生産数:約9030機
第二次世界大戦期における大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機。
零戦(“ゼロ戦”とも)の略称で知られている。
海軍の艦上戦闘機としては実質的に最終型式で、日中戦争の半ばから
太平洋戦争の終戦まで前線で運用された。
零戦は、大戦初期において、その長大な航続,距離、重武装優れた
格闘性能により、連合国の戦闘機に対し圧倒的な勝利を収めた。
零戦は当時の連合国パイロットから「ゼロファイター」の名で恐れられた。
零戦の開発元は三菱重工業(「三菱」という)である。生産は、三菱のみ
ならず中島飛行機でもライセンス生産され、総生産数の
半数以上は中島製である。
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 |
当時の日本の軍用機は、採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていた。
零戦の「零式」との名称は、制式採用された1940年は皇紀2600年にあたり、その下2桁が「00」であるためである。
開発
零戦の開発は1937年(昭和12年)9月に海軍から提示された「十二試艦上戦闘機計画要求書」に端を発する。
三菱では、前作である九六式艦上戦闘機に続いて堀越二郎技師を設計主務者として開発に取り組んだ。
1939年4月に岐阜県の陸軍各務原飛行場で試作一号機が初飛行、翌1940年7月に制式採用された。
要求性能
用途 |
戦闘機 |
|
座席数 |
1 |
分類 |
艦上戦闘機 |
|
航続力 |
正規満載時全力1時間 |
設計者 |
堀越二郎 |
|
機銃 |
20mm1〜2。1の場合は7.7mm 2を追加
弾薬包は20mm 1につき60、7.7mm 1につき300 |
製造者 |
三菱重工業 |
|
運用者 |
日本海軍 |
|
通信力 |
電信300浬、電話30浬 |
初飛行 |
1939年(昭和14年)4月 |
|
実用高度 |
3,000m乃至5,000m |
生産数: |
10,430機 |
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- |
- |
運用開始 |
1940年(昭和15年)7月 |
|
- |
- |
1.離着陸性能良好なること。離艦距離 合成風力10m/sにおいて70m以内
2.増槽併用の場合6時間以上飛行し得ること
3.促進可能なること
4.要により30kg爆弾2個携行し得ること
武装
|
零戦初期型には、20mm機銃2挺(翼内)と7.7mm機銃2挺(機首)が搭載されていた。
初速は一号銃(FF)が600m/s、二号銃(FFL)が750m/s、携行弾数は
60発ドラム給弾/100発大型ドラム弾倉
|
 |
大戦後期、三式13.2mm機銃を1〜3挺(機首1、翼内2)搭載した型も登場 九九式一号二〇粍機銃(上)
九九式二号二〇粍機銃(下)
防御
軍は搭乗員の腕を活かし攻撃を最大の防御として特に注文もなかったという。
昭和18年)末生産開始の五二型後期生産型から翼内タンクに炭酸ガスによる自動消火装置が、昭和19年)生産開始の
五二乙型から操縦席に50mm防弾ガラスが付加、更に五二丙型からは座席後方に8mm防弾鋼板を追加し、一部の機体は
胴体タンクを自動防漏式にしている。
通信装置
零戦には前作の九六式艦戦同様に無線電話・電信機が標準装備されており、当初は九六式空一号無線電話機
(対地通信距離100km、電信電話共用)を搭載していた。大戦後半はより高性能の
三式空一号無線電話機(対地通信距離185km、電信電話共用)に変更している。
戦闘機としての特徴
軽量化による高い余剰馬力のため、500km/hを超える最高速度と高い運動性能、長大な航続距離20mm機銃
2挺の大火力を 併せ持ち、搭乗員の高い技量もあって初陣となった日中戦争から太平洋戦争の緒戦において
無敵ともいえる活躍を見せたことから、 大戦初期の優秀戦闘機と言われる。
第二次世界大戦初期において、長航続距離を以って遠隔地まで爆撃機を援護し同時侵攻することが出来た数少ない
単発単座戦闘機 ボルトやねじなど細部に至るまで徹底した軽量化を追求した
零戦の長所
日米双方で零戦の格闘性能の高さが評価されている。速度偏重志向の技術者に花本清登(戦闘機隊長)は実戦で零戦が
敵を制するのは速度だけではなく格闘性能が優れていることによると訴えた。航続力も強みとなった。長大な航続力は作戦の
幅を広げ戦術面での優位をもたらす。
零戦の短所
零戦は徹底した軽量化による機動性の向上が重視して開発されたため、装甲板・防弾燃料タンク・防弾ガラス・
自動消火装置などが 搭載されておらず、米軍機に比べ、被弾に弱かった。
徹底した軽量化により機体強度の限界が低く、初期型の急降下制限速度は、同世代の米軍機よりも
低い低速域での操縦性を 重視して巨大な補助翼を装備したため、低速域では良好な旋回性能が得られた
反面、高速飛行時には舵が重く機動性が悪かった。
各型の生産推移
生産工場 |
三菱重工業 |
中島飛行機 |
総生産 |
型式 |
11型 |
21型 |
32型 |
22型 |
52型 |
52型 |
52型 |
62型 |
54型 |
21型 |
52型 |
52/62型 |
- |
|
- |
- |
- |
- |
- |
甲/乙 |
丙 |
- |
- |
- |
- |
丙 |
- |
1940 |
137 |
35 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
172 |
1941 |
- |
400 |
3 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
6 |
- |
- |
408 |
1942 |
- |
306 |
340 |
50 |
- |
- |
- |
- |
- |
547 |
- |
- |
1243 |
1943 |
- |
- |
- |
510 |
499 |
- |
- |
- |
- |
1760 |
2 |
- |
2771 |
1944 |
- |
- |
- |
- |
248 |
248 |
- |
- |
- |
508 |
1598 |
168 |
2770 |
1945 |
- |
- |
- |
- |
- |
- |
93 |
158 |
2 |
- |
- |
1417 |
1670 |
生産合計 |
137 |
741 |
343 |
560 |
747 |
248 |
93 |
158 |
2 |
2821 |
1600 |
1585 |
9034 |
主な撃墜記録保持者
日本海軍には公式・非公式を含め、エース・パイロットという個人単位のヒーロー性のあるカテゴリーは存在しないと
されるが、一般的に多量撃墜記録保持者としては、下記の搭乗員が有名である。
岩本 徹三
最終階級:海軍大尉 |
日本海軍の戦闘機搭乗員。「最強の零戦パイロット」と謳われた名操縦士である。
太平洋戦争時の日米パイロットの中で唯一撃墜数200機超えを主張するエース・パイロットであり、
日中戦争から太平洋戦争終戦まで最前線で戦い続けた。
|
西澤 廣義
最終階級:海軍中尉 |
太平洋戦争期の日本海軍の戦闘機搭乗員。長野県上水内郡小川村出身。存命時の階級は飛曹長。
戦死後、「全軍布告二階級特進」の栄に浴し中尉に任ぜられた。昭和19年10月26日、
乗機をセブ基地の特別攻撃隊に引渡し、新しい飛行機受領のためマバラカット基地へ
零式輸送機に便乗して移動する。その途中、輸送機がミンドロ島北端上空に達したところで、
ハロルド・P・ニュウェル中尉のグラマンF6Fに攻撃を受けて撃墜され、戦死した。
|
杉田 庄一
少尉に昇格 |
太平洋戦争期の大日本帝国海軍の戦闘機搭乗員。新潟県東頸城郡安塚村(現上越市)出身。
存命時の階級は上等飛行兵曹、最終階級は少尉。撃墜破120機以上と言われる。
43空が鹿島基地に移った昭和20年4月15日午後3時前後、敵機接近の報を受けて源田実司令の
出撃命令を受け、杉田はすぐさま乗機に飛び乗って列機1機とともに滑走を開始した。
しかしこの時すでに敵機のグラマンF6Fヘルキャット数機は杉田たちの背後上空に差し
掛かっていた。数十m浮かび上がったところをVF-46所属数機は杉田たちの背後上空に
差し掛かっていた。数十m浮かび上がったところをVF-46所属
|
坂井 三郎
最終階級海軍中尉
|
終戦時は海軍少尉、最終階級は海軍中尉。終戦までに大小の敵機64機撃墜のスコアを残す
日本のエース・パイロットとして知られる。硫黄島から帰還後の1944年(昭和19年)8月少尉に昇進
沖縄の基地から日本本土偵察のために飛来したB-32ドミネーター2機と日本海軍機が房総半島から
伊豆諸島の上空で交戦した。第二次世界大戦最後の空中戦に坂井も参加している。
|
笹井 醇一
最終階級
海軍中尉
|
日本海軍の戦闘機搭乗員で零戦の撃墜王。海軍少佐(死後、中尉から二階級特進)。
昭和17年ガダルカナル島上空で迎撃の米海兵隊のF4F戦闘機12機と交戦し、米海兵隊撃墜王の
マリオン・カール大尉を単機で追尾。カール大尉がガダルカナル飛行場への着陸体勢に入ったところを
狙って攻撃をかけたが基地からの対空砲火で撃墜には至らなかった。
搭乗機の機首を強引に引き起こしたカール大尉は笹井に対して捨て身の一連射を送った。そしてこの
一撃が射撃位置に入ってきた笹井の零戦を直撃、次の瞬間機体は火を吐き笹井もろとも爆発、
基地付近の海岸線に砕け散った。笹井は、その旺盛な闘争心から海兵同期には「軍鶏」とあだ名され、
またその風貌、人望、戦績から「ラバウルの貴公子」、「ラバウルのリヒトホーフェン」の異名も持つ。享年24。
|
菅野 直
最終階級中佐 |
宮城県角田町(現角田市)出身。海軍兵学校70期、第38期飛行学生。最終階級は中佐。
零式艦上戦闘機・局地戦闘機紫電改を操り、個人・協同含め敵機撃墜破数72機
昭和20年2代目三四三航空隊、通称剣部隊の戦闘301飛行隊「新選組」隊長に着任。剣部隊司令は
源田実。1945年8月1日隊長菅野以下紫電改20数機は九州に向けて北上中のB-24爆撃機編隊
発見の報を受け、これを邀撃すべく大村基地を出撃した。菅野は最終的にP-51に
撃墜されたと思われる。菅野は第343空において18機を撃墜したといわれている。
|
各型式の相違
|
零式艦上戦闘機二一型 |
零式艦上戦闘機五二型 |
零式艦上戦闘機五四型 |
機体略号 |
A6M2b |
A6M5 |
A6M8 |
全幅 |
2.0m |
11.0m |
11.0m |
全長 |
9.05m |
9.121m |
9.237m |
全高 |
3.53m |
3.57m |
3.57m |
翼面積 |
22.44m? |
21.30m? |
21.30m? |
自重 |
1,754kg |
1,876kg |
2,150kg |
重量 |
2,421kg |
2,733kg |
3,150kg |
最高速度 |
533.4km/h(高度4,550m) |
564.9km/h(高度6,000m) |
572.3km/h(高度6,000m) |
航続距離 |
巡航3,350km(増槽あり)/ |
全力30分+2,560km(増槽あり) |
全速30分+850km(正規) |
巡航2,222km(正規) |
/1,920km(正規) |
・ |
武装 |
翼内20mm機銃2挺 |
翼内20mm機銃2挺 |
翼内20mm機銃2挺 |
(携行弾数各60発) |
(携行弾数各100発) |
・ |
機首7.7mm機銃2挺 |
機首7.7mm機銃2挺 |
・ |
(携行弾数各700発) |
(携行弾数各700発) |
・ |
爆装 |
・ |
・ |
250kg爆弾1発 |
・ |
・ |
30kg小型ロケット弾4発 |
・ |
・ |
以上より選択 |
試作機完成 |
1940年7月 |
1943年4月 |
1945年4月 |
零戦の製作機数
零戦の製作数は19098機と言われて、三菱12980機・中島6545・日立では零戦改造の練習機A6M2K2721機。
終戦時に残った零戦は730機。当時の値段一機約20万円 1977年当時価格2億円
大空に消えたゼロ戦
ソロモン方面:5000機 ・ ルソン島:3000機 ・ ブーゲンビル(ラバウル)2500機 ・ マリアナ諸島:1500機
台湾付近:1200機 ・ 沖縄:3200機 ・ 東京:3100機 ・ ミンダナオ:600機 ・ ニューギニア:250機
マーシャル、ギルバート島:350機 ・ 仏印:200機 ・ マレー:200機 ・ 硫黄島:50機 ・ トラック島:300 ・
印度支那:20
|
生産数:約1070機
三菱A5Mは、日本海軍最初の全金属単葉戦闘機。
日本独自の設計思想の下に制作された最初の機体。連合軍のコードネームは“Claude ”。後継機は零式艦
三菱航空機では、七試艦上戦闘機に続き堀越二郎技師を設計主務者に任じて、開発設計に当たらせた。
九六式一号艦上戦闘機(A5M1)
最初の量産型で発動機は、寿二型改1を装備。武装は 7.7mm機銃2門。三菱航空機で30機生産。
九六式一号艦上戦闘機改(A5M1a)
二号一型の主翼にエリコンFF型20mm機関砲を各1門ずつ装備した実験機。
九六式二号一型艦上戦闘機(A5M2a)
発動機を寿三型に換装、プロペラを3翅とした。
九六式二号二型艦上戦闘機(A5M2b)
発動機の過冷防止、風圧に対する操縦者保護のため、胴体を太くしてカウルフラップ、および密閉式風防を取り付けた。
しかしこれが視界不良とされ、後期生産型では風防は取り外されて代わりに操縦者保護のため背びれを高くした。
二号一型、二型併せて39機を三菱で生産。
九六式三号艦戦(A5M3a)
一号艦戦を改造し、20mmイスパノ型モーターカノン砲とイスパノ12Xcrs水冷発動機を装備した実験機で2機製作
九六式四号艦戦(A5M4)
発動機を寿四一型に換装。最も多く生産された型で、三菱の他に佐世保工廠、九州飛行機などで
合計約 1,000機が生産された。
二式練習用戦闘機(A5M4-K)
九六式艦戦を複座化した練習機
機体名 |
九六式一号艦上戦闘機 |
・ |
全幅 |
11.00 m |

 |
全長 |
7.71 m |
全高 |
・ |
自重 |
自重: 1075 kg |
重量 |
・ |
最高速度 |
460km/h |
航続距離 |
1200 km |
武装 |
武装: 7.7 mm機銃×2 |
30 kg爆弾×2または50 kg爆弾×1 |
乗員 |
1名 |
|
生産数:約1423機
第二次世界大戦中に開発した戦闘機である。この名称は紫電の各型のうち、二一型以降の機体を呼ぶものである。
1944年以降の日本海軍においての唯一敵に正面から対抗可能な制空戦闘機として太平洋戦争末期の日本本土防空戦で
活躍した。昭和16年)末、川西航空機(以下、川西)は水上機の需要減少を見込み川西龍三社長の下、次機種制作を討議した
派生型
仮称一号局地戦闘機改/紫電二一型(N1K2-J)
紫電改の最初の量産型で99機生産された。51号機以降は20mm機銃の取り付け度を3度上向きに変更。爆弾投下は手動式
紫電二一甲型(N1K2-Ja)
二一型の爆装を60kg爆弾4発または250kg爆弾2発に強化した型。垂直安定板前縁を削り、面積を13%減積した。
テストパイロットを務めた山本重久少佐によると、操縦性と安定性のバランスが改善された。生産機101〜200号機
試製紫電三一型(N1K3-J)
爆弾投下器を電気投下式に改良。発動機架を前方に150mm延長し、機首に三式十三粍機銃一型2挺を追加した武装強化型。
生産201号機以降で、1945年2月に少数が生産。
試製紫電改二(N1K3-A)
試製紫電三一型に着艦フック、尾部の補強などの改造を施した艦上戦闘機型。試作2機
1944年11月12日、山本久重少佐の操縦で東京湾で行われた航空母艦信濃での着艦実験に参加。
試製紫電三二型(N1K4-J)
試製紫電改三。三一型の発動機を低圧燃料噴射装置付きの誉二三型に変更した型。鳴尾517、520号機のみ
試製紫電改四(N1K4-A)
試製紫電改三(試製紫電三二型)に着艦フックなどを追加した艦上戦闘機型。試作機が製作されたかは不明
試製紫電改五(N1K5-J)
二一甲型の発動機を次機艦上戦闘機となるはずであった「烈風」と同じハ四三-一一型(離昇2,200馬力)に変更した型
制式名称 |
紫電一一型 |
|
紫電二一型 |
・ |
機体略号 |
N1K1-J |
|
N1K2-J |
 |
全幅 |
11.99m |
全長 |
8.885m |
|
9.376m |
全高 |
4.058m |
|
3.96m |
翼面積 |
23.5m? |
|
23.5m? |
自重 |
2,897kg |
|
2,657kg |
最高速度 |
583km/h(高度5,900m) |
|
594km/h(高度5,600m) |
航続距離 |
1,432km(正規)/2,545km(過荷) |
|
1,715km(正規)/2,392km(過荷) |
武装 |
主翼下ポッド20mm機銃2挺 |
|
翼内20mm機銃4挺 |
(携行弾数各100発) |
|
携行弾数内側各200発 |
|
機首7.7mm機銃2挺 |
|
外側各250発 |
(携行弾数各550発) |
|
計900発 |
爆装 |
60kg爆弾4発、250kg爆弾2発 |
生産機数 |
1,007機 |
|
415機 |
|
|
生産数:約200機
九試艦上攻撃機として中島、三菱、空技廠の3者が競争試作し、
空技廠製のものが九六式艦上攻撃機として採用された。
海軍における記号はB4Y。
昭和11年)11月九六式艦上攻撃機として制式採用された。
戦歴
1937年に第二次上海事変が勃発すると、母艦部隊と基地航空隊に
属する九六式艦攻が現地へ派遣され、主に地上攻撃に使用された。
本来の雷撃の機会には恵まれなかったが、パナイ号事件では水平爆撃
によりパナイ号を撃沈した。その後、後継機の九七式艦上攻撃機の配備と
ともに、次第に第一線を退いた。
|
 |
太平洋戦争初期まで、小型空母の搭載機、沿岸哨戒、練習機として使用された。
主要諸元
全長 |
全幅 |
自重: |
速度 |
乗員 |
航続時間 |
武器 |
:10.15m |
15.00m |
1,825 -2,000kg |
277km/h |
3名 |
8時間(1,574km) |
7.7mm機銃×2(機首固定・後部旋回各1)
魚雷1または爆弾500〜800kg
|
|
この名を持つ飛行機には全く設計の異なる中島製(B5N)と三菱製(B5M)
の2種類が存在するが、通常は中島製(B5N)を指す。
日本海軍としては、初の全金属製の低翼単葉機であり、
一号型は国産単発機初の引込脚を採用、1937年)には初飛行に成功している。
この一号の発動機を「光」三型から「栄」11型に変更したものを九七式三号
艦上攻撃機(後に九七式艦上攻撃機一二型と改称)として採用し、以後生産の
中心は三号に移る。
一号、三号合わせて1250機ほどが、中島飛行機の小泉工場(機体)で
生産されている。 のち、一号は「九七式艦上攻撃機一一型」、三号は
「九七式艦上攻撃機一二型」と改称された。
|
 |
速力:377 km/h 兵装:800 kg 魚雷または爆弾×1、7.7mm機銃×1
九七式二号艦上攻撃機
三菱重工業で開発された二号(後に九七式艦上攻撃機六一型と改称)は
保守的な固定脚であり、中島機に比べ振動が少なかったため、
二号のほうを好む搭乗員もいたという。
二号は昭和15年に生産が終了し、専ら訓練や哨戒などに用いられた。
合計で150機ほどが(120機とも)生産されている。
後に、本型は「九七式艦上攻撃機六一型」と改称された。
|
 |
速力:380 km/h 兵装:800 kg 魚雷または爆弾×1、7.7mm機銃×1
スペック(三号)
全長 |
全幅 |
自重: |
速度 |
乗員 |
航続時間・距離 |
武器 |
10.3m |
15.52m |
2,170kg |
378km/h |
3名 |
1,021km |
武装7.7mm機銃×1 582発(6弾倉)
800kg魚雷1本および800kgまたは250kg爆弾2発
|
|
生産数:1,266機
日本海軍が九七式艦上攻撃機(以下、九七式艦攻)の後継機として
開発・実戦配備した艦上攻撃機、機体略号はB6N。設計・生産は中島飛行機
昭和14年(1939年)10月、海軍は制式採用直前の九七式三号艦攻の
後継艦上攻撃機として「十四試艦上攻撃機計画要求書」を
中島飛行機に提示した。
昭和17年(1942年)2月20日にB6N1試作一号機が完成
|
 |
実戦
昭和18年(1943年)7月、開隊直後の第五三一航空隊にB6N1が初めて配備された。
6月のマリアナ沖海戦を迎えている。この海戦では第六〇一航空隊の29機が昼間雷撃を行ったものの、
F6Fヘルキャットの迎撃と対空砲火により出撃機の8割を超える24機が未帰還になるという大損害を受けている。
派生型
天山一一型(B6N1)
十四試艦攻同様、護一一型を装備した型。生産数124機
天山一二型(B6N2)
発動機を火星二五型に換装した型。計画では昭和18年11月から量産される予定だったが必要数の護が
調達できなかったため、量産開始が1ヵ月早められている。
天山一二甲型(B6N2a)
一二型の後上方旋回機銃を13mm機銃に換装した武装強化型
天山一三型(B6N3)
発動機を火星二五丙型に換装し、エンジンカウル、風防等を再設計した性能向上型。試作機2機のみ
諸元
制式名称 |
天山一一型 |
|
天山一二甲型 |
機体略号 |
B6N1 |
|
B6N2a |
全幅 |
14.894m(主翼折畳時7.1935m) |
全長 |
10.865m |
全高 |
3.800m |
|
3.820m |
翼面積 |
37.202m2 |
自重 |
3,223kg |
|
3,083kg |
最高速度 |
464.9km/h(高度4,800m) |
|
481.5km/h(高度4,000m) |
航続距離 |
1,460km(正規)/3,447km(過過重) |
|
1,746km(正規)/3,045km(過過重) |
武装 |
7.7mm旋回機銃2挺(後上方・後下方) |
|
13mm旋回機銃1挺(後上方) |
|
|
7.92mm旋回機銃1挺(後下方) |
乗員 |
3名 |
|
3名 |
爆装 |
60kg6発、250kg2発、500kgまたは800kg爆弾1発、九一式航空魚雷1発 |
生産機数 |
124機 |
|
|
|
艦上爆撃機 |
生産数:1486機
1936年)「十一試艦上爆撃機」として試作が始まり、愛知航空機
(1943年愛知時計電機から独立)が受注・生産を行い、太平洋戦争初期
に活躍した、日本海軍の艦上急降下爆撃機。通称「九九式艦爆」、
もしくは「九九艦爆」。記号はD3A。
昭和14年12月16日、「九九式艦上爆撃機一一型」として海軍に正式採用された。
昭和17年8月に仮称九九式艦上爆撃機一二型と呼ばれた改良型が試作された。
昭和18年)1月に九九式艦上爆撃機二二型(D3A2)として制式採用された。
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生産
生産は1939年(昭和14年)から開始され、愛知において一一型が476機(増加試作機を含む)、二二型が816機生産された。
昭和飛行機でも二二型の後期生産型が220機生産された。この内、終戦時に残存していたのは135機だった。
戦歴
九九艦爆は、零式艦上戦闘機・九七式艦上攻撃機と共に、太平洋戦争前期の日本海軍の快進撃を支え、真珠湾攻撃や
セイロン沖海戦などで高い急降下爆撃命中率を示した。九九艦爆の空母からの作戦参加はマリアナ沖海戦によって終了した。
諸元
制式名称 |
九九式艦上爆撃機一一型 |
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九九式艦上爆撃機ニニ型 |
機体略号 |
D3A1 |
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D3A2 |
全幅 |
10.185 m |
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10.231 m |
全長 |
14.360 m |
全高 |
3.348 m |
翼面積 |
34.970 m? |
自重 |
2,390 kg |
|
2,750 kg |
最高速度 |
381.5 km/h(高度2,300 m) |
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427.8 km/h(高度5,650 m) |
航続距離 |
1,472 km |
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1,050 km |
武装 |
機首固定:7.7mm×2、後方旋回:7.7mm×1 |
乗員 |
2名 |
爆装 |
250kg × 1、60kg × 2 |
生産機数 |
476機 |
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1036 |
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第二次ソロモン海戦で翔鶴艦載機 |
発進準備中 |
真珠湾攻撃の直前。
後ろに見えるのは空母蒼龍 |
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生産数:2,253機
大日本帝国海軍の艦上爆撃機。機体略号はD4Y。
太平洋戦争後半の日本海軍主力機となり、特攻機としても投入された。
単発複座の高速艦上爆撃機として設計された彗星は、艦上爆撃機
として設計された彗星は、艦上爆撃機としてはかなりの小型機で、
零式艦上戦闘機とほぼ同サイズである。
昭和18年6月から、機体強度を向上させた艦上爆撃機型も彗星一一型(D4Y1)
として量産に移り、昭和18年後半のソロモン戦から実戦投入された。
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派生型
十三試艦上爆撃機(D4Y1)
DB 601Aエンジンを搭載した試作型。生産数5機。
二式艦上偵察機一一型(D4Y1-C)
偵察用カメラと爆弾倉内蔵式増加燃料タンクを追加した艦上偵察機型。
二式艦上偵察機一二型(D4Y2-C/R)
発動機をアツタ三二型に換装した艦上偵察機型。後方旋回機銃を13mm機銃に強化した一二甲型も生産された
彗星一一型(D4Y1)
艦上爆撃機型としては最初の量産型。
彗星一二型(D4Y2)
発動機をアツタ三二型に換装した艦上爆撃機型。二式艦偵一二型同様、後方旋回機銃を13mm機銃に強化した
一二甲型(D4Y2a)も生産された。
彗星一二戊型(D4Y2-S)
一二型の偵察員席後方に20mm斜銃を追加した夜間戦闘機型。三〇二空を始めとする、本土防空部隊と芙蓉部隊に配備。
彗星二二型(D4Y2改)
航空戦艦に改装された伊勢型戦艦搭載用に機体を強化してカタパルト射出可能とした機体。一一型または一二型から
改造(一一型は熱田三二型への換装を含む)。
彗星三三型(D4Y3)
動機を金星六二型(離昇1,560馬力)に換装した陸上爆撃機型。試作機を除き着艦フック無し。
一二型同様、後方旋回機銃を13mm機銃に強化した三三甲型(D4Y3a)も生産された。
彗星三三戊型(D4Y3-S)
三三型の偵察員席後方に20mm斜銃を追加した夜間戦闘機型。大戦末期、一二戊型
の代替として三〇二空などに少数機が配備
彗星四三型(D4Y4)
後席廃止(一部は複座型に戻されている)、防弾装備強化、爆弾倉扉廃止などの改修を施した簡易型。
800kg爆弾1発の搭載が可能。一般的には特攻仕様として認知されることが多い。
諸元
制式名称 |
彗星一一型 |
彗星一二型 |
彗星三三型 |
機体略号 |
D4Y1 |
D4Y2 |
D4Y3 |
全幅 |
11.50m |
11.50m |
11.50m |
全長 |
10.22m |
10.22m |
10.22m |
全高 |
3.175m |
3.069m |
翼面積 |
23.6m2 |
23.6m2 |
23.6m2 |
自重 |
2,510kg |
2,635kg |
2,501kg |
最高速度 |
546.3km/h(高度4,750m) |
579.7km/h(高度5,250m) |
574.1km/h(高度6,050m) |
航続距離 |
1,783km(正規)〜2,196km(過荷) |
,517km(正規)〜2,389km(過荷) |
1,519km(正規)〜2,911km(過荷) |
武装 |
機首7.7mm固定機銃2挺600発 |
機首7.7mm固定機銃2挺400発 |
機首7.7mm固定機銃2挺400発 |
後上方7.7mm旋回機銃1挺 |
後上方7.7mm旋回機銃1挺 |
後上方7.92mm旋回機銃1挺 |
(97発弾倉×6) |
(97発弾倉×6) |
(75発弾倉×3) |
乗員 |
2名 |
2名 |
2名 |
爆装 |
胴体250kgまたは500kg |
胴体250kgまたは500kg爆弾1発 |
胴体250kgまたは500kg爆弾1発 |
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爆弾1発 |
翼下30〜60kg爆弾2発 |
翼下250kg爆弾2発 |
生産機数 |
・ |
・ |
・ |
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生産数:114機
太平洋戦争末期に登場した大日本帝国海軍の艦上攻撃機である。
設計・開発は愛知航空機。開発者の間では「流星改」と呼ばれた。
機体略番はB7A。敗戦当日、木更津海軍航空基地から
房総半島沖の空母ヨークタウンに特攻攻撃を行い、
海軍公式記録上「最後の特攻」となった。
多任務艦上攻撃機で急降下爆撃・水平爆撃・雷撃、すなわち艦上爆撃機と
艦上雷撃機の両機種の役割を兼ねる。
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製造者:愛知航空機 初飛行:1942年12月
生産開始:1941年〜1945年
全幅 |
14.40 m(主翼折り畳み時8.30 m) |

主翼を折りたたんだ流星

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全長 |
11.49 m |
全高 |
4.07 m |
翼面積 |
35.40 m2 |
自重 |
3,614 kg |
最高速度 |
542.6 km/h(高度6,200 m) |
航続距離 |
爆撃正規:1852km 爆撃過荷:2982 km |
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翼内20mm機銃2挺 |
武装 |
後上方13mm旋回機銃1挺 |
爆装 |
胴体500〜800kg爆弾1発、または250kg爆弾2発 |
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翼下30-60kg爆弾4発 |
雷装 |
850〜1,060kg魚雷1本 |
乗員 |
2名 |
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生産機数428機
複葉艦上爆撃機。愛知航空機が自社の九四式艦上爆撃機を発展させて製造し、
日本海軍が1936年(昭和11年)に制式採用した。海軍の記号はD1A2
昭和11年)10月に九四式艦上爆撃機改と称された
支那事時の主力として艦上だけでなく陸上からも発進して活躍した。
昭和16年)12月に採用され、練習航空隊で使用された。また、開戦初頭は
偵察機として運用され対潜水艦哨戒用として軽空母「大鷹」で運用
記録も残っている。生産は1936年から1940年まで行われ、
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製造者:愛知航空機 初飛行:1936年 運用開始:1936年11月
全長 |
全幅 |
自重 |
最高速度 |
乗員 |
航続距離 |
武器 |
9.40 m |
11.40 m |
1,775 kg |
309 km/h |
2 名 |
1,330 km |
7.7mm ×3(機種固定2+後席旋回1)
爆装:250kg ×1、30kg ×2
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偵察機・哨戒機 |
総生産数は約220機
愛知航空機が生産した日本海軍の水上偵察機である。機体略番はE16A
昭和17年)3月に試作1号機を完成させた
昭和18年)8月に瑞雲11型として制式採用された。
昭和19年)春から部隊配属が開始されフィリピン方面での夜間爆撃等に
使用された。特に魚雷艇攻撃においては、それなりの戦果を示している。
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仕様
全長 |
全幅 |
全高 |
最高速度 |
乗員 |
航続距離 |
武器 |
10.84 m |
12.80 m |
4.74 m |
448 km/h |
2名 |
2,535 km |
20mm機関砲×2
7.7mm旋回機銃×1(初期型)・
13mm旋回機銃(量産型)
60kg爆弾×2または250kg爆弾×1
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生産数:398機
太平洋戦争中期から運用された大日本帝国海軍の艦上偵察機である
開発記号はC6N。第二次世界大戦中では唯一、偵察専用として開発された
艦上機である。
日本海軍の艦上偵察機の歴史は、1921年(大正10年)初の国産偵察機として
一〇式艦上偵察機(採用当時は十年式艦上偵察機)を製作したことに始まる
中島飛行機で試製が予定されていた機体を「十七試艦上偵察機」として
試作発注することとなった。
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昭和19年)9月に、艦上偵察機「彩雲」(C6N1)として正式採用となるが、これは手続き上のことであり、
量産機はすでに6月から 実戦配備されていた。本土決戦が現実化してくると、特別攻撃隊用の特攻機として
運用することも考えられるようになっていた。
仕様
運用開始:1944年(昭和19年)6月 製造者:中島飛行機・日本飛行機
全長 |
全幅 |
自重 |
最高速度 |
乗員 |
航続距離 |
武器 |
11.15m |
12.50m |
2.908kg |
609.5km/h |
3名 |
5,308km |
7.92mm機銃×1 |
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生産数:8機
日本海軍の水上偵察機である。機体略番はE15K。
昭和18年(1943年)8月に二式高速度水上偵察機紫雲11型として
制式採用されたが、運用上の問題も多くごく少数の生産で終わった。
高速水上偵察機の試作を川西航空機に指示した。
昭和18年(1943年)8月に二式高速度水上偵察機紫雲11型として制式採用された
昭和19年(1944年)6月にはパラオ島のアラカベサン水上基地に配備され
索敵偵察や哨戒任務に使用された。
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全長 |
全幅 |
自重 |
最高速度 |
乗員 |
航続距離 |
武器 |
11.588 m |
14.00 m |
4,100 kg |
468 km/h |
2名 |
1,408 km |
武装: 7.7 mm機銃 × 1、60 kg爆弾 × 2 |
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生産数:0機
太平洋戦争中に試作された日本海軍の偵察機
機体番号は「R2Y」。胴体中央部に双子型の発動機を配置し、
昭和20年5月二度の試験飛行を行ったが、エンジンの不調等で所定の
性能に達しないまま終戦を迎えた。
昭和18年)、空技廠は最高速度740km、航続距離3,333km以上という高性能の
高々度偵察機の開発を開始した。これが、18試陸上偵察機「景雲」である。
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昭和20年)4月に試作1号機が排気タービンを装着しない形で完成し、5月に木更津飛行場で試験飛行を行った。
性能
全長 |
全幅 |
自重 |
最高速度 |
乗員 |
航続距離 |
武器 |
13.05 m |
14.00 m |
:8,100 kg |
741 km/h |
2〜3名 |
:3,610 km |
・ |
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総生産数1423機
愛知航空機が開発し、昭和15年に正式採用された日本海軍の水上機。
略称である零式水偵と呼ばれることが多く、零式小型水上偵察機との違いを
明確にする場合には零式三座水上偵察機とも表記される。
日本海軍における記号はE13A。昭和16年から艦船や基地への配備が本格化した。
開戦時には海軍の主力艦船には本機が搭載されており艦隊や外地の基地の
目として盛んに活動した。
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生産は愛知航空機の他、渡辺鉄工所(後に九州飛行機になる)、広工廠でも行われた。
全長 |
全幅 |
自重 |
最高速度 |
乗員 |
航続距離 |
武器 |
11.49m |
4.70 m |
3,650 kg |
367 km/h |
3名 |
3,326 km /14.9h |
7.7 mm 機関銃 × 1
60 kg 爆弾 × 4 または250kg 爆弾 × 1
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総生産数約708機
太平洋戦争中に運用された日本海軍の水上観測機・偵察機。
機体略号はF1M、略称は零観(れいかんまたはゼロカン)
昭和15年)末に制式採用されて、「零式水上観測機」となった
2年後に試作指示が出た「十二試艦上戦闘機」(零戦)と同年に制式化された
ことから、いかにこの機種の開発が難航したが分かる。
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昭和18年)以降は、船団護衛や対潜哨戒が主務となり第一線からは退いたが終戦まで活動を続け、一部の機体は
特攻機として沖縄戦で使用された。
全長 |
全幅 |
自重 |
最高速度 |
乗員 |
航続距離 |
武器 |
9.50m |
11.00m |
2,550 kg |
:370 km/h |
2名 |
1,070 km |
九七式7.7mm機銃(機首2門)
九二式7.7mm機銃・60kg爆弾×2 |
(三菱528機(試作機4機含む)、佐世保約180機)である(生産数については1,118機等の異説もある)
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生産数:167機
第二次世界大戦中に九七式飛行艇の後継機として実用化した
4発大型飛行艇。初飛行は1941年(昭和16年)機番は「H8K」。
レシプロエンジン装備の飛行艇としては当時世界最高の性能を誇る
傑作機とされる。なお、輸送型は「晴空」と呼ばれていた。
昭和14年9月に第二次世界大戦が勃発、日米の緊張も高まる中、
和田操航技廠長は昭和15年中に本機を完成させるよう厳命する。
同年12月29日、十三試大艇は川西鳴尾工場で完成、翌日試験飛行を行う
活躍
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昭和17年)3月4日には、大航続力を生かして3機で真珠湾を再空襲した。
だが3月7日のミッドウェー島長距離偵察で、K作戦大艇隊指揮官橋爪寿雄大尉機が米軍戦闘機の迎撃で撃墜され、
二式大艇最初の戦闘喪失機となった
諸元 正式名称:二式飛行艇一二型(略符号:H8K2)
全長 |
全幅 |
自重 |
最高速度 |
乗員 |
航続距離 |
武器 |
38.00m |
28.13m |
18,400kg |
465km/h |
10 - 13名 |
7,153km
(偵察過荷) |
20mm旋回銃5門、7.7mm旋回銃4門
または航空魚雷×2
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生産数:153機
日本海軍の陸上対潜哨戒機である。Q1の名が示すように哨戒機として
開発された日本最初の機体である。153機が生産され終戦時には68機残存した。
運用
最初に東海を配備したのは佐伯海軍航空隊で、1944年10月に東海による
部隊が初めて編成された。当初は生産機は全て佐伯海軍航空隊に配備され
飛行や整備の訓練を受けた。
本機は主に済州島?瑟浦基地などより、東シナ海、小笠原諸島方面において
対潜哨戒活動に従事した。
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諸元 九州陸上哨戒機 「東海」[Q1W1] 運用開始:1945年1月
全長 |
全幅 |
全高: |
最高速度 |
乗員 |
航続距離 |
武器 |
12.09 m |
16.00 m |
4.12 m |
320 km/h |
3 名 |
2,415 km |
20 mm×1、 7,7 mm×1
250kg爆弾×2 |
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戦艦:長門 の主砲
41cm(45口径)連装砲 4基:建造当初の性能は、初速790m/s、最大射程30,300m(最大仰角30度/俯角5度)、砲弾重量1,000kg
(五式徹甲弾)、砲身の命数は250発、距離20キロでの垂直装甲貫徹力は271ミリであった
改装後の性能は初速790m/s、最大射程38,430m(最大仰角43度/俯角2度)、砲弾重量1,020kg
(九一式徹甲弾)、砲身の命数は250発、距離20キロでの垂直装甲貫徹力は454ミリであった。
戦艦:大和 の主砲
45口径46cm3連装砲 3基:
大和型戦艦が搭載した46cm45口径砲の最大射程は42,026m、46cm主砲の装填速度は29.5 - 30.5秒と
されている。つまり最大仰角45度で発砲した場合は、装填角度の3度から45度に砲身を上げるのに4.2秒、
下ろすのにも4.2秒かかるため、次弾発射までに単純合計で37.9 - 38.9秒を要する。
30,000mで射撃すると、弾着するまで50秒かかる。
大和型戦艦の装填速度29.5 - 30.5秒/発は、ビスマルク級戦艦の26秒/発
(仰角4度。ただし、装填角度は2.5度)や米新型戦艦のマニュアルにある30秒/発と大差ない。
砲弾
46cm砲の場合、砲弾全長は九一式が約2m、三式弾が1.6m。砲弾重量は九一式および零式弾が1,460kg、
三式弾が1,360kgであった。1門の搭載定数は当初100発、1砲塔300発が考えられたが、実際の設計では
1門あたり120発+訓練用砲弾6発に変更
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小型酸素魚雷「九五式魚雷」は世界最高水準の性能を誇る。
酸素式は各国でも開発していたが、太平洋戦争までに成功したのは日本だけである。
魚雷は、魚形水雷の略称であり、弾頭にエンジンと高速スクリューを組み合わせ、水中を航行し、
衝突した艦船などを爆発によって破壊することを目的とした兵器である。
昭和8年)に日本海軍は酸素魚雷を開発・実用化し、第二次世界大戦において使用していた。
大戦中に日本軍が使用した酸素魚雷は、米軍の魚雷に比べて炸薬量、射程の点で優位にあった。
高速の航空機からでも投下できる本格的な航空魚雷を世界に先駆けて実現したのは、
日本海軍の九一式魚雷だった。 この魚雷は2点の特徴をもっていた。
魚雷には艦艇用・潜水艦用・航空用に区分される。
酸素魚雷
化剤として空気の代わりに酸素を用いた魚雷である。単に酸素魚雷といった場合、第二次世界大戦中、
唯一実用化され運用された大日本帝国海軍の九三式魚雷もしくは九五式魚雷を指すことが多い。
各種酸素魚雷の要目
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全長 |
直径 |
重量 |
射程 |
弾頭重量 |
九三式酸素魚雷1型(艦艇用) |
900 cm |
61 cm |
2,700 kg |
36 kt で 40,000 m
48 kt で 20,000 m
|
490 kg |
九三式酸素魚雷3型(艦艇用) |
900 cm |
61 cm |
2,800 kg |
36 kt で 30,000 m
48 kt で 15,000 m |
780 kg |
九五式酸素魚雷1型(潜水艦用) |
715 cm |
53.3 cm |
1,665 kg |
45 kt で 12,000 m
49 kt で 9,000 m |
400 kg |
九四式酸素魚雷1型(航空魚雷) |
670 cm |
53 cm |
1,500 kg |
45 kt で 4,000 m |
350 kg |
九四式酸素魚雷2型(航空魚雷 ) |
527 cm |
45 cm |
810 kg |
45 kt で 2,000 m |
200 kg |
九〇式空気式魚雷 |
(艦艇用 睦月型駆逐艦から初春型駆逐艦までの駆逐艦以下の艦艇に搭載) |
850 cm |
61 cm |
2,500 kg |
42 kt で 10,000 m
46 kt で 7,000 m |
400 kg |
九一式魚雷
大日本帝国海軍が航空機からの投下用に設計した航空魚雷。
九一式航空魚雷は、高度 20m、速度 180 ノット (333km/h) で、しかも浅い軍港で発射できるようになった。
九七式艦上攻撃機の水平最高速度 204 ノット (378km/h) を超える加速度降下雷撃で、波立つ荒れた海でも発射できる。
九一式航空接魚雷 |
5.270m |
45cm |
848kg |
42ノット (77.8km/h)
2,000m |
炸裂火薬量 235kg,
頭部重量 323.6kg |


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便宜上小口径(12.7cmまで)、中口径(20.3cmまで)、大口径砲(それ以上)に分ける。
小口径砲
種類と名称 |
搭載艦艇 |
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45口径三年式12cm砲:
通称G型砲 |
峯風型、神風型(2代目)、睦月型駆逐艦、
千鳥型水雷艇(改装後) |

50口径三年式14cm砲
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45口径十一年式12cm
通称M型砲 |
鴻型水雷艇 |
50口径三年式12.7cm |
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A型単装砲 |
千鳥型(改装前)。 |
A型改1単装砲 |
初春型駆逐艦、白露 |
B型単装砲 |
白露型駆逐艦 |
A型連装砲 |
特型駆逐艦T。 |
B型連装砲 |
特型UV、初春型、千鳥型 |
B型改1連装砲 |
有明、夕暮 |
C型連装砲 |
白露型、朝潮型、陽炎型駆逐艦 |
D型連装砲 |
夕雲型駆逐艦、島風 |
中口径砲
50口径三年式14cm砲 |
|
|
単装砲 |
天龍型、夕張、、伊勢型、長門型、潜水艦用 |

50口径四十一式15cm砲 |
連装砲 |
夕張、香取型 |
50口径四十一式15cm砲 |
|
単装砲 |
天龍型、夕張、5500トン型、伊勢型、長門型 |
連装砲 |
夕張、香取型 |
50口径四十一式15cm砲 |
|
単装砲 |
金剛型、扶桑型 |
連装砲 |
阿賀野型 |
60口径三年式15.5cm3連装砲 |
最上型、大和型、大淀 |
50口径三年式20cm |
|
A型単装砲 |
古鷹型 |
A1型単装砲 |
赤城、加賀 |
B型連装砲 |
赤城、加賀 |
C型連装砲 |
青葉型 |
D型連装砲 |
妙高型 |
|
50口径三年式2号20cm:内径203.2mm |
|
E型連装砲 |
高雄型(摩耶を除く) |
|
E1型連装砲 |
摩耶、最上型 |
|
E2型連装砲 |
古鷹型 |
|
E3型連装砲 |
利根型 |
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大口径砲
45口径毘式36cm連装砲:内径35.6cm |
金剛、比叡 |
45口径四一式36cm連装砲:毘式の国産化 |
榛名、霧島、扶桑型、伊勢型 |
45口径三式40cm連装砲:内径41.00cm |
長門型 |
45口径九四式46cm3連装砲 正式呼称「四五口径九四式四〇糎砲 |
大和型 |
各性能比較 50口径三年式20cm砲
項目 |
50口径三年式14cm砲 |
50口径四十一式15cm砲 |
60口径三年式15.5cm |
1号 |
2号 |
口径 |
140mm口径 / 50口径 |
152mm |
155mm口径 |
200mm |
203mm |
砲身長 |
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7,600mm |
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50口径 |
50口径 |
砲身重量(単装砲) |
21t |
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17.9トン |
19トン |
(連装砲) |
50t |
72トン |
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旋回角 |
旋回速度: 8度/秒 |
6度/秒 |
360° |
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最大射程 |
19,100 m |
21,000m |
27,400m |
26,673m |
29,432m |
発射速度 |
10発/分 |
6発/分 |
5 発/分 |
毎分5発 |
毎分4発 |
弾丸重量 |
38 kg |
45.4kg |
55.9 kg |
110kg |
125.85kg |
装薬重量 |
|
12.3kg |
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32.63kg |
33.8kg |
五〇口径三年式一二糎七砲 仕様
口径 |
127mm |
砲身長 |
50口径 |
砲身重量 |
4.205トン |
最大射程 |
18,445m(仰角44度) |
命数 |
550発 |
発射速度 |
10発/分(平射時 |
弾丸重量 |
23.5kg |
装薬重量 |
7.67kg |
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高角砲 |
40口径三年式8cm単装高角砲(通称8センチ高角砲)
項目 |
・ |
搭載艦船 |
・ |
口径 |
76.2mm口径 |
扶桑型 - 伊勢型 |

四〇口径三年式八糎高角砲 |
砲身長 |
・ |
鳳翔、古鷹型 |
砲身重量(単装砲) |
2.6トン |
天龍型 - 球磨型 |
(連装砲) |
・ |
長良型 - 川内型 |
旋回角 |
旋回速度: 11°/s |
筑摩型、迅鯨型 |
最大射程 |
10,800 m |
:若宮 能登呂 神威 |
最大射高 |
6,800 m |
・ |
発射速度 |
13発/分 |
・ |
弾丸重量 |
9.43kg |
・ |
装薬重量 |
・ |
・ |
大正11年)3月に四〇口径三年式八糎高角砲と改称された
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六〇口径九八式八糎高角砲(通称長8センチ高角)
項目 |
・ |
搭載艦船 |
口径 |
76.2mm口径 |
・ |
砲身長 |
60口径 |
軽巡洋艦:阿賀野型 |
砲身重量 (単装砲) |
11トン |
・ |
(連装砲) |
・ |
・ |
旋回角 |
旋回速度: 11°/s |
・ |
最大射程 |
13,600 m |
・ |
最大射高 |
9,100 m |
・ |
発射速度 |
26発/分 |
・ |
弾丸重量 |
5.99kg |
・ |
装薬重量 |
1.96kg |
・ |
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六五口径九八式一〇糎高角砲 生産数169門
項目 |
・ |
搭載艦船 |
・ |
口径 |
100mm口径 |
・ |

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砲身長 |
6,500mm |
・ |
重量 |
20.4トン(A型砲架 |
・ |
33.4トン(A型砲塔 |
大鳳 |
旋回角 |
旋回速度: 11°/s10.6度/秒 |
大淀 |
最大射程 |
18,700m |
秋月型 |
最大射高 |
13,300m |
・ |
発射速度 |
26発/分 |
・ |
弾丸重量 |
13kg |
・ |
装薬重量 |
5.83kg |
・ |
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四〇口径八九式十二糎七高角砲(通称12.7センチ高角砲)製造数:約1,300門
項目 |
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搭載艦船 |
・ |
口径 |
127mm口径 |
・ |
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砲身長 |
6,500mm |
・ |
重量 |
20.4トン |
大鳳 |
旋回角 |
旋回速度: 6/s6度/秒 |
大淀 |
最大射程 |
14,622 m |
秋月型 |
最大射高 |
9,439 m |
・ |
発射速度 |
14発/分 |
・ |
弾丸重量 |
23.00 kg |
・ |
装薬重量 |
5.83kg |
・ |
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十二糎二八連装噴進砲
十二糎二八連装噴進砲は、日本海軍の開発したロケットランチャー。
焼霰(しょうさん)弾(ロケット式焼霰弾、通称ロサ弾)を発射する架台である。
項目 |
・ |
搭載艦船 |
口径 |
120mm |
戦艦:伊勢 - 日向 |
砲身長 |
1,500mm |
航空母艦: |
重量 |
2.5トン |
瑞鶴 - 雲龍 - 天城 - |
葛城 - 信濃 - 瑞鳳 |
旋回角 |
全周 |
龍鳳 - 千歳 - 千代田 |
最大射程 |
4,800m |
隼鷹 |
最大射高 |
2,600m |
・ |
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九六式二十五粍高角機銃
第二次世界大戦中に日本海軍で使用された固定式対空機関砲
フランスのオチキス(ホチキス)製25mm機関砲を基に1935年(昭和10年)に開発された
ガス圧作動方式の対空機関砲である。
項目 |
・ |
搭載艦船 |
・ |
口径 |
25mm |
・ |
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砲身長 |
1.5m |
重量 |
1100kg(連装) |
785kg(単装) |
旋回角 |
360° |
最大射程 |
5,500m |
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最大射高 |
・ |
発射速度 |
260発/分 |
弾丸 |
対空・対艦両用弾 |
焼夷榴弾 |
製造数 |
約33,000門 |
主力対空機銃として戦艦、航空母艦から輸送艦等の補助艦艇に至るまで様々な艦艇に搭載された。 |
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