巡洋艦
巡洋艦は1922年のワシントン軍縮会議で締結されたワシントン海軍軍縮条約によって「5インチを超え8インチ以下
(127mmを超え203mm以下)の砲備を持つ10,000トン以下の艦」と定義された。これを一般に条約型巡洋艦という。
ロンドン海軍軍縮条約において、砲口径6.1インチ(155mm)を超え8インチ(203mm)以下の艦を「カテゴリーA」、
砲口径6.1インチ(155mm)以下の巡洋艦を「カテゴリーB」と分類し、保有制限枠を設けた。そして前者が重巡洋艦、
後者が軽巡洋艦と通称された。日本海軍の正式な分類では、前者が一等巡洋艦、後者が二等巡洋艦である。
軍艦より小回りとスピードが優れており、砲撃力にも優れている小型軍艦である。
重巡洋艦:10000トン〜6000トン程度で砲口203mm〜155mm
軽重洋艦:6000トン〜3000トン 砲口155mm以下

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要目 |
青葉・衣笠 |
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青葉 |
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標準排水量 |
9,000トン |
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全長 |
185.17m |
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全幅 |
17.56m |
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機関出力 |
102,000hp |
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速度 |
33.43ノット |
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航続力 |
8,223海里 |
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乗員数 |
657名 |
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衣笠 |
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装甲 |
水平32-35mm 舷側76mm |
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兵装 |
50口径20.3cm連装砲3基6門 |
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45口径12cm単装高角砲4門 |
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61cm4連装魚雷発射管2基 |
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25mm連装機銃4基 |
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搭載機 |
2機 |
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・ |
青
葉 |
竣立地 |
三菱造船長崎造船所 |
1942年5月の珊瑚海海戦、8月7日夜の第一次ソロモン海戦に参加
サボ島沖海戦が勃発する。「青葉」は米艦隊のレーダー射撃により、
二番砲塔・三番砲塔被弾全滅、別の1発が艦橋正面右舷よりから貫通して
五藤少将と副長が戦死という損害を受けるレイテ沖海戦では
第十六戦隊旗艦として後方での兵員輸送を命じられた。
1944年10月23日 ルソン島西方で米潜水艦ブリーム) の雷撃を受け
大破にかろうじて呉軍港に帰投
1945年3月に米軍空母機動部隊よる攻撃
青葉も防空砲台として奮戦したが大破着底した
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竣立日 |
1924年1月23日 |
改造日 |
1940年10月 |
艦長 |
18.山澄忠三郎 大佐:1943年6月 |
19.村山清六 大佐:1945年1月 |
沈没日 |
1945年7月28日 |
沈没地 |
1947年7月1日、解体 |
衣
笠 |
竣立地 |
川崎重工業神戸造船所 |
衣笠 戦歴 |
竣立日 |
1927年9月30日 |
太平洋戦争開戦後は第6戦隊所属となる。グアム島攻略、
ウェーク島攻略に参加
1942年5月には珊瑚海海戦に参加する
1942年8月9日に第一次ソロモン海戦に参加、
10月11日にはサボ島沖海戦に参加する
11月13日米軍艦載機攻撃でカダルカナル島水域で沈没。
艦長の沢正雄大佐、副長宮崎房雄中佐を始めとする
511名が戦死した。
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改造日 |
- |
戦中艦長 |
17.清田孝彦 大佐;1940年9月 |
18.沢正雄 大佐;1941年8月戦死 |
沈没日 |
1942年11月13日戦没 |
沈没地 |
ガダルカナル島水域 |

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要目 |
古鷹・加古 |
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古鷹 |
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標準排水量 |
8,700トン |
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全長 |
185.166m |
|
全幅 |
16.926m |
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機関出力 |
103,390hp |
|
速度 |
32.95ノット |
|
航続力 |
7,000海里 |
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乗員数 |
639名 |
加古 |
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装甲 |
水平32-35mm 舷側76mm |
 |
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兵装 |
50口径20.3cm連装砲3基6門 |
45口径12cm単装高角砲4門 |
61cm4連装魚雷発射管2基8門 |
九三式魚雷16本 |
古
鷹 |
竣立地 |
三菱造船長崎造船所 |
古鷹 戦歴 |
竣立日 |
1926年3月31日 |
1942年8月の第一次ソロモン海戦では第8艦隊に所属し、
敵重巡四隻を撃沈している。
1942年10月12日のサボ島沖海戦 敵の砲弾が次々と命中。
この攻撃により魚雷が誘爆し、大火災を起こす。
「古鷹」は砲撃を継続し、米巡洋艦「アトランタ」に損害を与えた。
午前0:28ついに沈没した。生存者は513名
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改造日 |
- |
艦長 |
17.中川浩 大佐:1940年10月 |
18.荒木伝 大佐:1941年11月 |
沈没日 |
1942年10月12日戦没 |
沈没地 |
サボ島沖 |
加
古 |
竣立地 |
川崎重工業神戸造船所 |
加古 戦歴 |
竣立日 |
1926年7月20日 |
昭和16年)太平洋戦争開戦後はグアム島攻略に参加する
昭和17年)1月、ラバウル攻略に参加する。5月には珊瑚海海戦にも参加
8月8日、第一次ソロモン海戦に参加しアメリカ重巡洋艦へ打撃を与え、
クインシー キャンベラ の撃沈に貢献した。
帰還中の8月10日に米潜水艦「S-44」に捕捉される。640mの距離から
4本の魚雷を発射、そのうち3本が命中した。
35分後に転覆、沈没した。乗員34名が死亡したが、艦長の高橋雄次大佐を
始めとする残りの乗員は救助された
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改造日 |
- |
艦長 |
19.木下三雄 大佐:1940年10月 |
20.高橋雄次 大佐:1941年9月 |
沈没日 |
1942年8月10日沈没 |
沈没地 |
・ |

要目 |
妙高 那智 足柄 羽黒 |
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 |
 |
標準排水量 |
13,000トン |
|
全長 |
203.76m |
|
全幅 |
20.37m |
|
機関出力 |
132,000hp |
|
速度 |
33.3kt |
|
航続力 |
8,500nm |
|
乗員数 |
891名 |
|
装甲 |
水平35mm 舷側102mm |
|
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兵装 |
三年 20cm(50口径)連装砲
5基10門 |
|
八九式 12.7cm(40口径)連装
高角砲4基 |
|
61cm4連装水上魚雷発射管4基 |
|
九三式魚雷 24本 |
|
|
|
搭載機 |
3機 |
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妙
高 |
竣立地 |
横須賀海軍工廠 |
妙高 戦歴 |
竣立日 |
1929年7月31日 |
1941年12月8日の太平洋戦争開戦直後はダバオ、ホロ攻略作戦に参戦
5月の珊瑚海海戦、6月のミッドウェイ海戦、
1944年6月のマリアナ沖海戦、10月のレイテ沖海戦等に参戦
英軍によって接収された妙高は1946年7月8日にマラッカ海峡にて
海没処分された
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改造日 |
- |
艦長 |
19.小野田捨次郎 大佐:1945年1月 |
20.加賀山外雄 大佐:1945年3月 |
沈没日 |
1946年7月8日 |
沈没地 |
マラッカ海峡 |
那
智 |
竣立地 |
呉海軍工廠 |
那智 戦歴 |
竣立日 |
1928年11月26日 |
昭和16年)12月に太平洋戦争が始まるとパラオに進出
昭和18年3月7日から13日、アッツ島への輸送作戦に
昭和19年レイテ湾に来襲したアメリカ軍攻撃のため
第二遊撃部隊旗艦として出撃。25日にスリガオ海峡で大破した
重巡洋艦「最上」と衝突し損傷する。11月5日、マニラ湾で米空母
「レキシントン」 からの艦載機による空襲を受け多数の爆弾、魚雷の
命中により沈没乗員807名が戦死し、220名が救助された
|
改造日 |
- |
艦長 |
16.渋谷紫郎 大佐(1943年9月 |
17.鹿岡円平 大佐(1944年8月戦死 |
沈没日 |
1944年11月5日戦没 |
沈没地 |
マニラ湾 |
足
柄 |
竣立地 |
川崎重工業神戸造船所 |
足柄 戦歴 |
竣立日 |
1929年8月20日 |
昭和17年)3月1日のスラバヤ沖海戦 姉妹艦3隻と共にイギリス海軍の
重巡洋艦「エクセター」、駆逐艦2隻を共同で撃沈する。
昭和19年2月25日に第五艦隊第二十一戦隊所属となり大湊方面で警備。
1945年6月4日、「足柄」は駆逐艦「神風」を伴ってシンガポールを出港
陸軍の兵員約1600名や物資を乗せ英海軍潜水艦が発射した魚雷が
「足柄」の右舷に命中した。「足柄」は12時37分に転覆し、
艦尾から沈没した。 |
改造日 |
- |
艦長 |
13.阪匡身 大佐:1942年9月 |
14.三浦速雄 大佐:1944年1月 |
沈没日 |
1945年6月8日 |
沈没地 |
ペナント沖 |
羽
黒 |
竣立地 |
三菱造船長崎造船所 |
足柄 戦歴 |
竣立日 |
1929年4月25日 |
昭和16年)12月の太平洋戦争開戦時には第2艦隊第5戦隊に所属し、
フィリピン攻略に参戦
昭和17年)に珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦など数々の海戦に参戦
昭和19年)10月25日 サマール沖海戦で、アメリカ護衛空母の
艦載機によって2番砲塔に爆弾を受け損傷した。
昭和20年)5月16日、イギリス海軍機の攻撃を受け損傷する。翌17日
マラッカ海峡にて英駆逐艦の魚雷で沈没
同乗していた橋本信太郎中将、艦長杉浦嘉十大佐以下400名が戦没
|
改造日 |
- |
艦長 |
15.魚住治策 大佐:1942年10月 |
16.杉浦嘉十 大佐:1943年12月戦死 |
沈没日 |
1945年5月16日戦没 |
沈没地 |
マラッカ海峡、ペナン島沖 |

要目 |
高雄 愛宕 摩耶 鳥海 |
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 |
標準排水量 |
13,400トン |
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全長 |
192.5m |
|
全幅 |
20.4m |
|
機関出力 |
13,3000hp |
|
速度 |
34.2ノット |
|
航続力 |
18ノット/5,050海里 |
|
乗員数 |
900名 |
|
装甲 |
舷側:127mm 水平:34〜46mm |
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鳥海 |

摩耶(まや) |
兵装 |
三年式二号 20cm(50口径)連装砲4基 |
|
八九 12.7cm(40口径)連装高角砲6基 |
|
(九三式魚雷24本 |
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九六式 25mm(60口径)連装機銃6基 |
|
同3連装機銃6基 |
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搭載機 |
3機 4機 |
|
高
雄 |
竣立地 |
横須賀海軍工廠 |
高雄 戦歴 |
竣立日 |
1932年5月31日 |
開戦時の艦長は朝倉豊次大佐、近藤信竹中将麾下の第4戦隊に所属
1942年ジャワ海で作戦参戦、アリューシャン作戦参戦
8月24日第二次ソロモン海戦、10月26日南太平洋海戦参加
11月15日第三次ソロモン海戦に参加、
昭和19年)6月19日、マリアナ沖海戦
1945年7月31日シンガポールのセレター港で英軍小型潜水艇による
着底。戦後はイギリスに引渡された
|
改造 |
- |
艦長 |
14.小野田捨次郎 大佐:1944年8月 |
15.石坂竹雄 大佐:1945年3月 |
沈没日 |
1946年10月29日 |
沈没地 |
マラッカ海峡にて海没処分 |
愛
宕 |
竣立地 |
呉海軍工廠 |
愛宕 戦歴 |
竣立日 |
1932年3月30日 |
昭和16年)10月「摩耶」に代わって第2艦隊(近藤信竹中将)旗艦となる。
昭和17年)2月25日、セレベス島スターリング湾を出港
開戦以来東南アジアをかけまわった「愛宕」
ミッドウェー海戦にはミッドウェー島攻略部隊(第二艦隊)の護衛艦として参加
昭和18年)11月、ブーゲンビル島逆上陸作戦支援
昭和19年)10月22日、「愛宕」は栗田健男中将座乗の第2艦隊旗艦として
ブルネイを出航、レイテ島へ、魚雷4本が右舷に命中沈没、360名が戦死
|
改造 |
- |
艦長 |
15.中岡信喜 大佐:1942年12月 |
16.荒木伝 大佐:1943年11月 |
沈没日 |
1944年10月23日戦没 |
沈没地 |
レイテ沖海 |
摩
耶 |
竣立地 |
横須賀海軍工廠 |
摩耶 戦歴 |
竣立日 |
1932年 6月30日 |
昭和16年マレー作戦、フィリピン攻略に参戦、蘭印作戦
昭和17年5月アリューシャン列島侵攻作戦、ガダルカナル島の戦い
南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦で中破し38名戦死、47名が負傷
昭和18年3月アッツ島沖海戦に参加。
11月ブーゲンビル島上陸作戦参戦
昭和19年6月、マリアナ沖海戦、 10月レイテ沖海戦に参加で
左舷に魚雷4本が命中、沈没 艦長以下336名が戦死
|
改造 |
- |
艦長 |
13.加藤与四郎 大佐:1943年10月 |
14.大江覧治 大佐:1943年12月戦死 |
沈没日 |
1944年 10月23日沈没 |
沈没地 |
レイテ沖海 |
鳥
海 |
竣立地 |
三菱造船長崎造船所 |
鳥海 戦歴 |
竣立日 |
1932年6月30日 |
昭和16年開戦後、マレー半島侵攻と英海軍のZ部隊追跡に参加
昭和17年7月、鳥海は第八艦隊(司令長官三川軍一中将)旗艦で
ラバウルに進出。第一次ソロモン海戦、第三次ソロモン海戦では中破
昭和18年))2月20日横須賀に帰還
昭和19年マリアナ沖海戦に参加。10月にはレイテ沖海戦に参加
艦載機による攻撃で大破で駆逐艦藤波の魚雷で処分され
乗組員は藤波に移乗するも同艦はその後の空襲で撃沈されており、
鳥海・藤波ともに1人の生存者もいなかった。
|
改造 |
- |
艦長 |
13.有賀幸作 大佐:1943年3月 |
14.田中穣 大佐:1944年6月 戦死 |
沈没日 |
1944年10月25日 |
沈没地 |
レイテ沖海 |

要目 |
最上 三隈 鈴谷 熊野 |
|
 |
 |
標準排水量 |
12,200トン |
|
全長 |
200.6 m |
|
全幅 |
20.6m |
|
機関出力 |
154,226馬力 |
|
速度 |
35.96 ノット |
|
航続力 |
8,000海里 |
|
乗員数 |
894名 |
|
装甲 |
- |
|
 |

熊野 |
兵装 |
20.3センチ連装砲塔5基10門 |
|
12.7センチ連装高角砲4基8門 |
|
61センチ3連装魚雷発射管4基12門 |
|
25mm連装機銃4基 |
|
13mm連装機銃2基 |
|
搭載機 |
11機(最上のみ水上巡洋艦となる) |
|
最
上 |
竣立地 |
呉海軍工廠 |
最上 戦歴 |
竣立日 |
1935年7月28日 |
開戦時は第二艦隊第七戦隊に属し、南方作戦に参加
昭和17年)ミッドウェー海戦「最上」は「三隈」に衝突、航空巡洋艦への改装
昭和19年)中頃までは零式水偵4機、零式水観3機の計7機、
それ以降は計5機、11機を搭載
1944年10月25日のスリガオ海峡海戦、米艦隊と交戦、操舵不能と
退避中重巡「那智」と衝突、バナオン島ビニト岬で駆逐艦「曙」により
雷撃処分。
|
改造 |
- |
艦長 |
10.相徳一郎 大佐:1943年4月 |
11.藤間良大佐:1944年4月戦死 |
沈没日 |
1944年10月25日沈没 |
沈没地 |
バナオン島ビニト岬 |
三
隈 |
竣立地 |
三菱造船長崎造船所 |
三隅 戦歴 |
竣立日 |
1935年8月29日 |
姉妹艦3隻と第七戦隊(旗艦:熊野)、を編成し南方作戦に投入された。
昭和17年バタビア沖海戦、セイロン沖海戦では4隻そろって参戦
ミッドウェー海戦で、近藤信竹中将指揮する第二艦隊、
第七戦隊三番艦として参加「最上」は「三隈」の左舷中央部に衝突する。
その後米軍と交戦するが知らずに沈没、
|
改造 |
- |
艦長 |
8.木村進 大佐:1939年11月15日 |
9.崎山釈夫 大佐:1940年11月 |
沈没日 |
1942年6月5日 |
沈没地 |
ミッドウェー海 |
鈴
谷 |
竣立地 |
川崎重工業神戸造船所 |
鈴谷 戦歴 |
竣立日 |
1937年10月31日 |
太平洋戦争勃発後は、マレー上陸作戦、バタビア沖海戦、
第二次ソロモン海戦、マリアナ沖海戦等に参加
1944年 には第七戦隊に所属してレイテ沖海戦に参加24日には
シブヤン海海戦に参加。10月25日のサマール沖海戦で大破し沈没した。
戦死90名、行方不明564名、戦傷69名。412名が「沖波」に救助された
|
改造 |
- |
艦長 |
7.高橋雄次 大佐:1943年9月 |
8.寺岡正雄 大佐:1944年8月29日 |
沈没日 |
1944年10月25日戦没 |
沈没地 |
サーマル沖海 |
熊
野 |
竣立地 |
川崎重工業神戸造船所 |
開戦後はマレー上陸作戦、1942年3月1日にはバタビア沖海戦、
6月5日から7日にかけてミッドウェー海戦に参加する。姉妹艦「最上」と
「三隈」が衝突し、「三隈」が沈没、「最上」が大破する。
ガダルカナル島の戦い、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦
1944年6月19日のマリアナ沖海戦に参加、
10月25日のサマール島沖海戦で米駆逐艦ジョンストンの雷撃を
け損傷。11月25日、日本本土への回航中に米艦載機の攻撃により沈没、
人見艦長を始め約400名の乗員が戦死
|
竣立日 |
1937年10月31日 |
改造 |
- |
艦長 |
6.藤田俊造 大佐:1943年2月 |
|
7.人見錚一郎 大佐:1944年3月 戦死 |
沈没日 |
1944年11月25日戦没 |
沈没地 |
サンタクルーズ沖 |

要目 |
利根 筑摩 |
|
 |
標準排水量 |
11,213トン |
全長 |
201.6m |
全幅 |
19.4m |
機関出力 |
152,189馬力 |
速度 |
35.55ノット |
航続力 |
9,240海里 |
乗員数 |
874名 |
|
装甲 |
舷側:145mm 甲板:35mm |
兵装 |
20.3cm連装砲4基8門 |
40口径12.7cm連装高角砲4基8門 |
25mm三連装機銃14基42挺 |
25mm連装機銃2基4挺 |
61cm3連装魚雷発射管4基12門 |
利
根 |
竣立地 |
川崎重工業神戸造船所 |
利根 戦歴 |
竣立日 |
1938年11月20日 |
1941年12月21日ウェーク島第二次攻略作戦成功する
1942年2月ポート・ダーウィン空襲を支援、3月26日、セイロン島攻撃
6月、「利根」はミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦や
南太平洋海戦に参戦
1944年6月マリアナ沖海戦に参加、翌日サマール沖海戦に参加
レイテ沖海戦後、舞鶴に帰還
1945年3月練習艦、呉にて空襲を受けて損傷し着底
|
改造 |
- |
艦長 |
6.黛治夫 大佐:1943年12月 |
7.岡田有作 大佐:1945年1月 |
沈没日 |
1945年7月28日艦載機の攻撃 大破 |
沈没地 |
呉港にて空襲で着底 |
筑
摩 |
竣立地 |
三菱重工業長崎造船所 |
筑摩 戦歴 |
竣立日 |
1939年5月20日 |
1940年3月〜中国南部3回出撃
1941年:真珠湾攻撃、ウェーク島攻略戦、セイロン沖海戦、ミッドウェー海戦
1942年:第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参戦
1944年:第七戦隊所属、マリアナ沖海戦、栗田艦隊にてレイテ沖海戦に参戦
10月25日、サマール島沖海戦に於いて魚雷にて沈没
生存者は120名余
|
改造 |
- |
艦長 |
7.重永主計 大佐:1943年1月 |
8.則満宰次 大佐:1944年1月7日 |
沈没日 |
1944年10月25日戦没 |
沈没地 |
サマール島 |

軽巡洋艦 |
大淀型
|
大淀 |
 |
要目 |
大淀 |
|
大
淀 |
竣立地 |
呉海軍工廠 |
竣立日 |
1943年2月28日 |
改造 |
- |
艦長 |
4.牟田口格郎 大佐:1944年8月 |
6.田口正一 大佐:1945年5月 |
沈没日 |
1945年3月19日に転覆着底 |
沈没地 |
呉にて空襲 |
|
標準排水量 |
8,146トン |
全長 |
192.0m |
全幅 |
16.6m |
機関出力 |
110,430shp |
速度 |
35.5ノット |
航続力 |
8,700海里 |
昭和18年南海第四守備隊をラバウルへ輸送
昭和19年5月3日に豊田副武連合艦隊司令長官を迎えて将旗をあげた
1944年レイテ沖海戦、礼号作戦、北号作戦に参戦、第三艦隊
第一機動部隊に編入されレイテ沖海戦
昭和20年)2月10日北号作戦に参戦、3月1日に「大淀」は練習艦
3月19日、呉を米軍機動部隊艦載機よる襲撃で転覆
24日と28日の戦闘による戦死者は223名、負傷者は180名だった
|
乗員数 |
730名 |
装甲 |
甲板:25〜50mm |
兵装 |
三年式 15.5cm(60口径)三連装砲2基 |
九八 10cm(65口径)連装高角砲4基 |
装機銃6基/18基(最終時 |
九六年式 25mm(60口径)三連 |
搭載機 |
水上偵察機6機 |

要目 |
天龍 龍田 |
|
|
標準排水量 |
3,230トン |
|
 |
全長 |
142.65 m |
|
全幅 |
12.34 m |
|
機関出力 |
51,000 SHP |
|
速度 |
33 ノット |
|
航続力 |
5,000 海里 |
|
乗員数 |
327名 |
|
 |
装甲 |
水平:16-25mm 舷側:63mm |
|
兵装 |
50口径14cm単装砲4門 |
|
40口径8cm高角砲1門 |
|
53cm3連装魚雷発射管2基 |
|
搭載機 |
- |
|
天
龍 |
竣立地 |
横須賀海軍工廠 |
天龍 戦歴 |
竣立日 |
1919年11月20日 |
主に夜戦に際して駆逐艦を率いて敵主力艦に雷撃を行う水雷戦隊の
旗艦としての役割を期待された。
太平洋戦争ではウェーキ島攻略戦、第一次ソロモン海戦等に参加した。
1942年12月18日、マダン上陸作戦の支援中に米潜水艦アルバコア の
雷撃を受け沈没した。
|
改造 |
- |
艦長 |
26.浅野新平 大佐:1942年6月5日 |
|
27.上田光治 大佐:1942年12月5日 |
沈没日 |
1942年12月18日戦没 |
沈没地 |
マダン |
龍
田 |
竣立地 |
佐世保工廠 |
龍田 戦歴 |
竣立日 |
1919年3月31日 |
1941年12月8日太平洋戦争開始により、ウェーク島攻略のため
援護部隊としてクェゼリン環礁を出撃した。
1942年3月8日 ニューギニア島ラエ、サラモア攻略作戦などを支援した
1944年3月12日、サイパン島への輸送作戦である東松2号船団の
護衛部隊旗艦として横須賀を出港、翌13日八丈島沖で
米潜水艦「サンドランス」 の雷撃を受け沈没した
|
改造 |
- |
戦中艦長 |
30.小川莚喜 大佐:1943年4月 |
|
31.島居威美 大佐:1943年12月 |
沈没日 |
1944年3月13日戦没 |
沈没地 |
八丈島沖 |

要目 |
球磨 多摩 北上 大井 木曽 |
|

球磨 |

北上 |
標準排水量 |
5,100トン |
|
全長 |
162.10m |
|
全幅 |
14.17m |
|
速度 |
36.0ノット |
|
航続力 |
5,000海里 |
|
乗員数 |
447名 |
|

多摩 |

大井 |
装甲 |
- |
|
主兵装 |
14cm砲 7門、8cm高角砲 2門 |
|
53cm連装魚雷発射管 4基8門 |
|
搭載機 |
水上偵察機 1機(改造後) |
|
球
磨 |
竣立地 |
佐世保海軍工廠 |
球磨 戦歴 |
竣立日 |
1918年8月29日 |
1944年1月11日マラッカ海峡付近英ツタンカーメン潜水艦の
魚雷2本を受け沈没
|
艦長 |
25.杉野修一 大佐:1943年8月 |
沈没日 |
1944年1月11日戦没 |
沈没地 |
マラッカ海峡 |
多
摩 |
竣立地 |
三菱造船長崎造船所 |
多摩 戦歴 |
竣立日 |
1921年1月29日 |
1941年第五艦隊に編入される。
1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で空襲により大破
その後アメリカ海軍の潜水艦「ジャラオ」 の雷撃により撃沈される |
艦長 |
33.山本岩多 大佐:1943年12月戦死 |
沈没日 |
1944年10月25日戦没 |
沈没地 |
エンガノ岬沖 |
北
上 |
竣立地 |
佐世保工廠 |
北上 戦歴 |
竣立日 |
1921年4月15日 |
1941年に重雷装艦へと改装されている。
1945年には、本土決戦を前提とし、海上挺進部隊に編入
特攻兵器・回天の搭載母艦に改装された
1945年7月24日、呉に於いて空襲を受け大破 |
艦長 |
31.金岡国三 大佐:1944年12月 |
沈没日 |
終戦時残存 |
沈没地 |
1946年長崎で解体 |
大
井 |
竣立地 |
川崎造船所 |
大井 戦歴 |
竣立日 |
1921年10月3日 |
高速輸送艦へ改装され、輸送任務に従事した。
1944年7月19日、マニラ沖において米潜水艦雷撃により沈没した。 |
改造 |
6,900トン152.4m |
艦長 |
27.柴勝男 大佐:1944年2月 |
沈没日 |
1944年7月19日に戦没 |
沈没地 |
マニラ沖 |
木
曽 |
竣立地 |
三菱造船長崎造船所 |
木曽 戦歴 |
竣立日 |
1921年5月4日 |
1942年5月、アリューシャン列島攻略作戦に参加
1943年7月、キスカ撤退作戦に参加
1944年11月13日、マニラ湾に停泊中に米軍機の攻撃を受け沈没。 |
艦長 |
30.今村了之介 大佐:1944年2月 |
沈没日 |
1944年11月13日に戦没 |
沈没地 |
マニラ沖 |

軽巡洋艦 |
長良型
|
長良 |
五十鈴 |
名取 |
由良 |
鬼怒 |
阿武隈 |
要目 |
長良、 五十鈴、 名取、 |
|
名取 五十鈴
 由良
  |
由良、 鬼怒、 阿武隈 |
|
標準排水量 |
5,170トン |
|
全長 |
162.15m |
|
全幅 |
14.17m |
|
速度 |
36.0ノット |
|
航続力 |
5,000海里 |
|
乗員数 |
440名 |
|
装甲 |
- |
|
主兵装 |
50口径三年式14cm単装砲 7基7門 |
|
40口径三年式8cm単装高角砲 2基2門 |
|
連装魚雷発射管 4基8門(魚雷16本 |
|
長
良 |
竣立地 |
佐世保工廠 |
長良 戦歴 |
竣立日 |
1922年4月21日6,050トン |
第三次ソロモン海戦、戦艦「比叡」「霧島」を護衛し、参戦
昭和19年8月7日、天草諸島、米潜水艦 の雷撃により沈没 |
艦長 |
31.中原義一郎 大佐:1944年5月戦死 |
沈没日 |
1944年8月7日戦没 |
沈没地 |
天草諸島の西 |
五
十
鈴 |
竣立地 |
浦賀船渠 |
五十鈴 戦歴 |
竣立日 |
1923年8月15日 |
1942年南太平洋海戦と第三次ソロモン海戦に参加
1944年第三艦隊の一員としてレイテ沖海戦に投入
1945年4月7日スンバワ島のビマ米潜水艦 の雷撃により沈没 |
艦長 |
30.松田源吾 大佐:1944年6月 |
沈没日 |
1945年4月7日戦没 |
沈没地 |
スンバワ島のビマ |
名
取 |
竣立地 |
三菱造船長崎造船所 |
名取 戦歴 |
竣立日 |
1922年9月15日 |
1942年3月第2南遣艦隊第16戦隊(司令官 原顕三郎少将)の旗艦
「長良」「鬼怒」「五十鈴」とともに、1943年1月まで東インド方面の警戒任務
1943年1月9日、アンボン港外で敵潜の雷撃を受け、戦死7名
1944年6月のマリアナ沖海戦で機動部隊の補給隊を護衛した
8月18日、サマール島東方水域で、米潜水艦により沈没 |
艦長 |
31.久保田智 大佐:1944年3月戦死 |
沈没日 |
1944年8月18日戦没 |
沈没地 |
サマール島東方 |
鬼
怒 |
竣立地 |
川崎造船所 |
鬼怒 戦歴 |
竣立日 |
1922年11月10日 |
1941年4月、連合艦隊附属第4潜水戦隊(司令官吉富説三少将)の旗艦
12月のマレー作戦に参加
1942年第2南遣艦隊第16戦隊旗艦となり、ニューギニア西部の作戦
1943年4月、南西方面艦隊に編入
1944年10月26日パナイ島とマスバテ島の間米軍攻撃で沈没 |
艦長 |
25.川崎晴実 大佐(1944年2月 |
沈没日 |
1944年10月26日戦没 |
沈没地 |
パナイ島とマスバテ島の間 |
阿
武
隈 |
竣立地 |
浦賀船渠 |
1941年11月、第1水雷戦隊は空母機動部隊警戒隊として
ハワイ攻撃作戦に参加、1942年1月、ビスマルク諸島攻略作戦、
ジャワ攻略作戦、インド洋作戦に参戦5月に第1水雷戦隊は
北方部隊(第5艦隊)に編入、アッツ島攻略部隊旗艦として参戦。
1943年3月、アッツ島沖海戦に参加、7月にはキスカ島撤退作戦に
参加し、1,202名を収容し帰投
1944年10月スリガオ海峡海戦で攻撃を受けたネグロス島沖に沈んだ。 |
竣立日 |
1925年5月26日 |
艦長 |
20.花田卓夫 大佐:1944年3月 |
沈没日 |
1944年10月26日戦没 |
沈没地 |
ネグロス島沖 |

要目 |
川内 神通 那珂 |
 |
標準排水量 |
5,195t |
全長 |
162.15m |
全幅 |
14.17m |
速度 |
35.25kt |
航続力 |
5,000浬 |
乗員数 |
440名 |
 |
装甲 |
- |
主兵装 |
50口径14cm単装砲7門 |
61cm連装魚雷発射管4基8門 |
40口径8cm単装高角砲2門 |
九三式機雷56個 |
川
内 |
竣立地 |
三菱造船長崎造船所 |
川内 戦歴 |
竣立日 |
1924年4月29日 |
太平洋戦争の開戦時は第3水雷戦隊の旗艦を務めていた。
エンドウ沖海戦やミッドウェー攻略作戦、第三次ソロモン海戦に参戦
1943年11月2日ブーゲンビル島沖海戦で米艦隊と交戦、沈没
|
艦長 |
24.荘司喜一郎 大佐:1943年5月戦死 |
沈没日 |
1943年11月2日戦没 |
沈没地 |
ブーゲンビル島沖 |
神
通 |
竣立地 |
神戸川崎造船所 |
神通 戦歴 |
竣立日 |
1925年7月31日 |
開戦時第二水雷戦隊司令・田中頼三少将メナド攻略部隊の旗艦
蘭印方面に行動したその後、スラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦、
第二次ソロモン海戦で中破
昭和18年7月13日、コロンバンガラ島沖海戦において被弾沈没
艦長佐藤寅治郎大佐、第2水雷戦隊司令官伊崎俊二少将
以下む482名戦死 |
艦長 |
21.佐藤寅治郎 大佐:1943年2月戦死 |
沈没日 |
1943年7月13日戦没 |
沈没地 |
コロンバンガラ島沖 |
那
珂 |
竣立地 |
横浜船渠 |
那珂 戦歴 |
竣立日 |
1925年11月30日 |
1941年11月26日、那珂は第4水雷戦隊(西村祥治少将)旗艦となった
高橋伊望中将率いる第3艦隊のフィリピン侵攻に参加
1944年2月17日、米潜水艦の雷撃でトラック島を出港した直後、
島西方で 艦載機部隊による攻撃で沈没
|
艦長 |
25.末沢慶政 大佐:1944年1月 |
沈没日 |
1944年2月17日に戦没 |
沈没地 |
トラック島西方 |

要目 |
夕張 |
|
|
標準排水量 |
2,890トン |
|
 |
全長 |
139.99m |
|
全幅 |
12.04m |
|
速度 |
35.5ノット |
|
航続力 |
3,310海里 |
|
乗員数 |
328名 |
|
装甲 |
- |
|
 |
主兵装 |
50口径14cm連装砲2基4門 |
|
45口径12cm単装高角砲1門 |
|
61cm連装発射管2基 |
|
25mm3連装機銃3基 同連装4基 |
|
夕
張 |
竣立地 |
佐世保工廠 |
開戦時は第4艦隊第6水雷戦隊に所属しウェーク島攻略作戦、
ラバウル攻略作戦、1942年7月10日に第4艦隊第2護衛隊に編入され、
第一次ソロモン海戦に参加
1943年4月1日に第8艦隊第3水雷戦隊に編入
1944年3月2日内南洋諸島への緊急輸送、4月26日パラオを出港し
27日ソンソル島に到着後、陸揚してパラオに向け出港後出港。
ルソンソル島南端潜水艦「ブルーギル」の魚雷攻撃を受け
艦首より沈没。戦死19名
|
竣立日 |
1923年7月31日 |
艦長 |
23.奈良孝雄 大佐:1944年2月 |
沈没日 |
1944年4月27日 |
沈没地 |
ルソンソル島南端 |

軽巡洋艦 |
阿賀野型
|
阿賀野 |
能代 |
矢矧(やはぎ) |
酒匂 |
要目 |
阿賀野 能代 矢矧 酒匂 |
|
  |
標準排水量 |
6,652トン |
|
全長 |
174.50m |
|
全幅 |
15.20m |
|
速度 |
35.0ノット |
|
航続力 |
6,000海里 |
|
乗員数 |
730名 |
|
|
装甲 |
甲板:20mm 舷側:21〜57mm |
|
主兵装 |
四十一式 15.2cm(50口径)連装砲3基 |
|
九八式 7.6cm(60口径)連装高角砲2基 |
|
61cm四連装魚雷発射管2基、魚雷16本 |
|
搭載機 |
水上偵察機2機 |
|
阿
賀
野 |
竣立地 |
佐世保工廠 |
阿賀野 戦歴 |
竣立日 |
1942年10月31日 |
1942年12月2日 第10戦隊の旗艦となる トラック島
1943年ブーゲンビル島沖海戦に参加
1944年2月16日 トラック島北方沖にて米潜水艦スケート魚雷2本を
受け炎上後、沈没
|
艦長 |
3.松田尊睦 大佐:1943年11月 戦死 |
沈没日 |
1944年2月17日に戦没 |
沈没地 |
トラック島北方沖 |
能
代 |
竣立地 |
横須賀工廠 |
能代 戦歴 |
竣立日 |
1943年6月30日 |
1943年8月15日 第2水雷戦隊の旗艦となる
1944年マリアナ沖海戦に参加、サマール島沖海戦、「能代」を含めた
栗田艦隊は、帰投途中にミンドロ島の南で米軍空襲受ける。
二番主砲塔右舷附近に魚雷1本が命中する。「能代」は艦首から沈没
戦死行方不明者は87名、負傷者51名
|
艦長 |
2.梶原季義 大佐:1943年12月 |
沈没日 |
1944年10月26日 |
沈没地 |
ミンドロ島の南 |
矢
矧 |
竣立地 |
佐世保工廠 |
昭和18年木村進海軍少将が第十水雷戦隊旗艦となった
昭和19年小沢治三郎中将指揮の第一機動艦隊に所属し、マリアナ沖海戦
1944年10月、「矢矧」は栗田艦隊(第一遊撃部隊)に属してレイテ沖海戦
11月15日、第二水雷戦隊に編入され、古村啓蔵少将の旗艦
昭和20年天一号作戦に参加すべく、徳山沖に停泊中の戦艦「大和」に合流
魚雷6-7本、爆弾10-12発を被弾し沈没 446名戦死
|
竣立日 |
1943年12月29日 |
艦長 |
2.原為一 大佐:1944年12月 |
沈没日 |
1945年4月7日に戦没 |
沈没地 |
坊ノ津沖 東シナ海 |
酒
匂 |
竣立地 |
佐世保工廠 |
酒匂 戦歴 |
竣立日 |
1944年11月30日 |
1945年3月には僚艦の矢矧とともに天一号作戦に参加する予定が中止
燃料不足で作戦参戦せず終戦時は舞鶴にて無傷で残存
1945年12月特別輸送艦に指定され釜山やニューギニアなどで復員輸送に従事
核実験(クロスロード作戦)の標的艦として戦艦「長門」などとともに
1946年7月1日 ビキニ環礁にて沈没
|
艦長 |
1.大原利通 大佐(1944年11月 |
沈没日 |
1946年7月2日沈没 |
沈没地 |
ビキニ環礁にて核実験 |

|