海軍 TOP 艦艇 TOP
日本帝国海軍巡洋艦 総覧
巡洋艦
 巡洋艦は1922年のワシントン軍縮会議で締結されたワシントン海軍軍縮条約によって「5インチを超え8インチ以下
 (127mmを超え203mm以下)の砲備を持つ10,000トン以下の艦」と定義された。これを一般に条約型巡洋艦という。
 ロンドン海軍軍縮条約において、砲口径6.1インチ(155mm)を超え8インチ(203mm)以下の艦を「カテゴリーA」、
 砲口径6.1インチ(155mm)以下の巡洋艦を「カテゴリーB」と分類し、保有制限枠を設けた。そして前者が重巡洋艦、
 後者が軽巡洋艦と通称された。日本海軍の正式な分類では、前者が一等巡洋艦、後者が二等巡洋艦である。
 軍艦より小回りとスピードが優れており、砲撃力にも優れている小型軍艦である。
 重巡洋艦:10000トン〜6000トン程度で砲口203mm〜155mm
 軽重洋艦:6000トン〜3000トン 砲口155mm以下

重巡洋艦

重巡洋艦

青葉型

青葉 衣笠

  要目 青葉・衣笠 青葉
  標準排水量  9,000トン
  全長  185.17m
  全幅  17.56m
  機関出力  102,000hp
  速度  33.43ノット
  航続力  8,223海里
  乗員数  657名 衣笠
  装甲  水平32-35mm 舷側76mm
  兵装 50口径20.3cm連装砲3基6門
45口径12cm単装高角砲4門
61cm4連装魚雷発射管2基
25mm連装機銃4基
  搭載機  2機



竣立地 三菱造船長崎造船所 1942年5月の珊瑚海海戦、8月7日夜の第一次ソロモン海戦に参加
サボ島沖海戦が勃発する。「青葉」は米艦隊のレーダー射撃により、
二番砲塔・三番砲塔被弾全滅、別の1発が艦橋正面右舷よりから貫通して
五藤少将と副長が戦死という損害を受けるレイテ沖海戦では
第十六戦隊旗艦として後方での兵員輸送を命じられた。
1944年10月23日 ルソン島西方で米潜水艦ブリーム) の雷撃を受け
大破にかろうじて呉軍港に帰投
1945年3月に米軍空母機動部隊よる攻撃
青葉も防空砲台として奮戦したが大破着底した

竣立日 1924年1月23日
改造日 1940年10月
艦長 18.山澄忠三郎 大佐:1943年6月
19.村山清六 大佐:1945年1月
沈没日 1945年7月28日
沈没地 1947年7月1日、解体



竣立地 川崎重工業神戸造船所 衣笠 戦歴
竣立日 1927年9月30日 太平洋戦争開戦後は第6戦隊所属となる。グアム島攻略、
ウェーク島攻略に参加
1942年5月には珊瑚海海戦に参加する
1942年8月9日に第一次ソロモン海戦に参加、
    10月11日にはサボ島沖海戦に参加する
11月13日米軍艦載機攻撃でカダルカナル島水域で沈没。
艦長の沢正雄大佐、副長宮崎房雄中佐を始めとする
511名が戦死した。
改造日 -
戦中艦長 17.清田孝彦 大佐;1940年9月
18.沢正雄 大佐;1941年8月戦死
沈没日 1942年11月13日戦没
沈没地 ガダルカナル島水域


重巡洋艦

古鷹

古鷹 加古

  要目 古鷹加古 古鷹
  標準排水量 8,700トン
  全長 185.166m
  全幅 16.926m
  機関出力 103,390hp
  速度 32.95ノット
  航続力 7,000海里
  乗員数 639名 加古
  装甲 水平32-35mm 舷側76mm
  兵装 50口径20.3cm連装砲3基6門
45口径12cm単装高角砲4門
61cm4連装魚雷発射管2基8門
九三式魚雷16本



竣立地 三菱造船長崎造船所 古鷹 戦歴
竣立日 1926年3月31日 1942年8月の第一次ソロモン海戦では第8艦隊に所属し、
敵重巡四隻を撃沈している。
1942年10月12日のサボ島沖海戦 敵の砲弾が次々と命中。
この攻撃により魚雷が誘爆し、大火災を起こす。
「古鷹」は砲撃を継続し、米巡洋艦「アトランタ」に損害を与えた。
午前0:28ついに沈没した。生存者は513名
改造日 -
艦長 17.中川浩 大佐:1940年10月
18.荒木伝 大佐:1941年11月
沈没日 1942年10月12日戦没
沈没地 サボ島沖



竣立地 川崎重工業神戸造船所 加古 戦歴
竣立日 1926年7月20日 昭和16年)太平洋戦争開戦後はグアム島攻略に参加する
昭和17年)1月、ラバウル攻略に参加する。5月には珊瑚海海戦にも参加
8月8日、第一次ソロモン海戦に参加しアメリカ重巡洋艦へ打撃を与え、
クインシー キャンベラ の撃沈に貢献した。
帰還中の8月10日に米潜水艦「S-44」に捕捉される。640mの距離から
4本の魚雷を発射、そのうち3本が命中した。
35分後に転覆、沈没した。乗員34名が死亡したが、艦長の高橋雄次大佐を
始めとする残りの乗員は救助された
改造日 -
艦長 19.木下三雄 大佐:1940年10月
20.高橋雄次 大佐:1941年9月
沈没日 1942年8月10日沈没
沈没地


重巡洋艦

妙高型

妙高 那智 足柄 羽黒

要目 妙高  那智  足柄  羽黒 
標準排水量 13,000トン
全長 203.76m
全幅 20.37m
機関出力 132,000hp
速度 33.3kt
航続力 8,500nm
乗員数 891名
装甲 水平35mm 舷側102mm         
兵装 三年 20cm(50口径)連装砲
5基10門
八九式 12.7cm(40口径)連装
高角砲4基
61cm4連装水上魚雷発射管4基
九三式魚雷  24本
搭載機 3機



竣立地 横須賀海軍工廠 妙高 戦歴
竣立日 1929年7月31日 1941年12月8日の太平洋戦争開戦直後はダバオ、ホロ攻略作戦に参戦
5月の珊瑚海海戦、6月のミッドウェイ海戦、
1944年6月のマリアナ沖海戦、10月のレイテ沖海戦等に参戦
英軍によって接収された妙高は1946年7月8日にマラッカ海峡にて
海没処分された
改造日 -
艦長 19.小野田捨次郎 大佐:1945年1月
20.加賀山外雄 大佐:1945年3月
沈没日 1946年7月8日
沈没地 マラッカ海峡



竣立地 呉海軍工廠 那智 戦歴
竣立日 1928年11月26日 昭和16年)12月に太平洋戦争が始まるとパラオに進出
昭和18年3月7日から13日、アッツ島への輸送作戦に
昭和19年レイテ湾に来襲したアメリカ軍攻撃のため
第二遊撃部隊旗艦として出撃。25日にスリガオ海峡で大破した
重巡洋艦「最上」と衝突し損傷する。11月5日、マニラ湾で米空母
「レキシントン」 からの艦載機による空襲を受け多数の爆弾、魚雷の
命中により沈没乗員807名が戦死し、220名が救助された
改造日 -
艦長 16.渋谷紫郎 大佐(1943年9月
17.鹿岡円平 大佐(1944年8月戦死
沈没日 1944年11月5日戦没
沈没地 マニラ湾



竣立地 川崎重工業神戸造船所 足柄 戦歴
竣立日 1929年8月20日 昭和17年)3月1日のスラバヤ沖海戦 姉妹艦3隻と共にイギリス海軍の
重巡洋艦「エクセター」、駆逐艦2隻を共同で撃沈する。
昭和19年2月25日に第五艦隊第二十一戦隊所属となり大湊方面で警備。
1945年6月4日、「足柄」は駆逐艦「神風」を伴ってシンガポールを出港
陸軍の兵員約1600名や物資を乗せ英海軍潜水艦が発射した魚雷が
「足柄」の右舷に命中した。「足柄」は12時37分に転覆し、
艦尾から沈没した。
改造日 -
艦長 13.阪匡身 大佐:1942年9月
14.三浦速雄 大佐:1944年1月
沈没日 1945年6月8日
沈没地 ペナント沖



竣立地 三菱造船長崎造船所 足柄 戦歴
竣立日 1929年4月25日 昭和16年)12月の太平洋戦争開戦時には第2艦隊第5戦隊に所属し、
フィリピン攻略に参戦
昭和17年)に珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦など数々の海戦に参戦
昭和19年)10月25日 サマール沖海戦で、アメリカ護衛空母の
艦載機によって2番砲塔に爆弾を受け損傷した。
昭和20年)5月16日、イギリス海軍機の攻撃を受け損傷する。翌17日
マラッカ海峡にて英駆逐艦の魚雷で沈没
同乗していた橋本信太郎中将、艦長杉浦嘉十大佐以下400名が戦没
改造日 -
艦長 15.魚住治策 大佐:1942年10月
16.杉浦嘉十 大佐:1943年12月戦死
沈没日 1945年5月16日戦没
沈没地 マラッカ海峡、ペナン島沖


重巡洋艦

高雄型

高雄 愛宕 摩耶 鳥海

要目 高雄  愛宕  摩耶  鳥海 
標準排水量  13,400トン
全長  192.5m
全幅  20.4m
機関出力  13,3000hp
速度  34.2ノット
航続力  18ノット/5,050海里
乗員数  900名
装甲 舷側:127mm 水平:34〜46mm
鳥海

摩耶(まや)
兵装 三年式二号 20cm(50口径)連装砲4基
八九 12.7cm(40口径)連装高角砲6基
(九三式魚雷24本
九六式 25mm(60口径)連装機銃6基
         同3連装機銃6基
搭載機  3機    4機



竣立地 横須賀海軍工廠 高雄 戦歴
竣立日 1932年5月31日 開戦時の艦長は朝倉豊次大佐、近藤信竹中将麾下の第4戦隊に所属
1942年ジャワ海で作戦参戦、アリューシャン作戦参戦
8月24日第二次ソロモン海戦、10月26日南太平洋海戦参加
11月15日第三次ソロモン海戦に参加、
昭和19年)6月19日、マリアナ沖海戦
1945年7月31日シンガポールのセレター港で英軍小型潜水艇による
着底。戦後はイギリスに引渡された
改造 -
艦長 14.小野田捨次郎 大佐:1944年8月
15.石坂竹雄 大佐:1945年3月
沈没日 1946年10月29日
沈没地 マラッカ海峡にて海没処分



竣立地 呉海軍工廠 愛宕 戦歴
竣立日 1932年3月30日 昭和16年)10月「摩耶」に代わって第2艦隊(近藤信竹中将)旗艦となる。
昭和17年)2月25日、セレベス島スターリング湾を出港
開戦以来東南アジアをかけまわった「愛宕」
ミッドウェー海戦にはミッドウェー島攻略部隊(第二艦隊)の護衛艦として参加
昭和18年)11月、ブーゲンビル島逆上陸作戦支援
昭和19年)10月22日、「愛宕」は栗田健男中将座乗の第2艦隊旗艦として
ブルネイを出航、レイテ島へ、魚雷4本が右舷に命中沈没、360名が戦死
改造 -
艦長 15.中岡信喜 大佐:1942年12月
16.荒木伝 大佐:1943年11月
沈没日 1944年10月23日戦没
沈没地 レイテ沖海



竣立地 横須賀海軍工廠 摩耶 戦歴
竣立日 1932年 6月30日 昭和16年マレー作戦、フィリピン攻略に参戦、蘭印作戦
昭和17年5月アリューシャン列島侵攻作戦、ガダルカナル島の戦い
南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦で中破し38名戦死、47名が負傷
昭和18年3月アッツ島沖海戦に参加。
11月ブーゲンビル島上陸作戦参戦
昭和19年6月、マリアナ沖海戦、 10月レイテ沖海戦に参加で
左舷に魚雷4本が命中、沈没  艦長以下336名が戦死

改造 -
艦長 13.加藤与四郎 大佐:1943年10月
14.大江覧治 大佐:1943年12月戦死
沈没日 1944年 10月23日沈没
沈没地 レイテ沖海



竣立地 三菱造船長崎造船所 鳥海 戦歴
竣立日 1932年6月30日 昭和16年開戦後、マレー半島侵攻と英海軍のZ部隊追跡に参加
昭和17年7月、鳥海は第八艦隊(司令長官三川軍一中将)旗艦で
ラバウルに進出。第一次ソロモン海戦、第三次ソロモン海戦では中破
昭和18年))2月20日横須賀に帰還
昭和19年マリアナ沖海戦に参加。10月にはレイテ沖海戦に参加
 艦載機による攻撃で大破で駆逐艦藤波の魚雷で処分され
乗組員は藤波に移乗するも同艦はその後の空襲で撃沈されており、
鳥海・藤波ともに1人の生存者もいなかった。
改造 -
艦長 13.有賀幸作 大佐:1943年3月
14.田中穣 大佐:1944年6月 戦死
沈没日 1944年10月25日
沈没地 レイテ沖海


重巡洋艦

最上型

最上 三隅 鈴谷 熊野

要目 最上  三隈  鈴谷  熊野 
標準排水量 12,200トン
全長 200.6 m
全幅 20.6m
機関出力 154,226馬力
速度 35.96 ノット
航続力 8,000海里
乗員数 894名
装甲 -
熊野
兵装 20.3センチ連装砲塔5基10門
12.7センチ連装高角砲4基8門
61センチ3連装魚雷発射管4基12門
25mm連装機銃4基
13mm連装機銃2基
搭載機 11機(最上のみ水上巡洋艦となる)



竣立地 呉海軍工廠 最上 戦歴
竣立日 1935年7月28日 開戦時は第二艦隊第七戦隊に属し、南方作戦に参加
昭和17年)ミッドウェー海戦「最上」は「三隈」に衝突、航空巡洋艦への改装
昭和19年)中頃までは零式水偵4機、零式水観3機の計7機、
それ以降は計5機、11機を搭載
1944年10月25日のスリガオ海峡海戦、米艦隊と交戦、操舵不能と
退避中重巡「那智」と衝突、バナオン島ビニト岬で駆逐艦「曙」により
雷撃処分。
改造 -
艦長 10.相徳一郎 大佐:1943年4月
11.藤間良大佐:1944年4月戦死
沈没日 1944年10月25日沈没
沈没地 バナオン島ビニト岬



竣立地 三菱造船長崎造船所 三隅 戦歴
竣立日 1935年8月29日 姉妹艦3隻と第七戦隊(旗艦:熊野)、を編成し南方作戦に投入された。
昭和17年バタビア沖海戦、セイロン沖海戦では4隻そろって参戦
ミッドウェー海戦で、近藤信竹中将指揮する第二艦隊、
第七戦隊三番艦として参加「最上」は「三隈」の左舷中央部に衝突する。
その後米軍と交戦するが知らずに沈没、
改造 -
艦長 8.木村進 大佐:1939年11月15日
9.崎山釈夫 大佐:1940年11月
沈没日 1942年6月5日
沈没地 ミッドウェー海



竣立地 川崎重工業神戸造船所 鈴谷 戦歴
竣立日 1937年10月31日 太平洋戦争勃発後は、マレー上陸作戦、バタビア沖海戦、
第二次ソロモン海戦、マリアナ沖海戦等に参加
1944年 には第七戦隊に所属してレイテ沖海戦に参加24日には
シブヤン海海戦に参加。10月25日のサマール沖海戦で大破し沈没した。
戦死90名、行方不明564名、戦傷69名。412名が「沖波」に救助された
改造 -
艦長 7.高橋雄次 大佐:1943年9月
8.寺岡正雄 大佐:1944年8月29日
沈没日 1944年10月25日戦没
沈没地 サーマル沖海



竣立地 川崎重工業神戸造船所 開戦後はマレー上陸作戦、1942年3月1日にはバタビア沖海戦、
6月5日から7日にかけてミッドウェー海戦に参加する。姉妹艦「最上」と
「三隈」が衝突し、「三隈」が沈没、「最上」が大破する。
ガダルカナル島の戦い、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦
1944年6月19日のマリアナ沖海戦に参加、
10月25日のサマール島沖海戦で米駆逐艦ジョンストンの雷撃を
け損傷。11月25日、日本本土への回航中に米艦載機の攻撃により沈没、
人見艦長を始め約400名の乗員が戦死
竣立日 1937年10月31日
改造 -
艦長 6.藤田俊造 大佐:1943年2月
7.人見錚一郎 大佐:1944年3月 戦死
沈没日 1944年11月25日戦没
沈没地 サンタクルーズ沖


重巡洋艦

利根型

利根 筑摩

要目 利根   筑摩
標準排水量  11,213トン
全長  201.6m
全幅  19.4m
機関出力  152,189馬力
速度  35.55ノット
航続力  9,240海里
乗員数  874名
装甲 舷側:145mm 甲板:35mm
兵装 20.3cm連装砲4基8門
40口径12.7cm連装高角砲4基8門
25mm三連装機銃14基42挺
25mm連装機銃2基4挺
61cm3連装魚雷発射管4基12門



竣立地 川崎重工業神戸造船所 利根 戦歴
竣立日 1938年11月20日 1941年12月21日ウェーク島第二次攻略作戦成功する
1942年2月ポート・ダーウィン空襲を支援、3月26日、セイロン島攻撃
     6月、「利根」はミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦や
     南太平洋海戦に参戦
1944年6月マリアナ沖海戦に参加、翌日サマール沖海戦に参加
     レイテ沖海戦後、舞鶴に帰還
1945年3月練習艦、呉にて空襲を受けて損傷し着底
改造 -
艦長 6.黛治夫 大佐:1943年12月
7.岡田有作 大佐:1945年1月
沈没日 1945年7月28日艦載機の攻撃 大破
沈没地 呉港にて空襲で着底



竣立地 三菱重工業長崎造船所 筑摩 戦歴
竣立日 1939年5月20日 1940年3月〜中国南部3回出撃
1941年:真珠湾攻撃、ウェーク島攻略戦、セイロン沖海戦、ミッドウェー海戦
1942年:第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参戦
1944年:第七戦隊所属、マリアナ沖海戦、栗田艦隊にてレイテ沖海戦に参戦
     10月25日、サマール島沖海戦に於いて魚雷にて沈没
     生存者は120名余


改造 -
艦長 7.重永主計 大佐:1943年1月
8.則満宰次 大佐:1944年1月7日
沈没日 1944年10月25日戦没
沈没地 サマール島



軽巡洋艦

大淀型

大淀

要目  大淀


竣立地 呉海軍工廠
竣立日 1943年2月28日
改造 -
艦長 4.牟田口格郎 大佐:1944年8月
6.田口正一 大佐:1945年5月
沈没日 1945年3月19日に転覆着底
沈没地 呉にて空襲
標準排水量  8,146トン
全長  192.0m
全幅  16.6m
機関出力  110,430shp
速度  35.5ノット
航続力  8,700海里 昭和18年南海第四守備隊をラバウルへ輸送
昭和19年5月3日に豊田副武連合艦隊司令長官を迎えて将旗をあげた
1944年レイテ沖海戦、礼号作戦、北号作戦に参戦、第三艦隊
第一機動部隊に編入されレイテ沖海戦
昭和20年)2月10日北号作戦に参戦、3月1日に「大淀」は練習艦
3月19日、呉を米軍機動部隊艦載機よる襲撃で転覆
24日と28日の戦闘による戦死者は223名、負傷者は180名だった
乗員数  730名
装甲 甲板:25〜50mm
兵装 三年式 15.5cm(60口径)三連装砲2基
九八 10cm(65口径)連装高角砲4基
装機銃6基/18基(最終時
九六年式 25mm(60口径)三連
搭載機 水上偵察機6機


軽巡洋艦

 天龍型

天龍 龍田(たつだ)

要目 天龍 龍田
標準排水量  3,230トン
全長  142.65 m
全幅  12.34 m
機関出力  51,000 SHP
速度  33 ノット
航続力  5,000 海里
乗員数  327名
装甲 水平:16-25mm 舷側:63mm
兵装 50口径14cm単装砲4門
40口径8cm高角砲1門
53cm3連装魚雷発射管2基
搭載機 -



竣立地 横須賀海軍工廠 天龍 戦歴
竣立日 1919年11月20日 主に夜戦に際して駆逐艦を率いて敵主力艦に雷撃を行う水雷戦隊の
旗艦としての役割を期待された。
太平洋戦争ではウェーキ島攻略戦、第一次ソロモン海戦等に参加した。
1942年12月18日、マダン上陸作戦の支援中に米潜水艦アルバコア の
雷撃を受け沈没した。

改造 -
艦長 26.浅野新平 大佐:1942年6月5日
27.上田光治 大佐:1942年12月5日
沈没日 1942年12月18日戦没
沈没地 マダン



竣立地 佐世保工廠 龍田 戦歴
竣立日 1919年3月31日 1941年12月8日太平洋戦争開始により、ウェーク島攻略のため
           援護部隊としてクェゼリン環礁を出撃した。
1942年3月8日 ニューギニア島ラエ、サラモア攻略作戦などを支援した
1944年3月12日、サイパン島への輸送作戦である東松2号船団の
護衛部隊旗艦として横須賀を出港、翌13日八丈島沖で
米潜水艦「サンドランス」 の雷撃を受け沈没した

改造 -
戦中艦長 30.小川莚喜 大佐:1943年4月
31.島居威美 大佐:1943年12月
沈没日 1944年3月13日戦没
沈没地 八丈島沖


軽巡洋艦

 球磨型

球磨 多摩 北上 大井 木曽

要目 球磨 多摩 北上 大井 木曽 
球磨

北上
標準排水量  5,100トン
全長  162.10m
全幅  14.17m
速度  36.0ノット
航続力  5,000海里
乗員数  447名
多摩

大井
装甲 -
主兵装 14cm砲 7門、8cm高角砲 2門
53cm連装魚雷発射管 4基8門
搭載機 水上偵察機 1機(改造後)



竣立地 佐世保海軍工廠 球磨 戦歴
竣立日 1918年8月29日 1944年1月11日マラッカ海峡付近英ツタンカーメン潜水艦の
魚雷2本を受け沈没

艦長 25.杉野修一 大佐:1943年8月
沈没日 1944年1月11日戦没
沈没地 マラッカ海峡



竣立地 三菱造船長崎造船所 多摩 戦歴
竣立日 1921年1月29日 1941年第五艦隊に編入される。
1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で空襲により大破
      その後アメリカ海軍の潜水艦「ジャラオ」 の雷撃により撃沈される
艦長 33.山本岩多 大佐:1943年12月戦死
沈没日 1944年10月25日戦没
沈没地 エンガノ岬沖



竣立地 佐世保工廠 北上 戦歴
竣立日 1921年4月15日 1941年に重雷装艦へと改装されている。
1945年には、本土決戦を前提とし、海上挺進部隊に編入
特攻兵器・回天の搭載母艦に改装された
1945年7月24日、呉に於いて空襲を受け大破
艦長 31.金岡国三 大佐:1944年12月
沈没日 終戦時残存
沈没地 1946年長崎で解体



竣立地 川崎造船所 大井 戦歴
竣立日 1921年10月3日 高速輸送艦へ改装され、輸送任務に従事した。
1944年7月19日、マニラ沖において米潜水艦雷撃により沈没した。
改造 6,900トン152.4m
艦長 27.柴勝男 大佐:1944年2月
沈没日 1944年7月19日に戦没
沈没地 マニラ沖



竣立地 三菱造船長崎造船所 木曽 戦歴
竣立日 1921年5月4日 1942年5月、アリューシャン列島攻略作戦に参加
1943年7月、キスカ撤退作戦に参加
1944年11月13日、マニラ湾に停泊中に米軍機の攻撃を受け沈没。
艦長 30.今村了之介 大佐:1944年2月
沈没日 1944年11月13日に戦没
沈没地 マニラ沖


軽巡洋艦

 長良型

長良 五十鈴 名取 由良 鬼怒 阿武隈

要目 長良、 五十鈴、 名取、 名取五十鈴
由良
由良、 鬼怒、 阿武隈
標準排水量  5,170トン
全長  162.15m
全幅  14.17m
速度  36.0ノット
航続力  5,000海里
乗員数  440名
装甲 -
主兵装 50口径三年式14cm単装砲 7基7門
40口径三年式8cm単装高角砲 2基2門
連装魚雷発射管 4基8門(魚雷16本



竣立地 佐世保工廠 長良 戦歴
竣立日 1922年4月21日6,050トン 第三次ソロモン海戦、戦艦「比叡」「霧島」を護衛し、参戦
昭和19年8月7日、天草諸島、米潜水艦 の雷撃により沈没
艦長 31.中原義一郎 大佐:1944年5月戦死
沈没日 1944年8月7日戦没
沈没地 天草諸島の西



竣立地 浦賀船渠 五十鈴 戦歴
竣立日 1923年8月15日 1942年南太平洋海戦と第三次ソロモン海戦に参加
1944年第三艦隊の一員としてレイテ沖海戦に投入
1945年4月7日スンバワ島のビマ米潜水艦 の雷撃により沈没
艦長 30.松田源吾 大佐:1944年6月
沈没日 1945年4月7日戦没
沈没地 スンバワ島のビマ



竣立地 三菱造船長崎造船所 名取 戦歴
竣立日 1922年9月15日 1942年3月第2南遣艦隊第16戦隊(司令官 原顕三郎少将)の旗艦
「長良」「鬼怒」「五十鈴」とともに、1943年1月まで東インド方面の警戒任務
1943年1月9日、アンボン港外で敵潜の雷撃を受け、戦死7名
1944年6月のマリアナ沖海戦で機動部隊の補給隊を護衛した
     8月18日、サマール島東方水域で、米潜水艦により沈没
艦長 31.久保田智 大佐:1944年3月戦死
沈没日 1944年8月18日戦没
沈没地 サマール島東方



竣立地 川崎造船所 鬼怒 戦歴
竣立日 1922年11月10日 1941年4月、連合艦隊附属第4潜水戦隊(司令官吉富説三少将)の旗艦
    12月のマレー作戦に参加
1942年第2南遣艦隊第16戦隊旗艦となり、ニューギニア西部の作戦
1943年4月、南西方面艦隊に編入
1944年10月26日パナイ島とマスバテ島の間米軍攻撃で沈没
艦長 25.川崎晴実 大佐(1944年2月
沈没日 1944年10月26日戦没
沈没地 パナイ島とマスバテ島の間



竣立地 浦賀船渠 1941年11月、第1水雷戦隊は空母機動部隊警戒隊として
ハワイ攻撃作戦に参加、1942年1月、ビスマルク諸島攻略作戦、
ジャワ攻略作戦、インド洋作戦に参戦5月に第1水雷戦隊は
北方部隊(第5艦隊)に編入、アッツ島攻略部隊旗艦として参戦。
1943年3月、アッツ島沖海戦に参加、7月にはキスカ島撤退作戦に
参加し、1,202名を収容し帰投
1944年10月スリガオ海峡海戦で攻撃を受けたネグロス島沖に沈んだ。
竣立日 1925年5月26日
艦長 20.花田卓夫 大佐:1944年3月
沈没日 1944年10月26日戦没
沈没地 ネグロス島沖


軽巡洋艦

川内型

川内 神通 那珂

要目 川内  神通  那珂
標準排水量  5,195t
全長  162.15m
全幅  14.17m
速度  35.25kt
航続力  5,000浬
乗員数  440名
装甲 -
主兵装 50口径14cm単装砲7門
61cm連装魚雷発射管4基8門
40口径8cm単装高角砲2門
九三式機雷56個



竣立地 三菱造船長崎造船所 川内 戦歴
竣立日 1924年4月29日 太平洋戦争の開戦時は第3水雷戦隊の旗艦を務めていた。
エンドウ沖海戦やミッドウェー攻略作戦、第三次ソロモン海戦に参戦
1943年11月2日ブーゲンビル島沖海戦で米艦隊と交戦、沈没

艦長 24.荘司喜一郎 大佐:1943年5月戦死
沈没日 1943年11月2日戦没
沈没地 ブーゲンビル島沖



竣立地 神戸川崎造船所 神通 戦歴
竣立日 1925年7月31日 開戦時第二水雷戦隊司令・田中頼三少将メナド攻略部隊の旗艦 
蘭印方面に行動したその後、スラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦、
第二次ソロモン海戦で中破 
昭和18年7月13日、コロンバンガラ島沖海戦において被弾沈没
艦長佐藤寅治郎大佐、第2水雷戦隊司令官伊崎俊二少将
以下む482名戦死
艦長 21.佐藤寅治郎 大佐:1943年2月戦死
沈没日 1943年7月13日戦没
沈没地 コロンバンガラ島沖



竣立地 横浜船渠 那珂 戦歴
竣立日 1925年11月30日 1941年11月26日、那珂は第4水雷戦隊(西村祥治少将)旗艦となった
高橋伊望中将率いる第3艦隊のフィリピン侵攻に参加
1944年2月17日、米潜水艦の雷撃でトラック島を出港した直後、
島西方で 艦載機部隊による攻撃で沈没

艦長 25.末沢慶政 大佐:1944年1月
沈没日 1944年2月17日に戦没
沈没地 トラック島西方


軽巡洋艦

夕張型

夕張

要目      夕張
標準排水量  2,890トン     
全長  139.99m
全幅  12.04m
速度  35.5ノット
航続力  3,310海里
乗員数  328名
装甲 -     
主兵装 50口径14cm連装砲2基4門
45口径12cm単装高角砲1門
61cm連装発射管2基
25mm3連装機銃3基   同連装4基



竣立地 佐世保工廠 開戦時は第4艦隊第6水雷戦隊に所属しウェーク島攻略作戦、
ラバウル攻略作戦、1942年7月10日に第4艦隊第2護衛隊に編入され、
第一次ソロモン海戦に参加
1943年4月1日に第8艦隊第3水雷戦隊に編入
1944年3月2日内南洋諸島への緊急輸送、4月26日パラオを出港し
27日ソンソル島に到着後、陸揚してパラオに向け出港後出港。
ルソンソル島南端潜水艦「ブルーギル」の魚雷攻撃を受け
艦首より沈没。戦死19名
竣立日 1923年7月31日
艦長 23.奈良孝雄 大佐:1944年2月
沈没日 1944年4月27日
沈没地 ルソンソル島南端


軽巡洋艦

阿賀野型

阿賀野 能代 矢矧(やはぎ) 酒匂

要目  阿賀野 能代 矢矧  酒匂
標準排水量  6,652トン
全長  174.50m
全幅  15.20m
速度  35.0ノット
航続力  6,000海里
乗員数  730名
装甲 甲板:20mm 舷側:21〜57mm
主兵装 四十一式 15.2cm(50口径)連装砲3基
九八式 7.6cm(60口径)連装高角砲2基
61cm四連装魚雷発射管2基、魚雷16本
搭載機 水上偵察機2機



竣立地 佐世保工廠 阿賀野 戦歴
竣立日 1942年10月31日 1942年12月2日 第10戦隊の旗艦となる トラック島
1943年ブーゲンビル島沖海戦に参加
1944年2月16日 トラック島北方沖にて米潜水艦スケート魚雷2本を
          受け炎上後、沈没
艦長 3.松田尊睦 大佐:1943年11月 戦死
沈没日 1944年2月17日に戦没
沈没地 トラック島北方沖



竣立地 横須賀工廠 能代 戦歴
竣立日 1943年6月30日 1943年8月15日 第2水雷戦隊の旗艦となる
1944年マリアナ沖海戦に参加、サマール島沖海戦、「能代」を含めた
栗田艦隊は、帰投途中にミンドロ島の南で米軍空襲受ける。
二番主砲塔右舷附近に魚雷1本が命中する。「能代」は艦首から沈没
戦死行方不明者は87名、負傷者51名
艦長 2.梶原季義 大佐:1943年12月
沈没日 1944年10月26日
沈没地 ミンドロ島の南



竣立地 佐世保工廠 昭和18年木村進海軍少将が第十水雷戦隊旗艦となった
昭和19年小沢治三郎中将指揮の第一機動艦隊に所属し、マリアナ沖海戦
1944年10月、「矢矧」は栗田艦隊(第一遊撃部隊)に属してレイテ沖海戦
11月15日、第二水雷戦隊に編入され、古村啓蔵少将の旗艦
昭和20年天一号作戦に参加すべく、徳山沖に停泊中の戦艦「大和」に合流
魚雷6-7本、爆弾10-12発を被弾し沈没 446名戦死
竣立日 1943年12月29日
艦長 2.原為一 大佐:1944年12月
沈没日 1945年4月7日に戦没
沈没地 坊ノ津沖 東シナ海



竣立地 佐世保工廠 酒匂 戦歴
竣立日 1944年11月30日 1945年3月には僚艦の矢矧とともに天一号作戦に参加する予定が中止
燃料不足で作戦参戦せず終戦時は舞鶴にて無傷で残存
1945年12月特別輸送艦に指定され釜山やニューギニアなどで復員輸送に従事
核実験(クロスロード作戦)の標的艦として戦艦「長門」などとともに
1946年7月1日 ビキニ環礁にて沈没
艦長 1.大原利通 大佐(1944年11月
沈没日 1946年7月2日沈没 
沈没地 ビキニ環礁にて核実験



海軍 TOP 艦艇 TOP