦隊は、生き残った
2隻の大型空母「瑞鶴」「翔鶴」を基幹として ミッドウェー海戦で壊滅した第一航空艦隊を再編した
機動部隊であった。
ガダルカナル島守備隊全滅後、同島に一木清直大佐率いる一木支隊の先遺隊900名が上陸していた
だが、この先
遺隊は主力の到着を待たずに単独で攻撃を行い、米軍の猛攻撃により壊滅する。
日本軍はガダルカナルに増援を送るべく 輸送船団を編成。また、第三艦隊と第二艦隊をトラックから
出撃させ、同船団の支援にあたらせた。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
機動部隊 |
指揮官 |
南雲忠一中将 |
|
第61任務部隊 |
指揮官 |
フランク・J・フレッチャー中将 |
本隊 |
|
航空母艦 |
3 |
サラトガ 、エンタープライズ、ワスプ |
第一航空戦隊 |
空母 3 |
翔鶴 、瑞鶴 、龍驤 |
|
戦艦 |
1 |
ノースカロライナ |
第一〇駆遂隊 |
駆遂艦4 |
秋雲 、夕雲、巻雲 、
風雲 |
|
重巡洋艦 |
6 |
・ |
第一六駆遂隊 |
駆遂艦3 |
時津風 、天津風 |
|
軽巡洋艦 |
3 |
・ |
付属 |
駆遂艦1 |
秋風 |
|
駆遂艦 |
9 |
・ |
前衛 |
|
・ |
第一一戦隊 |
戦艦2 |
比叡 、霧島 |
|


9月15日、伊19潜水艦の雷撃により炎上する空母「ワスプ」 |
第七戦隊 |
重巡洋艦2 |
熊野 、鈴谷 |
|
第八戦隊 |
重巡洋艦2 |
利根 、筑摩 |
|
第一〇戦隊 |
軽巡洋艦1 |
長良 |
|
第一五駆遂隊 |
駆遂艦3 |
浦波 、敷波、綾波 |
|
第一補給隊 |
輸送艦5 |
東邦丸、東亜丸、
国洋丸・・ |
|
第二補給隊 |
輸送艦3 |
豊光丸、日郎丸、
旭東丸 |
|
前進部隊 |
指揮官 |
近藤信竹中将 |
|
本隊 |
|
第二戦隊 |
戦艦1 |
陸奥 |
|
第四戦隊 |
重巡洋艦3 |
愛宕 、高雄、摩耶 |
|
第五戦隊 |
重巡洋艦2 |
妙高 、羽黒 |
|
第四水雷戦隊 |
軽巡洋艦1 |
由良 |
|
第九駆遂隊 |
駆遂艦4 |
朝雲、山雲、夏雲、
峯雲 |
|
第二七駆遂隊 |
駆遂艦8 |
有明、夕暮、白露、
時雨 |
|
航空部隊 |
|
第一一航空戦隊 |
水上母艦2 |
千歳 、山陽丸 |
|
第四駆遂隊 |
駆遂艦2 |
野分、舞風 |
|
増援部隊 |
司令官 |
田中頼三少将 |
|
第二水雷戦隊 |
軽巡洋艦1 |
神通 |
|
駆遂艦9 |
・ |
|
・ |
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
空母 |
沈没 |
龍驤 |
|
空母 |
中破 |
エンタープライズ、ワスプ |
艦載機 |
損失 |
25機 |
|
艦載機 |
損失 |
9機 |
日本軍の新兵器登場
旗艦の”翔鶴”に備えられたレーダー設置するが実戦では混乱して実際の効果なし、三式弾 は空中で破裂すると、
数百個の子弾が四方に拡散する
日本軍の勝ち戦
第二次ソロモン海戦で日本軍は作戦目的を達成できなかったが、その後の戦いで2つの白星を稼いでいる。
8月31日、第二次ソロモン海戦に参加した空母「サラトガ」を日本軍潜水艦「伊26」が雷撃し行動不能とした
9月15日、「伊19」潜水艦が奇跡の大戦果をあげた。給油中の空母「ワスプ」を雷撃し撃沈する。その近くにいた
新鋭戦艦「ノースカロライナー」も大破させ、駆遂艦「オブライエン」を撃沈させる。同艦長の木梨艦長はドイツを
訪れヒトラーから勲章送られた。この時点で空母の数では日本が優位となる。
参戦の艦数
|
日本 |
|
米軍 |
空母 |
2隻 |
|
3 |
戦艦 |
3隻 |
|
1 |
巡洋艦 |
10隻 |
|
7 |
駆逐艦 |
16隻 |
|
19 |
得意の夜戦でレーダーに敗北
第二次ソロモン海戦で輸送船団が壊滅したのを受け、日本はガダルカナルへの増援の投入を、輸送船でなく軍艦を用いた方法に
変更した。米軍はこれらの輸送部隊を「東京急行」と呼んだ。数次の輸送により、ガダルカナル島に川口支援3000名が上陸するが、
9月13日の米軍との戦闘で壊滅してしまう。やむにやまず、日本軍は新たに編成された第一七軍のガダルカナル投入を決定する。
10月11日、第一七軍の主力である第二師団の重火器を輸送する作戦が行われることになる。
この作戦の支援のため、五藤存知少将の率いる艦隊はガダルカナル飛行場に砲撃を行う。第二師団の輸送自体は
成功に終わったもの、日本軍は得意の夜戦において最初の敗北を喫することになる。米軍のレーダーの精度が良いので
夜戦でも威力発揮する。
両軍の編成と損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
第六戦隊 |
司令官 |
五藤存知少将 |
|
指揮官: ノーマン・スコット少将 |
重巡洋艦 |
3 |
青葉、古鷹、衣笠 |
|
重巡洋艦 |
2 |
サンフランシスコ、ソルトレイクシティー |
駆遂艦 |
2 |
吹雪、初雪 |
|
軽巡洋艦 |
2 |
ボイス 、ヘレナ |
・ |
|
駆遂艦 |
5 |
ダンカン、ファーレンホルト |
作戦結果:戦術的には日本側の敗北である。米軍のレーダーによつて先に発見されてしまったことと、目視した敵を味方と
勘違いするというミスも犯している。 損 害
 |
日本 |
アメリカ |
重巡洋艦:沈没 1 |
重巡洋艦:小破1 |
駆遂艦 : 沈没 1 |
軽巡洋艦:大破1 |
重巡洋艦:大破 1 |
駆遂艦 :大破1 |
・ |
駆遂艦 :沈没 |
・ |
・ |
赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |

日本機動部隊最後の勝利
昭和17年10月中旬、日本軍はすでに輸送した第二師団の総攻撃を支援すべく、近藤信竹中将の第二艦隊と、南雲忠一
中将の第三艦隊を再度派遣する。第二艦隊には、第三艦隊の前衛としての役割だけでなく、ガ島のヘンダーソン飛行場
への艦砲射撃という任務も与えられた。10月13日深夜、第二艦隊の「金剛」「榛名」がガダルカナル島のルンガ泊地に
突入敵飛行場を攻撃した。2隻による艦砲射撃は、飛行場を穴だらけにし、航空機のほとんどを破壊する。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
機動部隊 |
指揮官 |
南雲忠一中将 |
|
機動部隊 |
指揮官 |
トーマス・C・キンケード少将 |
本隊 |
・ |
・ |
|
第16任務部隊 |
第一航空戦隊 |
空母 3 |
翔鶴 、瑞鶴、瑞鳳 |
|
空母 |
1 |
エンタープライズ |
第四駆遂隊 |
駆遂艦2 |
嵐 、舞風 |
|
戦艦 |
1 |
サウスダコタ |
第一六駆遂隊 |
駆遂艦4 |
時津風 、天津風 |
|
重巡洋艦 |
1 |
サンジュアン |
初風 、雪風 |
|
駆遂艦 |
8 |
マハン、カッシング、ポーター、ポーター |
付属 |
重巡洋艦 |
熊野 、鈴谷 |
|
プレストン、モーレー、ショー、 |
・ |
駆遂艦2 |
浜風 、照月 |
|
スミス、カニンガム |
前衛部隊 |
指揮官 |
阿部弘毅少将 |
|
第17任務部隊 |
第一一戦隊 |
戦艦2 |
比叡 、霧島 |
|
空母 |
1 |
ホーネット |
第七戦隊 |
重巡洋艦 |
鈴谷 |
|
戦艦 |
2 |
ノーザンプトン、ベンサコラ |
第八戦隊 |
重巡洋艦 |
利根 、筑摩 |
|
重巡洋艦 |
2 |
サンディアゴ、ジュノー |
第一〇戦隊 |
軽巡洋艦 |
長良 |
|
駆遂艦 |
6 |
サンディアゴ、ジュノー |
第一〇駆遂隊 |
駆遂艦4 |
秋雲 、風雲 |
|
ヒューズ 、オースチン、バートン |
巻雲 、夕雲 |
|
・ |
第一七駆遂隊 |
駆遂艦3 |
浦風、磯風、谷風 |
|
 |

空母 ホーネット
排水量:19,800 トン
全長:809.8 ft・全幅:144 ft
最大速力: 33ノット
乗員:1889名・搭載機:90機 |
前進部隊 |
指揮官 |
近藤信竹中将 |
|
第三戦隊 |
戦艦2 |
金剛 、榛名 |
|
第四戦隊 |
重巡洋艦2 |
愛宕 、高雄 |
|
第五戦隊 |
重巡洋艦2 |
妙高 、摩耶 |
|
第二航空隊 |
空母1 |
隼鷹 |
|
第二水雷戦隊 |
軽巡洋艦1 |
五十鈴 |
|
第一五駆遂隊 |
駆遂艦3 |
黒潮、親潮、早潮 |
|
第二四駆遂隊 |
駆遂艦3 |
海風、涼風、江風 |
|
第三一駆遂隊 |
駆遂艦3 |
長波、巻波、高波 |
|
|
|
|
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
艦載機 |
喪失 |
132機 |
|
艦載機 |
喪失 |
74機 |
太平洋戦争の勃発により、搭乗員、特に高い技術をもつている母艦搭乗員の数は急速に減っていった。
真珠湾攻撃で55名、ミッドウェー海戦で145名
将官の経歴
草鹿 龍之介少将 |
南雲と草鹿は司令長官と参謀長に就任した。昭和19年)4月からは、豊田副武連合艦隊司令長官の下、
連合艦隊参謀長に就任する。宇垣纏中将の後任として第五航空艦隊司令長官となるが、
赴任中に終戦となる |
角田覚治少将 |
昭和18年)7月、基地航空部隊として再編された第一航空艦隊司令長官に就任し、
大本営直轄の決戦部隊として温存策の下、日本本土で錬成にいそしんだ。昭和19年米軍上陸後の
テニアンの戦いでは彼の闘志を持ってしても劣勢は如何ともしがたく地上戦に移行した。角田自身は
自決せず、司令部壕から手榴弾を抱えて他の兵士と共に
戦闘に参加、その後の消息は不明。 |
有馬正文大佐 |
最終階級は海軍中将 南太平洋海戦では航空母艦「翔鶴」艦長、あ号作戦を前に
第26航空戦隊司令官に就任、台湾沖航空戦末期、第26航空戦隊司令官時代に自らの
死生観を暗示するが如く、有馬自ら一式陸攻に搭乗し敵艦に
突っ込み神風攻撃を前に特別攻撃隊の先駆けとされた。戦死後2階級特別昇進
|
村田重治少佐 |
戦死後2階級昇格 最終階級は海軍大佐
南太平洋海戦で第一次攻撃隊を指揮して、米空母「ホーネット」を肉薄雷撃後に乗機が
被弾炎上、そのまま同艦に突入し自爆 |

第3次ソロモン海戦
|
昭和17年11月12日〜14日 |
戦艦隊戦艦! 比類なき大砲撃戦 (ガ島奪回を図った連合艦隊最後の大海戦
10月26日の南太平洋海戦で日本側は勝利を飾ったももの, 肝心の第二師団の総攻撃は失敗、さらなる増援の投入が
必要となってしまう。しかし、ガダルカナル島の敵飛行場が健在であるかぎり、大規模な輸送は不可能だ。
連合艦隊は先月成功した「水上部隊による敵飛行場砲撃」を再度行うべく11月中旬第二艦隊に出撃を命令した。
米軍も日本側の動きを察知して迎撃せんとする。ニューカレドニア島から第一陣と高速戦艦部隊も出撃する。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
第一夜 |
|
|
|
|
|
挺身攻撃隊 |
指揮官 |
阿部弘毅中将 |
|
支援部隊 |
指揮官 |
ダニエル・J・カラガン少将 |
第一一戦隊 |
戦艦2 |
比叡 、霧島 |
|
重巡洋艦2 |
サンフランシスコ、ポートランド |
第一〇戦隊 |
軽巡洋艦 |
長良 |
|
軽巡洋艦3 |
ヘレナ 、ジュノー、アトランタ |
第一六駆遂隊 |
駆遂艦2 |
天津風 、雪風 |
|
駆遂艦8 |
バートン 、オバノン、モンセン |
第四水雷戦隊 |
駆遂艦1 |
朝雲 |
|
|
アーロンワード 、ラフェイ |
第二駆遂隊・ |
駆遂艦4 |
村雨 、夕立 |
|
|
カッシン、ステレット、フレッチャー |
五月雨、春雨 |
|
機動部隊 |
指揮官 |
T・C・キンケード少将 |
第二七駆遂隊 |
駆遂艦3 |
時雨、白露、夕暮 |
|
空母1 |
エンタープライズ |
第六駆遂隊 |
駆遂艦3 |
暁 、雷 、電 |
|
重巡洋艦2 |
ノーザンプトン、ペンサコラ |
第六一駆遂隊 |
駆遂艦1 |
照月 |
|
第二駆遂連隊 |
駆遂艦3 |
クラーク、アンダースン、ヒューズ |
第四水雷戦隊 |
駆遂艦1 |
照月 |
|
第四駆遂連隊 |
駆遂艦3 |
モーリス、モスティン、ラッセル |
◎増援部隊 |
指揮官 |
田中頼三少将 |
|
第62担任部隊 |
指揮官 |
ウィリス・A・リー少将 |
第二水雷戦隊 |
輸送団護衛 |
田中頼三少将 |
|
戦艦 |
ワシントン、サウスダコタ |
第一五駆遂隊 |
駆遂艦3 |
早潮、親潮、陽炎 |
|
駆遂艦4 |
ウォーク、ベンハム、プレストン |
第二四駆遂隊 |
駆遂艦3 |
海風、江風、涼風 |
|
グウイン |
第三一駆遂隊 |
駆遂艦3 |
高波、巻波、長波 |
|
・ |
収容隊 |
駆遂艦2 |
望月、天霧 |
|
・ |
|
第二夜戦 |
|
|
 |
前進部隊 |
指揮官 |
近藤信竹中将 |
射撃隊 |
司令 |
近藤信竹中将 |
戦艦1 |
霧島 |
重巡洋艦 |
愛宕 、高雄 |
直衛隊 |
軽巡洋艦 |
長良 |
駆遂艦 |
雷 、五月雨、照月 |
朝霧、白雪、初雪 |
掃討隊 |
軽巡洋艦 |
川内 |
駆遂艦 |
浦波、敷波、綾波 |
外南洋部隊 |
司令長官 |
三川軍一中将 |
|
 
戦艦:ワシントン 重巡洋艦: サンフランシスコ
|
主隊 |
第八艦隊 |
直率 |
三川軍一中将 |
重巡洋艦 |
衣笠 、鳥海 |
軽巡洋艦 |
五十鈴 |
駆遂艦 |
朝潮 |
支援部隊 |
|
・ |
第七艦隊 |
重巡洋艦 |
鈴谷、摩耶、天龍 |
|
第一〇駆遂隊 |
駆遂艦 |
夕雲、巻雲、風雲 |
|
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
戦艦 |
沈没:2 |
|
戦艦 |
中破:2 |
巡洋艦 |
沈没:1 小破:2 |
|
巡洋艦 |
沈没:2 大破:1 中破:2 小破:1 |
駆逐艦 |
沈没:3 小破:2 |
|
駆逐艦 |
沈没:7 大破:2 |
輸送船 |
沈没11 |
|
|
航空機 |
喪失 |
36機 |
航空機 |
喪失 |
64機 |
|
戦死者数 |
1732名 |
|
戦死者数 |
1900名 |
・ |
|
・ |
第三戦隊(金剛型戦艦金剛、榛名)と主力空母「隼鷹」、軽空母「瑞鳳」を含む支援艦隊の二手にわかれたブナ基地から
発進した空母「飛鷹」航空隊の九九式艦上爆撃機9機が攻撃したが、戦果なく撃退された。第二五三海軍航空隊と
第五八二海軍航空隊の零戦18機に護衛された29機の一式陸攻が出現。29機の所属は、9機が第七〇三空(8機喪失)
14日真夜中輸送船団の護衛にあたっていた田中頼三第二水雷戦隊は強行に揚陸を決意して約2000名の兵員は無事
上陸するが食料、武器、弾薬が空襲で焼失する。こうして日本軍の航空攻撃は失敗し、米軍はガダルカナル島に増援兵力を
輸送することに成功した。

日本水雷戦隊の大勝利
第三次ソロモン海戦の敗北で制空権・制海権を失ってしまったため日本軍のガダルカナル島への船団輸送は極めて困難
日本軍は同島への補給を継続するため、駆遂艦による輸送作戦を開始した。糧秣を詰めたドラム缶を駆遂艦に満載し、
夜間、ガダルカナル沖に突入、ドラム缶を投下する戦術である。前線の将兵たちはこの輸送を「ネズミ輸送」と称した。
11月30日田中頼三少将率いる第二水雷戦隊の駆遂艦8隻は、ガダルカナル島への輸送任務のため、ショートランド泊地
を出撃する。田中は旗艦の駆遂艦「長浜」と「高波」を警戒艦、ほかの6隻にドラム缶を搭載した。しかし、米海軍はすでに
第二水雷戦隊の動きを探知していた。午前8時ドラム缶投下準備中に駆遂艦「高波」が敵艦隊発見して砲撃を受けて
沈没してしまう。 田中司令官は輸送作業中止して敵艦隊へ雷撃にでる、魚雷は次々と命中して重巡洋艦を沈没、3隻を
大破させる大成果を上げるが、 輸送作戦は失敗し、消極的と批判され左遷される。(アメリカ軍は積極的な指導を高く評価し
「タフネス田中」と恐れられた。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
増援部隊 |
指揮官:田中頼三少将 |
|
第67任務部隊 |
指揮官 |
ライト少将 |
警戒隊 |
駆遂艦 |
長波 、高波 |
|
重巡洋艦 |
4 |
ニューオリオンズ、ノーサンプトン |
輸送隊 |
駆遂艦 |
親潮 、黒潮 |
|
軽巡洋艦 |
1 |
ホノルル |
陽炎 、巻波 |
|
駆遂艦 |
6 |
フレッチャー 、ドレイトン、モーリー |
江風 、涼風 |
|
パーキンス、ラムソン、ラードナー |
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
駆遂艦 「高波」艦長小倉正身中佐は艦橋で敵弾により
右半身がえぐられて戦死し第三十一駆逐隊司令も
行方不明となった。乗員のうち140名が戦死 |
|

重巡洋艦ノーザンプトン
就役:1930年5月17日
排水量:9,050トン
全長:182.9 m・全幅:20.1 m
最大速力:32.5 ノット・乗員:兵員625名
8インチ砲9門(三連装3基)、
5インチ砲4門’単装4基)
21インチ魚雷発射管9門
|

重巡洋艦ニューオーリンズ |
司令官
田中 頼三少将 |
最終階級は海軍中将 海外からは『太平洋戦争における日本の名将の1人』と評価される。
第二水雷戦隊司令官を解任され、舞鶴警司令官・舞鶴海兵団長を経て、
第13根拠地隊司令官(ビルマ)に任ぜられ終戦を迎えた。(事実上の左遷人事とされている) |
この海戦でアメリカ軍は近接信管を使用した。近接信管(きんせつしんかん)とは砲弾にレーダーなどを組み込み、
目標物から外れても一定の範囲内に目標物などが入れば起爆する信管をいう。


陸攻隊策で薄氷の勝利
ガダルカナル島に上陸した陸海軍将兵13000名は、糧食の枯渇から飢えと病気に苦しみ、同島を 「ガ島」でなく「餓島」と
呼んだ、さらに昭和17年12月中旬以後、駆遂艦によるガダルカナル島への輸送作戦は、損害の大きさから手詰まりとなっている。
昭和17年大晦日、ガダルカナル島の将兵を救うべく、同島からの撤収を決定。作戦は「ケ号作戦」と命名され、翌年2月に
実施されることとなる。昭和18年1月29日レンネル島沖で敵艦隊発見、ラバウルから第701、705,751航空隊の陸攻隊が
出撃夜間、夕暮れの雷撃することとなる。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
第一一航空艦隊 |
司令長官 |
草鹿任一中将 |
|
護衛部隊 |
司令官 |
R・C・ギフェン少将 |
ラバウル基地部隊 |
|
重巡洋艦 |
3 |
ウイチタ 、シカゴ 、ルイスビル |
第705航空隊 |
16機 |
一式陸上攻撃機 |
|
軽巡洋艦 |
3 |
|
第701航空隊 |
16機 |
九六式陸上攻撃機 |
|
駆遂艦 |
6 |
ラ・ヴァレット |
カビエン基地部隊 |
|
戦闘機 |
10 |
|
第751航空隊 |
11機 |
一式陸上攻撃機 |
|
・ |
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
陸上攻撃機 |
喪失 |
10機 |
|
重巡洋艦:沈没 1 駆遂艦:大破1 |
司令官の履歴
草鹿任一中将 |
ソロモン方面の全般指揮を担当。性格は頑固で短期、筋の通らないことは猛烈に
反論海軍内では浮いた存在であった
戦犯裁判を受けるためシンガポールに護送されている途中、番兵が元日本兵に
ビンタをしていた。草鹿は止めに入ったが、その番兵は草鹿を耳が聞こえなくなる程
殴りつけている。草鹿は黙って耐えたが、周囲の者は『真の武人』を見る思いだったという。
戦後、アメリカ海軍大将アーレイ・バークと深い親交を持った。アーレイ・バークが反日家から
一転して親日家になった理由の1つに、草鹿との交流があるといわれる。
|
第701航空隊:旧美幌航空隊 第751航空隊:旧鹿屋航空隊
第705航空隊:旧三沢航空隊
|
|
 |
重巡洋艦:シカゴ
就役:1931年3月9日
排水量:9,300 トン
全長:182.9 m・全幅:20.1 m
最大速力:32 ノット・乗員:621名
8インチ砲9門(三連装3基)・5インチ砲4門
21インチ魚雷発射管6門 |

餓島からの奇跡の撤収成功 (ケ号作戦)
ガダルカナル島からの撤収を目的とした「ケ」号作戦は、昭和18年2月2日に開始される。日本海軍は、足の速い駆遂艦を用いて
夜間に兵員の収容作業を行い、日の出までに同島から離脱することを企図していた。
第1次撤収は、木村進少将率いる第10戦隊の駆遂艦8隻と、護衛任務の橋本信太郎少将指揮する第三水雷戦隊の駆遂艦6隻で
行なわれた。この作戦では、陸軍5164名、海軍250名の兵員の収容に成功する。さらに、2月4日、第1次撤収と同様の戦力で、
第2次撤収が実施され、陸軍4458名、海軍519名の兵員は撤収に成功する。そして、最後の撤収は2月7日。
今度は第三水雷戦隊の8隻が第10戦隊の8隻に護衛されてガダルカナル島へ出撃、陸軍2576名、海軍53名を乗せて
脱出撤収を完了した。一方、アメリカ軍はレンネル島沖海戦の結果から、日本軍がガダルカナル島で攻撃に出ると予想して
いたためこの意外な日本軍の動きを全く察知していなかった。日本軍の損害は駆遂艦「巻雲」が機雷に触れて沈没したのみに
とどまるかくして、「ケ」号作戦は完全な成功を収めた。1万3000名の将兵は、奇跡的に「餓島」を脱した。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
連合軍 |
第一ガ島撤収部隊 |
指揮官 |
橋本信太郎少将 |
|
アメリカ軍は察知してなく行動せず |
エスぺランス隊 |
|
ガダルカナル島からの撤収についてコラム
ガダルカナル島をめぐる攻防戦は、日米戦の
ターニングポイントとなった。
日本軍は米軍のガダルカナル上陸から撤収までの
半年間で高速戦艦「比叡」 「霧島」
をはじめとする多数の艦艇と500機以上の航空機、
さらに多くの兵員を失った。以後、日本軍は守勢に転じ、
太平洋戦争を戦っていくことになる。
 |
警戒隊 |
直率 |
橋本信太郎少将 |
|
駆遂艦 |
巻波 、舞風、江風 |
|
黒潮 、白雪、文月 |
|
輸送隊 木村進少将 |
|
第一〇駆遂隊 |
駆遂艦 |
風雲 、巻雲 |
|
夕雲 、秋雲 |
|
第一七駆遂隊 |
駆遂艦 |
谷風 、浦風 |
|
浜風 、磯風 |
|
カミンボ隊 |
指揮官:荘司喜一郎大佐 |
|
輸送隊 |
|
第一六駆遂隊 |
駆遂艦 |
時津風 、雪風 |
|
第八駆遂隊 |
駆遂艦 |
大潮 、荒潮 |
|
警戒隊 |
駆遂艦 |
皐月 、長月 |
|
旗艦の駆駆遂艦 巻波 は機雷に触れて沈没

無力の輸送船団、反跳爆撃に壊滅
昭和17年末以降、東部ニューギニアの戦況は悪化の一途をたどっていた。昭和18年2月13日、日本軍は東部ニューギニアの
兵力を強化するために、陸軍の第一八軍司令部と第五一師団をラエに輸送する決定を下す。作戦は「第八十一号作戦ラエ輸送」
と命名された。2月28日、輸送船8隻と第三水雷戦隊の駆遂艦8隻で編成された輸送船団がラバウルを出航する。
だが、船団が目的地ラエに到着するためには、敵の制空権下にあるダンビール海峡を通過しなければならなかった。
3月2日、同海峡を通過せんとする船団に対し、米豪連合軍の陸軍航空隊による波状攻撃が開始された。2日は輸送船1隻に
とどまったものの、翌日の攻撃では輸送船すべてと駆遂艦4隻が撃沈される。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
輸送船隊 |
|
陸軍第5空軍 |
指揮官 |
G・C・ケネー中将 |
第一分隊 |
輸送船 |
神愛丸 、帝洋丸 |
|
戦闘機 |
154機 |
|
愛洋丸 、建武丸 |
|
爆撃機 |
80機 |
|
第二分隊 |
輸送船 |
旭盛丸 大井川丸 |
|
・ |
太明丸 、野島 |
|
水上護衛部隊 |
指揮官:木村昌福少将 |
|
第三水雷戦隊 |
駆遂艦9 |
白雪、朝潮 、荒潮、 |
|
時津風、朝雲、雪風 |
|
敷波、浦波 |
|
護衛航空隊・ |
90機 |
零式艦上戦闘機 |
|
9機 |
九九式艦上爆撃機 |
|
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
駆遂艦 |
沈没 |
4 |
|
基地航空機 |
喪失 |
6 |
輸送船 |
沈没 |
8 全滅 |
|
・ |
日本軍は輸送船8隻すべてと駆逐艦4隻を撃沈され、兵員約3,000名、物資約2,500トンを失い輸送作戦は失敗した。
これをダンピールの悲劇とも呼ぶ。攻撃を逃れた駆遂艦4隻は、海上に脱出した生存者2400名を救出してラバウルに帰還した。
作戦失敗の原因は味方艦船を守る戦闘機隊が中高度に配置されていたため低空から進入する連合軍機に対処できなかった
ことなどがあげられる。しかし、根本的な原因としては、第八艦隊司令部の作戦計画の杜撰さに拠るものである。
その後、連合軍は東部ニューギニアの北岸で「飛び石」作戦を実施、拠点を守る日本軍の補給線を遮断し、将兵を飢餓地獄に
陥れた。東部ニューギニアに上陸した日本軍14万人のうち、終戦までに生き残ったのは1万人にすぎなかった。
「荒潮」艦長久保木中佐、第八駆逐隊司令佐藤康夫大佐以下299名は戦死した。
指揮官・司令官
木村昌福少将 |
最終階級は海軍中将 護衛部隊指揮官として参加。任務には失敗し、艦橋で敵攻撃機の機銃掃射に
より左腿、右肩貫通、右腹部盲貫銃創を負い倒れるが、最後まで指揮を行った。
この際、信号員が咄嗟に挙げた「指揮官、重傷」の信号旗を「陸兵さんが心配する」と叱りつけて下げさせ、
「只今の信号は誤りなり」と訂正させたというエピソードも残っている。
復帰後第1水雷戦隊司令官に着任。7月にはキスカ島撤退作戦を成功させる。
1944年にはレイテ島挺身輸送作戦「多号作戦」を二度指揮して成功させ、さらにミンドロ島の
米上陸地点への突入作戦「礼号作戦」をも成功させた。
なお、実兄近藤憲二(40期、大佐)、実弟近藤一声(50期、戦死後大佐)もともに海軍軍人、一声は
1943年コロンバンガラ島沖海戦で「神通」副長として戦死している
|
佐藤康夫大佐 |
最終階級は海軍中将 第八駆逐隊司令、1943年3月3日、ビスマルク海海戦に参加、
ダンピール海峡において乗艦と運命を共にした。
水雷戦隊の名指揮官として鳴らしていた。スラバヤ海戦、ガダルカナル攻防戦で活躍するが
駆遂艦「親潮」沈没する際に「俺はもう疲れたよ。このへんでゆっくり休ませてもらうよ。」と告げ、
艦と運命をともにした。
|
護衛部隊の第三水雷戦隊参謀であった半田仁貴知少佐
第八艦隊作戦参謀神重徳大佐

夜戦で完敗 駆遂艦2隻封殺さる
昭和18年3月、日本海軍は太平洋戦争の新たな方針として、「第三段作戦」を決定した。その骨子は、ニューギニアの
防衛を陸軍が担当する代わりに、海軍が中北部ソロモンの防衛を担当、決戦に備えて戦力を温存するというものである。
陸軍からは、「中北部ソロモンを放棄し、ラバウルまで前線をさげるべきでは」、という提案もあったが、海軍ラバウルの前哨
基地として、中北部ソロモンを確保したいとの考えから、これを退ける。「第三段作戦」に従い、海軍はニューギニアで
八十一号作戦を行う一方、ソロモンの防衛強化に乗り出した。この方針に従い3月5日、駆遂艦「竹雨」「峯雲」が中北部ソロモンの
コロンバンガラ島への輸送作戦を行なった。2隻はドラム缶に詰めて揚陸作業完了後、帰途につくやさきにクラ湾で敵部隊と遭遇
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
|
指揮官 |
橘 正雄大佐 |
|
指揮官: スタントン・メリル少将 |
第二駆遂隊 |
駆遂艦 |
村雨 |
|
第68任務部隊 |
重巡洋艦3 |
モントビーリア 、クリーブランド 、デンバー |
第九駆遂隊 |
駆遂艦 |
峯雲 |
|
駆遂艦2 |
コンウェイ 、ウォラー |
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
駆遂艦 |
沈没 |
2隻 |
|
損害無し |
両駆遂艦沈没され500名の乗員のうち、コロンバンガラ島に泳ぎついた生存者は175名だった
その後同島の飛行場が米艦隊により砲撃されている。
「村雨」は第二駆逐隊司令橘正雄大佐、駆逐艦長種子島洋二少佐以下乗員134名がコロンバンガラ島の日本軍に
救助された後ラバウルに帰還。「峯雲」は乗員45名が救助されたのみで、駆逐艦長上杉義男中佐以下残りの乗員は戦死した。


損耗を恐れた 及び腰の「大砲激戦」
第二次世界大戦中、コマンドルスキー諸島近海で起きた日本海軍とアメリカ海軍との間の海戦
1943年3月26日、米海軍が日本軍のアリューシャン列島方面への輸送を阻止しようとして艦隊を派遣したことで生起した。
日本軍は1942年6月にアッツ島、キスカ島を占領したが、その直後からアメリカ軍は両島に対し攻撃を加えた。
日本軍は輸送作戦を繰り返し行い両島の守備を強化していった。
アメリカ軍は1943年1月にはキスカ島南東のアムチトカ島に飛行場を建設し空襲を強化した。
また、2月にはチャールズ・マクモリス少将が指揮する艦隊が進出し、日本軍の輸送船を攻撃しはじめた。
このため、この方面を担当する日本海軍第五艦隊(細萱戊子郎中将)は全力で輸送船の護衛にあたることとなった。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
第五艦隊 |
指揮官 |
細萱 戊子郎中将 |
|
警戒部隊 |
指揮官 |
チャールズ・マクモリス少将 |
主隊 |
|
重巡洋艦隊 |
1 |
ソレトレイクシチィ |
第二一戦隊 |
重巡洋艦2 |
那智 、麻耶 |
|
軽巡洋艦 |
1 |
リッチモンド |
|
軽巡洋艦 |
多摩 |
|
駆遂艦部隊 |
4 |
ベイレー、コグラン |
第二一駆遂隊 |
駆遂艦2 |
若葉 、初霜 |
|
モンガン 、デール |
第一護衛隊 |
|
・ |
第一水雷戦隊 |
軽巡洋艦 |
阿武隈 |
|
第六駆遂隊 |
駆遂艦2 |
雷 、電 |
|
輸送船 |
浅香丸、崎戸丸 |
|
損害:重巡洋艦 小破 1 |
|
損害:重巡洋艦 大破 1 |
第五艦隊は優位な立ちながら及び腰となり反転して
遠距離砲撃を中止、この戦いで重巡洋艦2隻が放った
主砲は1611発を発射して実際に命中したのはわずか
9発であった。何よりアリューシャン作戦の強行を
主張していた筈であった細萱中将の誤った
判断決定力不足(自艦の僅かな損害等を今そこ
にあった勝利をみすみす逃してしまった)が
災いとなってしまい、気にし、同時に主目的であった
アッツ島陸軍守備部隊への増援・武器兵器・物資等の
補給が絶たれ山崎部隊長のアッツ島上陸も多大に
遅れてしまい、後のアッツ島の戦いに少なからず
響いてしまった事が挙げられる。
海戦後、細萱中将は司令長官を解任され
予備役に編入された。
|

ソルトレイクシティ 重巡洋艦
|
就役:1929年12月11日
排水量:10,826 トン
全長:178.46 m・全幅:19.89 m
最大速力:32.7ノット
8インチ砲10門
5インチ砲4門
21インチ魚雷発射管6門 |


作戦終了後に山本長官が無念の戦死
い号作戦とは、日本海軍が1943年4月7日から15日にかけて第11航空艦隊と第3艦隊所属の艦載機によりガダルカナル島や
ニューギニア島南東部のポートモレスビー、オロ湾、ミルン湾に対して空襲を行った作戦である。
昭和18年3月、「八十一号」作戦とコロンバンガラ輸送の失敗により、ソロモン・ニューギニア方面はこれまでにない苦境に
陥lっていた。戦況を立て直すために、山本五十六長官率いる連合艦隊はトラック環礁で錬成をしていた第三艦隊の母艦航空隊を
前線に投入、ラバウルに基地航空隊との協同による連続した航空攻撃を企図する。山本長官はソロモン・ニューギニア方面の
敵艦船・航空兵力を撃滅することで、今後の米軍による反攻を粉砕し、同時に輸送作戦の安全を確保しようとしたのである。
作戦は「い号作戦」と命名され、ラバウルには母艦航空隊を含めて総計348機が集結する。陣頭指揮を執るため、山本長官も
ラバウルに進出し、4月7日、い号作戦開始された。
日本軍編成
X攻撃4月7日兵力 |
機 |
|
Y2攻撃4月11日兵力 |
機 |
|
Y攻撃4月12日兵力 |
機 |
|
Y1攻撃4月14日 |
機 |
第一制空隊 |
|
制空隊 |
|
制空隊 |
|
攻撃隊 |
零式艦上戦闘機 |
21 |
|
零式艦上戦闘機 |
15 |
|
零式艦上戦闘機 |
55 |
|
一式陸上爆撃機 |
37 |
第二制空隊 |
|
第一攻撃隊 |
|
第一攻撃隊 |
|
直衛隊 |
零式艦上戦闘機 |
27 |
|
零式艦上戦闘機 |
27 |
|
零式艦上戦闘機 |
32 |
|
零式艦上戦闘機 |
56 |
第一攻撃隊 |
|
九九式艦上爆撃機 |
13 |
|
一式陸上爆撃機 |
18 |
|
|
零式艦上戦闘機 |
30 |
|
第二攻撃隊 |
|
第二攻撃隊・ |
|
損害と戦果 |
第二攻撃隊 |
|
零式艦上戦闘機 |
30 |
|
零式艦上戦闘機 |
44 |
|
一式爆撃機 |
3 |
零式艦上戦闘機 |
26 |
|
九九式艦上爆撃機 |
8 |
|
一式陸上爆撃機 |
27 |
|
・ |
九九式艦上爆撃機 |
18 |
|
|
|
|
|
戦果 輸送船撃沈 |
2 |
第三攻撃隊 |
|
損害と戦果 |
|
損害と戦果 |
|
|
零式艦上戦闘機 |
30 |
|
零式戦闘機 |
2 |
|
零式戦闘機 |
2 |
|
Y2攻撃4月14日 |
機 |
九九式艦上爆撃機 |
17 |
|
九九式爆撃機 |
4 |
|
九九式爆撃機 |
6 |
|
制空隊 |
第四攻撃隊 |
|
・ |
|
・ |
|
零式艦上戦闘機 |
38 |
零式艦上戦闘機 |
24 |
|
戦果 輸送船撃沈 |
1隻 |
|
戦果 飛行場4ケ所被害 |
|
攻撃隊 |
|
|
|
|
|
|
九九式艦上爆撃機 |
23 |
損害と戦果 |
直衛隊 |
零式戦闘機 |
12 |
零式艦上戦闘機 |
37 |
九九式爆撃機 |
9 |
|
・ |
損害と戦果 |
戦果 艦船撃沈 |
3隻 |
一式爆撃機 |
3 |
|
零式戦闘機 |
2 |
|
合計 損害 |
|
・ |
|
零式戦闘機 |
20機 |
|
戦果 輸送船撃沈 |
1隻 |
|
九九式爆撃機 |
19機 |
|
|
|
一式爆撃機 |
6機 |
|
4月16日、い号作戦は充分な戦果をあげたと判断され、終了する。日本は4度の攻撃で敵艦隊21隻を撃沈、9隻を撃破
航空機100機以上を撃墜したと判断していた。しかし、連合軍の実際の損害は、沈没5隻、25機の航空機を
喪失しただけと発表された。むしろ、日本軍の航空機43機の喪失が損害が大きかった。しかも損害は、母艦航空隊、
基地航空隊ともに航空攻撃が一時的に不能となるほどだったという。結果として、い号作戦 は失敗といっても
よい結果に終わる。しかも、作戦の損失は航空隊のみに止まらず、4月18日、前線視察中の山本長官の搭載機が
撃墜され、連合艦隊司令長官戦死という最悪の事態に陥るのである。
ラバウルからブーゲンビル島のブインへと、一式攻撃機2機に分乗して出発した。第11航空隊の草鹿任一司令長官は
全戦闘機での護衛を進言したが、山本に却下されてわずか6機の零戦が同行するのみである。
しかし、アメリカ軍は、山本長官の飛行計画の暗号を解読、P38双発戦闘機の奇襲を受けて撃墜され、機銃の直撃で
山本長官も戦死した。
ラバウルのエースパイロットたち
ラバウル基地にはエースパイロットたちが集まったいた。日本で一番有名なエースは 「大空のサムライ」の著作、
坂井三郎中尉と、笹井醇一少佐らベテラン搭乗員たちだろう。「大空のサムライ」の著作、坂井三郎中尉と、
笹井醇一少佐らベテラン搭乗員たちだろう。
坂井三郎中尉と、笹井醇一少佐らベテラン搭乗員たちだろう。その他、三四三空での杉田庄一少尉、 西沢広義中尉
ラバウルでは連日の戦いで疲労によるミスで戦死していき、慢性的搭乗員不足は深刻となる。


新鋭駆遂艦 「新月」 は沈み辛勝
昭和18年、連合軍はガダルカナル島の完全占領の後、「カートホイール」作戦と呼ばれる攻撃計画を立案した。
ダグラス・マッカーサー大将率いる陸軍第6軍が東部ニューギニアを海岸沿いに進撃、ウィルアム・ハルゼー中将率いる
米海軍第三艦隊が中北部ソロモンを攻略し、最終的には両軍によるラバウルの包囲を目指すという作戦である。
昭和18年6月、米軍はニュージョージア島ムンダ飛行場の対岸にあり、重要な拠点であるレンドバ島に上陸、ここに
中部ソロモンへの反攻を開始する。ラバウルの日本軍基地航空隊は直ちに反撃を開始したが、敵の上陸が日本軍の予想
より1ヶ月早く、有効な対応策が取れないまま、同島は6月に制圧されてしまう。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
第三水雷戦隊 |
指揮官 |
秋山照雄少将 |
|
第18任務部隊 |
指揮官 |
ウォルデン・L・エーンスワース少将 |
旗艦駆遂艦 |
1 |
新月 |
|
軽巡洋艦 |
3 |
ホノルル 、ヘレナ 、セントルイス |
第二四駆遂隊 |
2 |
涼風 、谷風 |
|
駆遂艦 |
4 |
ニコラス 、ジェンキンズ |
第一輸送隊 |
|
|
オバノン 、ラドフォード |
第三〇駆遂隊 |
3 |
望月、三日月、浜風 |
|
・ |
第二輸送隊 |
|
|
第一一駆遂隊 |
2 |
天霧 、初雪 |
|
第二二駆遂隊 |
2 |
長月 、皐月 |
|
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
駆遂艦 |
沈没 |
2 |
|
軽巡洋艦 |
沈没 |
1 |
駆遂艦 |
中破 |
3 |
|
・ |
駆遂艦 |
小破 |
2 |
|
秋山少将以下、第三水雷戦隊司令部全滅
来の目的であるコロンバンガラ島への輸送は、半数前後に相当する。陸兵1,600名と物資90トンを揚陸するも、海戦の影響で
全ての陸揚げには成功しなかった。ムンダ方面の戦闘は依然として厳しい状況であり、ニュージョージア島へ
一部の兵力を移すこととなった。
指揮官
秋山 輝男少将 |
最終階級は海軍中将
昭和17年3月、第21潜水艦基地隊司令に就任し、次いで呉鎮守府付となり、11月、海軍少将に進級
昭和18年3月、第3水雷戦隊司令官に着任した。同年7月、クラ湾夜戦において戦死。 |
 |

ヘレナ 軽巡洋艦
就役:1939年9月18日
排水量:10,000 トン
全長:608 ft ・全幅:61 ft
最大速力:33ノット
乗員:888名
6インチ砲15門・5インチ砲8門
50口径機銃8基 |

コロンバンガラ島沖夜戦
|
昭和18年7月12日〜13日 |
弁慶のごとき 「神通」 の立往生・盾となった旗艦「神通」
昭和18年7月、ニュージョージア島で日米の攻防が続く間にも、各地で日本側の輸送作戦は継続していた。
クラ湾夜戦で第三水雷戦隊司令部が全滅したのを受け、日本海軍は伊崎俊二少将の指揮する第二水雷戦隊を増援
としてラバウルに派遣、輸送作戦に投入する。
コロンバンガラ島への輸送任務に出撃した。同日深夜コロンバンガラ島北方で米艦隊と遭遇する。敵はクラ湾夜襲
で駆遂艦を沈めた仇敵エインワース少将の第18任務部隊であった。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
警戒隊 |
|
|
第18任務部隊 |
指揮官 |
ウォルデン・L・エーンスワース少将 |
第二水雷戦隊 |
司令官 |
伊崎俊二少将 |
|
軽巡洋艦 |
3 |
ホノルル、セントルイス、リアンダー |
軽巡洋艦 |
1 |
神通(旗艦) |
|
駆遂艦 |
7 |
グウィン、ブキャナン、ウッドワース |
第一六駆遂隊 |
3 |
雪風、浜風、夕暮 |
|
オバノン 、ラドフォード |
第三一駆遂隊 |
1 |
三日月 |
|
ニコラス 、ジェンキンズ |
輸送隊 |
|
|
・ |
第二二駆遂隊 |
4 |
皐月 、水無月 |
|
夕風 、松風 |
|
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
軽巡洋艦 |
沈没 |
1 |
|
駆遂艦 |
沈没 |
3 |
駆遂艦 |
小破 |
1 |
|
軽巡洋艦 |
大破 |
3 |
「神通」は、第36.1任務群にとって絶好の目標だった。レーダー照準にて砲撃を集中させ、集中砲火を一身に受けた
「神通」は大破炎上し、伊崎少将以下第二水雷戦隊の幕僚も戦死「神通」の戦死者は482名わずかな生存者は2名
「神通」は後に、戦史研究家サミュエル・モリソンから「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った
日本軍艦であると賞賛された
輸送隊は海戦の間隙を縫って7月13日0時36分にコロンバンガラ島アリエル入江に到着し輸送物件全ての揚陸に
成功の後、1時43分にコロンバンガラ島を離れる
指揮官
伊崎俊二少将 |
最終階級は海軍中将
昭和17年)11月、海軍少将に進級昭和18年)1月、第二水雷戦隊司令官に就任
同年7月、コロンバンガラ島沖海戦において旗艦「神通」が戦没し運命を共にした
|

太平洋戦争奇跡の作戦
昭和18年5月、米軍は北太平洋アリューシャン列島のアッツ島に上陸。日本軍のアッツ島守備隊は司令官の山崎保代大佐の
指揮のもと奮戦したものの、同30日に最後の突撃を行ない玉砕した。このとで、大本営はアリューシャン方面の放棄と、
キスカ島からの撤収を決める。しかし、アッツ島が陥落した結果、キスカ島周辺の制海・制空権は米軍の手に落ちており、
撤収は困難であると思われた。キスカ島の濃霧にまぎれての撤収が、必要であると考える。
日本軍の構成
第一水雷戦隊 |
指揮官 |
大村昌福少将 |
 |
・軽巡洋艦 |
2 |
阿武隈 、木曽 |
駆遂艦 |
5 |
島風 、野風、波風 |
秋雲、夕雲 |
第一潜水戦隊 |
司令官 |
古宇田武郎少将 |
潜水艦 |
15隻 |
1943年6月上旬に2回の輸送作戦が行われ、傷病兵等約800名が後送され、また弾薬125トン、糧食100トンの守備隊への
輸送に成功した。この作戦により第1回輸送作戦で「伊二四」、第2回輸送作戦で隊司令玉木留次郎大佐座乗の
「伊七」と「伊九」を喪ってしまった。そのために潜水艦での撤収をやめて第一水雷戦隊に引き継ぎする。
第1回目は6月19日に出航するが霧が晴れて反転して帰港する。6月28日再度出撃する。守備隊5200名を1時間
足らずで称されたキスカ撤収作戦成功収容する。8月1日、艦隊は米軍に遭遇することなく千島列島の幌筵島に到着。
「奇跡の作戦」と称されたキスカ撤収作戦成功米軍は全く気付かずに8月15日に行われた同島への上陸作戦では
見方を敵と誤認して同志打ちで死者100名以上を出す日本軍の残した犬は米軍が飼いならしたそうだ
指揮官
大村昌福少将 |
終階級は海軍中将
日本海軍の水上作戦で最後の勝利となった「礼号作戦」
(ミンドロ島沖海戦)に司令官として参加 |
伝統の夜戦で米駆遂艦に完敗
7月12日のコロンバンガラ島沖夜戦の勝利によって、日本軍はコロンバンガラ島の兵力増強の成功。これを受け陸軍は
同島にいた一個連隊をニュージュージア島の戦況は日増しに悪化、再度コロンバンガラ島の強化が急務となる。
8月6日、コロンバンガラ島に向け、九州の第六師団の残余940名と物資90トンを輸送するために、第四駆遂隊が
ラバウルを出撃した。司令は杉浦大佐で警戒艦を「時雨」に指定 しかしこの、出撃は米軍の察知するところとなり、
米海軍は迎撃のために、べラ湾に派遣する。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
指揮官: 杉浦 嘉十大佐 |
|
指揮官: フリデリック・ムースブルーガ―中佐 |
輸送隊 |
|
第12駆遂隊 |
3 |
ダンラップ、クレイヴン、モーリー |
第四駆遂隊 |
3 |
萩風 、嵐 、江風 |
|
第15駆遂隊 |
3 |
ラング、スタレット、スタック |
警戒隊 |
|
・ |
第二七駆遂隊 |
1 |
時雨 |
|
損害 |
駆遂艦 |
沈没 |
3 |
|
損害無し |

「萩風」と「嵐」の乗員はともに178名が「江風」の乗員は169名が戦死
輸送隊を指揮した第四駆逐隊司令杉浦嘉十大佐と「萩風」駆逐艦長馬越正博少佐はベララベラ島へたどり着いた後
生還したが「嵐」駆逐艦長杉岡幸七中佐はベララベラ島へ向かう途中に溺死。「江風」駆逐艦長柳瀬善雄少佐も戦死した。
た、コロンバンガラ輸送隊が乗せていた増援部隊940名のうち820名が戦死して、輸送は完全な失敗に終わった。
指揮官
杉浦 嘉十
すぎうら かじゅう |
最終階級は海軍中将
昭和18年)12月、最後の「羽黒」艦長となった。
昭和20年)5月1日、海軍少将に進級。同月16日、ペナン沖海戦で「羽黒」は戦没し運命を共にした |

撤収と増援の同時作戦
8月15日、米軍は占領したニュージョージア島、ムンダ飛行場の基地航空隊の支援を受け、ベラベラ島の6000名の兵力を
上陸させた。日本側は、敵の次なる上陸地点をコロンバンガラ島と読み、兵力増強に努めていたため、ベラベラ島への米軍の
上陸は奇襲に等しかった。米軍は、日本側の裏をかき、防備の重厚なコロンバンガラ島を素通りし、防衛の手薄な(守備兵)わずか
75名なベラベラ島を狙ったのである。日本軍はコロンバンガラ島から陸軍を撤退させると同時に、ベラベラ島に増援を送るという、
2つの作戦を同時並行で行うことを強いられた。8月17日、第三水雷戦隊は30隻近い上陸舟艇・特務舟艇を伴って出撃する。
作戦は「セ号」作戦と名付けられた。、この作戦は米軍に察知されいた。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
第三水雷戦隊 指揮官:伊集院松治大佐 |
|
指揮官: T・J・ライアン大佐 |
夜戦部隊 |
|
駆遂艦 |
4 |
|
第一七駆遂隊 |
1 |
漣 |
|
・ |
第二七駆遂隊 |
1 |
時雨 |
|
・ |
第一七駆遂隊 |
2 |
浜風 、磯風 |
|
輸送部隊 |
|
|
警戒隊 |
|
|
第一警戒隊 |
|
|
艦載水雷艇 |
1 |
|
|
駆潜特務艇 |
2 |
2隻沈没 |
|
第二警戒隊・ |
|
|
装甲艇(陸軍) |
|
|
|
輸送隊 |
|
|
艦載水雷艇 |
3 |
1隻沈没 |
|
大発 |
13 |
1隻沈没 |
|
指揮官
伊集院 松治大佐 |
最終階級は海軍中将
昭和11年11月1日 海軍少将 任
昭和19年5月 ヒ63船団護衛中、乗艦「壱岐」が撃沈され戦死 享年51 海軍中将に特別進級
|

ついにベラベラ島を撤収
コロンバンガラ島からの撤収に成功したものの、わずかな守備隊しか置かれていないベラベラ島の陥洛も時間の問題である。
さらに両島が敵の手に渡れば、北部ソロモンのブーゲンビル島への侵攻が始まるには明らかであった。
昭和18年10月初頭、日本軍はベラベラ島の守備隊を撤退させるべく、再び第三水雷戦隊に出撃を命じる。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
第三水雷戦隊 |
指揮官:伊集院松治少将 |
|
|
指揮官 |
T・J・ライアン大佐 |
第一夜戦部隊 |
駆遂艦1 |
秋雲 |
|
駆遂艦 |
3 |
シュバリエ 、セルフりッジ、 |
第一七駆遂隊 |
駆遂艦1 |
磯風 |
|
オバノン |
第一〇駆遂隊 |
駆遂艦2 |
風雲 、夕雲 |
|
 |
第二夜戦部隊 |
駆遂艦2 |
浜風 、磯風 |
|
第二七駆遂隊 |
駆遂艦2 |
時雨 、五月雨 |
|
輸送部隊 |
|
第二二駆遂隊 |
駆遂艦1 |
文月 |
|
付属 |
駆遂艦1 |
松風 |
|
小発 |
6隻 |
・ |
|
折畳浮船 |
30隻 |
・ |
|
撤退作戦は見事な手際で成功するが中部ソロモンからの撤退に伴い、米軍が狙うラバウル包囲へ王手をかけられる

味方に衝突艦も出る乱戦で敗北
昭和18年11月1日、米軍はブーゲンビル島のトロキナ岬に上陸した。もし、同島がこのまま米軍に制圧され、基地航空隊
が設置されるとラバウルは直接攻撃圏内になってしまう。日本軍はラバウルの飛行場を守るためにも、ブーゲンビル島を
死守する必要に迫られる。そのためこれに呼応して、敵船団撃滅のために日本側も10隻の艦艇からなる連合襲撃部隊を
ブーゲンビル島沖に出撃させた。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
連合襲撃部隊 司令官: 大森仙太郎少将 |
|
第39任務部隊 |
指揮官:スタントン・メリル少将 |
第一襲撃部隊 主隊 |
|
|
軽巡洋艦 |
4 |
モントピリア、クリーブランド |
第五戦隊 |
重巡洋艦2 |
妙高 、羽黒 |
|
コロンビア、デンバー |
第二襲撃部隊 |
|
|
駆遂艦 |
8 |
サッチャー、フート、スペンス |
第一警戒隊 伊集院松治少将 |
|
スタンリー、クラクストン、スペンス |
第三水雷戦隊 |
軽巡洋艦 |
川内 |
|
サッチャー、チャールズ、オースナーン |
軽巡洋艦 |
時雨、五月雨、白露 |
|
 |
第三襲撃部隊 (第二警戒隊) 大杉守一少将
|
|
第一〇戦隊 |
軽巡洋艦 |
阿賀野 |
|
駆遂艦3 |
長波 、初風 、若月 |
|
輸送隊 |
駆遂艦5 |
天霧 、夕凪 、文月 |
|
卯月 、水無月 |
|
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
軽巡洋艦 |
沈没1 中破2 |
|
軽巡洋艦 |
小破1 |
駆遂艦 |
沈没1 |
|
駆遂艦 |
小破1 |
「五月雨」と「白露」が衝突 「スペンス」と「サッチャー」が衝突
「初風」が隊列から脱落し、1時7分に「妙高」と衝突
この2つの襲撃部隊は、南東方面部隊(草鹿任一中将)直率の連合襲撃部隊として大森少将が指揮を執っていた
森山少将は敵艦隊を撃破したと判断して反転するが、実際には米軍は一隻も沈没してなかった。森仙太郎少将は解任その後
水雷学校の教官となる。最終は中将
第一警戒隊(伊集院松治少将)昭和19年5月24日- ヒ63船団護衛中、乗艦「壱岐」が撃沈され戦死 享年51、海軍中将に特別進級
第二警戒隊(大杉守一少将)海軍中将、マニラ軍事裁判第23特別根拠地隊司令官)蘭印マカッサル裁判で死刑
海戦における連合襲撃部隊の戦闘については、海戦直後から批判の的であった。第三艦隊の長井純隆首席参謀は、
当時もっとも批判されていた事として「戦闘隊形が複雑であったため、運動の自由がなかったこと」を挙げている。

ふたたび母艦航空隊を戦線投入
昭和11年11月、米軍のブーゲンビル島上陸を受け、古賀峯一大将率いる連合艦隊は「ろ号」作戦を発動した。
「い号」作戦と同様、第三艦隊第一航空戦隊の母艦航空隊を再びラバウルに派遣し、同地の基地航空隊と共同して戦況の
打開に努めるというものだった。また、それにあわせ栗田健男中将の第二艦隊もラバウルに派遣する。
11月2日作戦開始:第三艦隊の母艦航空隊、合計175機を増援として受けたラバウル航空隊は第一撃として
セント・ジョージ岬沖の敵輸送船団を空襲したが損害は巡洋艦に2発命中のみで効果なし
11月5日第二艦隊到着後、米機動部隊にラバウル軍港が襲撃され、多くの大型艦が被害を受け、攻撃を断念する
11月8日ラバウルの母艦航空隊・基地航空隊はタロキナ沖の米輸送船団に対し、再度攻撃、しかし、これに対し
11日には米機動部隊は再びラバウルを空襲し、日本艦隊航空隊が反撃を繰り返す。
両軍の編成と損害
日本軍 |
|
アメリカ軍 |
第一航空戦隊 古賀峯一大将 |
零式艦上戦闘機 |
82機 |
・ |
九九式艦上爆撃機 |
45機 |
・ |
九七式艦上攻撃機 |
40機 |
・ |
第一一航空戦隊 |
零式艦上戦闘機 |
72機 |
・ |
一式陸上攻撃機 |
61機 |
・ |
|
|
第50任務部隊 指揮官:ウィリアム・ハルゼー中将 |
第38任務部隊 |
空母 |
サラトガ、プリンストン |
第50任務部隊 |
空母 |
エセックス、バンカー・ヒル |
インディペンデンス |
モントピリア、バーミンガム」 |
軽巡洋艦 |
モントピリア、バーミンガム |
|
11月2日 |
第一航空戦隊の作戦は2日から開始された。この日、ラバウルは空襲を受け、空中戦が行われた。
戦果は軽巡「モントピリア」小破のみであった。
|
11月5日 |
アメリカ軍第38任務部隊(空母「サラトガ」、「プリンストン」基幹)の艦載機がラバウルを空襲した。
この空襲によって、進出していた第二艦隊の艦船は多くが損傷し、トラックに後退した。
|
11月8日 |
偵察機がタロキナ沖に大型輸送船10、駆逐艦7、上空警戒機多数を発見した。輸送船団攻撃のため
攻撃隊計97機が発進したが、輸送艦2隻を撃破したのみであった。
モノ島西の艦隊を攻撃し、軽巡「バーミンガム」に魚雷1本を命中させ大破に追い込んだ。
|
11月11日 |
第38任務部隊に加えて空母3隻(「エセックス」、「バンカー・ヒル」、「インディペンデンス」)を擁する
第50.3任務部隊が加わった。
この日の早朝、両任務部隊はラバウルを空襲し、その後に陸上機70機も空襲を行なった。
日本側は107機(67機という記述もあり)でこれを迎撃したが駆逐艦「涼波」が沈没し、軽巡「阿賀野」と
駆逐艦2隻が損傷、戦闘機11機の被害を受けた。空襲は3時間に及んだ。11月11日までに
艦載機の消耗は70パーセントに達した(173機から52機まで減少)。
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両軍の損害
日本軍 |
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アメリカ軍 |
艦載機 |
喪失 |
115機 |
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軽巡洋艦 |
大破 |
バーミンガム |
基地機 |
喪失 |
70機 |
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機雷艇 |
沈没 |
1隻 |
その他 |
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輸送船 |
沈没 |
2隻 |
駆遂艦 |
沈没 |
涼風 |
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艦載機 |
喪失 |
21機 |
駆遂艦 |
小破 |
2隻 |
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軽巡洋艦 |
小破 |
阿賀野 |
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ろ号作戦は失敗に終わった。第二艦隊は敵機動部隊の空襲で大損失を受け撤退、第三艦隊母艦航空隊も、機動部隊と
事実上の決戦を行い、1週間ほどで戦力の7割を失って壊滅状態となった。アメリカはほとんど損害なし。
古賀峯一連合艦隊司令長官
戦死した山本五十六大将の後任として太平洋戦争中 二代目の連合艦隊司令長官となる。
しかし、着任した昭和18年4月、戦局はすでに挽回不可能なまでに悪化していた。
古賀はパラオからダバオへの移動中に行方不明となり殉職した。


もはやレーダーにはかなわず
「ろ号」作戦中止後も、ブーゲンビル島防衛戦は続く。11月中旬、日本側「は同島の北方にあるブカ島の戦力を強化する
ために兵員の輸送を開始。作戦を任されたのは、第三一駆遂隊司令・香川清澄大佐の指揮する駆遂艦5隻だった。
11月21日、第一次輸送部隊としては順調び推移し、輸送は成功する。
第二次輸送を24日に実施するが、米海軍はこれを阻止するために駆遂艦部隊を派遣しレーダー効果により日本軍を撃破
両軍の編成と損害
日本軍 |
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アメリカ軍 |
指揮官 :香川清澄大佐 |
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指揮官:アーレン・バーク大佐 |
警戒隊:香川清登大佐 |
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第45駆逐群:アーレン・バーク大佐 |
第三一駆遂隊 |
2 |
大波 、巻波 |
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駆遂艦 |
4 |
チャールズ・オースバーン |
輸送隊:山代勝守大佐 |
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ダイソン、クラクストン |
第一一駆遂隊 |
2 |
天霧 、夕霧 |
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第46駆逐群:バーナード・L・オースティン中佐 |
第三〇駆遂隊 |
1 |
卯月 |
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駆遂艦 |
2 |
スペンス、コンヴァース |
損害 赤字は沈没 紫字は大破 緑字は中破 茶字は小破 |
駆遂艦 |
沈没 |
3隻 |
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損害無し |
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「大波」の乗員は、駆逐艦長吉川潔中佐以下全員が戦死し
「夕霧」は駆逐艦長尾辻秀一少佐以下155名と便乗者129名が戦死した
香川清澄大佐:海軍少将に進級した。昭和18年第31駆逐隊司令に就任。
同年11月、セント・ジョージ岬沖海戦において戦死
吉川潔中佐 :二階級特進して海軍少将
セントジョージ岬沖海戦にて戦死
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連合艦隊根拠地の壊滅
昭和18年11月、米軍はギルバート諸島タワラ環礁に上陸、日本軍守備隊は抵抗したものの、数日で玉砕してしまう。
この段階で米国が、ソロモンと中部太平洋の二方向で侵攻作戦を行なえる戦力を保持していたことの証左でもあった。
昭和19年になっても米軍の攻勢は続き、1月末にはマーシャル諸島にクェゼリン島を占領。ラバウルへの空襲も次第に
激しくなり、ついには連合艦隊が中部太平洋に持つ艦隊拠点、トラック環礁の安全すらも脅かされる事態となる。
2月10日。連合艦隊司令長官、古賀峯一大将率いる連合艦隊主力は、敵機動部隊の空襲を避けるため、パラオ諸島へ
退避を開始する。「ろ号」作戦で母艦航空隊を消耗した連合艦隊には、敵を迎え撃つ戦力は残されていなかった。
空襲により損害
艦艇第四艦隊司令長官 |
小林 仁中将 |
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軽巡洋艦 |
沈没 |
那珂 、香取 |
駆遂艦 |
沈没 |
舞風、太刀風、追風 、文月 |
駆潜艇 |
沈没 |
24号 、29号 |
魚雷艇 |
沈没 |
10号 、15号 |
中破艦艇 |
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飛行艇母艦 |
中破 |
秋津洲 |
工作艦 |
中破 |
明石 |
駆遂艦 |
中破 |
時雨、秋風 |
他特務艦、潜水艦 |
中破 |
7隻 |
船舶 |
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輸送船
給油船 |
沈没 |
辰羽丸、五星丸、平安丸 |
沈没 |
麗洋丸、愛国丸 |
沈没 |
清澄丸、桑港丸、西江丸 |
沈没 |
天城山丸、第三図南丸 |
沈没 |
花川丸、富士山丸 |
輸送船・給油船等 |
全30隻以上が沈没する |

渾 作戦のための輸送作戦
東部ニューギニアの日本軍戦力は、昭和19年4月、米軍がニューギニア北部ホーランディアへ上陸して、壊滅無力化される。
5月に入ると、ニューギニア北部のピアク島にも米軍が上陸、西部ニューギニアの制圧を開始した。
ピアク島への上陸は、日本にとって座視できない事態であった。日本海軍は日本本土と硫黄島とマリアナ諸島を結ぶ線を
「絶対国防圏」と称し、マリアナ諸島の基地航空隊と後方の機動部隊による決戦を計画していた。しかし、ピアク島に米航空隊が
進出すれば、西南太平洋・南部フィリピンの制空権は失われてしまう。日本軍はピアク島の兵力を増強するために渾作戦と
名付けた輸送作戦を計画する。渾作戦は6月2日に開始されるが、 第一輸送は「敵機動部隊発見」の誤報により中止。
改めて8日に第二次輸送の作戦部隊が出撃される。
両軍の編成と損害
日本軍 |
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アメリカ軍 |
第一六戦隊 |
司令官 |
左近允尚正少将 |
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爆撃機 B25 |
17機 |
・ |
第一九駆遂隊 |
2 |
敷波 、浦波 |
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P38 |
7機 |
・ |
第二七駆遂隊 |
4 |
白露 、時雨 |
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・ |
春雨 、五月雨 |
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