駆遂艦は太平洋戦争下でもっとも活躍した艦艇と言ってもいい。本来の任務は、その名が示すように味方の
主力艦を敵の魚雷攻撃から守るため水雷艇や潜水艦を駆遂、撃沈することにある。同時に自らも敵艦隊に
魚雷攻撃を行い、主力を直衛する
時とともに各国の駆遂艦は次第に大型化され、兵装も増大して一部巡洋艦の任務も負うようになる。ことに、
太平洋戦争に突入してからの駆遂艦の任務は多岐にわたり、輸送船の護衛、通商線の保護と破壊、あるいは
砲艦の代用として陸地砲撃と、まことに便利な艦艇であった。戦艦や空母等の救出、輸送船の替りの役目等、
駆遂艦は一等駆遂艦(1000トン以上)と二等駆遂艦(1000トン未満)の二種類の大別されていたが
特型駆遂艦「吹雪」などが登場した。太平洋戦争当時の保有量198隻で、沈没が129隻、終戦時に
存在したのが49隻であった。

睦月型は峯風型や神風型の流れを汲む後継艦で、峯風型のグループの最後の艦型
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
1,315トン |
102.72m |
9.16m |
37.25ノット |
4,000海里 |
154名 |
45口径12cm単装砲 4基4門 |
   |
61cm3連装魚雷発射管 2基6門 |
留式7.7mm機銃 I×2 |
八年式魚雷12本 |
睦月(むつき) |
17.畑野健二 少佐:1941年9月 |
大正15年3月25日、佐世保海軍工廠で竣工。当初の艦名は「第十九号駆逐艦」。昭和17年8月25日、
ガダルカナル島作戦中、サンタイサベル島沖で米陸軍機の爆撃を受け沈没。 |
如月(きさらぎ) |
15.小川陽一郎 少佐:1941年10月 戦死 |
大正14年12月21日、舞鶴要港部工作部で竣工。当初の艦名は「第二十一号駆逐艦」。
昭和16年12月11日、ウェーク島攻略作戦中、同島南西岸でF4F戦闘機の攻撃を受け魚雷が誘爆し爆沈。
|
弥生(やよい) |
19.梶本顗 少佐:1942年7月 |
大正15年8月28日、浦賀船渠で竣工。当初の艦名は「第二十三号駆逐艦」。
昭和17年9月11日、ラビ輸送作戦の帰途、ニューギニア・ノルマンビ島東方で米陸軍、英軍爆撃機の爆撃を受け沈没。 |
卯月(うづき) |
16.渡辺芳郎 大尉:1943年5月 |
1926年9月14日、東京石川島造船所で竣工。当初の艦名は「第二十五号駆逐艦」。
昭和19年12月12日、オルモック輸送作戦中、米魚雷艇PT-490ほかと交戦し、被雷沈没。 |
皐月(さつき) |
16.杉山忠嘉 少佐:1944年1月 |
1925年11月15日、藤永田造船所で竣工。当初の艦名は「第二十七号駆逐艦」。
1944年9月21日、船団護衛任務中、マニラ湾外マシンロックで米空母機の爆撃を受け沈没。 |
水無月(みなづき) |
13.磯部慶二 大尉:1943年10月 戦死 |
昭和2年3月22日、浦賀船渠で竣工。当初の艦名は「第二十八号駆逐艦」。
1944年6月6日、あ号作戦中、タウイタウイ島南方で米潜水艦「ハーダー」の雷撃を受け沈没。 |
文月(ふみづき) |
17.長倉義春 少佐:1943年11月 |
1926年7月3日、藤永田造船所で竣工。当初の艦名は「第二十九号駆逐艦」。
1944年2月17日、トラック島北東水道で、米空母機の爆撃を受け大破、翌日に沈没。 |
長月(ながつき) |
16.古川為夫 少佐:1943年6月 |
1927年4月30日、東京石川島造船所で竣工。当初の艦名は「第三十号駆逐艦」。
昭和18年7月5日、クラ湾夜戦で座礁。翌日米軍機の爆撃を受け大破、放棄。 |
菊月(きくづき) |
16.森幸吉 少佐:1941年9月 |
1926年11月20日、舞鶴要港部工作部で竣工。当初の艦名は「第三十一号駆逐艦」。
1942年5月4日、ツラギ攻略作戦中米空母機の爆撃を受けツラギ港カブツ東岸に擱座。翌日再度爆撃を受け沈没。 |
三日月(みかづき) |
20.山崎仁太郎 少佐:1942年8月 |
1927年5月7日、佐世保海軍工廠で竣工。当初の艦名は「第三十二号駆逐艦」。
1943年7月27日、ツルブ輸送作戦中、グロースター岬沖で座礁。翌日米陸軍機の爆撃を受け沈没。 |
望月(もちづき) |
15.岩渕悟郎 大尉:1943年10月 |
1927年10月31日、浦賀船渠で竣工。当初の艦名は「第三十三号駆逐艦」。
1943年10月24日、ジャノキット輸送作戦中、同湾内で米海兵隊機の爆撃を受け沈没。 |
夕月(ゆうづき) |
14.松本正平 少佐:1943年10月 |
1927年7月25日、藤永田造船所で竣工。当初の艦名は「第三十四号駆逐艦」。
1944年12月12日、オルモック輸送の帰途、セブ北北東沖で米海兵隊機の爆撃を受け沈没。 |

八八艦隊計画の一環として計画された「野風型(改峯風型)駆逐艦」の改良型
後期建造となる追風、疾風、朝凪、夕凪
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
1,270トン |
102.57 m |
9.16 m |
37.25ノット |
3,600カイリ |
154名 |
45口径12cm単装砲4門 |
  |
一〇年式53cm連装魚雷発射管3基 |
留式7.7mm機銃2挺 |
魚雷後期艦10本 |
神風(かみかぜ) |
23.春日均 少佐:1943年10月 |
1922年12月28日、三菱造船長崎造船所で竣工当初の艦名は「第一駆逐艦」。
1924年4月「第一号駆逐艦」に改称。大戦中は主に船団護衛に従事無事に終戦を迎える。戦後復員輸送に従事。 |
朝風(あさかぜ) |
16.山口治 大尉:1944年3月 |
1923年6月16日、三菱造船長崎造船所で竣工。当初の艦名は「第三駆逐艦」。
1924年4月「第三号駆逐艦」に改称。大戦中は主に南方攻略作戦と船団護衛に従事。
1944年8月24日、米潜水艦の雷撃によりリンガエン湾西方沖にて戦没。 |
春風(はるかぜ) |
19.福山強 少佐:1943年11月 |
1923年5月31日、舞鶴要港部工作部で竣工。当初の艦名は「第五駆逐艦」。
1924年4月「第五号駆逐艦」に改称。大戦中は主に船団護衛に従事。
1944年10月24日ルソン海峡でアメリカ潜水艦を爆雷34発で撃沈した。終戦時は艦尾を失った状態で残存。
船体の一部は京都府竹野港の防波堤に転用された |
松風(まつかぜ) |
角野鉄男 大尉:1944年1月戦死 本艦座乗の門前鼎少将が戦死 |
1924年4月5日、舞鶴要港部工作部で竣工。当初の艦名は「第七号駆逐艦」。大戦中は主に船団護衛に従事。
1944年6月9日、米潜水艦「ソードフィッシュ」の雷撃により父島東北方沖にて戦没。
|
旗風(はたかぜ) |
高柳親光 大尉:1944年3月 |
1924年8月30日、舞鶴要港部工作部で竣工。当初の艦名は「第九号駆逐艦」。大戦中は主に船団護衛に従事。
1945年1月15日、米海軍機の攻撃により台湾高雄にて戦没。 |
追風(おいて) |
14.魚野泰弘 大尉:1943年10月 |
1925年10月30日、浦賀船渠で竣工。当初の艦名は「第十一号駆逐艦」。大戦中は主に船団護衛に従事。
1944年2月18日、米海軍機の攻撃によりカロリン諸島トラック島沖にて戦没。 |
疾風(はやて) |
13.高塚実 少佐:1941年7月 |
1925年12月21日、東京石川島造船所で竣工。当初の艦名は「第十三号駆逐艦」。
昭和16年)12月11日、ウェーク島攻略作戦に参加し同島の米海兵隊沿岸砲の砲撃によりウィルクス島沖にて戦没。
太平洋戦争における日本艦艇の戦没第一号。 |
朝凪(あさなぎ) |
12.尾辻秀一 少佐:1942年10月 |
1924年12月29日、藤永田造船所で竣工。当初の艦名は「第十五号駆逐艦」。大戦中は主に船団護衛に従事。
1944年5月22日、米潜水艦「ポラック」の雷撃により父島北西方沖にて戦没。 |
夕凪(ゆうなぎ) |
16.岩淵悟郎 少佐:1943年11月 |
1925年4月24日、佐世保海軍工廠で竣工。当初の艦名は「第十七号駆逐艦」。大戦中は主に船団護衛に従事。
1944年8月25日、米潜水艦「ピクーダ」の雷撃によりルソン島北西岸にて戦没。 |

I型(吹雪型)、改I型(浦波)、II型(綾波型)、III型(暁型)と分類される
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
1,680t |
118.5m |
10.36m |
38.0kt |
5,000浬 |
219名 |
50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
 |
7.7mm単装機銃2挺 |
61cm3連装魚雷発射管 3基 |
特I型(吹雪型) 10隻
1.吹雪(II) - ふぶき |
14.山下鎮雄 少佐:1940年10月 戦死 |
竣工1928年8月10日(舞鶴工作部)
戦没1942年10月11日 サボ島沖海戦で米水上部隊と交戦しガダルカナル島水域にて沈没、
山下艦長以下220名が戦死、生存者は僅か8名であった |
2.白雪(II) - しらゆき |
平山敏夫 少佐:1942年11月 |
竣工1928年12月18日(横浜船渠) 戦没1943年3月3日、八一号作戦でクレチン岬付近にて沈没 |
3.初雪(II) - はつゆき |
杉原与四郎 少佐:1943年5月 |
竣工1929年3月30日(舞鶴工作部) 戦没1943年7月17日ブインにて沈没。 |
4.深雪 - みゆき |
4.大藤正直 中佐:1932年12月 |
竣工1929年6月29日(浦賀船渠) 、衝突沈没1934年6月29日 済州島南方沖で演習中 |
5.叢雲(II) - むらくも |
東日出夫 少佐:1941年4月 |
竣工1929年5月10日(藤永田造船所) 戦没1942年6月29日 ニュージョージア沖にて沈没 |
6.東雲(II) - しののめ |
笹川博中佐:1940年10月 戦死 |
竣工1928年7月25日(佐世保海軍工廠) 戦没1941年12月17日 ボルネオ島ミリ攻略作戦で敷設機雷に触れて沈没
艦長以下乗員228名全員が戦死 |
7.薄雲(II) - うすぐも |
若杉次一 少佐:1943年11月 戦死 |
竣工1928年7月26日(石川島造船所) 戦没1944年7月7日 択捉島北方水域にて沈没 |
8.白雲(II) - しらくも |
橋本正雄 少佐:1944年1月 戦死 |
竣工1928年7月28日(藤永田造船所) 戦没1944年3月16日 釧路厚岸愛冠岬沖で沈没 |
9.磯波(II) - いそなみ |
荒木政臣 少佐:1943年3月 |
竣工1928年6月30日(浦賀船渠) 戦没1943年4月9日セレベス島プートン水道にて沈没 |
10.浦波(II) - うらなみ |
佐古加栄 少佐:1944年4月 戦死 |
竣工1929年6月30日(佐世保海軍工廠) 戦没1944年10月26日 フィリピンのパナイ島にて沈没。 |
特II型(綾波型) 10隻
1.綾波(II) - あやなみ |
9.作間英邇 中佐:1941年9月 |
竣工1930年4月30日(藤永田造船所)
戦没1942年11月15日 第三次ソロモン海戦で大破、航行不能、翌15日ガダルカナル島水域にて沈没。 |
2.敷波(II) - しきなみ |
高橋達彦 少佐:1944年4月 戦死 |
竣工1929年12月24日(舞鶴工作部) 戦没1944年9月12日 東シナ海の海南島東方洋上で沈没 |
3.朝霧(II) - あさぎり |
前川二三郎 少佐:1942年7月 |
竣工1930年6月30日(佐世保海軍工廠) 戦没1942年8月28日 ガダルカナル島タイボ岬付近にて沈没 |
4.夕霧(II) - ゆうぎり |
尾辻秀一 少佐:1943年10月 戦死 |
竣工1930年12月3日(舞鶴工作部) 戦没1943年11月25日 ニューアイルランド島セントジョージ岬沖にて沈没。。 |
5.天霧 - あまぎり |
11.吉永源 少佐:1944年3月 |
竣工1930年11月10日(石川島造船所) 戦没1944年4月23日マカッサル海峡にて触雷により沈没。 |
6.狭霧 - さぎり |
11.杉岡幸七 中佐:1940年11月 |
竣工1931年1月31日(浦賀船渠) 戦没1941年12月24日 クチン北方水域にて沈没。戦死者は121名 |
7.朧(II) - おぼろ |
山名寛雄 少佐:1942年4月 |
竣工1931年10月31日(佐世保海軍工廠) 戦没1942年12月24日 キスカ島北東方水域にて沈没。 |
8.曙(II) - あけぼの |
余田四郎 少佐:1944年10月16日 |
竣工1931年7月31日(藤永田造船所) 戦没1944年11月13日 マニラ湾にて沈没。 |
9.漣(II) - さざなみ |
菅明次 少佐:1942年7月 |
竣工1932年5月19日(舞鶴工作部) 戦没1944年1月14日 中部太平洋のウォレアイ諸島水域にて沈没。 |
10.潮(II) - うしお |
荒木政臣 少佐:1943年7月 |
竣工1931年11月14日(浦賀船渠) 除籍1945年9月15日 解体1948年8月4日 |
特III型(暁型) 4隻
1.暁(II) - あかつき |
10.高須賀修 少佐:1942年4月 戦死 |
竣工1932年11月30日(佐世保海軍工廠) 戦没1942年11月13日 第三次ソロモン海戦でガダルカナル島水域にて沈没。 |
2.響(II) - ひびき |
14.薗田肇 少佐:1945年7月 |
竣工1933年3月31日(舞鶴工作部)
除籍1945年10月5日特別輸送艦(復員艦)として使用後、ソ連に賠償艦として1947年7月5日引き渡し |
3.雷(II) - いかずち |
11.生永邦雄 少佐:1943年10月 |
竣工1932年8月15日(浦賀船渠) 戦没1944年4月14日 カロリン諸島のウォレアイ諸島水域にて沈没。 |
4.電(II) - いなずま |
10.常盤貞蔵 少佐:1943年11月20日 |
竣工1932年11月15日(藤永田造船所) 戦没1944年5月14日 セレベス海西部にて沈没。 |
 |
 |
雷(いかずち |
電(いなづま) |

「汐風」、「波風」の2隻は1944年(昭和19年)から翌年にかけて回天搭載艦に改造された
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
1,215トン |
102.6m |
8.92m |
39ノット |
3,600カイリ |
154名 |
45口径12cm単装砲4門 |
波風 |
6.5mm単装機銃2挺 |
53.3cm連装魚雷発射管3基 魚雷8本 |
1号機雷16個 |
峯風(みねかぜ) |
今泉正次郎 大尉:1943年12月 戦死 |
大正9年5月29日、舞鶴海軍工廠で竣工。佐世保近海警備のほか主にトラック島方面への船団護衛に従事。
昭和19年2月10日、米潜水艦「ポーギー」の雷撃により台湾沖にて戦没。 |
澤風(さわかぜ) |
下田隆夫 少佐:1944年8月 |
1920年3月16日、三菱長崎造船所で竣工。
大戦中は主に船団護衛に従事。無事終戦を迎え、船体は福島県小名浜港で防波堤に転用された。 |
沖風(おきかぜ) |
井内儀三郎 少佐:1942年11月 戦死 |
1920年8月17日、舞鶴海軍工廠で竣工。大戦中は主に船団護衛に従事。
1943年(昭和18年)1月10日、米潜水艦「トリガー(Trigger)」の雷撃により勝浦燈台南方8海里にて戦没。 |
島風 [I] (しまかぜ) |
宮内新一 少佐:1937年12月 |
大正9年11月15日、舞鶴海軍工廠で竣工。
昭和15年4月1日、哨戒艇に改装され艦種変更、「第一号哨戒艇」と改名
1943年1月13日、米潜水艦「ガードフィッシュ(Guardfish)」の雷撃によりカビエン沖にて戦没。 |
灘風(なだかぜ) |
松原瀧三郎 少佐:1938年12月 |
大正10年9月30日、舞鶴海軍工廠で竣工。
1940年4月1日、哨戒艇に改装され艦種変更、「第二号哨戒艇」と改名
昭和20年)7月25日、英潜水艦「スタッボーン(Stubbon)」の雷撃によりジャワ海にて戦没。 |
矢風(やかぜ) |
25.自見仁一 少佐:1943年12月 |
1920年7月19日、三菱長崎造船所で竣工。
1942年(昭和17年)5月5日、標的艦に改装。
同年7月20日、特務艦に艦種変更され航空攻撃訓練に従事。
無事終戦を迎えるも横須賀係留中に浸水し着底。浮揚後に解体された。 |
羽風(はかぜ) |
鹿島正徳 少佐:1942年4月 |
1920年9月16日、三菱長崎造船所で竣工。南方攻略作戦に参加した後、主に船団護衛に従事。
1943年1月23日、米潜水艦「ガードフィッシュ」の雷撃によりカビエン沖にて戦没。 |
汐風(しおかぜ) |
河辺忠三郎 少佐:1945年7月 |
1921年7月29日、舞鶴海軍工廠で竣工。大戦中は主に空母機動部隊護衛や船団護衛に従事。
無事に終戦を迎え、船体は福島県小名浜港で堤防に転用された。 |
秋風(あきかぜ) |
山崎仁太郎 少佐:1943年8月 |
1921年4月1日、三菱長崎造船所で竣工。大戦中は主に船団護衛に従事。
1944年11月3日、米潜水艦「ピンタド」の雷撃により南シナ海にて戦没。 |
夕風(ゆうかぜ) |
田久保龍雄 少佐:1945年3月 |
1921年8月24日、三菱長崎造船所で竣工。大戦中は主力部隊警戒隊として待機のまま無事に終戦を迎える。
昭和22年)8月14日、戦時賠償艦としてイギリスに引き渡された。 |
太刀風(たちかぜ) |
横田保輝 少佐:1943年2月 戦死 |
1921年12月5日、舞鶴海軍工廠で竣工。第11航空艦隊付属として行動。
1944年2月17日、米空母艦載機の攻撃によりトラック島沖にて戦没。 |
帆風(ほかぜ) |
染谷英一 大尉:1944年3月 戦死 |
1921年12月22日、舞鶴海軍工廠で竣工。北方作戦に参加した後、主に船団護衛に従事。
1944年7月6日、米潜水艦「パドル(Paddle)」の雷撃によりセレベス海サンギ島西岸沖にて戦没。 |
野風(のかぜ) |
海老原太郎 少佐:1943年11月 |
1922年(大正11年)3月31日、舞鶴海軍工廠で竣工。
1943年7月、キスカ島撤退作戦などに参加昭和20年)2月16日、米潜水艦「パーゴ(Pargo)」の雷撃により東シナ海にて戦没。 |
波風(なみかぜ) |
石戸勇 少佐:1943年10月 |
1922年11月11日、舞鶴海軍工廠で竣工。1943年7月、キスカ島撤退作戦などに参加無事に終戦を迎え
1947年10月3日、戦時賠償艦として中華民国に引き渡された。 |
沼風(ぬまかぜ) |
山下喜義 少佐:1943年6月 戦死 |
1922年7月24日、舞鶴海軍工廠で竣工。キスカ島撤退作戦などに参加。
1943年12月18日、米潜水艦「グレイバック(Grayback)」の雷撃により沖縄南方沖にて戦没。 |
 |
 |
 |
 |
太刀風(たちかぜ) |
夕風 |
汐風 |
島風 |
 |
 |
 |
|
矢風(やかぜ) |
灘風(なだかぜ) |
澤風(さわかぜ) |
|

駆逐隊の変遷
峯風型は全15隻からなり、4隻からなる駆逐隊に1隻足りないので、性能がほぼ等しい神風型の神風を加えた16隻で
4個駆逐隊を編成した。
第二駆逐隊 |
横須賀鎮守府籍の峯風・澤風・矢風・沖風で編成した峯風型最初の駆逐隊。 |
|
第四駆逐隊 |
横須賀鎮守府籍の羽風・島風・秋風・灘風で編成した峯風型2個目の駆逐隊。 |
|
第三駆逐隊(四代) |
横須賀鎮守府籍の汐風・夕風・太刀風・帆風で編成した峯風型3個目の駆逐隊。 |
|
第一駆逐隊 |
横須賀鎮守府籍の野風・沼風・波風に加え、神風型の神風(第一駆逐艦)で編成した峯風型最後の駆逐隊 |
|
第三駆逐隊(五代) |
哨戒艇に改造した島風を除く汐風・夕風・帆風で再編成した。 |
|
第三四駆逐隊 |
昭和16年3月31日に解隊した旧四駆の駆逐艦が舞鶴鎮守府に転籍し、哨戒艇に改造した灘風を
除く羽風・太刀風・秋風が9月15日付で三四駆を再編成した。 |

軍縮条約の制約から離れた大型駆遂艦
朝潮型最大の特徴ともいえるのは、艦内の電気系統を交流としたことである。
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
約2,000t |
118.00m |
10.386m |
34.85kt |
4,000浬 |
230名 |
50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
 |
61cm4連装魚雷発射管 2 |
25mm機銃 Ⅱ×2 |
九〇式魚雷16本 |
九一式爆雷×36 |
朝潮 [II](あさしお) |
5.吉井五郎 少佐:1941年9月 戦死 |
1937年8月31日竣工(佐世保海軍工廠)
1943年3月3日クレチン岬南東沈没 ビスマルク海海戦沈没時に駆逐隊司令佐藤康夫大佐が艦と運命を共にした。
結局この戦闘で救助者も含め299名が戦死。 |
大潮(おおしお) |
6.広瀬弘 中佐:1942年12月 |
1937年10月31日竣工(舞鶴海軍工廠)。
昭和18年2月20日米潜「アルバコア」の雷撃を受け航行不能となり、翌21日、曳航されている中で船体が切断し沈没した |
満潮(みちしお |
11.田中和生 少佐:1944年6月 |
昭和12年)10月藤永田造船所、
昭和19年10月25日、レイテ沖海戦では西村艦隊に属してスリガオ海峡に突入、米魚雷艇の攻撃により沈没。230名が戦死 |
荒潮(あらしお |
4.久保木英雄 少佐:1941年9月久保木艦長以下72名が戦死 |
昭和12年)12月に竣工、神戸川崎造船所昭和18年3月3日、ビスマルク海海戦に参加、
クレチン岬南東沖で連合軍機の空襲を受けた。
8時10分ころ艦橋と2番砲に被弾し舵故障、「野島」と衝突し艦首を大破する
微速で漂流していたが、8時10分ころ艦橋と2番砲に被弾し舵故障、「野島」と衝突し艦首を大破する微速で漂流していたが
第2次攻撃を受けて傾斜30度となった。また「朝潮」はこの時撃沈された。 |
朝雲(あさぐも |
6.柴山一雄 中佐:1943年6月 |
昭和13年)3月神戸川崎造船所にて竣工
1943年10月25日、レイテ沖海戦では西村艦隊に属してスリガオ海峡に突入、米艦艇の攻撃により沈没。約200名が戦死し |
山雲(やまぐも) |
4.小野四郎 少佐:1942年5月 戦死 |
昭和13年)1月藤永田造船所にて竣工
昭和19年)6月、マリアナ沖海戦に参加。10月25日、レイテ沖海戦では西村艦隊に属してスリガオ海峡に突入、
米艦艇の攻撃により沈没。乗組員全員が戦死 |
夏雲(なつぐも) |
5.塚本守太郎 中佐:1940年1月 戦死 |
昭和13年)2月佐世保工廠にて竣工 、昭和17年)6月のミッドウェー海戦に参加した。
1942年10月12日サボ島沖海戦にて米軍機の空襲を受け航行不能となった駆逐艦「叢雲」の救援に向かったが、
サボ島沖で米軍機の至近弾を受け浸水により沈没、塚本艦長以下18名が戦死 |
峯雲(みねぐも) |
4.上杉義男 中佐:1943年2月 戦死 |
昭和13年)4月藤永田造船所にて竣工、昭和18年)3月5日、コロンバンガラ輸送作戦に「村雨」と共に従事中
ビラ・スタンモーア夜戦において米駆逐艦攻撃を受け、両艦とも撃沈された。上杉艦長以下210名が戦死 |
霞(かすみ) |
5.松本正平 少佐:1945年3月 |
昭和14年)6月浦賀船渠にて竣工、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加、昭和17年ミッドウェー海戦に攻略隊の護衛
昭和19年第1水雷戦隊(司令官木村昌福少将)の旗艦となりオルモックに突入。ミンドロ島攻撃
昭和20年戦艦「大和」とともに天一号作戦に参加し、米艦載機の空襲を受け大破し、「冬月」の砲雷撃により撃沈処分 |
霰(あられ) |
2.緒方友兄 少佐:1941年9月 |
昭和14年)4月舞鶴海軍工廠にて竣工。昭和16年ハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加昭和17年セイロン沖海戦、
6月のミッドウェー海戦に攻略隊の護衛として参加。キスカ島沖で濃霧のため仮泊中に、
米潜水艦「グロウラー」の雷撃を受け沈没、104名が戦死した。その際、僚艦「霞」「不知火」も雷撃により大破 |

酸素魚雷の登場で駆遂艦に新戦術
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
2,000t |
118.5m |
10.8m |
35.0kt |
5,000海里 |
239名 |
50口径三年式12.7cm連装砲 3基6門 |
  |
九六式25mm連装機銃 2基4門 |
九二式61cm四連装魚雷発射管 2基8門 |
九三式魚雷16本 |
九四式爆雷投射機 1基 |
陽炎(かげろう |
4.有本輝美智 中佐:1941年12月 1番艦 |
昭和14年)11月6日、舞鶴海軍工廠にて竣工。
開戦後は空母機動部隊の護衛としてラバウル攻略作戦、セイロン島機動作戦などに従事
昭和18年)5月8日、輸送作戦中にソロモン諸島クラ湾にて機雷に触雷し損傷、
航行不能となったところを米軍機の攻撃を受け戦没 |
不知火(しらぬい |
4.荒悌三郎 少佐:1943年11月戦死 荒艦長以下全員が戦死 2番艦 |
1939年12月20日、浦賀船渠にて竣工。開戦後は空母機動部隊直衛に従事し、マレー沖海戦、ラバウル攻略、
昭和19年)10月27日、レイテ沖海戦で、米空母艦載機の攻撃によりフィリピン諸島シブヤン海にて戦没 |
黒潮(くろしお |
5.杉谷永秀 中佐:1943年2月 83名の戦死者 3番艦 |
昭和15年)1月15日、藤永田造船所にて竣工。戦果を上げつつほぼ無傷で終戦まで生き残った。
終戦後は復員輸送に従事していたが1947年7月6日、賠償艦として中華民国海軍へ引き渡され「丹陽」(DD-102)となる。 |
初風(はつかぜ) |
4.芦田部一 中佐:1943年7月 艦長以下164名戦死 7番艦 |
1940年2月15日、神戸川崎造船所にて竣工。1943年11月1日、ブーゲンビル島沖海戦で重巡洋艦「妙高」と衝突損傷
翌2日、戦線を離脱し退避中に米水上部隊の攻撃を受け戦没 |
親潮(おやしお |
3.東日出夫 少佐:1942年11月 91名の戦死者 6番艦 |
1940年8月21日、藤永田造船所にて竣工。ダバオ攻略作戦などに参加。
昭和17年)2月6日、米潜水艦「S-37」の雷撃を受け損傷、同月9日、浸水により戦没 |
早潮(はやしお |
2.金田清之 中佐:1941年9月 約50名が戦死 5番艦 |
1940年8月21日、浦賀船渠にて竣工。南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦などに参加
1942年11月24日、ラエ増援作戦に従事中、米陸軍機の攻撃を受けニューギニア島東方沖にて戦没 |
夏潮(なつしお |
2.長井純隆 中佐 戦死者は8名、重傷者6名 |
1940年8月31日 藤永田造船所 6番艦
昭和16年)12月上旬より、第15駆逐隊(夏潮、黒潮、親潮、早潮)と第16駆逐隊(雪風、時津風、天津風、初風)をふくむ南方部隊
ミンダナオ島ダバオ、ルソン島レガスピー、ホロ島ホロ攻略作戦に参加した
昭和17年2月スラウェシ島のマカッサル沖で米潜水艦S37の雷撃に遭った2月9日8時43分、「親潮」は沈没した。
|
天津風(あまつかぜ) |
5.森田友幸 大尉:1945年2月 戦死者39名 9番艦 |
1940年10月26日、舞鶴海軍工廠にて竣工。南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦などに参加。
昭和20年)4月6日、米陸軍機の攻撃を受け厦門湾にて擱座、戦没この艦のみ、島風級の機関のテストベッドとして、
高温、高圧缶を採用した |
雪風(ゆきつかぜ) |
4.菅間良吉 中佐 5.寺内正道 少佐/中佐 6.古要桂次 中佐(終戦) 8番艦 |
1940年11月30日、佐世保海軍工廠にて竣工。1941年(昭和16年)12月12日、フィリピンのレガスピに対する上陸支援
1942年2月27日からは初の海戦となるスラバヤ沖海戦に参加。ニューギニア西部方面攻略掃討戦、通称「N作戦」に従事
ミッドウェー海戦に第二艦隊攻略部隊の一員として参加した。ガダルカナル島に進出第三次ソロモン海戦第一次夜戦
1943年(昭和18年)1月10日、第16駆逐隊の初風がガダルカナル島輸送作戦でアメリカ軍魚雷艇と交戦し大破、長期修理となった。
2月1日より3回におよぶガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)に参加。7月コロンバンガラ島沖海戦の輸送
1944年(昭和19年)1月輸送船の護衛でシンガポールへ 2月同じく護衛でサイパンへ 6月マリアナ沖海戦参戦
10月レイテ沖海戦参戦 11月大和/長門を護衛して11月呉に寄港 直ぐに空母 信濃を護衛して呉に向かうが11月29日和歌山沖で
信濃は沈没した。1945年4月戦艦大和が沖縄水上特攻作戦に雪風は第二水雷戦隊司令官古村啓蔵少将の指揮下、軽巡矢矧、
第17駆逐隊の磯風、浜風、第21駆逐隊の朝霜、霞、初霜、第41駆逐隊の冬月、涼月と共に日本を出撃した。
4月7日正午過ぎよりアメリカ軍航空機約400機の猛攻を受け、午後2時23分に大和は沈没した。
軽巡洋艦矢矧、駆逐艦浜風、朝霜、霞が沈没、冬月が中破、涼月が大破した。大和沈没後も雪風の寺内艦長は沖縄への突入を諦めなかった。
その時連合艦隊司令部から「作戦中止。人員救助の上帰投すべし」の命令
4月10日、中国大陸廈門市で座礁し進退不能となった姉妹艦天津風が自沈、全19隻建造された陽炎型駆逐艦も雪風1隻となった。
6月15日、宮津湾に移動した。雪風と初霜は海軍砲術学校の練習艦となり、海上挺進部隊には編入
7月30日、アメリカ軍が舞鶴・宮津方面を空襲した。8月15日終戦 宮津湾内
雪風の武名は海軍内で有名であり、同様の幸運艦には呉の雪風 佐世保の時雨と謳われた時雨、
空母瑞鶴、重巡洋艦羽黒、軽巡洋艦大淀もあったがいずれも終戦までに沈没している。
8月26日に第一予備艦、12月1日に第二復員省の特別輸送艦に指定され、終戦後は復員輸送艦となった。
1946年12月30日、雪風は特別保管艦に指定され、戦時賠償艦として連合国へ引き渡される事となった
雪風ら8隻の艦艇は中華民国に引き渡された。1948年5月1日付で正式に丹陽(タンヤンDD-12)の艦名を与えられた
|
磯風(いそかぜ) |
5.前田実穂 少佐:1943年11月 戦死20名 12番艦 |
1940年11月30日、佐世保海軍工廠にて竣工。南太平洋海戦、マリアナ沖海戦などに参加。
1944年10月レイテ沖海戦1945年4月7日、沖縄水上特攻作戦で戦艦「大和」とともに出撃するが、米空母艦載機の
攻撃を受け至近弾により浸水航行不能となり、乗員移送後に駆逐艦雪風の砲撃により海没処分 |
時津風(ときつかぜ) |
2.本倉正義 中佐:1942年9月 10番艦 |
1940年12月15日、浦賀船渠にて竣工。南太平洋海戦などに参加。
1943年3月3日、米陸軍機および豪州軍機の攻撃を受けビスマルク海にて戦没 |
浦風(うらかぜ) |
4.横田保輝 少佐:1944年 5月 艦長以下228名が戦死 11番艦 |
1940年12月15日、藤永田造船所にて竣工。ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦などに参加。
1944年11月21日、米潜水艦「シーライオン」の雷撃を受け台湾海峡にて戦没、第17駆逐隊司令谷井保大佐も戦死 |
嵐(あらし) |
2.杉岡幸七 中佐:1942年11月 艦長以下178名が戦死 16番艦 |
昭和16年)1月21日、舞鶴海軍工廠にて竣工。ミッドウェー海戦、南太平洋海戦などに参加。
1943年8月6日、ベラ湾夜戦で米水上部隊と交戦しソロモン諸島コロンバンガラ島沖にて戦没 |
萩風(はぎかぜ) |
4.馬越正博 少佐:1943年 6月 乗員178名が戦死 17番艦 |
1941年3月31日、浦賀船渠にて竣工。ミッドウェー海戦などに参加。
1943年8月6日、ベラ湾夜戦で米水上部隊と交戦しコロンバンガラ島沖にて戦没。 |
谷風(たにかぜ) |
5.池田周作 少佐:1943年11月 艦長以下114名が戦死 14番艦 |
1941年4月25日、藤永田造船所にて竣工。ミッドウェー海戦、南太平洋海戦などに参加。
1944年6月9日、米潜水艦「ハーダー」の雷撃を受けタウイタウイ島にて戦没。 |
野分(のわき) |
4.守屋節司 中佐:1943年12月 艦長以下272名全員が戦死 第15番艦 |
1941年4月28日、舞鶴海軍工廠にて竣工。ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、マリアナ沖海戦などに参加。
1944年10月25日、レイテ沖海戦で米水上部隊の攻撃によりフィリピン南部のサンベルナルジノ海峡にて戦没。 |
浜風(はまかぜ) |
3.前川万衛 中佐:1943年9月 100名が戦死 13番艦 |
1941年6月30日、浦賀船渠にて竣工。ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦などに参加。
1945年4月7日、沖縄水上特攻作戦で戦艦「大和」とともに出撃、東シナ海にて米空母艦載機の攻撃を受け
被弾し航行不能になったところを雷撃され、艦体が2つに折れ轟沈。 |
舞風(まいかぜ) |
2.萩尾力 中佐:1943年 6月 萩尾力艦長以下240名全員戦死 第18番艦 |
1941年7月15日、藤永田造船所にて竣工。ミッドウェー海戦、南太平洋海戦などに参加。
1943年2月17日、米空母艦載機の攻撃を受けたのちに米水上部隊と交戦し、カロリン諸島トラック島沖にて戦没。 |
秋雲(あきぐも) |
3.入戸野焉生 少佐:1943年11月 入戸野艦長以下133名が戦 19番艦 |
1941年9月27日、浦賀船渠にて竣工。
1944年4月11日、米潜水艦「レッドフィン」の雷撃を受けインドネシアザンボアンガ近海にて戦没。 |

高速と雷撃力を強化した実験艦
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
2,567トン |
120.5m |
11.2m |
40.37ノット |
6,000浬 |
267名 |
50口径三年式12.7センチ連装砲D型 3基 |
 |
96式25ミリ連装機銃 2基 |
零式5連装魚雷発射管 3基 |
(九三式魚雷15本) |
93式13ミリ連装機銃 1基 |
島風(しまかぜ) |
2.上井宏 中佐:1943年10月 |
昭和18年)5月10日舞鶴海軍工廠にて竣工。7月7日、キスカ島撤退作戦で」、第二十一駆逐隊、警戒部隊として出撃。
昭和19年10月24日からのレイテ沖海戦では第一部隊に属して戦闘に参加する。
11月4日、第二水雷戦隊旗艦となり、司令官早川幹夫少将の将旗が翻った第38任務部隊の艦載機347機は
オルモック湾に至る水道内で攻撃され早川少将以下第二水雷戦隊司令部と乗員合わせて430名が戦死、 |

空母機動部隊に随伴する防空駆遂艦
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
2,700トン |
134.2m |
11.6m |
33.0ノット |
8,000カイリ |
315名 |
65口径10cm連装高角砲 4基8門 |
 |
25mm機銃 連装2基 |
61cm4連装魚雷発射管 1基4門 |
(九三式魚雷8本) |
秋月型 7隻
秋月(あきづき) |
2.緒方友兄 中佐:1943年10月乗組員は183名が戦死 |
1942年6月11日舞鶴工廠で竣工1944年10月25日エンガノ岬沖海戦に参加機動部隊の援護射撃中爆発、沈没する |
照月(てるづき) |
1.折田常雄 中佐:1942年8月 |
1942年8月31日三菱長崎造船所で竣工。同年10月、南太平洋海戦に参加する。
同年11月、第三次ソロモン海戦に参加ガダルカナルへの物資輸送の警戒艦として先航中の12月12日、
アメリカ軍の魚雷艇の攻撃を受け沈没する。 |
涼月(すずつき) |
4.平山敏夫 中佐:1945年3月 |
1942年12月29日三菱長崎造船所で竣工完成後物資輸送護衛などの任務に就き
1944年1月16日に米軍潜水艦の魚雷により艦首の大部分と艦尾を喪失同年10月17日にも米軍潜水艦の
魚雷により艦首の一部を喪失するが撃沈されず帰投している。菊水作戦時には大和と共に出撃。
戦闘中に艦橋近くに直撃弾を受け、大浸水を来たす。まさにギリギリの帰還だった。
帰投後は防空砲台として使用されて終戦を迎える。1948年解体福岡県若松港の防波堤となり、軍艦防波堤と呼ばれた |
初月(はつづき) |
2.橋本金松 中佐:1944年 8月 橋本金松中佐以下290名が戦死 |
1942年12月29日舞鶴工廠で竣工。実戦初参加はマリアナ沖海戦。
1944年10月25日のエンガノ岬沖海戦には瑞鶴の護衛艦として参加、
瑞鶴沈没時には救助活動中にアメリカ艦隊が接近し砲戦となる。初月は撃沈された |
新月(にいづき) |
1.金田清之 中佐:1943年3月 金田清之中佐以下290名が戦死 |
1943年3月31日、三菱長崎造船所にて竣工。第8艦隊に所属としてラバウルへ進出7月6日、コロンバンガラ島輸送任務中、
米艦隊との戦闘となり、敵艦の集中砲火を受け沈没。本型の中で、最も短い生涯を遂げた艦である。
米艦隊との戦闘となり、敵艦の集中砲火を受け沈没。本型の中で、最も短い生涯を遂げた艦である。 |
若月(わかつき) |
1.鈴木保厚 中佐:1943年5月 鈴木保厚中佐以下290名が戦死 |
1943年5月31日、三菱長崎造船所にて竣工。実戦初参加はマリアナ沖海戦で、初月・五十鈴とともに参加。
大鳳沈没時には、小沢治三郎を救助する。続くエンガノ岬沖海戦後の救助作業時のアメリカ艦隊との遭遇戦では、
無事生還するも約半月後の1944年11月11日、オルモック輸送作戦における船団護衛中米軍機の攻撃を受け沈没。 |
霜月(しもつき) |
1.畑野健二 少佐:1944年3月畑野健二少佐以下全員戦死 |
1944年3月31日、三菱長崎造船所にて竣工マリアナ沖海戦、エンガノ岬沖海戦に参加。
1944年11月25日、ブルネイ湾に向かう船団護衛中に米潜水艦の雷撃を受け沈没,
畑野健二少佐以下全員戦死江戸少将以下第三十一戦隊司令部も全滅した |
冬月型 4隻
冬月(ふゆづき) |
2.山名寛雄 中佐:1945年3月 |
1944年5月25日、舞鶴工廠にて竣工菊水作戦時には大和と共に出撃。
帰投後は門司で防空砲台として使用されて終戦を迎える。戦後工作艦として使用。1948年解体。
船体は涼月と共に若松港の防波堤となる。 |
春月(はるつき) |
1.古浜智 中佐:1944年12月 |
1944年12月28日、佐世保工廠にて竣工。瀬戸内海での防衛任務で終戦を迎える。
復員船として使用されたあと、1947年9月25日に戦時賠償艦としてソ連へ引き渡される。 |
宵月(よいづき) |
2.荒木政臣 中佐:1945年2月 |
1945年1月31日、浦賀船渠にて竣工。戦後復員輸送に従事。
1947年戦時賠償艦として雪風と共に中華民国に引き渡中華民国艦「汾陽」と改名となるが、実質運用はされていない。 |
夏月(なつづき) |
1.西野繁 中佐:1945年4月 |
1945年4月8日、佐世保工廠にて竣工。戦後復員輸送に従事。
1947年戦時賠償艦としてイギリスに引き渡されたが日本国内で解体される。 |
花月(はなづき、仮称艦名366号艦) |
1.東日出夫 中佐:1944年12月 |
1944年12月26日、舞鶴工廠にて竣工。天一号作戦のため出撃した第一遊撃部隊を豊後水道まで護衛する。
戦後復員輸送に従事。1947年戦時賠償艦としてアメリカ |

標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
約1,700t |
109.5m |
10.0m |
33.27ノット |
4,000浬 |
205名 |
50口径12.7cm連装砲 2基4門 |
 |
50口径12.7cm単装砲 1基1門 |
61cm3連装魚雷発射管 3基9門 |
九〇式魚雷12本 |
40mm単装機銃 2挺 |
初春(はつはる) |
10.大熊安之助 少佐:1944年10月 |
昭和8年9月30日、佐世保工廠にて竣工。昭和19年11月13日マニラ湾において航空機の攻撃により沈没。 |
子日(ねのひ) |
8.寺内三郎 少佐:1942年4月 艦長寺内三郎少佐以下188名が戦死 |
1933年9月30日、浦賀船渠にて竣工。1942年7月5日、アガッツ島ドッグ岬沖において米潜「トライトン」の雷撃により沈没。 |
若葉(わかば) |
10.二ノ方兼文 少佐:1943年10月 20名が戦死 |
昭和9年10月31日、佐世保工廠にて竣工。昭和19年10月24日、スル海において航空機の攻撃により沈没 |
初霜(はつしも) |
11.酒匂雅三 少佐:1944年8月 |
1934年9月27日、浦賀船渠にて竣工。1945年7月30日、宮津湾において対空戦闘中に触雷、沈没着底。戦後解体 |
改初春型
有明(ありあけ) |
8.川橋秋文 少佐:1943年7月 川橋艦長以下7名が戦死 |
昭和10年3月25日、川崎造船所にて竣工。昭和18年7月28日ツルブ海において航空機の攻撃により沈没 |
夕暮(ゆうぐれ) |
7.加茂喜代志 少佐:1940年10月 加茂艦長以下228名が戦死 |
1935年3月30日、舞鶴工廠にて竣工。1943年7月20日チョイセル島沖において航空機の攻撃により沈没。 |
|
 |
 |
|
有明 |
初霜 |
|
 |
 |
|
若葉 |
子日 |

大戦中に量産された日本海軍の主力駆遂艦
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
2,077t |
119.3m |
10.8m |
35.0kt |
5,000浬 |
225名 |
50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
|
25mm機銃 Ⅱ×2 |
61cm4連装魚雷発射管 2基8門 |
九三式魚雷16本 |
夕雲(ゆうぐも |
2.大迫東 中佐:1943年3月 戦死 |
1941年12月5日竣工(舞鶴海軍工廠)。ミッドウェー海戦、南太平洋海戦などに参加。
1943年10月6日、第二次ベララベラ海戦で米水上部隊と交戦しソロモン諸島ベララベラ島沖にて戦没 |
巻雲(まきぐも) |
1.藤田勇 中佐:1942年3月 |
1942年3月14日竣工(藤永田造船所)。ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦などに参加。
1943年2月1日、第一次ガダルカナル撤収作戦においてサボ島近海で触雷により航行不能、「夕雲」により処分 |
風雲(かざくも) |
2.橋本金松 少佐:1943年9月 第十駆逐隊司令赤沢次寿雄大佐も戦死 |
1942年3月28日竣工(浦賀船渠)。ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦などに参加
1944年6月8日、米潜水艦「ヘイク」の雷撃によりダバオ湾口にて戦没 |
長波(ながなみ) |
3.飛田清 少佐:1944年6月 |
1942年6月30日竣工(藤永田造船所)。ルンガ沖夜戦などに参加。
1944年11月11日、第三次オルモック輸送作戦で米空母艦載機の攻撃によりフィリピンのオルモック湾にて戦没。 |
巻波(まきなみ) |
1.人見豊治 中佐:1942年8月11月25日戦死 約190名戦死 |
1942年8月18日竣工(舞鶴海軍工廠)。南太平洋海戦などに参加。
1943年11月25日、セントジョージ岬沖海戦で米水上部隊と交戦しブーゲンビル島沖にて戦没 |
高波(たかなみ) |
1.小倉正身 中佐:1942年8月 11月30日艦長以下140名戦死 |
1942年8月31日竣工(浦賀船渠)。南太平洋海戦などに参加。
1942年11月30日、ルンガ沖夜戦で米水上部隊と交戦しガダルカナル島沖にて戦没 |
大波(おおなみ |
1.吉川潔 中佐:1942年12月 艦長以下全員戦死 |
1942年12月29日竣工(藤永田造船所)。1943年11月25日、吉川潔艦長の下、ブーゲンビル島沖において
発生したセントジョージ岬沖海戦にてアーレイ・バーク大佐率いる米水上部隊に奇襲を受け被雷。その後僅か4分で沈没した |
清波(きよなみ) |
1.有馬時吉 中佐:1943年1月 艦長有馬時吉中佐以下230名が戦死 |
1943年1月25日竣工(浦賀船渠)。1943年7月20日、コロンバンガラ輸送作戦で米陸海軍機の攻撃によりベララベラ島沖にて戦没。 |
玉波(たまなみ) |
3.千本木十三四 中佐:1944年6月、艦長以下276名が戦死 |
1943年4月30日竣工(藤永田造船所)。マリアナ沖海戦などに参加。
1944年7月7日、米潜水艦「ミンゴ」の雷撃によりフィリピン諸島ルソン島マニラ湾沖にて戦没。 |
涼波(すずなみ |
1.神山昌雄 中佐:1943年7月艦長神山昌雄中佐以下209名が戦死 |
1943年7月27日竣工(浦賀船渠)。1943年11月11日、米空母艦載機の攻撃によりラバウル港沖にて戦没。 |
藤波(ふじなみ) |
1.松崎辰治 中佐:1943年7月 艦長以下全員戦死 |
1943年7月31日竣工(藤永田造船所)。1944年10月27日、レイテ沖海戦で米空母艦載機の攻撃によりシブヤン海にて戦没 |
早波(はやなみ) |
1.清水逸郎 中佐:1943年7月 艦長以下253名が戦死 |
1943年7月31日竣工(舞鶴海軍工廠)。1944年6月7日、米潜水艦「ハーダー」の雷撃によりタウイタウイ島沖にて戦没。 |
浜波(濱波)(はまなみ) |
1.本倉正義 中佐:1943年10月 |
1943年10月15日竣工(舞鶴海軍工廠)。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などに参加
1944年11月11日、第三次オルモック輸送作戦で米空母艦載機の攻撃により戦没 |
朝霜(あさしも) |
2.杉原与四郎 中佐:1944年1月駆逐隊司令以下乗組員全員戦死 |
1943年11月27日竣工(藤永田造船所)。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などに参加。
1945年4月6日、沖縄水上特攻作戦に戦艦「大和」とともに第21駆逐隊旗艦として出撃したが、翌7日早朝、
機関故障を起こし艦隊より落伍。正午過ぎに敵機と交戦中との無電を発した後、連絡が途絶える。
単艦戦闘であった上、生存者がいない為にその最期は明らかではない。
米空母艦載機の攻撃により東シナ海にて戦没したと推測されている |
岸波(きしなみ) |
1.三船敏郎 中佐:1943年12月 艦長以下90名が戦死 |
1943年12月3日竣工(浦賀船渠)。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などに参加。
1944年12月4日、米潜水艦「フラッシャー」の雷撃によりパラワン島沖にて戦没 |
沖波(おきなみ) |
1.牧野坦 中佐:1943年12月 |
1943年12月10日竣工(舞鶴海軍工廠)。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などに参加。
1944年11月13日、米空母艦載機の攻撃によりマニラ湾にて戦没 |
早霜(はやしも) |
2.平山敏夫 少佐:1944年4月 |
1944年2月20日竣工(舞鶴海軍工廠)。マリアナ沖海戦などに参加。
1944年10月27日、レイテ沖海戦で米空母艦載機の攻撃によりミンドロ島沖にて戦没 |
秋霜(あきしも) |
2.中尾小太郎 少佐:1944年4月 |
1944年3月11日竣工(藤永田造船所)。マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などに参加。
1944年11月13日、米空母艦載機の攻撃によりマニラ湾にて戦没。 |
清霜(きよしも) |
2.梶本顗 中佐:1944年9月 戦死および行方不明者は84名 |
1944年5月15日竣工(浦賀船渠)。レイテ沖海戦などに参加。
1944年12月26日、サンホセ突入作戦で米水上部隊および米陸軍機の攻撃により航行不能。
後に米魚雷艇の雷撃を受けミンドロ島沖にて戦没 |
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 |
 |
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早波 |
朝霜 |
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清霜 |
巻雲 |


標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
1,685トン |
111m |
9.9m |
34ノット |
4,000浬 |
226名 |
50口径12.7cm連装砲 2基4門 |
 |
50口径12.7cm単装砲 1基1門 |
61cm4連装魚雷発射管 2基8射線 |
40mm単装機銃 2挺 |
白露 [II](しらつゆ) |
9.松田九郎 少佐:1943年9月 |
竣工1936年8月20日(佐世保工廠)開戦時には第1艦隊第1水雷戦隊第27駆逐隊に属しミッドウェー海戦
昭和19年6月15日、ミンダナオ島北東で、タンカー「清洋丸」と衝突し爆沈した。 |
時雨 [II](しぐれ) |
8.荻原学 少佐:1944年12月 戦死者37名 |
竣工1936年9月7日(浦賀船渠)第三次ソロモン海戦、第二次ベララベラ海戦、ブーゲンビル島沖海戦、レイテ沖海戦
昭和20年)1月24日タイランド湾、マレー半島東岸で護衛中、米潜水艦「ブラックフィン」の雷撃を受け沈没 |
村雨 [II](むらさめ) |
6.種子島洋二 少佐:1942年12月約100名戦死 |
竣工1937年1月7日(藤永田造船所)ミッドウェー海戦、第三次ソロモン海戦、
昭和18年)3月5日、コロンバンガラ輸送作戦に「峯雲」と共に従事中、ビラ・スタンモーア夜戦において
米駆逐艦群のレーダー射撃攻撃を受け、両艦とも撃沈された |
夕立 [II](ゆうだち/ゆふだち) |
6.吉川潔 少佐:1942年5月 |
竣工1937年1月7日(佐世保工廠)昭和16年)リンガエン湾上陸作戦、バリックパパン攻略作戦、スラバヤ沖海戦に参加
第三次ソロモン海戦において、米艦隊内に単艦で突入し多大の戦果を挙げたが、敵艦隊の攻撃により11月13日に沈没 |
春雨 [II](はるさめ) |
5.富田敏彦 少佐:1943年11月 |
竣工1937年8月26日(舞鶴工作部)1941年12月より比島ビガン攻略作戦、、スラバヤ沖海戦等の多くに参加
1944年6月7日ビアク島北西で米艦隊と交戦し、さらに「B-25」の攻撃を受け沈没した |
五月雨(さみだれ) |
8.大熊安之助 少佐:1944年7月 |
竣工1937年1月29日(浦賀船渠)1943年キスカ島撤退作戦、ブーゲンビル島沖海戦にて「白露」と衝突し損傷
1944年6月19日、マリアナ沖海戦に参加、8月18日輸送中、パラオ諸島北端で座礁で26日に米潜水艦により沈没 |
改白露型(艦橋形状が変更)
海風 [II](うみかぜ) |
7.中尾小太郎 少佐:1943年11月 |
約50名の戦死者 |
竣工1937年5月31日(舞鶴工作部)1942年:スラバヤ攻略作戦、パナイ島攻略作戦、ミッドウェー海戦参戦
1944年2月1日トラック北水道付近で米潜水艦「ガードフィッシュ」(USS Guardfish, SS-217)の雷撃を受け沈没した |
山風 [II](やまかぜ) |
4.浜中脩一 少佐:1941年9月浜中艦長以下全員が戦死 |
竣工1937年6月30日(浦賀船渠)1942年タラカン攻略作戦、バリックパパン攻略作戦、ミッドウェー海戦等に参戦
1942年6月23日、大湊への輸送船護衛任務を終えて柱島へ単独回航中、東京湾沖で米潜水艦 の雷撃を受け沈没 |
江風[III](かわかぜ) |
7.柳瀬善雄 少佐:1942年11月 柳瀬艦長以下169名が戦死 |
竣工1937年4月30日(藤永田造船所) 1942年タラカン攻略作戦、バリックパパン攻略作戦、ミッドウェー海戦等に参戦
1943年8月6日コロンバンガラ輸送の途中、ベラ湾夜戦において米駆逐艦隊と交戦し、「スタレット」の雷撃を受け沈没 |
涼風(すずかぜ) |
6.山下正男 少佐:1943年5月 山下艦長以下231名が戦死 |
竣工1937年8月31日(浦賀船渠)1942年1月から蘭印部隊に属しタラカン攻略作戦、バリックパパン攻略作戦に参加
1944年1月24日輸送船をブラウンまで護衛の途中、25日ポナペ島北東で米潜水艦「スキップジャック」雷撃を受け沈没 |

開戦時、多くは哨戒艇に転籍したり除籍され練習艦任務に就いていたりしたが、駆逐艦籍に残っている艦もあった。
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
770t |
83.82m |
7.93m |
36.0kt |
3000海里 |
107名 |
12cm単装砲3門 |
 |
53cm連装魚雷発射管2基4門 |
6.5mm単装機銃2基 |
栗(くり) |
|
1920年4月30日竣工(呉海軍工廠)- 掃海作業中の1945年10月8日釜山港で触雷沈没。1945年10月25日除籍。 |
竹(たけ) |
|
1919年12月25日竣工(川崎造船所)- 除籍後は舞鶴海兵団の練習船。1948年解体、船体は秋田港防波堤 |
柿(かき) |
|
1920年8月1日竣工(浦賀船渠)- 1940年2月1日除籍。除籍後は兵学校の練習艦。終戦直後の台風で座礁 |
栂(つが) |
|
1920年7月20日竣工(石川島造船所)- 1945年1月15日、高雄にて航空機の攻撃により戦没 |
菊(きく) |
|
1920年12月10日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第31号哨戒艇に改称。
1944年3月30日航空機の攻撃により戦没(パラオ西水道) |
葵(あおい) |
|
1920年12月20日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第32号哨戒艇に改称
1941年12月22日、ウェーキ島上陸作戦で擱座 |
萩(はぎ) |
|
1921年4月20日竣工(浦賀船渠)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第33号哨戒艇に改称。
1941年12月22日、ウェーキ島上陸作戦で擱座、放棄。1942年1月10日除籍。 |
薄(すすき) |
|
1921年5月25日竣工(石川島造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。
第34号哨戒艇に改称。1943年3月6日、矢風と衝突沈没(カビエン南方) |
蔦(つた) |
|
1921年6月30日竣工(川崎造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第35号哨戒艇に改称。
1942年9月2日、航空機の攻撃により戦没(ビコリア島北東) |
葦(あし) |
|
1920年11月15日竣工(川崎造船所)- 1940年2月1日除籍。1940年10月15日、航海学校付属の練習船。
終戦直前に特攻母艦だったが擱座(東京港第2海堡) |
菱(ひし) |
|
1922年3月23日竣工(浦賀船渠)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。第37号哨戒艇に改称。
1942年1月23日、米駆逐艦4隻と交戦沈没(バリックパパン)。1942年4月10日除籍 |
蓮(はす) |
|
1922年7月31日竣工(浦賀船渠)- 青島で終戦。戦後解体。船体は福井県四箇浦港防波堤 |
菫(すみれ) |
|
1923年3月31日竣工(石川島造船所)- 1940年2月1日除籍。1940年11月15日、兵学校の練習艦。戦後解体 |
蓬(よもぎ) |
|
1922年8月19日竣工(石川島造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。
第38号哨戒艇に改称。1944年11月25日、米潜アトゥールの雷撃により戦没(バシー海峡 |
蕨(わらび) |
|
1920年10月12日竣工(藤永田造船所)- 1927年8月24日、神通と衝突沈没(島根県美保ヶ関沖、美保関事件) |
蓼(たで) |
|
1922年7月31日竣工(藤永田造船所)- 1940年4月1日、哨戒艇に類別変更。
第39号哨戒艇に改称。1943年4月23日、米潜「シーウルフ」の雷撃により戦没(与那国島南方) |

標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
820トン |
83.8m |
8.08m |
35.5ノット |
3000海里 |
|
12.0cm単装砲3基 |
 |
6.5mm単装機銃2基 |
53cm連装発射管2基4門 |
若竹(わかたけ) |
田中茂雄 大尉:1944年3月10日 - 3月30日戦死 |
大正11年)9月30日、川崎造船所で竣工。当初名は第二駆逐艦。1928年(昭和3年)8月1日、若竹と改名。 |
1944年(昭和19年)3月30日、パラオ大空襲の際にパラオ湾口にて航空機の攻撃により戦没。 |
呉竹(くれたけ) |
吉田宗雄 少佐(海兵62期):1944年3月10日 -1944年12月30日(同日戦死) |
大正11年)12月21日、川崎造船所で竣工。当初名は第四駆逐艦。1928年8月1日、呉竹と改名昭和19年)
12月30日、バシー海峡にて米潜水艦「レザーバック」の雷撃を受け戦没。 |
早苗(さなえ) |
酒井信一 大尉:1943年10月 11月18日戦死 |
大正12年)11月5日、浦賀船渠で竣工。当初名は第六駆逐艦。1928年8月1日、早苗と改名。
昭和18年)11月18日、セレベス海で米潜水艦「ブルーフィッシュ」の雷撃を受け戦没 |
早蕨(さわらび) |
門田健吾 少佐:不詳 - 1932年12月5日殉職 |
大正13年)7月24日、浦賀船渠で竣工。当初名は第八駆逐艦。1928年8月1日、早蕨と改名。 |
昭和7年12月5日、台湾海峡で荒天により転覆沈没 |
朝顔(あさがお) |
石榑信敏 大尉:1945年5月20日 - |
1923年5月10日、石川島造船所で竣工。当初名は第十駆逐艦。1928年8月1日、朝顔と改名。 |
太平洋戦争に参戦、呉で終戦を迎える。が、7日後に関門海峡で触雷大破し浸水着底した。 |
夕顔(ゆうがお) |
|
1924年5月21日、石川島造船所で竣工。当初名は第十二駆逐艦。1928年8月1日、夕顔と改名 |
1944年11月10日、石廊崎沖で米潜水艦「グリーンリング」の雷撃を受け戦没。 |
芙蓉(ふよう) |
角野鉄男 大尉:1943年10月20日 - |
1923年3月16日、藤永田造船所で竣工。当初名は第十六駆逐艦。1928年8月1日、芙蓉と改名。 |
1943年12月20日、マニラ湾口で米潜水艦「パファー」の雷撃を受け戦没。 |
刈萱(かるかや) |
島田喜与三 大尉:1944年3月5日 - |
1923年8月20日、藤永田造船所で竣工。当初名は第十八駆逐艦。1928年8月1日、刈萱と改名 |
昭和19年5月10日、ルソン沖で米潜水艦「コッド」の雷撃を受け戦没。 |


太平洋戦争中日本海軍が昭和19年より建造した戦時量産型駆逐艦である。最多の建造数(32隻)
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
1,350トン |
100m |
9.35m |
27.8ノット |
3,500海里 |
211名 |
三式 61cm4連装魚雷発射管 1基4門 |
 |
二式爆雷36発 |
六式 25mm機銃 3連装 4基、単装 12基 |
八九式 12.7cm(40口径)
高角砲単装1基&連装1基 |
松型 18隻
1.松(まつ) |
1.吉永源 少佐:1944年4月 吉永艦長以下全員が戦死 |
1944年4月28日竣工(舞鶴)。同年8月4日父島沖で沈没。 |
2.竹(たけ |
2.宇那木勁 少佐:1944年11月 |
1944年6月16日竣工(横須賀)。終戦時残存。賠償艦としてイギリスへ |
3.梅(うめ) |
1.大西快治 少佐:1944年6月 戦死者は77名 |
1944年6月28日竣工(藤永田)。多号作戦に参加、1945年1月31日台湾南方で沈没 |
4.桃(もも) |
2.皆川芳雄 少佐:1944年9月 皆川芳雄少佐以下30名が戦死 |
1944年6月10日竣工(舞鶴)。同年12月15日リンガエン湾西方で沈没 |
5.桑(くわ) |
1.山下正倫 中佐:1944年7月 戦死 |
1944年7月25日竣工(藤永田)。多号作戦に参加、同年12月3日オルモック湾で沈没 |
6.桐(きり) |
1.川畑誠 少佐:1944年8月14日 |
1944年8月14日竣工(横須賀) 第九次多号作戦。終戦時残存。賠償艦としてソ連へ。 |
7.杉(すぎ) |
1.菊地敏隆 少佐:1944年8月 |
1944年8月25日竣工(藤永田)。終戦時残存。賠償艦として中国 |
8.槇(まき |
1.石塚栄 少佐 1944年8月 |
1944年8月10日竣工(舞鶴)。レイテ沖海戦、マニラ緊急輸送作戦に参加、終戦時残存。賠償艦としてイギリスへ。 |
9.樅(もみ) |
米井恒雄 少佐:1944年9月 戦死 |
1944年9月3日竣工(横須賀)。1945年1月5日マニラ沖で沈没。 |
10.樫(かし) |
2.萩原学 少佐 1945年4月3日 |
1944年9月30日竣工(藤永田)。終戦時残存。賠償艦としてアメリカへ |
11.榧(かや) |
2.森本義久 少佐 1945年4月 |
1944年9月30日舞鶴海軍工廠竣工太平洋戦争では礼号作戦に参加、戦後は復員輸送に従事、のちにソ連に引き渡された。 |
12.楢(なら) |
1.本多敏治 少佐 1944年11月 |
1944年11月26日竣工(藤永田)。終戦時艦尾損傷 |
13.櫻(さくら) |
1.卜部章二 少佐:1944年11月 戦死 |
1944年11月25日竣工(横須賀)。1945年7月11日和泉灘で沈没 |
14.柳(やなぎ) |
大熊安之助 少佐:1945年1月 |
1945年1月18日竣工(藤永田)。終戦時大破。 |
15.椿(つばき) |
1.田中一郎 少佐:1944年11月 |
1944年11月30日竣工(舞鶴)。終戦時中破 |
16.檜(ひのき) |
1.山口浩 少佐:1944年9月 山口浩少佐以下乗員全員が戦死 |
1944年9月30日竣工(横須賀)。1945年1月7日マニラ沖で沈没 |
17.楓(かえで) |
1.諸石高 少佐:1944年10月 |
1944年10月30日竣工(横須賀)。終戦時残存。賠償艦として中国へ。 |
18.欅(けやき) |
1.余田四郎 少佐:1944年12月 |
1944年12月15日竣工(横須賀)。終戦時残存。賠償艦としてアメリカへ。 |
橘型 14隻
1.橘(たちばな) |
1.林利房 少佐 1945年1月 156名が戦死 |
1945年1月20日竣工(横須賀)。同年7月14日函館港内で沈没 |
2.柿(かき) |
1.浜崎長太郎 少佐 1945年3 |
1945年3月5日竣工(横須賀)。終戦時残存。賠償艦としてアメリカへ |
3.樺(かば) |
1.野尻雅一 大尉 1945年5月 35名の戦死者 |
1945年5月29日竣工(藤永田)。終戦時残存。賠償艦としてアメリカへ |
4.蔦(つた) |
1.国谷正信 少佐 1945年2月 |
1945年2月8日竣工(横須賀)。終戦時残存。賠償艦として中国へ |
5.萩(はぎ) |
1.森本嘉吉 少佐 1945年3月 |
1945年3月1日竣工(横須賀)。終戦時は呉にあった 残存。賠償艦としてイギリスへ |
6.菫(すみれ) |
2.若松武次郎 大尉 1945年7月 |
1945年3月26日竣工(横須賀)。舞鶴で終戦を迎えた 残存。賠償艦としてイギリスへ。 |
7.楠(くすのき) |
2.西村徳太 少佐 1945年9月 |
1945年4月28日竣工(横須賀)。舞鶴で終戦を迎えた 残存。賠償艦としてイギリスへ。 |
8.初櫻(はつざくら) |
1.青木厚一 大尉 1945年5月 |
1945年5月28日竣工(横須賀)横須賀鎮守府部隊で終戦を迎えた。残存。賠償艦としてソ連へ。 |
9.楡(にれ) |
1.下田隆夫 少佐 1945年1月 |
1945年1月31日竣工(舞鶴)。終戦時中破、呉でB-29の爆撃を受け損傷し、戦死25名 解体 |
10.梨(なし) |
1.高田敏夫 少佐:1945年3月 戦死者60名以上 |
1945年3月15日竣工(川崎神戸)。同年7月28日山口県柳井沖で沈没。1954年9月21日に「梨」をスクラップを目的に
引き上げたところ状態が良好であったため、改装を施し警備艦「わかば」として1956年5月31日海上自衛隊に編入 |
11.椎(しい) |
2.石飛矼 少佐 1945年8月 |
1945年3月13日竣工(舞鶴)。終戦時は無傷で呉にあり 残存。賠償艦としてソ連へ |
12.榎(えのき) |
1.若松武次郎 大尉 1945年3月 |
1945年3月31日竣工(舞鶴)。同年6月26日小浜灯台沖で大破擱座 |
13.雄竹(おだけ) |
1.松雄敬次 大尉 1945年5月 |
1945年5月15日竣工(舞鶴)。舞鶴で終戦を迎えた 残存。賠償艦としてアメリカへ。 |
14.初梅(はつうめ) |
1.沢岡信男 大尉 1945年6月 |
1945年6月18日竣工(舞鶴)。舞鶴で終戦を迎えた 残存。賠償艦として中国へ |
蔦(つた)

軍縮条約をかいくぐる小型駆遂艦
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
772t |
79.0m |
7.4m |
30kt |
3000nm |
120名 |
12cm単装砲X3 |
 |
13mm単装機銃X1 |
53.3cm連装発射管X |
|
千鳥(ちどり) |
中村貞彦 大尉:1944年5月26日 - |
1933年11月20日竣工舞鶴海軍工廠 太平洋戦争開戦後は緒戦は南方の攻略作戦を支援、その後は船団護衛などに従事した。
大戦終盤まで活躍したが、昭和19年)12月22日、御前崎沖で米潜の雷撃を受け戦没。
|
真鶴(まなづる) |
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昭和9年)1月31日竣工(藤永田造船所)。昭和20年)3月1日戦没(那覇、航空機)。 |
友鶴(ともづる) |
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昭和9年)2月24日竣工(舞鶴工作部)。1945年(昭和20年)3月24日、カナ304船団護衛中に戦没(東シナ海、航空機)。 |
初雁(はつかり) |
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昭和9年)7月15日竣工(藤永田造船所)。香港で終戦。イギリスが接収し、昭和23年)に現地で解体と言われる。 |

条約破りの秘密駆遂艦
標準排水量 |
全長 |
全幅 |
速度 |
航続力 |
乗員数 |
主 兵 装 |
960t |
85.0m |
8.18m |
30.5kt |
4000nm |
129名 |
12cm単装砲X3 |
雉 |
40mm単装機銃X1 |
53.3cm連装発射管X |
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鴻(おとり) |
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昭和11年)10月10日竣工(舞鶴海軍工廠)。昭和19年)6月12日戦没(サイパン北方、航空機)。 |
鵯(ひよどり) |
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昭和11年)11月20日竣工(東京石川島造船所)。昭和19年)11月17日戦没(南シナ海、米潜ガンヌル)。 |
隼(はやぶさ) |
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昭和11年)12月7日竣工(横浜船渠)。昭和19年)9月24日戦没(ミンドロ島南方、航空機)。 |
鵲(かささぎ) |
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昭和12年)1月15日竣工(大阪鉄工所桜島 昭和18年)9月27日戦没(ニューブリテン島北西方、米潜ブルーフィッシュ)。 |
雉(きじ) |
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昭和12年)7月31日竣工(三井造船玉)。スラバヤで終戦。復員輸送艦となる。昭和22年)10月ソ連に引き渡し。 |
雁(かり) |
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昭和12年)9月30日竣工(横浜船渠)。昭和20年)7月16日戦没(ジャワ海、米潜バヤ)。 |
鷺(さぎ) |
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昭和12年)7月31日竣工(播磨造船所), 昭和19年)11月8日戦没(ルソン島西、米潜ガンヌル)。 |
鳩(はと) |
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昭和12年)8月7日竣工(東京石川島造船所) 昭和19年)10月16日戦没(香港南東、航空機) |
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