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日本海軍省の構成
  海軍省とは、大日本帝国海軍の軍政機関である。大日本帝国陸海軍大元帥の天皇が最高司令官として全権を統帥した
 軍令は天皇直属の軍令部が担当する。

 
 1893年(明治26年)には海軍軍令部が最高機関として設置され、軍令を管轄する。
 軍令を管轄する。軍務局を中心に海軍政策・軍備・人事や教育などを行った。
 海軍省は内閣の省であり、長は海軍大臣で、天皇によって任命された。
 海軍大臣の職務は海軍軍人の監督など海軍軍政の管理であり軍令権は持たない。
 大臣は現役の海軍大将又は中将が任命された。

  歴代海軍大臣
氏 名 内閣総理 就任日 退任日 海軍次官
 1
西郷從道 第1次伊藤内閣 1885年12月22日 1888年4月30日
2 西郷從道 K田内閣 1888年4月30日 1889年12月24日
3 西郷從道 第1次山縣内閣 1889年12月24日 1889年12月24日
 (以下昭和時代より)
29 財部彪 第1次若槻内閣 1926年1月30日 1927年4月20日
30 岡田啓介 田中義一内閣 1927年4月20日 1929年7月2日 山梨勝之進 中将
31 財部彪 濱口内閣 1929年7月2日 1930年10月3日 小林躋造 中将
32 安保清種 濱口内閣 1930年10月3日 1931年4月14日
33 安保清種 第2次若槻内閣 1931年4月14日 1931年12月13日 左近司政三 中将
34 大角岑生 犬養内閣 1931年12月13日 1932年5月26日
35 岡田啓介 齋藤内閣 1932年5月26日 1933年1月9日 藤田尚徳 中将
36 大角岑生 齋藤内閣 1933年1月9日 1934年7月8日
37 大角岑生 岡田内閣 1934年7月8日 1936年3月9日 長谷川清 中将
38 永野修身 廣田内閣 1936年3月9日 1937年2月2日
39 米内光政 林内閣 1937年2月2日 1937年6月4日 山本五十六 中将
40 米内光政 第1次近衞内閣 1937年6月4日 1939年1月5日
41 米内光政 平沼内閣 1939年1月5日 1939年8月30日 住山徳太郎 中将
42 吉田善吾 阿部内閣 1939年8月30日 1940年1月16日
43 吉田善吾 米内内閣 1940年1月16日 1940年7月22日
44 吉田善吾 第2次近衞内閣 1940年7月22日 1940年9月5日 豊田貞次郎 中将
45 及川古志郎 第2次近衞内閣 1940年9月5日 1941年7月18日 沢本頼雄 中将
46 及川古志郎 第3次近衛内閣 1941年7月18日 1941年10月18日
47 嶋田繁太郎 東條内閣 1941年10月18日 1944年7月17日 岡敬純 中将
48 野村直邦 東條内閣 1944年7月17日 1944年7月22日 井上成美 中将
49 米内光政 小磯内閣 1944年7月22日 1945年4月7日
50 米内光政 鈴木貫太郎内閣 1945年4月7日 1945年8月17日 多田武雄 中将
51 米内光政 東久邇宮内閣 1945年8月17日 1945年10月9日
52 米内光政 幣原内閣 1945年10月9日 1945年12月1日 三戸寿 中将  

     軍令部
  軍令部とは日本海軍の中央統括機関(海軍省と共同で行う)である。海軍省が内閣に従属し軍政・人事を担当するのに対し、
 令部は天皇に直属し、その統帥を輔翼する立場から、海軍全体の作戦・指揮を統括する。
 長は軍令部長(後に軍令部総長)であり、天皇によって海軍大将又は海軍中将が任命される。次長は総長を補佐する。
  歴代軍令部総長
指名 階級 就任   次 長
 1 仁礼景範 海軍少将 1886年3月16日 /       
2 伊藤雋吉 海軍少将 1889年3月8日 /
(以下昭和時代より)
12 鈴木貫太郎 海軍大将 1925年4月15日 斎藤七五郎・野村七五郎・末次信正
13 加藤寛治 海軍大将 1929年1月22日 末次信正
14 谷口尚真 海軍大将 1930年6月11日 永野修身・百武源吾
15 伏見宮博恭王 海軍大将 1932年2月2日 高橋三吉・加藤隆義・嶋田繁太郎・近藤
16 永野修身 海軍大将 1941年4月9日 近藤信竹・伊藤整一
17 嶋田繁太郎 海軍大将 1944年2月22日 塚原二四三
18 及川古志郎 海軍大将 1944年8月2日 塚原二四三・小沢治三郎
19 豊田副武 海軍大将 1945年5月19日 大西瀧治郎

    軍務局
 軍備・国防・服務・条約・礼式など海軍にかかわる
 あらゆる制度を掌握する
     軍需局
 機械工学・燃料調達・需品管理などを掌握する

歴代軍務局長 歴代軍需局長
 豊田貞次郎 少将:     1931年11月2日 -
 寺島健 少将:        1932年5月12日 -
 吉田善吾 少将:      1933年9月15日 -
 豊田副武 中将:      1935年12月2日 -
 井上成美 少将:      1937年10月20日 -
 阿部勝雄 少将:      1939年10月18日 -
 岡敬純 少将:       1940年10月15日 -
 岡敬純 中将:       1944年7月18日 -
 多田武雄 中将:      1944年8月1日 -
 保科善四郎 中将:    1945年5月15日 -
 山本善雄 少将:      1945年11月17日 -
 牛丸福作 機関中将:      1932年6月1日
 小野寺恕 機関中将:      1934年5月10日 -
 上田宗重 機関中将:      1935年12月2日 -
 氏家長明 機関中将:      1936年12月1日 -
 御宿好 機関少将:       1939年8月30日 -
 鍋島茂明 中将:         1943年10月25日 -
 森田貫一 中将:         1945年5月1日 -
 秋重実恵 少将:         1945年11月15日 -




 
    軍務局
 軍備・国防・服務・条約・礼式など海軍にかかわる
 あらゆる制度を掌握する
     軍需局
 機械工学・燃料調達・需品管理などを掌握する

歴代軍務局長 歴代軍需局長
 豊田貞次郎 少将:     1931年11月2日 -
 寺島健 少将:        1932年5月12日 -
 吉田善吾 少将:      1933年9月15日 -
 豊田副武 中将:      1935年12月2日 -
 井上成美 少将:      1937年10月20日 -
 阿部勝雄 少将:      1939年10月18日 -
 岡敬純 少将:       1940年10月15日 -
 岡敬純 中将:       1944年7月18日 -
 多田武雄 中将:      1944年8月1日 -
 保科善四郎 中将:    1945年5月15日 -
 山本善雄 少将:      1945年11月17日 -
 牛丸福作 機関中将:      1932年6月1日
 小野寺恕 機関中将:      1934年5月10日 -
 上田宗重 機関中将:      1935年12月2日 -
 氏家長明 機関中将:      1936年12月1日 -
 御宿好 機関少将:       1939年8月30日 -
 鍋島茂明 中将:         1943年10月25日 -
 森田貫一 中将:         1945年5月1日 -
 秋重実恵 少将:         1945年11月15日 -





     人事局
人軍属の人事管理、身分保障を掌握する。
     教育局
海軍軍人の教育・国民への啓発活動を掌握する。
歴代人事局長 歴代教育局長
 阿武清 少将:        1930年12月1日 -
 小林宗之助 少将:     1933年11月15日 -
 清水光美 少将:      1936年12月1日 -
 伊藤整一 少将:      1938年12月15日 -
 中原義正 少将:      1940年11月28日 -
 中澤佑 少将:        1942年12月10日 -
 三戸寿 少将:        1943年6月15日 -
 大野竹二 少将:      1945年5月7日 -
 川井巌 少将:        1945年11月24日 -



 中村亀三郎 少将:      1933年11月5日 -
 園田実 少将:         1934年9月20日 -
 豊田副武 少将:       1935年3月15日 -
 住山徳太郎 少将:      1935年12月2日 -
 新見政一 少将:       1937年12月1日 -
 草鹿任一 少将:       1939年11月15日 -
 徳永栄 少将:        1941年4月4日 -
 矢野志加三 少将:     1942年11月20日 -
 高木惣吉 少将:       1944年3月1日 -
 大西新蔵 少将:       1944年9月9日 -
 高柳儀八 中将:       1945年5月5日 -
 上阪香苗 少将:       1945年8月20日 -

   調度局・経理局
予算決算の計画と執行、物品調達など金品の
管理を掌握する。
   医務局
医療研究および衛生管理を掌握する。

歴代経理局長 医務局長
 村上春一 主計少将:     1933年5月20日 -
 武井大助 主計中将:     1938年5月2日 -
 山本丑之助 主計中将:   1943年6月1日 -


高杉新一郎 軍医中将:     1934年11月15日 -
中野太郎 軍医中将:      1939年11月15日 -
田中肥後太郎 軍医中将:   1941年10月15日 -
保利信明 軍医中将:      1943年10月25日 -
有馬玄 軍医少将:        1945年11月29日

   法務局    兵備局
昭和15年)11月15日発足。国家総動員・出師準備・
動員・生産計画など戦争遂行の国家計画を掌握する。
歴代法務局長 歴代兵備局長
潮見茂樹 法務官:    1936年3月28日 -
尾畑義純 法務官:    1941年4月1日 -
島田清 法務少将:    1944年11月1日 -
由布喜久雄 法務少将:  1945年11月20日
保科善四郎 少将: 1940年11月15日 - 1945年3月1日

   海軍の階級
  海軍軍旗
  

 海軍階級章
  

  海軍階級
   昭和17年7月改正
- 階級/科別 兵科 軍医科 薬剤科 歯科医 法務科 技術科 主計科 軍薬科 看護科
士官 将官 大将 - - - - - - - -
中将 軍医中将 - - 法務中将 技術中将 - - -
少将 軍医少将 薬剤少将 歯科少将 法務少将 技術少将 主計少将 - -
佐官 大佐 軍医大佐 薬剤大佐 歯科大佐 法務大佐 技術大佐 主計大佐 - -
中佐 軍医中佐 薬剤中佐 歯科中佐 法務中佐 技術中佐 主計中佐 - -
少佐 軍医少佐 薬剤少佐 歯科少佐 法務少佐 技術少佐 主計少佐 軍薬少佐 衛生少佐
尉官 大尉 軍医大尉 薬剤大尉 歯科大尉 法務大尉 技術大尉 主計大尉 軍薬大尉 衛生大尉
中尉 軍医中尉 薬剤中尉 歯科中尉 法務中尉 技術中尉 主計中尉 軍薬中尉 衛生中尉
少尉 軍医少尉 薬剤少尉 歯科少尉 法務少尉 技術少尉 主計少尉 軍薬少尉 衛生少尉

- 階級/科別 兵科 技術科 主計科 軍薬科 看護科 飛行科 整備科 機関科 工作科
准士官 - 兵曹長 技術兵曹長 主計兵曹長 軍薬兵曹長 衛生兵曹長 飛行兵曹長 整備兵曹長 機関兵曹長 工作兵曹長
下士官 上等下士 上等兵曹 上等技術
  兵曹
上等主計
 兵曹
上等軍薬
兵曹
上等衛生
兵曹
上等飛行
兵曹
上等整備
兵曹
上等機関
兵曹
上等工作
兵曹
一等下士 一等兵曹 一等技術
兵曹
一等主計
兵曹
一等軍薬
兵曹
一等衛生
兵曹
一等飛行
兵曹
一等整備
兵曹
一等機関
兵曹
一等工作
兵曹
二等下士 二等兵曹 二等技術
兵曹
二等主計
兵曹
二等軍薬
兵曹
二等衛生
兵曹
二等飛行
兵曹
二等整備
兵曹
二等機関
兵曹
二等工作
兵曹
兵長 水兵長 技術兵長 主計兵長 軍薬兵長 衛生兵長 飛行兵長 整備兵長 機関兵長 工作兵長
上等兵 上等水兵 上等技術兵 上等主計兵 上等軍薬兵 上等衛生兵 上等飛行兵 上等整備兵 上等機関兵 上等工作兵
一等兵 一等水兵 一等技術兵 一等主計兵 一等軍薬兵 一等衛生兵 一等飛行兵 一等整備兵 一等機関兵 一等工作兵
二等兵 二等水兵 二等技術兵 二等主計兵 二等軍薬兵 二等衛生兵 二等飛行兵 二等整備兵 二等機関兵 二等工作兵
   海軍兵力
 昭和16年の開戦時281,000名 、17年 409、000名 、 終戦時1,178,000名で本土決戦特攻要員増加
    海軍士官 (昭和17年7月1日)
 元帥:2名 大将:11名 中将:92名 少将:200名 大佐:878名 中佐:897名 少佐:983名
      大尉:1729名 中尉:713名 少尉:727名 候補生:1080名
 士官合計 7、310名
       海軍学校
 上級将校養成
   海軍大学校
 日本海軍の上級将校教育機関である。略語として海大とも呼称される。
 入学選抜
海軍の兵科高級幹部を養成する「甲種学生」の課程は海軍兵学校の卒業生が海軍士官(兵科将校)に任官後、
10年程度の実務経験を経た中から選抜された。受験資格は兵学校での教育を受けた中堅将校である
大尉・少佐であることが基本であった。入校者は海軍兵学校の卒業席次が高いものが多かったが、
席次が低くても本人の努力次第で入校することができた。
「甲種学生」のほかには「機関科学生」、「選科学生」等の課程があった。
海大を卒業しないで大将まで昇進した人物として加藤寛治、井出謙治、安保清種、野村吉三郎がおり、
中将への進級者も栗田健男、木村昌福、田中頼三、大西瀧治郎、左近允尚正、醍醐忠重、多田武雄、
西村祥治、松永貞市など少なからず存在し、しかも艦隊司令長官、軍令部次長、海軍次官等の要職に
少将クラスになると大田実、柴崎恵次、城島高次、千田貞敏、五藤存知、菊池朝三、野村留吉、
平出英夫など多数に上る(いずれも戦死後昇進を含まず)。
 歴代校長
沢本頼雄 中将 1939年12月23日 - 1940年10月15日
南雲忠一 中将 1940年11月1日 -
(代)阿部嘉輔 少将 1941年4月10日 -
小沢治三郎 中将 1941年9月6日 -
(兼)伊藤整一 中将 1941年10月18日 -
稲垣生起 少将 1942年6月1日 - 9月15日
(兼)及川古志郎 大将 1942年10月10日 - 1943年11月15日
(兼)吉田善吾 大将 1943年12月14日 -
(兼)伊藤整一 中将 1944年3月15日 -
(兼)小沢治三郎 中将 1944年11月18日 -

将校及び将校相当官養成(いわゆる海軍三校)
  
海軍兵学校
明治9年 - 昭和20年,明治から昭和の太平洋戦争終戦まで存続した大日本帝国海軍の海軍将校の養成を
目的とした教育機関である。戦前、江田島といえば、海軍兵学校を意味した。
 生徒の採用
必要受験資格は受験年齢は16歳から19歳の年齢制限があり、身体条件を満たす者、中学校第四学年
修了程度の学力、独身者、犯歴の無い者とされた。銓衡にあたり、最初に身体検査、運動機能検査で
学術試験受験者が決定され、学術試験は5日間連続で行われた。
学術試験は数学に始まり、英語(和訳)と歴史、物理、化学と国語(漢文も含む)、英語(英作文、文法)
地理の順に行われ、それぞれの学術試験の採点結果は当日に発表され、所定の合格点数に達した者
のみが次の学術試験を受験できる篩い落とし選考であった。その後、面接試験を経て最終合格者が
決定された。志願者の増加と共に内申書による事前選考が行われるようになった。
大佐まで昇進させる方針
 海軍機関学校
日本海軍の機関科に属する士官を養成するために、1881年-1887年と1893年-1945年に設置した軍学校
戦前、舞鶴といえば、海軍機関学校を意味した。1925年に京都府舞鶴に移転する
機関術・整備技術を中心に機械工学・科学技術(火薬・燃料の調合技術)・設計等メカニズムに関わるあらゆる
事象の研究・教育を推進した。また、機関科将校の術科学校であり、投炭技能や造船技術の訓練を
下士官に施していた工機学校が閉校していた大正3年ー昭和3年の間は、工機学校に代わる組織として
「練習科」を併設した。なお従来の機関将校育成コースは「生徒科」と称した。
また、将来将校となるべき生徒以外にも、准士官及び下士官を選修学生として教育した。
 海軍経理学校
大日本帝国海軍で庶務・会計・被服・糧食を受け持つ主計科要員育成のために置かれた軍学校としての
養成学校である。主計科士官の基礎教育を行う初級士官養成校の機能と、主計科の専門教育を
主計科士官および下士官・兵に施す術科学校としての機能を兼ね、さらに研究機関でもあった。
海軍兵学校および海軍機関学校とならぶ旧海軍三校の一つである。略称は海経(かいけい)。

生徒教育
旧制中学校卒業者を採用して海軍生徒として教育する課程である。卒業後は、主計少尉候補生を経て
主計少尉に任官する。採用生徒数は兵学校や機関学校に比べて少ない
修業期間は海経1期では3年間で、大正前期に3年4カ月間に延長。大正後期には3年間に戻されたが、
昭和3年)に3年8カ月間、1934年(昭和9年)に4年間と再延長された。

その他学校
海軍衛生学校 海軍病院や病院船・艦船・地上基地の診療・防疫に必要な看護術・衛生術の修得者を養成する教育機関
海軍気象学校 艦船および航空機の航路確保のための気象観測・天体観測・海洋観測技術の修得者を養成する教育機関
海軍軍医学校 軍人の医療・衛生を担当する軍医および看護士・薬剤師を養成する教育機関のことである。医学・薬学・歯学
海軍工機学校 艦船の運用に必要な航海術・操艦術・光学通信術・天文観測術・気象観測術の修得者を養成する教育機関
海軍工作学校 工作術(船匠・鍛冶・溶接・潜水作業)、ダメージコントロール、築城術・設営術、航空機整備術の技官や
養成する教育機関
海軍水雷学校 水雷術(魚雷・機雷・爆雷)指揮官・技官を養成する教育機関(軍学校)である。初級士官を養成する普通科
(少尉対象、海軍砲術学校普通科と合わせて1年間必修)、水雷術専門士官を養成する高等科
(大尉・少佐対象、半年-1年程度)、下士官を養成する予科を設置し、海軍将校として
必要な雷撃術・水雷艇や駆逐艦の操艦術・機雷敷設および掃海術・対潜哨戒および掃討術の
技能習得、魚雷・機雷・爆雷・防潜兵器・策敵兵器の開発研究などを教育する。
海軍通信学校 術科学校の一つで、無線通信に関わる各級要員の教育、訓練、及び無線通信に関わる技術研究を行ったもの。
海軍機雷学校 機雷や防潜網の敷設・管制・掃海術、対潜哨戒・対潜掃討術、水中探索術の習得者を養成する
教育機関(軍学校)のことである。海軍水雷学校普通科修了者を中心に、普通科・高等科・特修科・専攻科を
設置した。
海軍電測学校 艦船および地上基地でのレーダー探知・操作・維持技術の修得者を要請する教育機関のことである。
海軍通信学校から独立し、普通科・高等科・特修科・専攻科を設置した。
海軍砲術学校 砲術指揮官・技官を養成する機関のことである。初級士官を養成する普通科(少尉対象、
海軍水雷学校普通科と合わせて1年間必修)、砲術専門士官を養成する
高等科(大尉・少佐対象、半年から1年程度)、兵科・機関科の予備士官を養成する



                 昭和14年 海軍各部局の系統図
大本営

支那方面艦隊

連合艦隊

軍令部

海軍省

古賀峯一 山本五十六 永野修身 嶋田敏太郎
支那方面艦隊司司令長官 連合艦隊司令長官
連合艦隊参謀長
各艦隊
軍令部総長
軍令部次長
第一〜四部
海軍大臣
海軍次官
                   連  合  艦  隊
 連合艦隊は、旧日本海軍が二個以上の常設の艦隊で編成した、非常設の艦隊である。日本海軍が使用した略称は
 GF(Grand Fleet または General Fleet から)連合艦隊は天皇に直属する連合艦隊司令長官がこれを統括し、軍令に関しては
 軍令部総長の、軍政に関しては海軍大臣の指示を受ける。
 連合艦隊司令部には、司令長官を補佐する幕僚として、参謀長、参謀副長(昭和19年〜)、首席参謀(先任参謀と通称)、
 砲術参謀、水雷参謀、航空参謀、通信参謀、航海参謀、機関参謀、戦務参謀、政務参謀、主計長、軍医長、機関長、
 暗号長、気象長、副官等が配置されていた。
歴代司令長官
  1 伊東 祐亨  - 中将 -    明治27年(1894年)7月19日

大日本帝国海軍の紋章
菊花紋章
  2 .有地品之允 -  中将 -   明治28年(1895年)5月11日 
  3. 東郷平八郎 -  中将 -   明治36年(1903年)12月28日  
  4. 東郷平八郎 -  大将 -   明治38年(1905年)6月14日
  5. 伊集院五郎 -  中将 -   明治41年(1908年)10月8日
     以下昭和時代
  18 .谷口 尚真 -  大将 -  昭和3年(1928年)12月10日

連合艦隊の軍旗
  19. 山本英輔 -   中将 -   昭和4年(1929年)11月11日
  20. 小林躋造 -   中将 -   昭和6年(1931年)12月1日
  21. 末次信正 -   中将 -   昭和8年(1933年)11月15日
  22 .高橋三吉 -   中将 -   昭和9年(1934年)11月15日
  23 .米内光政 -   中将 -   昭和11年(1936年)12月1日
  24. 永野修身 -   大将 -   昭和12年(1937年)2月2日
  25. 吉田善吾 -   中将 -   昭和12年(1937年)12月1日
  26. 山本五十六 -  中将 -   昭和14年(1939年)8月30日
  27 .山本五十六 -  大将 -   昭和16年(1941年)8月11日
  28 .古賀峯一 -   大将 -   昭和18年(1943年)4月21日
  29. 豊田副武 -   大将 -   昭和19年(1944年)5月3日 
  30. 豊田副武 - 大将 - 昭和20年(1945年)5月1日
  31. 小沢治三郎 - 中将 - 昭和20年(1945年)5月29日
  *14代竹下勇の時から連合艦隊は常設され、山本五十六までは第一艦隊司令長官を
  兼務兼務していたが、昭和16年以降は連合艦隊司令長官と第一艦隊司令長官は分離された。
歴代司令長官
  1 伊東 祐亨  - 中将 -    明治27年(1894年)7月19日

大日本帝国海軍の紋章
菊花紋章
  2 .有地品之允 -  中将 -   明治28年(1895年)5月11日 
  3. 東郷平八郎 -  中将 -   明治36年(1903年)12月28日  
  4. 東郷平八郎 -  大将 -   明治38年(1905年)6月14日
  5. 伊集院五郎 -  中将 -   明治41年(1908年)10月8日
     以下昭和時代
  18 .谷口 尚真 -  大将 -  昭和3年(1928年)12月10日

連合艦隊の軍旗
  19. 山本英輔 -   中将 -   昭和4年(1929年)11月11日
  20. 小林躋造 -   中将 -   昭和6年(1931年)12月1日
  21. 末次信正 -   中将 -   昭和8年(1933年)11月15日
  22 .高橋三吉 -   中将 -   昭和9年(1934年)11月15日
  23 .米内光政 -   中将 -   昭和11年(1936年)12月1日
  24. 永野修身 -   大将 -   昭和12年(1937年)2月2日
  25. 吉田善吾 -   中将 -   昭和12年(1937年)12月1日
  26. 山本五十六 -  中将 -   昭和14年(1939年)8月30日
  27 .山本五十六 -  大将 -   昭和16年(1941年)8月11日
  28 .古賀峯一 -   大将 -   昭和18年(1943年)4月21日
  29. 豊田副武 -   大将 -   昭和19年(1944年)5月3日 
  30. 豊田副武 - 大将 - 昭和20年(1945年)5月1日
  31. 小沢治三郎 - 中将 - 昭和20年(1945年)5月29日
  *14代竹下勇の時から連合艦隊は常設され、山本五十六までは第一艦隊司令長官を
兼務兼務していたが、昭和16年以降は連合艦隊司令長官と第一艦隊司令長官は分離された。
歴代参謀長(昭和時代)
21.(兼)塩沢幸一 少将:  1929年11月30日 -












    歴代参謀副長(昭和時代)
22.(兼)嶋田繁太郎 少将: 1930年12月1日 -
23.(兼)吉田善吾 少将:   1931年12月1日 -
24.吉田善吾 少将:      1933年5月20日 -  
25.豊田副武 少将:      1933年9月15日 -
26.近藤信竹 少将:      1935年3月15日 -
27.野村直邦 少将:      1935年11月15日 -
28.岩下保太郎 少将:     1936年11月16日 -
29.小沢治三郎 少将:     1937年2月18日 -
30.高橋伊望 少将:      1937年11月15日 -
31.福留繁 大佐:       1939年11月5日 - 1.小林謙五少将(昭和18年6月11日 - 昭和19年9月10日)
32.伊藤整一 少将:      1941年4月10日 - 2.高田利種大佐(昭和19年9月20日 - 昭和20年5月10日)
33.宇垣纏 少将:       1941年8月11日 - 3.松原博少将(昭和20年6月10日 - 昭和20年9月15日)
34.福留繁 中将:       1943年5月22日 - 4.菊池朝三少将(昭和20年6月25日 - 昭和20年9月15日)
35.草鹿龍之介 少将:     1944年4月6日 -
36.矢野志加三 少将:     1945年6月25日 -
1905年1月 - 1933年5月は第1艦隊参謀長が兼務

           太平洋戦争開戦時の連合艦隊編成
 太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時の日本海軍とは即「連合艦隊」を示すのではなく、外戦部隊と内戦部隊と
 言うように、他に複数の艦隊が存在していた。1944年(昭和19年)にこれらは連合艦隊に統一された。
 以下に太平洋戦争開戦当時(1941年12月8日)の艦隊編成と、各艦隊司令長官を記した。戦艦大和などは
 艦籍登録が開戦以降なので記載していない。
  
     連合艦隊直属(司令長官:山本五十六大将)
  本土近海の防衛を担当
第一戦隊:戦艦 / 長門、陸奥     
       戦艦:陸奥
第二四戦隊:特設巡洋艦 / 報国丸、愛国丸、清澄丸
第十一航空戦隊:水上機母艦 / 瑞穂、千歳
水上機母艦 / 千代田
駆逐艦 / 矢風
標的艦 / 摂津
工作艦 / 明石

     第一艦隊(司令長官:高須四郎中将)
  戦艦を主軸とした主力艦隊(本土近海の防衛を担当)
第三戦隊:戦艦 / 金剛、榛名、霧島、比叡                  戦艦:比叡
第六戦隊:重巡 / 青葉、衣笠、古鷹、加古
第九戦隊:軽巡 / 北上、大井
第三航空戦隊:空母 / 鳳翔、瑞鳳、駆逐艦 / 三日月、夕風
第一水雷戦隊:軽巡 / 阿武隈
    第六駆逐隊:駆逐艦 / 雷、電、響、暁
    第一七駆逐隊:駆逐艦 / 浦風、磯風、谷風、浜風                        空母:鳳翔 
   第二一駆逐隊:駆逐艦 / 初春、子日、初霜、若葉
     第二七駆逐隊:駆逐隊 / 有明、夕暮、白露、時雨
第三水雷戦隊:軽巡 / 川内
   第一一駆逐隊:駆逐艦 / 吹雪、白雪、初雪
   第一二駆逐隊:駆逐艦 / 叢雲、東雲、白雲
   第一九駆逐隊:駆逐艦 / 磯波、浦波、敷波、綾波
   第二〇駆逐隊:駆逐艦 / 天霧、朝霧、夕霧、狭霧
 
     第二艦隊(司令長官:近藤信竹中将)
  重巡洋艦を主軸とした艦隊(南方作戦全般を支援)
第四戦隊:重巡 / 高雄、愛宕、鳥海、摩耶
重巡洋艦:高雄
第五戦隊:重巡 / 那智、羽黒、妙高
第七戦隊:重巡 / 最上、熊野、鈴谷、三隈
第八戦隊:重巡 / 利根、筑摩
第二水雷戦隊:軽巡 / 神通
   第八駆逐隊:駆逐艦 / 朝潮、満潮、大潮、荒潮
   第一五駆逐隊:駆逐艦 / 黒潮、親潮、早潮、夏潮
重巡洋艦:那智
   第一六駆逐隊:駆逐艦 / 初風、雪風、天津風、時津風
   第一八駆逐隊:駆逐艦 / 霞、霰、陽炎、不知火
第四水雷戦隊:軽巡 / 那珂
  第二駆逐隊:駆逐艦 / 村雨、夕立、春雨、五月雨
  第四駆逐隊:駆逐艦 / 嵐、萩風、野分、舞風
   第九駆逐隊:駆逐艦 / 朝雲、山雲、夏雲、峯雲
   第二四駆逐隊:駆逐艦 / 海風、山風、江風、涼風

     第三艦隊(司令長官:高橋伊望中将)
 フィリピン攻略作戦支援のための艦隊
第一六戦隊:重巡 / 足柄、軽巡 / 長良、球磨       
                 足柄
第一七戦隊:敷設艦 / 厳島、八重山、特設敷設艦 / 辰宮丸
第五水雷戦隊:軽巡 / 名取
   第五駆逐隊:駆逐艦 / 朝風、春風、松風、旗風
   第二二駆逐隊:駆逐艦 / 皐月、水無月、文月、長月
第六潜水戦隊:潜水母艦 / 長鯨
   第九潜水隊:潜水艦 / 伊−123、伊−124
   第一三潜水隊:潜水艦 / 伊−121、伊−122
第一根拠地隊:敷設艦 / 白鷹、蒼鷹、掃海艇、駆潜艇、水雷艇など
第二根拠地隊:敷設艦 / 若鷹、掃海艇、駆潜艇、水雷艇など

     第四艦隊(司令長官:井上成美中将)
  南洋群島防衛のための艦隊
旗艦:練習巡 / 鹿島
天龍
第一八戦隊:軽巡 / 天龍、龍田
第一九戦隊:敷設艦 / 沖島、海防艦 / 常盤、津軽
第六水雷戦隊:軽巡 / 夕張
   第二九駆逐隊:駆逐艦 / 追風、疾風、朝凪、夕凪
   第三〇駆逐隊:駆逐艦 / 睦月、如月、弥生、望月
第七潜水戦隊:潜水母艦 / 迅鯨                  軽巡洋艦:夕張
   第二六潜水隊:潜水艦 / 呂-60、呂-61、呂-62
   第二七潜水隊:潜水艦 / 呂-65、呂-66、呂-67
   第三三潜水隊:潜水艦 / 呂-63、呂-64、呂-68
第三根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など
第四根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など
第五根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など
第六根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など

     第五艦隊(司令長官:細萱戊子郎中将)
 北方(千島列島〜本土東海上〜小笠原諸島)防衛のための艦隊
第二一戦隊:軽巡 / 多摩、木曾
第二二戦隊:特設巡洋艦 / 粟田丸、浅香丸
第七根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など

     第六艦隊(司令長官:清水光美中将)
  潜水艦隊(ハワイ方面攻略を担当)
旗艦:練習巡 / 香取      
               香取
第一潜水戦隊:特設潜水母艦 / 靖国丸、潜水艦 / 伊−9
  第一潜水隊 潜水艦 / 伊−15、伊−16、伊−17
  第二潜水隊:潜水艦 / 伊−18、伊−19、伊−20
  第三潜水隊:潜水艦 / 伊−24、伊−25、伊−26
第二潜水戦隊:特設潜水母艦 / さんとす丸、潜水艦 / 伊−7、伊−10
  第七潜水隊:潜水艦 / 伊−1、伊−2、伊−3
  第八潜水隊:潜水艦 / 伊−4、伊−5、伊−6
  第三潜水戦隊:潜水母艦 / 大鯨、潜水艦 / 伊−8
  一一潜水隊:潜水艦 / 伊−74、伊−75
  第一二潜水隊:潜水艦 / 伊−68、伊−69、伊−70
第二〇潜水隊:潜水艦 / 伊−71、伊−72、伊−73

     第一航空艦隊(司令長官:南雲忠一中将)
  空母機動部隊(北太平洋方面攻略を担当)
第一航空戦隊:空母 / 赤城、加賀  赤城
  第七駆逐隊:駆逐艦 / 曙、潮、漣
第二航空戦隊:空母 / 蒼龍、飛龍
  第二三駆逐隊:駆逐艦 / 菊月、夕月、卯月
第四航空戦隊:空母 / 龍驤、春日丸
  第三駆逐隊:駆逐艦 / 汐風、帆風
第五航空戦隊:空母 / 翔鶴、瑞鶴
  付属:駆逐艦 / 朧、秋雲
但しハワイ奇襲作戦時にはこの編成ではなく、第一、第二、第五航空戦隊を基幹とし、
機動部隊護衛として第三戦隊の戦艦「比叡」「霧島」、第八戦隊の重巡洋艦「利根」「筑摩」、
第一水雷戦隊の旗艦、軽巡洋艦「阿武隈」及び第十七、十八駆逐隊の駆逐艦8隻が加わっており、
駆逐艦「秋雲」はこの指揮下に入った。


    第十一航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将)
  基地(陸上)航空部隊
駆逐艦 / 峯風、沖風
第21航空戦隊
第22航空戦隊
第23航空戦隊

    南遣艦隊(司令長官:小沢治三郎中将)
 仏印進駐部隊、マレー作戦を支援
軽巡 / 香椎、海防艦 / 占守
第九根拠地隊:掃海艇、駆潜艇など
第四潜水戦隊:軽巡洋艦 / 鬼怒
   第一八潜水隊:潜水艦 / 伊−53、伊−54、伊−55
   第十九潜水隊:潜水艦 / 伊−56、伊−57、伊−58
   第二一潜水隊:潜水艦 / 呂−33、呂−34
第五潜水戦隊:軽巡洋艦 / 由良
   第二八潜水隊:潜水艦 / 伊−59、伊−60
   第二九潜水隊:潜水艦 / 伊−62、伊−64
   第三〇潜水隊:潜水艦 / 伊−65、伊−66

 艦隊司令部は通常、旗艦に設置される。

   艦政本部    
 艦政本部とは、海軍大臣に隷属し造艦に関係する事務を掌った大日本帝国海軍の重要な官衙であり、海軍省の外局の一つ。
 長は本部長であり、原則海軍中将が就任した。
 太平洋戦争時の組織
    第一部:砲熕部(大砲)       第二部:水雷部      
    第三部:電気部(無線、電探)   第四部:造船部
    第五部:造機部(機関)       第六部:航海部    第七部:潜水艦部
 歴代艦政本部長
  豊田副武 中将 昭和14年10月21日 -
  岩村清一 中将 昭和16年9月18日 -
  杉山六蔵 中将 昭和18年4月15日 - *本務は艦政本部長で電波本部長を兼務
  (兼)井上成美 中将 昭和19年11月4日 - *本務は海軍次官
  渋谷隆太郎 中将 昭和19年11月18日 - 昭和20年11月1日
  航空本 
 日本の海軍省の外局の一つ。通称、航本。航空機や航空兵器の研究・計画・審査を管掌し、航空要員の教育も担当した
 長は本部長であり、原則海軍中将が就任した。1927年(昭和2年)4月に設立、昭和20年11月の海軍省廃止と共に解体
 日本海軍は従来航空分野に関する中央総括部署を持たずに、海軍省内部部局や艦政本部が別々に分割担当する
 態勢を取っていた。しかし、刻々と進歩する航空分野に十分対応するためには統一的に管轄する担当部署が必要で
 であるとの認識から航空関連部署を新設することになった。これが海軍航空本部であり、海軍航空本部令
 昭和2年)4月4日勅令第61号)により艦政本部から分離独立する形で設立された。
  海軍航空本部の組織
総務部 開庁と同時に設置。航空本部を統括する。
教育部 開庁と同時に設置。教育を統括する。
技術部 開庁と同時に設置。技術開発を統括する。昭和17年11月1日、4部に発展解消。
補給部 昭和13年4月1日追加。資材調達・生産計画の立案。昭和17年11月1日、「第一部」に改称。
第一部 昭和17年11月1日補給部より改称。分掌は補給部と変わらず。
第二部 昭和17年11月1日技術部より改変。機体設計・開発を担当。20年3月1日より発動機担当を兼務。
第三部 昭和17年11月1日技術部より改変。発動機設計・開発を担当。昭和20年3月1日より発動機部を
第一部に譲り、射撃爆撃兵器担当に改変。
第四部 昭和17年11月1日技術部より改変。発着機および計測機器の設計・開発を担当。
昭和20年3月1日より雷撃兵器担当に改変。
第五部 昭和20年3月1日海軍艦政本部第三部より権限委譲(部員は艦本三部と兼任)。
艦本時代に引き続き無線機器担当。
第六部 昭和20年3月1日海軍艦政本部第五部より権限委譲(部員は艦本五部と兼任)。
艦本時代に引き続き計測機器担当(第四部より委譲)。
第七部 昭和20年3月1日第四部より独立。発着機担当。

   歴代航空本部長
11.井上成美 中将 1940年(昭和15年)10月1日 -
12.(兼)沢本頼雄 中将 1941年(昭和16年)8月11日 -
13.片桐英吉 中将 1941年(昭和16年)9月10日 -
14.塚原二四三 中将 1942年(昭和17年)12月1日 -
15.戸塚道太郎 中将 1944年(昭和19年)9月15日 -
兼)井上成美 中将 1945年(昭和20年)5月1日 -
17.和田操 中将 1945年(昭和20年)5月15日 - 11月1日

 
            大日本帝国海軍 艦隊総覧
    北東方面艦隊
 北東方面艦隊は、アリューシャン列島・千島列島・樺太方面の哨戒・警備に当たることを目的として編成された
 日本海軍の艦隊である。 アリューシャン列島・千島列島・樺太方面の作戦は第五艦隊が担当していたが、
 それを支援するため昭和18年5月18日付けで 第十二航空艦隊を創設。第五艦隊と第十二航空艦隊を
 統括指揮する目的で昭和18年8月5日付けで北東方面艦隊が編成された。
 北東方面艦隊司令長官は第十二航空艦隊司令長官を兼任している。
 アッツ島・キスカ島がすでにアメリカ軍に奪還されており、編成後は主として千島列島・樺太方面の
 哨戒任務を行っていた。

 昭和19年10月、水上警戒部隊であった第五艦隊が北東方面艦隊の編成下に置かれたまま
 南方作戦参加のため移動。 フィリピン沖海戦に参加する。その後昭和19年12月に第五艦隊が
 南西方面艦隊の隷下に正式に転属することになり、
 水上部隊を失った北東方面艦隊は解隊した。残された第十二航空艦隊は連合艦隊の隷下に入り、
 終戦まで千島・樺太方面の警戒にあたった(司令長官は大湊警備府が兼任)。

歴代司令長官
戸塚道太郎中将 昭和18年8月5日 -
後藤英次中将 昭和19年9月15日 - 昭和19年12月5日解隊
隷下部隊
1942年8月5日 新編時の編制 1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制
・直属 - 第22戦隊
・第五艦隊
・第十二航空艦隊
・第五艦隊
・第十二航空艦隊
 
   南東方面艦隊 
 南東方面艦隊は1942(昭和17)年12月に編成された大日本帝国海軍の艦隊のことである
 南東方面(ソロモン・ニューギニア)担当の部隊は水上部隊の第八艦隊であったが、第十一航空艦隊の
 ラバウル進出の際に 第八艦隊が第十一航空艦隊司令長官の指揮を受けることになった。
 これが南東方面艦隊の編成の前段階である。
 その後昭和17年12月に正式に第十一航空艦隊及び第八艦隊を統括指揮する艦隊として編成された。
 昭和18年11月15日に第九艦隊が新編され隷下部隊に加わるが、
 昭和19年3月25日で南西方面艦隊に転出している。
歴代司令長官 歴代参謀長
 1.草鹿任一中将:昭和17年12月24日〜終戦 1.中原義正少将 昭和17年12月24日〜昭和18年11月29日
2.草鹿龍之介少将 昭和18年11月29日〜昭和19年4月6日
3.富岡定俊少将 昭和19年4月6日〜昭和19年11月7日
4.入船直三郎中将 昭和19年11月7日〜終戦

  隷下部隊
 1942年12月24日 新編時の編制             1943年11月15日 第九艦隊新編時の編制
  ・第八艦隊                                ・第八艦隊
  ・第十一航空艦隊                           ・第十一航空艦隊
                                        ・第九艦隊 
 1945年6月1日 最終時の編制
 ・直属 - 第14根拠地隊
 ・第八艦隊
 ・第十一航空艦隊
 ・附属 - 第81、84〜86警備隊、第8潜水艦基地隊、横須賀鎮守府第8特別陸戦隊、
             第8通信隊、第8港務部、第101設営隊
 
    南西方面艦隊 
 南西方面艦隊は、大日本帝国海軍によって1942年(昭和17年)4月10日に編制された艦隊である。
 南方作戦完了後、フィリピン・インドシナ・インドネシア・マレー方面の哨戒・輸送・警備は別個の艦隊によって行われていたが、
 これら地域の作戦を統括指揮する目的で編制された。後発の方面艦隊は陸上・水上艦隊と航空艦隊からなるが、
 南西方面艦隊は警備艦隊の集合体である。
 昭和18年)9月に第十三航空艦隊を編入。11月に第二南遣艦隊を二分割し、東インドネシアに第四南遣艦隊を新設して
 連合軍の北上に備えた。第四南遣艦隊は1945年(昭和20年)3月に解散した。なお、遊兵となった第一・第二南遣艦隊と
 第十三航空艦隊は1945年(昭和20年)2月に新設した第十方面艦隊に移管され、最終的に南西方面艦隊が指揮したのは、
 第三南遣艦隊とフィリピン戦と同時に編入された第一航空艦隊のみになっている。
  歴代司令長官
歴代司令長官 歴代参謀長
1.高橋伊望中将 :昭和17年)4月10日 - 9月14日
2.高須四郎中将→大将 昭和17年9月15日 - 昭和19年6月
3.三川軍一中将:昭和19年)6月18日 - 10月31日
4.大川内伝七中将:昭和19年)11月1日 - 終戦
1.中村俊久少将:昭和19年)4月9日 - 10月9日
2.多田武雄少将→中将 1944年(昭和19年)10月10日 - 2月28日
3.西尾秀彦少将 1944年(昭和19年)3月1日 - 10月31日
4.有馬馨少将 1944年(昭和19年)11月1日 - 終戦

南遣艦隊
 南遣艦隊(なんけんかんたい)は、旧日本海軍の部隊。インドシナ半島進出のために編制されて以来、終戦までにのべ5個艦隊が
 東南アジアの駐留・防衛のために編制された。
 昭和16年)7月31日に編制し、南仏印に進駐した。主力となるのは地上部隊の第81警備隊で、海軍が建造した艦艇は香椎・占守に
 過ぎない、実態は根拠地隊に近い小艦隊だった。
 太平洋戦争開戦に伴い陸軍のマレー作戦を援護すべく大本営と連合艦隊司令部により戦力が増強された。
 山本五十六連合艦隊司令長官は小沢中将の要請を是として高雄型重巡洋艦「鳥海」を追加した。
 マレー沖海戦ではイギリス海軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈している。
  編制

新編時の編制
 香椎、占守、特設砲艦金剛山丸、音羽丸、留萌丸、第81警備隊、第81通信隊

南方作戦支援のため1941年12月2日〜1942年4月の間増加された戦力
 艦隊旗艦:重巡洋艦鳥海、司令長官:小沢治三郎中将
 第七戦隊:旗艦:重巡洋艦熊野、司令官:栗田健男少将
        重巡洋艦熊野、鈴谷、最上、三隈
第三水雷戦隊:旗艦:軽巡洋艦川内、司令官:橋本信太郎少将
     第十一駆逐隊:駆逐艦吹雪、白雪、初雪
     第十二駆逐隊:駆逐艦群雲、東雲、白雲
     第十九駆逐隊:駆逐艦磯波、浦波、敷波、綾波

 第四潜水戦隊、司令官:吉富説三少将
     第十八潜水隊:潜水艦伊53、伊54、伊55
     第十九潜水隊:潜水艦伊56、伊57、伊58

第五潜水戦隊、司令官:醍醐忠重少将
     
第二十八潜水隊:潜水艦伊59、伊60
     第二十九潜水隊:潜水艦伊62、伊64
     第三十潜水隊:潜水艦伊65、伊66
 第九潜水隊(第六潜水戦隊所属)
     機雷敷設潜水艦伊123、伊124
 第十二航空戦隊、司令官:今村脩少将
     特設水上機母船神川丸、山陽丸
     機雷敷設艦辰宮丸、長沙丸

 第九特別根拠地隊、旗艦:初鷹
     相良丸
     第一掃海隊:掃海艇一、二、三、四、五、六号
 第二十二航空戦隊、司令官:松永貞市少将
     元山航空隊    美幌航空隊   
 第十二駆潜隊、司令官:平岡粂一少将
     通信隊、陸戦隊一個中隊
     工作艦朝日、病院船朝日丸、給炭艦室戸

    歴代司令長官                                 歴代参謀長
   平田昇中将(1941年7月31日-)
   小沢治三郎中将(1941年10月18日-改名後も留任)   澤田虎夫少将(1941年7月31日-改名後も留任)
 
第一南遣艦隊
 先述の南遣艦隊を改名したものである。南遣艦隊の任務を引き継ぎ、シンガポール攻略を支援した。攻略完了後は
 シンガポールに司令部を置き、マレー半島・インドシナ・ビルマ・ニコバル諸島・アンダマン諸島に根拠地隊を置いた。
 1942年(昭和17年)4月10日には3個南遣艦隊が連合した南西方面艦隊の指揮下に置かれた。
 1945年2月5日、第二南遣艦隊とともに第十方面艦隊に移籍し、終戦まで駐留を継続した。
 なお、第十方面艦隊司令部は第一南遣艦隊司令部が兼任している。
  編制
    
(南西方面艦隊新編時の編制)
 
     直卒-香椎、占守
      第9根拠地隊(マレー半島防衛、司令部はペナン島)
      第10特別根拠地隊(インドシナ防衛、司令部はサイゴン)
      第11特別根拠地隊(シンガポール防衛、司令部はシンガポール)
      第12特別根拠地隊(ニコバル諸島・アンダマン諸島防衛、司令部はポートブレア)
      附属-敷設艦勝力、特設水上機母艦相良丸、第5駆逐隊、第3測量隊、第40航空隊

  歴代司令長官                             歴代参謀長
   小沢治三郎中将(留任-)                 澤田虎夫少将(留任-)
   大川内伝七中将(1942年7月14日-)          浜田浄少将(1939年6月20日-)
   田結穣中将(1943年9月20日-)             鳥越新一少将(1943年8月27日-)
   福留繁中将(1945年1月13日-降伏)          朝倉豊次少将(1944年8月16日-降伏)
 
第二南遣艦隊
 1941年(昭和16年)4月10日に編制した第三艦隊を改称し、引き続きインドネシアを攻略・駐留した。
 ボルネオ島・セレベス島・スンダ列島・西ニューギニアを管轄したが、広大すぎることから1943年11月30日に
 第四南遣艦隊を分割し、東部の管轄区域を移譲した。大規模な戦闘は経験せず、潜水艦攻撃と機動部隊の空襲によって
 消耗した。第四南遣艦隊は1945年3月10日に解散したが、隷下部隊は第二南遣艦隊に復帰することなく、
 第十方面艦隊直卒となった。第一南遣艦隊と同様に、南西方面艦隊・第十方面艦隊に属した。
 最初の1年間は、南西方面艦隊司令部の直卒部隊として司令部を兼任した。
  編制
     
(改称時の編制)
     
直卒-足柄、厳島
      第16戦隊-名取、鬼怒、五十鈴
      第21特別根拠地隊(ジャワ島防衛、司令部はスラバヤ)
      第22特別根拠地隊(ボルネオ島防衛、司令部はバリクパパン)
      第23特別根拠地隊(セレベス島防衛、司令部はマカッサル)
      第24特別根拠地隊(スンダ列島・ニューギニア防衛、司令部はアンボン)
      附属 - 筑紫、山陽丸、第2砲艦隊、第9測量隊

  歴代司令長官
   南西方面艦隊司令長官兼任(改称-)※実質的に第三艦隊司令長官高橋伊望中将の留任→高須四郎中将に継承
   岩村清一中将(1943年4月15日-)
   三川軍一中将(1943年9月3日-)
   河瀬四郎中将(1944年6月18日-)
   柴田弥一郎中将(1945年1月29日-降伏)
  歴代参謀長
   南西方面艦隊参謀長兼任(改称-)※実質的に第三艦隊参謀長中村俊久少将の留任
   松崎彰少将(1943年4月15日-)
   長谷真三郎少将(1945年1月19日-降伏)
 
第三南遣艦隊
 昭和17年)1月3日、フィリピン攻略のため、2個根拠地隊を主力として編制した。水上艦の多くは第三艦隊→第二南遣艦隊から
 抽出し、第三艦隊はさらに南方のインドネシア攻略に向かった。
 1942年4月より、南方の通商航路を保護する第一海上護衛隊を隷下に置いているのが特徴である。
 これはやがて南西方面艦隊を経て、海上護衛総司令部へと移譲された。陸海軍の協定により、
 海軍は中部・南部フィリピンの防衛担当となったため、ルソン島は陸軍に任せて規模を縮小している。
 1944年夏より、フィリピン奪還に備えて再びルソン島の増強を図っている。そのため南西方面艦隊司令部はフィリピンに移り、
 第三南遣艦隊司令部を兼任した。しかしフィリピンの地上戦によって司令部は孤立化し、途絶した
 第一・第二南遣艦隊を統率するために第十方面艦隊を新設せねばならなくなった。

  編制
     (新編時の編制)
    直卒-球磨、八重山    第31特別根拠地隊(ルソン島防衛、司令部はマニラ)   
    第32特別根拠地隊(ミンダナオ島防衛、司令部はダバオ)
    附属-讃岐丸、第36共同丸、日祐丸、第2測量隊
  歴代司令長官
   杉山六蔵中将(1942年1月3日-)
   太田泰治中将(1942年12月1日-)
   岡新中将(1943年9月20日-)
   南西方面艦隊司令長官兼任(1944年8月15日-降伏)※三川軍一→大川内伝七が歴任
  歴代参謀長
   近藤泰一郎少将(1942年1月3日-)
   橋本象造少将(1943年1月11日-)
   島本久五郎少将(1944年7月27日-)
   南西方面艦隊参謀長兼任(1944年8月15日-降伏)※有馬馨が兼任
 
第四南遣艦隊
 1943年11月30日、オーストラリアで反撃体制を整えた連合軍のフィリピン攻略に備え、第二南遣艦隊を二分割し、
 東部方面の防衛を担当するために編制したのが第四南遣艦隊で、スンダ列島やバンダ海周辺の島嶼部の防衛を担当した。
 1944年の初期のうちに、第四南遣艦隊から西ニューギニアへの増援部隊を抽出することが決まり、
 1944年5月、第九艦隊の本拠地ホーランディアが陥落する直前に、編制が完了したばかりの第28特別根拠地隊を
 ビアク島に派遣した。しかしビアク島も連合軍の直撃を受け、半年間の籠城戦の末に玉砕した。
 その後連合軍はフィリピンに上陸したため、遊兵化した第四南遣艦隊は1945年3月10日に解散し、第十方面艦隊に吸収された。
  編制
      (新編時の編制)
    直卒-厳島
    第24根拠地隊(スンダ列島防衛、司令部はフローレス島)
    第25特別根拠地隊(セラム島防衛、司令部はアンボン)
    第26特別根拠地隊(ハルマヘラ島防衛、司令部はカウ)
    附属-第934航空隊、2個防空隊、1個設営隊
  歴代司令長官
   山縣正郷中将(全期間)※解散後、帰国中に中国大陸で戦死、海軍大将に昇進。
  歴代参謀長
   岡田為次少将(全期間)

 
    第十方面艦隊
 第十方面艦隊とは、昭和20年2月5日に日本海軍が編成した艦隊である
 インドシナ方面及びインドネシア方面はそれぞれ第一南遣艦隊、第二南遣艦隊が南西方面艦隊の指揮下で作戦を
 担当していたが、アメリカ軍のフィリピン侵攻により南西方面艦隊司令部がフィリピンに孤立してしまい
 取り残された二個南遣艦隊を南西方面艦隊から分離し、インドネシアの防空を担当していた第十三航空艦隊とあわせて
 指揮するために編成された。
 司令部要員は第十三航空艦隊司令部と兼任である。 終戦時、司令部はシンガポールにあった。
  歴代司令長官
    1.福留繁中将 昭和20年2月5日〜終戦
  歴代参謀長
    1.朝倉豊次少将 昭和20年2月5日〜終戦
   隷下部隊
            1945年2月5日 新編時の編制
   直属 - 第5戦隊(羽黒、足柄、大淀)、第4航空戦隊(伊勢、日向)
   第一南遣艦隊 ・ 第二南遣艦隊 ・ 第十三航空艦隊 ・ 附属 - 南海、白沙

            1945年6月1日 最終時の編制
   直属 - 第5戦隊(羽黒、足柄) ※羽黒は書類上の在籍(1945年5月16日戦没、同年6月20日除籍)。
   第一南遣艦隊 ・ 第二南遣艦隊 ・ 第十三航空艦隊 ・ 
   附属 - 五十鈴、南海、第33、105防空隊、第36、201〜203、224、232設営隊
 
    支那方面艦隊
 支那方面艦隊とは、支那事変初期の1937年(昭和12年)10月に編成された、大日本帝国海軍の艦隊の一つである。
 昭和12年)10月に新たに第四艦隊が追加編成され第三艦隊と統合して支那方面艦隊が成立した。

 太平洋戦争開戦時には、3個艦隊はとりあえず指揮下にあったが、編成当初に保有していた重巡洋艦や
 駆逐艦など 即戦力の艦艇は、ほとんど連合艦隊に供出し終えていた。
 昭和17年)4月に第三遣支艦隊を青島方面特別根拠地隊に、昭和18年)8月に第一遣支艦隊を
 揚子江方面特別根拠地隊に 降格し、支那方面艦隊の直轄部隊とした。
  歴代司令長官                             歴代参謀長
   古賀峯一 大将:1941年9月1日 -                 大川内傳七 中将:1940年10月1日 -
   吉田善吾 大将:1942年11月10日 -               田結穣 少将:1942年3月16日 -
   近藤信竹 大将:1943年12月1日 -                宇垣完爾 少将:1943年9月1日 -
   福田良三 中将:1945年5月15日 - 1945年11月30日     左近允尚正 中将:1944年12月15日 - 1945年11月30日
  編制
太平洋戦争開戦時の編制   1941年12月10日時点
第一遣支艦隊:小松輝久中将
  宇治、安宅、勢多、堅田、比良、保津、
  熱海、二見、伏見、隅田
  漢口方面特別根拠地隊
  九江基地隊
 第二遣支艦隊:新見政一中将
  
第15戦隊 - 五十鈴、嵯峨、橋立、鵯、鵲
  
第4掃海隊
  厦門方面特別根拠地隊
第三遣支艦隊:杉山六蔵中将
  磐手(装甲巡洋艦)
  第11水雷隊
 青島方面特別根拠地隊
海南警備府部隊(海南島):砂川兼雄中将
  第1水雷隊
上海方面根拠地隊
  鳥羽、栗、栂、蓮
  第13、14砲艦隊 ・ 第1、2砲艇隊
附属 - 出雲

ミッドウェー海戦後の編制    1942年7月14日時点
第一遣支艦隊:牧田覚三郎中将
  宇治、安宅、勢多、樫田、比良、保津、
  熱海、二見、伏見、隅田
第二遣支艦隊:原清中将
  
嵯峨、橋立、鵯、鵲
  
香港方面特別根拠地隊 
海南警備府部隊:砂川兼雄中将
  鴻 (水雷艇)
 
上海方面根拠地隊
  鳥羽、栗、栂、蓮
  第1、2砲艇隊・第13、14砲艦隊
青島方面特別根拠地隊(旧第三遣支艦隊)
  雉 (水雷艇)
附属 - 出雲、多々良、白沙

 戦時編制制度改定後の編制     1944年4月1日時点
第二遣支艦隊:副島大助中将
  嵯峨、橋立、舞子、初雁
  香港方面特別根拠地隊
 
 厦門方面特別根拠地隊
海南警備府部隊:松木益吉中将
  第254海軍航空隊
上海方面根拠地隊
  
鳥羽、安宅、宇治、興津、栗、栂、蓮
  第14砲艦隊
揚子江方面特別根拠地隊(旧第一遣支艦隊)
  須磨、多々良、勢多、堅田、保津、熱海、
  二見、伏見、隅田、比良、鳴海
青島方面特別根拠地隊
附属 - 第256海軍航空隊、白砂  

最終時の編制  1945年6月1日時点
第二遣支艦隊:藤田類太郎中将
  舞子、初雁、第102号掃海艇
  香港方面特別根拠地隊:大熊譲少将 
  厦門方面特別根拠地隊:原田清一中将 
海南警備府部隊:伍賀啓次郎中将
  海南海軍施設部:辺見尚義技術大佐
  第一海軍施設部:藤田敬一技術大佐
中支那海軍航空隊:梅崎卯之助大佐 上海海軍特別陸戦隊:森徳治少将
上海方面特別根拠地隊:勝野実中将
  栗、蓮、鳥羽、安宅、宇治、興津
揚子江方面特別根拠地隊:澤田虎夫中将
  第21、23、24砲艦隊  
青島方面特別根拠地隊:金子繁治中将 附属 - 第108、144号輸送艦、第324、3213設営隊

遣支艦隊
 遣支艦隊(けんしかんたい)は、旧日本海軍の部隊。上海に駐留していた第7戦隊(巡洋艦「千歳」、砲艦「宇治」「鳥羽」「伏見」
 「隅田」「嵯峨」)を1918年8月10日に改編し、初めて名乗った。この部隊は翌年の1919年8月9日に「第一遣外艦隊」へ改名し、
 上海駐留を継続している。その後、1939年11月15日に支那方面艦隊隷下の3個艦隊が第一、第二、第三遣支艦隊を名乗り、
 太平洋戦争の推移に合わせて規模を縮小しつつも中国大陸で作戦行動を継続した。本稿では、この支那方面艦隊隷下の
 3個遣支艦隊について述べる。
第一遣支艦隊
 1932年2月2日に編制した第三艦隊を改称し、引き続き上海を拠点に揚子江流域で行動した。
 主な戦力は武漢に駐留する陸戦隊の漢口方面特別根拠地隊と、揚子江の航路確保のために全ての砲艦を集約した
 第11戦隊である。これに九江や南京に駐留する若干の陸上部隊が加わる。
 1943年8月20日、艦隊全体が揚子江方面特別根拠地隊に降格した。
 陸上部隊は武漢・南京・九江など拠点の駐留、砲艦は揚子江の航路確保に従事した。
 末期にはほとんどの砲艦を喪失したものの、揚子江特根は終戦まで陸上での戦闘を継続した
  編制
1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制
・宇治、安宅、勢多、樫田、比良、保津、熱海、二見、伏見、隅田
・漢口方面特別根拠地隊
・九江基地隊
歴代司令長官                                   歴代参謀長
小松輝久 中将:1941年7月5日 -
牧田覚三郎 中将:1942年2月14日 -
遠藤喜一 中将:1943年3月9日 -
          揚子江特根降格と同時に転出    
一瀬信一 少将:1940年10月15日 -
小暮軍治 少将:1942年7月25日 -
          揚子江特根降格と同時に転出

第二遣支艦隊
 1938年2月1日に編制した第五艦隊を改称し、引き続き広州を拠点に華南方面で行動した。
 南シナ海に面する海域を担当するため、水上勢力は1個水雷戦隊に匹敵する。ただし、太平洋戦争に備えて、
 鳥海は五十鈴、駆逐隊は砲艦や掃海艇に差し替えられている。一方の陸上戦力は3個特別根拠地隊を備えている。
 開戦直後に香港を占領したことから、広東特根は香港に移転し、以後は香港に艦隊司令部を置いて敗戦まで統率した。
 ほとんどの水上艦を敗戦までに失ったが、陸上部隊は香港・厦門を中心に各地で敢闘し、降伏調印まで艦隊を維持した。
  編制
1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制 1942年7月14日 ミッドウェー海戦後の編制
第15戦隊 - 五十鈴、嵯峨、橋立、鵯、鵲
第4掃海隊
広東方面特別根拠地隊
厦門方面特別根拠地隊
嵯峨、橋立、鵯、鵲
香港方面特別根拠地隊
1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制 1945年6月1日 最終時の編制
嵯峨、橋立、舞子、初雁
香港方面特別根拠地隊
厦門方面特別根拠地隊
舞子、初雁、第102号掃海艇
香港方面特別根拠地隊
厦門方面特別根拠地隊
歴代司令長官                                   歴代参謀長
新見政一 中将:1941年4月4日 -
原清 中将:1942年7月14日 -
副島大助 中将:1943年6月21日 -
藤田類太郎 中将:1945年4月25日 - 終戦
安場保雄 少将:1941年8月13日 -
小畑長左衛門 少将:1942年9月1日 -
大熊譲 少将:1943年10月19日 - 終戦

 第三遣支艦隊
 1937年10月20日に編制した第四艦隊を改称し、青島を拠点に華北方面で行動した。
 1942年1月15日、南方攻略作戦に必要な陸戦隊を捻出するため、青島特根は警備隊に降格となった。
 これを受けて、第三遣支艦隊が1942年4月10日をもって解散し、保有していた陸上戦力を集約して二代目の青島特根となった
  編制
    1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制
   磐手 (装甲巡洋艦)
   第11水雷隊
   青島方面特別根拠地隊
 歴代司令長官
         杉山六蔵 中将:1941年7月5日 -
         河瀬四郎 中将:1941年12月26日 - 青島特根降格と同時に転出
 歴代参謀長
         緒方真記 少将:1941年5月24日 -
         大杉守一 少将:1943年8月20日 - 青島特根降格と同時に転出
 
                     海軍総隊    
 海軍総隊とは、日本海軍の実戦部隊であり、大戦末期の1945年5月に新設された。
 1945年5月、連合艦隊、海上護衛総司令部(海上護衛総隊)に加え、各鎮守府(事実上、海軍の全部隊)も指揮する
 海軍総隊が新設された。その長は、海軍総司令長官である。
 従来まで、日本海軍の主力艦艇のほとんどは、連合艦隊に所属していた。しかし、1944年10月のレイテ沖海戦の敗北後、
 連合艦隊は弱体化し、1945年4月、戦艦大和以下第二艦隊による沖縄突入(海上特攻)で、連合艦隊は事実上壊滅した。
 生き残った艦船は、燃料不足で活動できなかったため、鎮守府の警備艦に格下げされた。こうして、連合艦隊が
 有名無実なものとなると、海軍艦艇の主力は、特殊潜航艇、人間魚雷などの特攻兵器からなる特別攻撃隊となった。
 海軍総隊は、連合艦隊の組織・人材をそのまま流用した。海軍総隊司令長官には、特別攻撃隊、護衛艦艇の司令官
 としての役割が求められた。

 歴代の海軍総司令長官
    1.豊田副武大将(1945年(昭和20年)5月1日 - 1945年5月29日)
    2.小沢治三郎中将(1945年(昭和20年)5月29日 - 1945年10月10日)
 
     第一艦隊
  第一艦隊は、旧日本海軍の部隊の一つ。もっぱら戦艦を主力とした決戦艦隊に位置づけられていた。
 1903年12月26日に常備艦隊を二分割して編制した。この時に分離した第二艦隊とともに常設艦隊となり、日露戦争で活躍した。
 それ以降、何度も第二艦隊とともに連合艦隊を編制している。
 太平洋戦争中は作戦行動に出撃する機会が少なく、特に戦艦で構成する第二戦隊は柱島に常時停泊しており
 「柱島艦隊」と揶揄された。ミッドウェー作戦で主力部隊として出動した後は、所属していた航空戦隊や水雷戦隊を
 正式に他の艦隊に移籍させ、瀬戸内海で訓練艦隊として扱われていた。1944年2月25日解散。
  沿革
   1941年4月10日 第一航空艦隊新設のため航空戦隊を供出。
        8月1日 太平洋戦争出師準備完了、第一戦隊を連合艦隊に供出
        8月11日 連合艦隊司令部の兼職を解除。独自に第一艦隊司令部を設置。
        11月 真珠湾作戦機動部隊収容のため日本近海に出動。
   1942年4月 ドーリットル空襲作戦部隊追撃のため出動
        6月 ミッドウェー作戦支援のため出動
  以後は戦隊単位で個別に行動
  
 1942年7月14日 第三艦隊編制のため第三航空戦隊を供出。
        11月10日 ソロモン方面で第八艦隊と行動していた第六戦隊が壊滅のため解散
   1943年3月15日 重雷装艦「北上」・「大井」からなる第九戦隊、用途なく解散
        4月1日 第一水雷戦隊を第五艦隊に供出(同年、キスカ島撤収に成功)。
 駆逐艦練成部隊として第十一水雷戦隊、潜水艦練成部隊として第十一潜水戦隊を新設、第一艦隊に配備。
   1943年6月8日 「陸奥」爆沈。爆沈時の司令長官清水光美中将が更迭される
   1944年1月1日 第十一潜水戦隊を第六艦隊に供出
        2月25日 解隊
  編制
   
 1941年開戦時は前記載済で参照
1942年7月14日 ミッドウェー海戦後の編制 1944年1月1日 解散直前の編制
第2戦隊 - 長門、陸奥、扶桑、山城
第6戦隊 - 青葉、衣笠、古鷹、加古
第9戦隊 - 北上、大井
第1水雷戦隊 - 阿武隈、第6駆逐隊、第21駆逐隊
第3水雷戦隊 - 川内、第11駆逐隊、第19駆逐隊、第20駆逐隊
附属 - 神祥丸
第2戦隊 - 長門、伊勢、日向、扶桑、山城

第11水雷戦隊 - 新造駆逐艦の練成部隊



歴代司令長官 歴代参謀長
東郷平八郎 中将:1903年12月- ※連合艦隊司令長官兼任
高須四郎 中将:1941年8月11日-
清水光美 中将:1942年7月14日-
南雲忠一 中将:1943年10月20日 - 1944年2月25日解隊
小林謙五 大佐:1941年8月11日-

高柳儀八 少将:1943年1月6日 - 1944年2月25日解隊
    第二艦隊 
 1903年12月28日 創設。常備艦隊を二分割し、戦艦を中心とする第一艦隊と別に、巡洋艦を中心に編制した。
 1940年11月15日 第六艦隊新設のため潜水戦隊を供出
 1942年5月8日 第五戦隊が珊瑚海海戦に参加。 6月4日 ミッドウェー海戦に参加
     7月14日 戦時編制改定により、第七、第八戦隊を第三艦隊に供出。第一艦隊から第三戦隊(金剛、榛名)を編入。
     8月24日 第二次ソロモン海戦に参加    10月26日 南太平洋海戦に参加
     11月12日〜13日 第四水雷戦隊が第三次ソロモン海戦(第一夜戦)に参加
 1943年4月1日 戦時編制改定により、第三戦隊を第三艦隊に供出
     11月2日 第五戦隊がブーゲンビル島沖海戦に参加
 1944年3月1日 第三艦隊と連合して第一機動艦隊を編制、第一機動艦隊司令部指揮下となる
     6月19日 マリアナ沖海戦に前衛部隊として参加
     8月15日 第一戦隊(武蔵 、大和 、長門)と第三戦隊(金剛 、榛名)を編入
     10月22日 レイテ沖海戦に出動。24日シブヤン海海戦で「武蔵」戦没
     11月15日 戦時編制改定により第一機動艦隊解隊
 1945年4月7日 坊ノ岬沖海戦で「大和」戦没、第二水雷戦隊壊滅
     4月20日 解隊

  編制
    1941年4月10日、太平洋戦争臨戦態勢完成時の編制
1942年7月14日、ミッドウェー海戦後の編制 1944年8月15日、マリアナ沖海戦後の編制
第3戦隊−金剛 、榛名
第4戦隊−愛宕、摩耶、高雄
第5戦隊−妙高、羽黒
第2水雷戦隊−神通、第8駆逐隊、第15駆逐隊、
          第18駆逐隊、第24駆逐隊

第4水雷戦隊−由良、第2駆逐隊、第9駆逐隊、
          第27駆逐隊
第11航空戦隊−千歳、神川丸
附属−神風丸
第1戦隊−大和、武蔵 、長門
第3戦隊−金剛 、榛名
第4戦隊−愛宕、高雄、鳥海、摩耶
第7戦隊−熊野、鈴谷、利根、筑摩
第2水雷戦隊−能代、第2駆逐隊、第27駆逐隊、
          第31駆逐隊、第32駆逐隊、島風

1945年4月1日、最終時の編制
第1航空戦隊−大和、天城、葛城、隼鷹、龍鳳
第2水雷戦隊−矢矧、第7駆逐隊、第17駆逐隊、
          第21駆逐隊、第41駆逐隊
第31戦隊−花月、第43駆逐隊、第52駆逐隊

歴代司令長官 歴代参謀長
近藤信竹 中将:1941年9月1日 -
栗田健男 中将:1943年8月9日 -
伊藤整一 中将:1944年12月23日 - 1945年4月7日戦死・
                4月20日解隊
白石万隆 少将:1941年8月30日 -
小柳富次 少将:1943年7月2日 -
森下信衛 少将:1944年11月25日 - 1945年4月20日解隊

     第三艦隊
 常設だった第一艦隊・第二艦隊と違い、必要に応じて編制・解散される特設艦隊であったため、日露戦争から
 太平洋戦争までの間に六代にわたって編制と解散を繰り返した。

  五代(1941年4月10日新編〜1942年3月10日第二南遣艦隊へ改称)
 フィリピン攻略部隊として編制した。陸海軍協定でルソン島攻略を陸軍が、ミンダナオ島を海軍が攻略することになり、
 パラオ諸島で開戦を待った。
 ラモン湾の上陸支援、レガスピー攻略作戦に従事し、フィリピン占領後は蘭印攻略に向かう。
 太平洋戦争を経験した三代の「第三艦隊」の中で、終戦まで艦隊としての地位を維持した唯一の部隊である。
  編制
    1941年4月10日 新編時の編制
第16戦隊−長良、球磨
第17戦隊−厳島、八重山
第5水雷戦隊−名取、第5駆逐隊、第22駆逐隊
第6潜水戦隊−長鯨、第9潜水隊、第13潜水隊
第12航空戦隊−神川丸、山陽丸(いずれも特設水上機母艦)
第1根拠地隊(白鷹、蒼鷹、掃海艇、駆潜艇、水雷艇など。のちの第21特別根拠地隊、ジャワ島駐留、司令部はスラバヤ)
第2根拠地隊(若鷹、掃海艇、駆潜艇、水雷艇など。のちの第22特別根拠地隊、ボルネオ島駐留、司令部はバリクパパン)
第32特別根拠地隊(ミンダナオ島駐留、司令部はダバオ)
附属−山彦丸(特設工作艦)、特設運送船2隻
    1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制
第16戦隊−足柄、長良、球磨
第17戦隊−厳島、八重山、辰宮丸(特設敷設艦)
第5水雷戦隊−名取、第5駆逐隊、第22駆逐隊
第6潜水戦隊−長鯨、第9潜水隊、第13潜水隊
第12航空戦隊−神川丸、山陽丸(いずれも特設水上機母艦)
第1根拠地隊(白鷹、蒼鷹、掃海艇、駆潜艇、水雷艇など)
第2根拠地隊(若鷹、掃海艇、駆潜艇、水雷艇など)
第32特別根拠地隊
附属−山彦丸(特設工作艦)、特設運送船2隻

歴代司令長官 歴代参謀長
高橋伊望中将(1941年4月10日 - 改称後も留任) 中村俊久少将(1941年4月10日 - 改称後も留任)

  六代(1942年7月14日新編〜1944年11月15日解散)
 ミッドウェー海戦で壊滅した第一航空艦隊の後継部隊として、ミッドウェー海戦に参加しなかった翔鶴・瑞鶴を中心に
 再建した機動部隊である。壊滅した第一航空艦隊の長官南雲忠一中将と参謀長草鹿龍之介少将は第三艦隊の指揮官として
 そのまま機動部隊の指揮を執ることになった。
 第三艦隊は空母六隻(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳と飛鷹、隼鷹、龍驤の2組)と戦艦2隻、巡洋艦4隻、長良を旗艦とする
 駆逐艦16隻の合計29隻の大艦隊の予定であった。
 1944年2月に戦艦中心の第一艦隊が廃されたこともあり、翌3月に第二艦隊と連合して第一機動艦隊を編制し、
 第三艦隊司令部が機動艦隊司令部を兼ねた。マリアナ沖海戦で旗艦大鳳や大量の艦上機と搭乗員を失い、
 その後練成した航空機も台湾沖航空戦で消耗し、レイテ沖海戦では艦上機をほとんど搭載しない「囮艦隊」として参加した。
 レイテ沖海戦後、残存する空母は第1航空戦隊に集められて連合艦隊付属(後に第二艦隊へ編入)となり
 第4航空戦隊の航空戦艦伊勢・日向は第二艦隊に編入されて、第三艦隊は廃止された。
  編制
   1942年7月14日 新編時の編制     1944年3月1日 第一機動艦隊新編時の編制
第1航空戦隊−翔鶴、瑞鶴、瑞鳳
第2航空戦隊−隼鷹、龍驤(龍驤戦没後に飛鷹を編入)
第11戦隊−比叡、霧島
第7戦隊−熊野、鈴谷、最上
第11戦隊−比叡、霧島
第8戦隊−利根、筑摩
第10戦隊−長良、第4駆逐隊、第10駆逐隊、
        第16駆逐隊、第17駆逐隊
第1航空基地隊
附属−鳳翔、赤城、飛龍、夕風  
※赤城、飛龍は書類上の在籍(ミッドウェー海戦で戦没)。

第1航空戦隊−翔鶴、瑞鶴 (竣工後に大鳳を編入)
第2航空戦隊−隼鷹、飛鷹、龍鳳、第652海軍航空隊
第3航空戦隊−千歳、千代田、瑞鳳、第653海軍航空隊
第10戦隊−矢矧、第4駆逐隊、第10駆逐隊、
        第17駆逐隊、第61駆逐隊
附属−最上、第601海軍航空隊






   1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制
第1航空戦隊−雲龍、天城、第601海軍航空隊
第3航空戦隊−千歳、千代田、瑞鳳、瑞鶴、第653海軍航空隊
第4航空戦隊−伊勢、日向、隼鷹、龍鳳、第634海軍航空隊
第10戦隊−矢矧、第4駆逐隊、第17駆逐隊、
        第41駆逐隊、第61駆逐隊
附属−最上、大鳳、翔鶴  
※大鳳、翔鶴は書類上の在籍(マリアナ沖海戦で戦没)。

歴代司令長官 歴代参謀長
南雲忠一中将(1942年7月14日 -)
小沢治三郎中将1942年11月 - 第一機動艦隊司令長官)

 第一機動艦隊司令長官直率(1944年3月 - 1944年11月
 ※解散まで小沢司令長官が続投
草鹿龍之介少将(1942年7月14日 -)
山田定義少将(1942年11月23日 -)
古村啓蔵少将(1943年12月6日 - 第一機動艦隊参謀長)
  第一機動艦隊参謀長兼任(1944年3月〜1944年11月
  ※解散までに古村啓蔵→大林末雄が歴任
 
    第四艦隊 
 日露戦争末期に陸軍の樺太上陸支援のために編成された部隊と、日中戦争で増援のために編制され
 華北方面に進出した。 部隊、太平洋戦争時に南洋諸島防衛を目的に編制された部隊の三つがある。
 1905年6月14日、樺太作戦のために編成された。


第四艦隊(三代目)
 1939年11月15日、前第四艦隊が第三遣支艦隊に改名すると同時に、南洋諸島の基地建設地調査と防衛に充てるために
 三代目の第四艦隊を編制した。1940年11月15日より連合艦隊に編入された。保有戦力は港湾防御艦艇と
 偵察航空隊程度で、「厳島」・「八重山」・「能登呂」を主要艦艇としたほか、カロリン諸島・パラオ諸島・・マーシャル諸島・
 カロリン諸島の防衛のために陸戦用の防備隊を置いた。軍隊区分上の扱いは、内南洋防衛を担当する
 内南洋部隊と定められている。
 太平洋戦争開戦後は軍隊区分上で内南洋の外まで担当する南洋部隊とされ、旧式艦艇を主力とした。
 水上艦基地としてトラック環礁、潜水艦基地としてクェゼリン環礁を活用するとともに南部フィリピン・グァム島・
 ウェーク島・ギルバート諸島・東ニューギニア・ビスマーク諸島・ソロモン諸島への攻略拠点部隊として機能した。
 ウェーク島攻略作戦や珊瑚海海戦での不手際が問われた井上成美司令長官が更迭され、
 以後は頻繁に司令部が交代している。
 1944年3月4日、日本海軍は中部太平洋方面艦隊を新編し、サイパン島に司令部を置いた。
 この時に第四艦隊はその隷下に入った。中部太平洋方面艦隊の隷下部隊のうち第十四航空艦隊は
 稼動機がなく、実質的に第四艦隊が戦力のすべてであった。サイパンの戦いで中部太平洋方面艦隊司令部は
 全滅し、遠隔地に取り残された第四艦隊は
 本土との補給がほぼ完全に止まり、終戦まで各部隊が自活を余儀なくされた。

  編制
   1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制     1942年7月14日 ミッドウェー海戦後の編制
独立旗艦 - 鹿島
第18戦隊 - 天龍、龍田
第19戦隊 - 沖島、常磐、津軽、天洋丸
第6水雷戦隊 - 夕張、第29駆逐隊、第30駆逐隊
第7潜水戦隊 - 迅鯨、第26潜水隊、
          第27潜水隊、第33潜水隊
第24航空戦隊 - 千歳海軍航空隊、横浜海軍航空隊、
           神威、五州丸
第3根拠地隊(パラオ群島防衛、司令部はパラオ本島)
第4根拠地隊(カロリン諸島防衛、司令部はトラック環礁)
第5根拠地隊(マリアナ諸島防衛、司令部はサイパン島)
第6根拠地隊(マーシャル諸島防衛、司令部はクェゼリン環礁)
附属 - 第4港務部・第4気象隊(トラック常駐)

    舞鶴第2特別陸戦隊(ソロモン諸島攻略部隊)、
    聖川丸、金龍丸、
独立旗艦 - 鹿島
第4根拠地隊
第5特別根拠地隊
第6特別根拠地隊
第2海上護衛隊 - 夕張、第29駆逐隊、能代丸、長運丸
附属 - 常磐、宗谷、第4港務部、第4測量隊、國川丸

   1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制     1945年3月1日 最終時の編制
独立旗艦 - 長良
第4根拠地隊
第6根拠地隊
附属 - 第2、31魚雷艇隊、横須賀鎮守府第2特別陸戦隊
     第6、43、46、48、81、84〜86防空隊、
     第221、227設営隊
4根拠地隊
第6根拠地隊
附属 - 東カロリン海軍航空隊、マリアナ海軍航空隊
     横須賀鎮守府第2特別陸戦隊、第216、221、
     223、227設営隊

歴代司令長官 歴代参謀長
片桐英吉中将(1939年11月15日-)
高須四郎中将(1940年11月15日-)
井上成美中将(1941年8月11日-)
鮫島具重中将(1942年10月26日-)
小林仁中将(1943年4月1日-)
原忠一中将(1944年2月19日-降伏)
岸福治少将(1939年11月15日-)
矢野志加三少将(1941年10月10日-)
鍋島俊策少将(1942年11月1日-)
澄川道男少将(1944年1月6日-)
有馬馨少将(1944年3月30日-)
澄川道男少将(1944年8月12日-降伏)
 
    第五艦隊 
 旧帝国海軍の部隊の1つ。日華事変で増援のために編制され、華南方面に進出した部隊と、太平洋戦争時に
 本土東方警備・アリューシャン列島攻略を目的に編制した部隊の二つがある。
 1938年2月1日、支那方面艦隊の増援部隊として編制し、同艦隊の3番目の艦隊として華南方面に進出した。

  二代の第五艦隊
 1941年7月25日、連合艦隊の北方部隊として「多摩」・「木曽」・「鷺」・「鳩」の4隻で編制し、千島列島〜本土東海上〜
 小笠原諸島に展開した
 アッツ島沖海戦での完勝が果たせなかった責任を問われ、細萱戊子郎司令長官が更迭されている。
 木村昌福司令官が指揮する第1水雷戦隊は、キスカ島からの陸上部隊撤退(キスカ島撤退作戦)に成功した
 1943年8月5日に第十二航空艦隊と合同で北東方面艦隊を編制し、その隷下に収まる。
 1944年10月に、北東方面艦隊に在籍したまま南方部隊に転進し、いわゆる「志摩艦隊」としてフィリピン沖海戦に参加。
 11月5日にはマニラで空襲を受け旗艦那智が戦没する。のちに礼号作戦にも参加。
 12月15日に正式に南西方面艦隊に移籍したが、1945年2月5日に第十方面艦隊新設とともに解散し、所属艦艇はその隷下

  編制
1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制 1942年7月14日 ミッドウェー海戦後の編制
第21戦隊 - 多摩、木曾、君川丸
第22戦隊 - 粟田丸、浅香丸 
       (3個監視艇隊は1942年2月に編制)
附属 - 鷺、鳩、尻矢、特設艦船5隻
第21戦隊 - 那智、多摩、木曽
第22戦隊 - 栗田丸、赤城丸、浅香丸
父島方面特別根拠地隊 
附属 - 帆風、汐風、第26潜水隊、第33潜水隊、
     第13駆潜隊、第5警備隊、第1〜3監視艇隊
 1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制
第21戦隊 - 那智、足柄、多摩、木曽
第1水雷戦隊 - 阿武隈、第7駆逐隊、第18駆逐隊
      第18駆逐隊(同年8月15日に第21駆逐隊を編入)

歴代司令長官 歴代参謀長
細萱戊子郎中将(1941年7月25日〜)
河瀬四郎中将(1943年3月31日〜)
志摩清英中将(1944年2月15日〜解隊)
中澤佑少将(1941年7月25日〜)
一宮義之少将(1942年11月6日〜)
大和田昇少将(1943年3月19日〜)
松本毅少将(1943年1月17日〜解隊)
 
      第六艦隊
 旧日本海軍の部隊の一つ。1940年11月15日、潜水艦部隊の一元運用を図るため、各艦隊に分散配置されていた潜水戦隊を
 統合して編制した。当初はアメリカ西海岸方面、インド洋方面、オーストラリア東沖方面での偵察・漸減邀撃をもくろんだ。
 太平洋戦争開戦時はハワイ方面の偵察、特殊潜航艇による真珠湾突入、東太平洋での通商破壊、オーストラリア方面の
 機雷敷設に従事した。しかし真珠湾攻撃の成功により、主目的であった漸減邀撃の必要性が薄れ、オーストラリア東沖や
 インド洋での通商破壊に重きを置くようになる。
 昭和17年6月のミッドウェー作戦のおいては作戦の不備から潜水艦の展開が遅れ戦機を逸してしまった。
 昭和18年のソロモン攻防戦から終戦まで、潜水艦は艦隊攻撃を行っては空しく撃沈されるものが相次いた。制空権を失い
 孤島に対する輸送任務に多く使われ、多くの損害を出す。
 1944年11月8日より、人間魚雷「回天」の実戦投入が始まり、回天母艦として潜水艦を運用することになった。
          以後、終戦までに28回出撃している。

  編制
    (新編時の編制)
 第1潜水戦隊-旗艦:香取 、大鯨 伊号第20 第一潜水隊(伊15・伊16・伊17)
 第2潜水戦隊-五十鈴 第十一潜水隊(伊74・伊75) 第十二潜水隊(伊68・伊69・伊70) 第二〇潜水隊(伊71・伊72・伊73)
 第3潜水戦隊-長鯨 伊7 第七潜水隊(伊1・伊2・伊3) 第八潜水隊(伊4・伊5・伊6)
歴代司令長官 歴代参謀長
平田昇中将(1940年11月15日-)
清水光美中将(1941年7月21日-)
小松輝久中将(1942年3月16日-)
高木武雄中将(1943年6月21日-)
三輪茂義中将(1944年7月10日-1945年9月15日解散))
市岡寿少将(1940年11月15日-)
三戸寿少将(1941年1月6日-)
島本久五郎少将(1942年10月22日-)
仁科宏造少将(1943年11月15日-)
佐々木半九少将(1944年12月21日-1945年9月15日解散)
 
     第七艦隊
 太平洋戦争末期昭和20年4月10日に編成された日本海軍最後の艦隊であった。西内海地域の関門、対馬等の
 海峡の 防備を任務とした艦隊であった。艦隊司令部は福岡県門司に設置された。

 七艦隊の編成は、1945年(昭和20年)3月末にアメリカ軍による機雷攻撃(飢餓作戦)が開始されたことに伴い、
 急遽行われた。 これは、西内海を防備範囲とするはずの呉鎮守府には、大規模な航空機雷敷設に対処する
 能力が無いために採られた措置である。形式的には連合艦隊の所属であるが、任務の性質上、実質的には
 海上護衛総司令部の指揮下にあった。
 そのため、初代司令長官は、第一護衛艦隊司令長官で海上護衛総司令部参謀長を務めたこともある
 岸福治中将が兼任し、 同じく参謀長の後藤光太郎少将も第一護衛艦隊参謀長と兼任だった。

  編制
    1945年6月1日時点
 
第18戦隊(常磐、高栄丸、永城丸)  ※1945年6月5日に解隊、3隻とも第七艦隊附属となる。
 附属 - 第102、104、106、154海防艦  下関防備隊
歴代司令長官 歴代参謀長
岸 福治 中将 昭和20年)4月15日 -
大森仙太郎 中将 昭和20年8月20日 - 昭和20年9月15日
後藤光太郎 少将 昭和20年)4月15日 -
藤原喜代間 少将 昭和20年)7月10日 - 昭和20年)9月15日
 
    第八艦隊 
 昭和17年(1942年)7月14日に日本海軍が編成した艦隊である。軍隊区分上は外南洋部隊として扱われた
 日本海軍が、太平洋戦争中にニューギニア島・ソロモン諸島方面(外南洋)を担当する艦隊として水上部隊及び
 陸上部隊を をもって編成した。アメリカ軍とのソロモン諸島の戦いでは最前線部隊として奮戦した。
 のちニューギニア方面は第九艦隊の 担当となり、ソロモン方面作戦に専念する。戦争後半に水上部隊が
 引揚げられ、ブーゲンビル島ブインに置いた司令部から ソロモン諸島に点在する基地間の輸送任務及び
 海軍陸戦隊の指揮を行った。

  編制
1942年7月14日 新編時の編制 1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制
独立旗艦 - 鳥海
第18戦隊 - 天龍、龍田
第7潜水戦隊 - 迅鯨、第13潜水隊、第21潜水隊
第7根拠地隊
第8根拠地隊
第30駆逐隊、聖川丸、呉鎮守府第3特別陸戦隊
佐世保鎮守府第5特別陸戦隊、第2航空隊、第10〜15設営隊
附属 - 津軽
第3水雷戦隊 - 夕張、第22駆逐隊、第30駆逐隊
第1根拠地隊
第8根拠地隊
第14根拠地隊
第11魚雷艇隊、第938、958海軍航空隊、第2、5、14、21、
          22、36、44、45、52、63〜65、67、69防空隊、
          第1、2輸送隊
附属 - 夕凪、松風
 1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制 1945年6月1日 最終時の編制
第1根拠地隊
附属 - 第938海軍航空隊、第1輸送隊
第1根拠地隊
附属 - 第20、26、32、34、121、131設営隊

歴代司令長官 歴代参謀長
1.三川軍一中将 昭和17年7月14日-
2.鮫島具重中将 昭和18年4月1日-終戦
1.大西新蔵少将 昭和17年7月14日
2.山澄貞次郎少将 昭和18年3月29日-終戦
 上級部隊
        南東方面艦隊 昭和17年12月20日-終戦

 
     第九艦隊
 昭和18年(1943年)11月15日に日本海軍が編成した艦隊である。オーストラリアで整備中のアメリカ軍の北上に備え、
 西部ニューギニアの防衛を担当する艦隊として水上部隊及び陸上部隊をもって編成された。
 しかし、「艦隊」と称しても水上艦艇は若干の駆潜艇しかなく、主力は陸上の2個根拠地隊である。
 昭和19年)3月に第2特別根拠地隊と合併して第27特別根拠地隊となった。
 昭和19年)4月22日にアメリカはホーランディアに上陸すると、カイリル島に置かれた第27特別根拠地隊本隊以外の
 艦隊全兵力(約1,000人)で迎撃した(ホーランジアの戦い)。しかし、サルミへ撤退中の5月3日の戦闘で
 第九艦隊司令部は壊滅し、遠藤喜一長官・緒方真記参謀長・鬼束鉄夫第90警備隊司令ら幹部が戦死する。
 その2日前には、新たな隷下部隊としてビアク島へ駐留させるべく、第28特別根拠地隊が
 第四南遣艦隊隷下で編成されたが、第九艦隊への増援は実現しなかった。
 第27特別根拠地隊のみが孤立し、艦隊としての体をなさなくなったため、
 1944年7月10日をもって第九艦隊は解隊した。
 第27特別根拠地隊は南西方面艦隊直率となり、終戦まで自活を強いられた。
  編制
1943年11月15日 新編時の編制 1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制 
第2特別根拠地隊(ウエワク)
           2個駆潜隊・通信隊・港務部
第7根拠地隊(ラエ→シオ→ウエワク)
           駆潜艇3隻 
第27特別根拠地隊(カイリル)
              第90警備隊(ホーランディア)
附属 - 白鷹、第26、34、35号駆潜艇、第12魚雷艇隊、
     第2通信隊、第57、87防空隊
1944年7月10日 最終時の編制
第27特別根拠地隊(カイリル)
                第90警備隊(ホーランディア)

歴代司令長官 歴代参謀長
1.遠藤喜一中将 昭和18年11月15日〜昭和19年5月3日玉砕
1.緒方真記少将 昭和18年11月15日〜昭和19年5月3日玉砕

 上級部隊
       南東方面艦隊 昭和18年11月15日〜昭和19年3月25日
       南西方面艦隊 昭和19年3月25日〜昭和19年7月10日(解隊)

 
                       航空艦隊

 航空艦隊とは、海軍または空軍の編制単位の一つ。日本海軍では機動部隊または基地航空隊を指す。
 1941年1月、大日本帝国海軍連合艦隊の下位艦隊として基地航空隊を統一した第十一航空艦隊が、
 同4月に航空母艦(空母)を 集中運用する第一航空艦隊が創設された。
 それぞれ数個の航空戦隊で構成されていた。 第一航空艦隊はミッドウェー海戦のあと解隊されるが、
 1943年7月1日に大本営直属の基地航空隊として再編成された
 
          第一航空艦隊
 旧日本海軍の空母艦隊及び基地航空部隊のことである。この艦隊を中核に他の艦艇を合わせた世界初の
 空母機動部隊として 運用された。大戦後半に基地航空部隊として再編成され、陸上飛行場を拠点として
 作戦を行う機動航空部隊として運用された。
  空母艦隊として誕生
 昭和16年)4月10日、南雲忠一海軍中将を司令長官として編成(艦隊参謀長は草鹿龍之介少将)された。
 第一航空戦隊「赤城」「加賀」、第二航空戦隊「飛龍」「蒼龍」の航空母艦を基幹としたが、太平洋戦争開戦直前に
 第五航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」が編入された。
 草鹿参謀長は攻撃は一太刀と決め周到な計画の下行いすぐ他の敵に構えることを信念にした
 南雲長官は航空に関しては素人であり、草鹿参謀長も源田実航空参謀を評価し献策を入れたため、
 源田艦隊と呼ぶ声まであった
 源田参謀は従来所属艦で行われた航空隊の指揮と訓練を機種ごとに分けた空中指揮で行った
 1942年6月のミッドウェー作戦では、同時に実施されたアリューシャン作戦に参加する
 第四航空戦隊「隼鷹」、「龍驤」基幹の部隊を軍隊区分により第二機動部隊としたため、従来の
 第一航空艦隊基幹の 機動部隊は第一機動部隊としてミッドウェー作戦に参加した。ミッドウェー作戦は、
 空母4隻を失って失敗に終わり 海戦後に第一航空艦隊は解隊された。
  基地航空隊として再建
 1943年6月1日第261航空隊佐世保鎮守府所属として鹿児島で発足し、7月1日第261航空隊と第761航空隊で
 第一航空艦隊が発足した。1944年1月13個航空隊になる。2月一航艦を10個航空隊による
 61航空戦隊(一航艦司令長官直卒)と 3個航空隊の62航空戦隊(司令官杉本丑衛指揮)に分離した。
 62航戦の戦力充実は9月を目標にした。 1944年7月のテニアンの戦いにおいて角田司令長官は玉砕した。
  神風特攻隊開始
 残存部隊はフィリピンに撤退し再建を進め、1944年8月7日寺岡謹平中将が一航艦長官に就任した。
 10日南西方面艦隊に編入、 フィリピン沖海戦で、大西長官の主導の下、クラーク基地の第761航空隊と
 マバラカット基地の201航空隊によって 最初の神風特別攻撃隊による作戦が実施された。
 特攻後大西長官は福留繁第二航空艦隊長官を説得し第一航空艦隊と第二航空艦隊を統合した
 連合基地航空隊を編成し、 福留長官が指揮官、大西長官が参謀長を務めた。
 強引な神風特攻隊拡大に批判的な航空幹部もいたが、大西長官は「今後俺の作戦指導に
 対する批判は許さん」 「反対する者は叩き切る」と指導した
 しかし実動機が払底したため、年末には台湾へ再度撤退し、フィリピン海峡越えの出撃を強いられた。
 昭和20年)5月10日、最後の司令長官に志摩清英中将が就任。
 約1ヵ月後の6月15日、第一航空艦隊は解隊された。
  所属部隊
      (空母艦隊)
 第一航空戦隊:1941年4月10日 - 1942年7月14日
 第二航空戦隊:1941年4月10日 - 1942年7月14日
 第四航空戦隊:1941年9月1日 - 1942年7月14日
 第五航空戦隊:1941年9月1日 - 1942年4月12日
歴代司令長官 歴代参謀長
(空母艦隊)
南雲忠一 中将:1941年4月10日 - 1942年7月14日
(基地航空隊)
角田覚治 中将:1943年7月1日 - 1944年8月2日戦死
寺岡謹平 中将:1944年8月7日 - 10月20日
大西瀧治郎 中将:1944年10月 - 1945年(昭和20年)5月
(兼)志摩清英 中将:1945年5月 - 6月15日
             ※本務は高雄警備府司令長官
(空母艦隊)
草鹿龍之介 少将:1941年4月15日 - 1942年7月14日
(基地航空隊)
三和義勇 大佐:1943年7月1日 - 1944年8月2日戦死
小田原俊彦 大佐:1944年8月7日 - 1945年1月8日
菊池朝三 少将:1945年1月8日 - 5月10日
(兼)中澤佑 少将:1945年5月10日 - 6月
            ※本務は高雄警備府参謀長
 
   第一航空戦隊 
 第一航空戦隊とは、日本海軍の機動部隊の一翼を担った部隊である。
 昭和3年4月に試験的に「赤城」「鳳翔」と第6駆逐隊の「梅」「楠」で編成され、
 昭和4年)4月より第一艦隊に常備となった。
 太平洋戦争開戦時の第一航空戦隊は、「赤城」「加賀」と第7駆逐隊の駆逐艦2隻で編成されていた。
 太平洋戦争開戦時の指揮官は第一航空艦隊の司令長官南雲忠一海軍中将が直率。真珠湾攻撃・
 ラバウル攻略・ ポートダーウィン空襲・セイロン沖海戦・ミッドウェー海戦などに参加。

 昭和17年)6月のミッドウェー海戦で「赤城」「加賀」が沈没したため解隊されたが、8月に「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」を
 中心とした部隊として再建された。
 昭和19年)3月に「大鳳」が完成し第一航空戦隊に入ったため、「瑞鳳」が第三航空戦隊に編入された。
 その後1944年6月のマリアナ沖海戦で「翔鶴」「大鳳」が潜水艦の攻撃で沈没したため解隊。
 1944年8月に完成した「雲龍」「天城」をもって再度第一航空戦隊は編成されたが、搭載予定の601空は
 マリアナ沖海戦後の 再編途上、また母艦自体も練成中であることから作戦投入可能になるのは
 44年末と想定されていた。11月に入りレイテ沖海戦後解隊された第二航空戦隊の残存艦「隼鷹」と「龍鳳」、
 また新たに完成した「葛城」「信濃」が第一航空戦隊に編入された。
 しかし「信濃」は完成直後に潜水艦の攻撃で沈没、「隼鷹」「龍鳳」「雲龍」は南方への輸送任務に投入されたが
 「隼鷹」が潜水艦の攻撃で大破、「雲龍」も沈没し輸送任務からは外された「天城」「葛城」の2隻が再編中の
 601空と共に 瀬戸内海で訓練を続けていた。
 昭和20年)1月に入っても第一航空戦隊の訓練は続いていたが、2月に入り「大和」が第一航空戦隊に編入された一方、
 艦艇用燃料の払底に伴い「龍鳳」「天城」「葛城」は任務を解かれ呉軍港周辺に繋留、搭載していた601空も
 基地航空隊に改編されたことで空母部隊としての活動を終了、第一航空戦隊は「大和」沈没後の4月20日に解隊された。
  歴代司令官
          河瀬四郎 少将:昭和16年4月10日 -
          第一航空艦隊司令長官(南雲忠一中将)直率:昭和16年9月1日 -
          古村啓蔵 少将:昭和19年10月1日 -
          大林末雄 少将:昭和19年12月10日 -
          欠:昭和20年2月11日 -

 
   第二航空戦隊 
 日本海軍の機動部隊の一翼を担った空母部隊のことである。戦局の悪化により1944年(昭和19年)7月10日解隊。
 1934年より第二艦隊に設置された。「蒼龍」「飛龍」は竣工するとさっそく第二航空戦隊に編入され、
 戦没するまで定位置だった。
 主に、真珠湾攻撃や、ウェーク島攻撃、ポートダーウィン攻撃、セイロン沖海戦に参加するが、ミッドウェー海戦で
 主力空母2隻を失い解隊された。その後7月に、空母「隼鷹」「飛鷹」「龍驤」で再建された。
 司令官は角田覚治少将。「龍驤」が第二次ソロモン海戦で沈没したため、「龍鳳」が第二航空戦隊に加わった。
 マリアナ沖海戦で「飛鷹」は沈没。
  歴代司令官
         山口多聞 少将:1940年(昭和15年)11月1日 - 1942年(昭和17年)6月5日戦死
         角田覚治 少将:1942年7月14日 -
         酒巻宗孝 少将:1943年(昭和18年)5月22日 -
         城島高次 少将:1943年9月1日 -

 
    第四航空戦隊
 日本海軍の部隊の1つ。航空母艦を主力とする機動部隊。解隊と再編成を繰り返した部隊。
 太平洋戦争開戦3ヶ月前の1941年(昭和16年)9月1日に第一航空艦隊を構成する部隊として設立される。
 太平洋戦争開戦時の主な艦艇は空母「龍驤」「春日丸」、第3駆逐隊が所属していた
 セイロン沖海戦、アリューシャン作戦などに参加した。しかしミッドウェー海戦での敗北をきっかけに
 昭和17年7月に解隊された。

 昭和19年5月には、戦艦「日向」(戦隊旗艦)、戦艦「伊勢」にて、世界でも類を見ない航空戦艦による
 航空戦隊として編成される。 この部隊は捷一号作戦、北号作戦といった戦争末期の作戦に参加した。
 エンガノ岬沖海戦では、米海軍機の激しい攻撃を回避、多数を撃墜して無事生還。
  歴代司令官
          桑原虎雄少将(1941年(昭和16年)4月10日 -)
          角田覚治少将(1941年9月1日 - 1942年(昭和17年)7月14日解隊)
          松田千秋少将(1944年(昭和19年)5月1日 - 1945年(昭和20年)3月1日解隊)

 
   第五航空戦隊 
 太平洋戦争開戦直前に編成された空母機動部隊。当時の日本海軍の空母建造技術の粋を集めた最新鋭艦、
 翔鶴型空母「翔鶴」、「瑞鶴」と護衛の駆逐艦「朧」、「秋雲」で編成されていた。
 航空隊の練度については同じく第一航空艦隊を形成していた第一航空戦隊の赤城・加賀、第二航空戦隊の
 飛龍・蒼龍に及ばないものとして扱われた。
 珊瑚海海戦での航空機の大量損失も搭乗員の練度の低さが原因とされた。
 ミッドウェイ海戦での敗北後に解隊され、「翔鶴」と「瑞鶴」は新たに編成された第一航空戦隊に所属することになる。
  歴代司令官
         原忠一少将:昭和16年9月1日 - 昭和17年7月14日

 
         第十一航空艦隊 
 太平洋戦争時からあった外地向けの基地航空部隊である。開戦当初はフィリピン・マレー・ジャワに
 進出し南方作戦の 航空作戦を指揮する。
 ガダルカナル戦が始まると、テニアン島にあった司令部はラバウルに移動し南東方面航空作戦の主力として活躍。
 昭和17年12月に南東方面艦隊が編成されるとその隷下に入る(南東方面艦隊司令部要員は
 第11航空艦隊司令部要員が兼任) 航空隊がトラック島に撤退し、本土とラバウルの補給が途絶えた後は
 自給自足の生活で終戦まで部隊を維持した。
  編成
     
(太平洋戦争開戦時)
 第21航空戦隊 - 第一航空隊、鹿屋海軍航空隊、東港海軍航空隊、「葛城丸」
 第22航空戦隊 - 第三航空隊、台南海軍航空隊、高雄海軍航空隊、「小牧丸」
 第23航空戦隊 - 元山海軍航空隊、美幌海軍航空隊、鹿屋海軍航空隊の一部、「富士川丸」、「りおん丸」、「慶洋丸」、「加茂川丸」
 第34駆逐隊
歴代司令長官 歴代参謀長
片桐英吉中将(昭和16年1月15日 - 昭和16年9月10日)
塚原二四三中将(昭和16年9月10日 - 昭和17年10月1日)
草鹿任一中将(昭和17年10月1日〜)



大西瀧治郎少将(昭和16年1月15日 - 昭和17年2月10日)

酒巻宗孝少将(昭和17年2月10日 - 昭和17年12月24日)
中原義正少将(昭和17年12月24日 - 昭和18年11月29日)
草鹿龍之介少将(昭和18年11月29日 - 昭和19年4月6日)
富岡定俊少将(昭和19年4月6日 - 昭和19年11月7日)
入船直三郎少将(昭和19年11月7日〜
 
           第二航空艦隊
 1944年6月15日創設、1945年1月8日解散。フィリピン防衛のため台湾各地に展開したが、
 台湾沖航空戦で消耗したため、 フィリピンに前進できた機体は僅かだった。早くも11月には機体を
 台湾に撤退させ、基地要員は陸戦に従事した。

  編制
     
1944年7月10日、マリアナ諸島陥落〜フィリピン防衛準備中の編制
 第21航空戦隊 - 台湾海軍航空隊(基地防衛)
 第25航空戦隊 - 南西諸島海軍航空隊(基地防衛)
 直卒
    ・第一四一海軍航空隊(偵察/台湾)、第二二一海軍航空隊(艦戦/台湾)、第三四一海軍航空隊(紫電/台湾)
    ・第七六二海軍航空隊(銀河/ダバオ)、第七六三海軍航空隊(銀河/台湾)
    ・基地隊 - 九州海軍航空隊
歴代司令長官 歴代参謀長
1.福留繁中将(全期間) 1.杉本丑衛 少将:1944年6月15日 -
2.菊池朝三 少将:1944年10月27日 - 1945年1月8日
 
         第三航空艦隊 
 1944年7月10日創設、1945年10月15日解散。本土防衛のため当初は関東、硫黄島陥落後は南九州を中心に展開し、
 硫黄島および沖縄への積極迎撃・艦船や機動部隊への攻撃・特攻及び本土防空を担当した。
  編制
     1944年7月10日、新編時の編制
 ・第27航空戦隊 - 南方諸島海軍航空隊・関東海軍航空隊(基地)、第二五二海軍航空隊(艦戦/硫黄島)、
             第七五二海軍航空隊(陸攻/硫黄島)、第八〇一海軍航空隊(飛行艇/横浜)
 ・直卒
   ・第二一〇海軍航空隊(紫電/明治)、第三四三海軍航空隊(紫電改/松山。のちに第五航空艦隊に編入される)  
   ・第一三一海軍航空隊(艦爆、艦攻/松山)、第六〇一海軍航空隊(艦上機部隊)
   ・第一〇二三海軍航空隊(輸送機)
歴代司令長官 歴代参謀長
1.吉良俊一 中将:1944年7月10日 -
2.寺岡謹平 中将:1944年11月11日 -
3.山田定義 中将:1945年8月26日 - 1945年10月1日

1.三浦艦三 大佐:1944年7月10日 - 1944年8月1日戦病死
2.田口太郎 大佐:1944年8月1日 - 1944年12月25日
3.山澄忠三郎 大佐:1945年1月1日 -
4.高橋千隼 大佐:1945年8月26日 - 1945年10月1日
 
         第五航空艦隊
 1945年2月10日創設、1945年10月20日解散。本土防衛のため九州を中心に展開し、
 沖縄への積極迎撃・艦船や 機動部隊への攻撃・特攻及び本土防空を担当した。終戦の詔勅が
 発表された直後に、宇垣長官が独断で特攻自決した。
  編制
    1945年2月10日、新設時の編制
 ・南西諸島海軍航空隊・九州海軍航空隊(基地防衛)
 ・第二〇三海軍航空隊(艦戦/笠之原)
 ・第七〇一海軍航空隊(陸攻/国分。九州沖航空戦直前に、彗星の2個攻撃飛行隊と天山の1個飛行隊からなる
                航空隊に変更)、第七二一海軍航空隊(桜花/鹿屋)、第七六二海軍航空隊(陸爆=銀河)、
                第八〇一海軍航空隊(飛行艇/横浜)
 ・第一〇二二海軍航空隊(輸送機
歴代司令長官 歴代参謀長
1.宇垣纏 中将:1945年2月10日 - 1945年8月15日戦死
2.草鹿龍之介 中将:1945年8月17日 - 1945年10月10日

1.横井俊之 大佐(少将):1945年2月10日 - 1945年10月10日
 
          第十航空艦隊
 1945年3月1日創設、1945年10月10日解散。航空要員練成のために連合練習航空総隊を拡張して設置した。
 所属部隊はすべて練成航空隊で、即戦力は持たない。
編制
    
1945年3月1日、新設時の編制
 ・第11連合航空隊
   ・予科練 - 大和海軍航空隊
   ・初歩練(陸上機) - 百里原海軍航空隊、谷田部海軍航空隊、神町海軍航空隊、第二郡山海軍航空隊、
                第三岡崎海軍航空隊、東京海軍航空隊
   ・初歩練(水上機) - 鹿島海軍航空隊、北浦海軍航空隊、大津海軍航空隊、第二河和海軍航空隊
   ・実機練 - 筑波海軍航空隊(戦闘)、名古屋海軍航空隊(艦爆)、松島海軍航空隊(陸攻)、豊橋海軍航空隊(陸攻)
 ・第12連合航空隊
   ・予科練 - 岩国海軍航空隊
   ・初歩練(陸上機) - 光州航海軍空隊、観音寺海軍航空隊、釜山海軍航空隊、峰山海軍航空隊、
                西条海軍航空隊、諫早海軍航空隊
   ・初歩練(水上機) - 詫間海軍航空隊、天草海軍航空隊、福山海軍航空隊
   ・実機練 - 宇佐海軍航空隊(攻撃)、大村海軍航空隊(総合)、博多海軍航空隊(攻撃)、築城海軍航空隊(総合)
 ・第13連合航空隊
   ・予科練 - 霞ヶ浦海軍航空隊
   ・実機練 - 鈴鹿海軍航空隊(総合)、大井海軍航空隊(攻撃)、徳島海軍航空隊(攻撃)、青島海軍航空隊(攻撃)、
          高知海軍航空隊(攻撃)
歴代司令長官 歴代参謀長
1.前田稔 中将:1945年3月1日 - 1945年10月1日
1.山本親雄 少将:1945年3月1日 - 1945年5月25日
2.神重徳 大佐:1945年6月20日 - 1945年9月15日殉職
          ・以後欠員
 
          第十二航空艦隊
 1943年5月18日創設、1945年11月30日解散。第五艦隊とともに北東方面艦隊を編制し、
 千島・樺太・北海道防衛のため 千歳飛行場を中心に展開した。1943年末には一部がマーシャル諸島に
 前進したものの玉砕。 北東方面艦隊解散後は連合艦隊直卒で大湊警備府司令部が兼任した。
  編制
    
1943年8月5日、北東方面艦隊新設時の編制
 ・第24航空戦隊 - 第五三一海軍航空隊(艦爆/千歳)、第七五二海軍航空隊(陸攻/ミレ島)
 ・第27航空戦隊 - 第二八一海軍航空隊(艦戦/幌莚)、第四五二海軍航空隊(水戦/幌莚)、
             第八〇一海軍航空隊(飛行艇/横浜)
 ・第51航空戦隊 - 豊橋海軍航空隊(陸攻/練成)、厚木海軍航空隊(艦戦/練成)
    
1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制
 ・第27航空戦隊 - 第二五二海軍航空隊、第四五二海軍航空隊、第七五二海軍航空隊、第八〇一海軍航空隊
 ・第51航空戦隊 - 第二〇三海軍航空隊、第五〇二海軍航空隊、第五五三海軍航空隊、第七〇一海軍航空隊
       ・附属 - 第四一航空基地隊
 ・千島方面根拠地隊 - 第1駆逐隊(野風、波風、神風)、石垣、国後、八丈、第3魚雷艇隊、第51〜53警備隊、
                占守通信隊、第15輸送隊
    
1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制
 ・第51航空戦隊 - 第二〇三海軍航空隊、第五〇二海軍航空隊、第五五三海軍航空隊、第七〇一海軍航空隊
       附属 - 第四五二海軍航空隊
 ・千島方面根拠地隊 - 第1駆逐隊(野風、波風、神風)、国後、八丈、第3魚雷艇隊、
                第51〜53警備隊、占守通信隊、第15輸送隊
    
1945年6月1日 最終時の編制
 ・北東海軍航空隊
 ・千島方面根拠地隊 - 第3魚雷艇隊、第51〜53、57警備隊、占守通信隊、第15特設輸送隊
歴代司令長官 歴代参謀長
1.戸塚道太郎 中将:1943年5月18日 -
2.(兼)戸塚道太郎 中将:1943年8月5日 -
     ※本務は北東方面艦隊司令長官
3.(兼)後藤英次 中将:1944年9月15日 -
     ※同上
4.後藤英次 中将:1944年12月5日 -
5.(兼)後藤英次 中将:1945年2月15日 -
     ※本務は大湊警備府司令長官
6.(兼)宇垣完爾 中将:1945年3月15日 - 1945年10月1日
     ※同上
1.一宮義之 少将:1943年5月18日 -
2.(兼)一宮義之 少将:1943年8月5日 -  
     ※本務は北東方面艦隊参謀長
3.松本毅 少将:1945年2月6日 -
4.(兼)鹿目善輔 少将:1945年2月15日 - 1945年10月1日
      ※本務は大湊警備府参謀長
 
          第十三航空艦隊
 1943年9月20日創設、1945年9月12日解散。防空部隊を持たなかった南西方面艦隊の航空支援を
 担うために編制した。 インドシナはツダウム、マレー半島はペナン、西インドネシアはスラバヤ、東インドネシアは
 アンボンを拠点として分散配置された。
 1945年2月5日に第十方面艦隊が編制されると、そのエアカバー部隊となって終戦まで細々と運用された。
  編制
     1943年9月20日、新編時の編制
 ・第23航空戦隊 - 第二〇二海軍航空隊(艦戦/ダバオ)、第三八一海軍航空隊(混成/バリクパパン)、
             第七五三海軍航空隊(陸攻/ケンダリー)
 ・第28航空戦隊 - 第三三一海軍航空隊(艦戦/ビルマ)、第五五一海軍航空隊(艦攻/スマトラ)、
             第八五一海軍航空隊(飛行艇/マレー)
 ・第七三二海軍航空隊(陸攻/豊橋)
歴代司令長官 歴代参謀長
1.(兼)高須四郎 中将:1943年9月20日 -
        ※本務:南西方面艦隊司令長官

2.(兼)三川軍一 中将:1944年6月18日 -
        ※同上
3.(兼)大川内伝七 中将:1944年11月1日 -
        ※同上
4.田結穣 中将:1945年1月8日 -
5.福留繁 中将:1945年1月13日 -
6.(兼)福留繁 中将:1945年2月15日 -
        ※本務:第十方面艦隊司令長官
1.(兼)多田武雄 少将:1943年9月20日 -
         ※本務:南西方面艦隊参謀長
2.(兼)西尾秀彦 少将:1944年3月15日 -
         ※同上
3.(兼)有馬馨 少将:1944年11月1日 -
          ※同上
4.(兼)朝倉豊次 少将:1945年2月5日 -
          ※本務は第十方面艦隊参謀長、
          第一南遣艦隊参謀長を兼任
 
         第十四航空艦隊 
 1944年3月4日創設、同年7月18日解散。第四艦隊とともに中部太平洋方面艦隊を編制し、テニアン島を拠点として
 内南洋各地に展開した。すでにトラック環礁やパラオ諸島は空襲のために基地機能は壊滅しており、ほとんどテニアンに
 貼り付けの状態であった。5月にはマリアナ海戦に備えて第一航空艦隊がテニアンに進出。その増強のためにすべての
 稼動機を譲渡し、僅か2ヶ月でテニアンの地上戦を待たずに戦闘力を完全に失った。
 サイパン島の陥落によって中部太平洋艦隊司令部が玉砕したことを機に、正式に解散した。
  編制
      1944年3月4日、新編時の編制
 ・第22航空戦隊 - 第二〇二海軍航空隊(艦戦/トラック)、第三〇一海軍航空隊(艦戦/硫黄島)、
             第五〇三海軍航空隊(艦爆/ヤップ)、第五五一海軍航空隊(天山/テニアン)、
             第七五五海軍航空隊(陸攻/テニアン)
 ・第26航空戦隊 - 第二〇一海軍航空隊(艦戦/サイパン)、第五〇一海軍航空隊(艦攻/サイパン)、
             第七五一海軍航空隊(陸攻/カビエン)
 ・秋津洲
 司令長官
       1.中部太平洋方面艦隊司令長官兼任(全期間)※南雲忠一中将
 歴代参謀長
       1.中部太平洋方面艦隊参謀長兼任(全期間)※矢野英雄少将
 
                      海上護衛総司令部(海上護衛総隊) 
 海上護衛総司令部とは、大日本帝国海軍において太平洋戦争後期に通商護衛を司った部署である。
 設置は1943年11月正式な呼称は「海上護衛総司令部」であったが、しばしば海上護衛総隊とも呼ばれ、
 また海護総隊とも略称、 南方で獲得した資源を日本本土まで輸送するシーレーンを確保するための防衛戦略が
 検討されることはほとんどなかった。
 海上交通確保の動きが高まっていき、1943年6月25日兵備局第3課長大石保らの推進で海軍運輸本部、
 運輸部が設置される、 そして1943年11月1日海上護衛総司令部が創設された。
 1943年12月15日第901海軍航空隊編入。また特設空母4隻の編入も決定された。
  活動
 1944年8月18日ルソン島北西岸で空母大鷹と最新鋭甲型海防艦3隻で護衛する船団が襲われて、
 タンカーなどの輸送船とともに 大鷹もなすすべなく潜水艦に撃沈された。
 翌日残った甲型海防艦も3隻ともなすすべなく撃沈された。
 8月25日空母雲鷹、9月17日神鷹と撃沈された。被害は増え続け
 1944年10月をピークにその後は輸送する船がなくなった。
 1945年(昭和20年)になって、西内海方面警護のために第7艦隊が編成された。
 1945年3月末以降、石油や希少金属は一切、内地には届かなくなった。開戦前には世界第3位、600万トンの
 輸送船を保有していた日本に終戦時残されていた輸送船は、わずかに30万トンであった。
歴代司令長官 歴代参謀長
1.及川古志郎 海軍大将:1943年(昭和18年)11月15日-
2.野村直邦 海軍大将:1944年(昭和19年)9月15日 -
3.豊田副武 海軍大将:1945年(昭和20年)5月 1日 -
               ※海軍総隊司令長官兼任
4.小沢治三郎 海軍中将:1945年(昭和20年)5月29日 -
               ※海軍総隊司令長官兼
島本久五郎少将:昭和18年11月〜
岸 福治 中将 :昭和18年11月〜
西尾英彦 中将 :昭和19年12月〜昭和20年8月

 
                      特設護衛船団司令部
 特設護衛船団司令部(とくせつごえいせんだんしれいぶ)とは、日本海軍が太平洋戦争中に大規模な護送船団の
 指揮のために編成した部隊である。
 司令官のほかに固有の幕僚・戦闘兵力を持たない点が特色で、船団の運航に際して臨時の参謀を加え
 適宜集められた護衛艦艇を 指揮下に入れた。本項目では、固有の戦闘兵力を有する発展的な
 護衛専門部隊として、編成された部隊番号100番台の 戦隊についても述べる。
第一護衛船団司令部
 1944年4月8日に編成され、横須賀鎮守府海上護衛部隊に編入。正式な編成前から東松3号船団を指揮していた。
 1944年5月2日に第一海上護衛隊へ編入されてヒ船団の護衛に投入されるが、わずか3週間で旗艦が
 撃沈されて司令官が戦死する。
 司令官
     伊集院松治少将(1944年4月8日-同年5月24日
戦死) - 最終時にはヒ63船団指揮のため海防艦「壱岐」座乗

第二護衛船団司令部
 1944年4月8日編成。横須賀鎮守府海上護衛部隊に編入され、松輸送で東松4号船団の指揮に従事。
 ついで同じくマリアナ諸島行きの第3503船団を指揮し、その復航の第4517船団では旗艦「朝凪」が
 撃沈されるが 司令官以下第24号海防艦により救助される。
 司令官の交代後、同年7月23日または24日に小笠原諸島方面への緊急増援輸送のため
 再び横須賀鎮守府部隊への 緊急増援輸送のため再び横須賀鎮守府部隊へ編入されるが、
 8月に船団護衛任務中に旗艦が撃沈されて司令官以下全滅した。
 司令官
     清田孝彦少将
     高橋一松少将(1944年7月8日-同年8月4日戦死) - 最終時には第4804船団指揮のため駆逐艦「松」座乗

第三護衛船団司令部
 1944年4月8日編成。横須賀鎮守府海上護衛部隊に編入され、東松5号船団と東松8号船団の護衛を成功させるが、
 前者は輸送からの復航で2隻を失った。その後も司令官が交代しつつマリアナ諸島方面への輸送に従事するが、
 第3606船団護衛中に旗艦が撃沈されて着任間もない新司令官を失った。
 司令官
     鶴岡信道少将(1944年4月8日
     門前鼎少将(1944年6月1日-同月9日戦死) - 最終時には第3606船団指揮のため駆逐艦「松風」座乗

第四護衛船団司令部
1944年4月8日編成。第一海上護衛隊に編入される

第五護衛船団司令部
 1944年4月8日編成。東松7号船団の護衛におおむね成功。横須賀鎮守府部隊から除かれて
 海上護衛総司令部附属を経て1944年6月29日に第一海上護衛隊へ編入され、門司・シンガポール間の
 船団護衛任務にも従事したが、1945年1月20日に戦時編制から除かれた
 司令官
      吉富説三少将

第六護衛船団司令部
 1944年4月8日編成。第一海上護衛隊に編入されて竹一船団やヒ71船団などの重要船団の護衛に従事したが、
 担当船団に大きな損害を受けた。1944年9月12日に旗艦が撃沈されて司令官が戦死する。
 司令官
    梶岡定道少将(1944年4月8日-1944年9月12日戦死) - 最終時にはヒ72船団指揮のため海防艦「平戸」座乗

第七護衛船団司令部
 1944年4月8日編成。横須賀鎮守府海上護衛部隊に編入され東松6号船団の護衛に成功後、
 海上護衛総司令部附属を 経て第一海上護衛隊に編入
 1944年10月から11月には南西方面艦隊の指揮下に移されて多号作戦にも参加したが、1945年2月25日に
 第一護衛艦隊の戦時編制から除かれた
 司令官
      松山光治少将(1944年4月8日   駒沢克己少将(1944年12月23日

第八護衛船団司令部
 1944年4月15日編成。門司・シンガポール間での船団護衛任務に従事したが、
 1945年3月25日に戦時編制から除かれた
  司令官
      佐藤勉少将(1944年4月15日

 
                          海軍陸戦隊
 海軍陸戦隊は日本海軍が編成した陸上戦闘部隊である。単に陸戦隊と呼ぶこともある。もともとは恒常的な
 部隊ではではなく、艦船の乗員などの海軍将兵を臨時に武装させて編成することを原則としたが、
 1930年代には常設的な部隊も誕生した。
 太平洋戦争では戦域が拡大するにつれ、島嶼や局地防衛の必要から、特別陸戦隊のほか警備隊や防衛隊などの
 称で陸戦隊が次々と編成された。また、海軍独自の空挺部隊(パラシュ−ト部隊)(陸軍の空挺部隊とともに
 空の神兵の愛称)や 戦車部隊も保有した。空挺部隊は1942年1月にセレベス島メナドで日本最初の
 落下傘降下作戦を実施し、空挺部隊は 1942年1月にセレベス島メナドで日本最初の落下傘降下作戦を実施し、
 指揮官の堀内豊秋中佐はその功を讃えられ、 特別に昭和天皇に拝謁した。終戦前には本土決戦に向けて
 艦艇部隊などの多くが陸戦隊に改編され、 総兵力は10万人に達していた。
  編制
   
艦船乗員による陸戦隊
 昭和18年頃の第2艦隊隷下の水雷戦隊では、第1編制(528人)から第3編制(1268人)まで3パターンの連合陸戦隊が
 規定されていた。単艦ごとの部隊は艦名を付して「軍艦長門陸戦隊」、連合陸戦隊ならば「第一艦隊連合陸戦隊」と
 いうような呼び方をするのが通常である。
   
特別陸戦隊
 特別陸戦隊とは、艦船乗員ではなく、鎮守府の海兵団など陸上部門の人員をもとに編成する陸戦隊のことである。
   
警備隊
 警備隊は、占領地の防衛・治安任務のために編成された専門の陸上部隊である。特別陸戦隊と異なり機動的な
 運用は想定されていない。純粋な陸戦隊である陸上警備科(陸警科)と、沿岸用の小型艇を持つ水上警備科(水警科)
 から成り、規模は中隊から大隊相当で多様、司令は中佐か大佐が一般的であった。
 太平洋戦争中には特別陸戦隊を改編するなどして多数が編成され、根拠地隊(後述)や各艦隊の隷下に置かれた。
   
防空隊
 地上戦闘ではなく、基地の防空を任務とする高射砲兵部隊である。
 甲編制(高角砲8門)、乙編制(対空機銃24門)、丙編制(高角砲4門・機銃12門)の3種が存在した。
 多数が編成されたが、太平洋戦争後期には全て解隊されて警備隊などに編入された。
   
根拠地隊・特別根拠地隊
 拠点を臨時の海軍基地として防衛、管理運営する組織である。根拠地隊は正式には特設根拠地隊の名称で、
 特設艦船部隊令にもとづいて編成される。

 
          海軍根拠地隊一覧
  第1根拠地隊(I) - 上海
    園田滋 少将:1937年12月1日 -
    伍賀啓次郎 少将:1938年12月15日 - 1939年11月15日解散
  
第1根拠地隊(II) - サイゴン
    久保九次 少将:1940年11月15日 - 1942年2月11日解散
  
第1根拠地隊(III)- ブーゲンビル島ブイン。ソロモン諸島北部で活動
    板垣盛 少将:1942年10月31日 -
    武田勇 少将:1943年11月1日 - 終戦
  
第2根拠地隊(I) - 広東
    鋤柄玉造 少将:1938年9月15日 - 1939年11月15日解散
  
第2根拠地隊(II) - ボルネオ島
    広瀬末人 大佐:1941年1月15日 - 1942年3月10日 解散・第22特別根拠地隊に改編
  
第2特別根拠地隊 - 東部ニューギニア。第9艦隊の主力部隊の一つとなり、1944年3月に第7根(II)と
                           合併して第27特根に改編
    鎌田道章 少将:1942年12月29日 -
    (兼)緒方真記 少将:1943年12月10日 - 1944年3月24日解散
  
第3根拠地隊(I) - 厦門
    宮田義一 少将:1938年11月15日 - 1939年11月15日解散
  
第3根拠地隊(II) - パラオ  1942年4月10日に第3特別根拠地隊と改称
    中村一夫 少将:1940年11月15日 -
    武田盛治 少将:1942年3月20日 - 1942年4月10日
  
第3特別根拠地隊(I) - パラオ
    武田盛治 少将:1942年4月10日 - 1942年6月15日解散
  
第3特別根拠地隊(II)- タラワ島   ギルバート諸島の平定後、横須賀第6特別陸戦隊を改編。
                         タラワの戦いで全滅。1944年1月5日解散
    友成佐市郎 少将:1943年2月16日 -
    柴崎恵次 少将:1943年7月20日 - 1943年11月25日戦死
  第4根拠地隊(I) - 海南島
    太田泰治 少将:1939年1月20日 - 1939年11月15日解散
  
第4根拠地隊(II) - チューク諸島(トラック)
    茂泉慎一 少将:1941年8月11日 -
    武田盛治 中将:1942年6月15日 -
    若林清作 中将:1943年7月15日 -
    有馬馨 少将:1944年2月19日 -
    第4艦隊長官直率:1944年5月1日 - 終戦
  第5根拠地隊(I) - サイパン島   1942年4月10日、第5特別根拠地隊に改編
    元泉威 少将:1940年11月15日 -
    樋口修一郎 少将:1941年1月15日 -
    茂泉慎一 少将:1941年4月10日 -
    春日篤 予備役少将:1941年8月11日 - 1942年4月10日
  第5根拠地隊(II)- サイパン島   1944年3月1日、第5特別根拠地隊を改編。サイパンの戦いで全滅。
    辻村武久 少将:1944年3月1日 - 1944年7月8日戦死
  第5特別根拠地隊 - サイパン島
    春日篤 予備役少将:1942年4月10日 -
    友成佐市郎 少将:1942年9月15日 -
    福沢常吉 少将:1943年2月16日 -
    辻村武久 少将:1943年10月1日 - 1944年3月1日 第5根拠地隊(II)に改編
  第6根拠地隊 - ロイ=ナムル島(ルオット)。  クェゼリンの戦いで隷下の第61警備隊などとともに全滅。
    八代祐吉 少将:1941年1月15日 - 1942年2月1日戦死
    阿部孝壮 少将:1942年2月5日 -
    秋山門造 少将:1943年11月29日 - 1944年2月6日戦死
  第7根拠地隊(I) - 父島   1942年6月、父島方面特別根拠地隊に改編
    阿部嘉輔 少将:1941年10月1日 -
    藤森清一朗 予備役少将:1942年4月10日 - 1942年6月15日
  第7根拠地隊(II) - ラエ、  後ウェワク。ラエ・サラモアの戦いに敗れ、サラワケット越えで消耗しながらウェワク転進
                    第9艦隊の主力部隊の一つとなり、1944年3月に第2特根と合併して第27特根に改編
    藤田類太郎 少将:1942年7月14日 -
    森国造 少将:1943年9月9日 -
    工藤久八 少将:1943年10月25日 - 1944年3月25日
  第8特別根拠地隊 - ラバウル  陸警科は舞鶴第2特別陸戦隊を改編したもの
                      1942年4月10日、第8根拠地隊に改編
    金沢正夫 少将:1942年2月1日 - 1942年4月10日
  第8根拠地隊 - ラバウル
    金沢正夫 少将:1942年4月10日 -
    徳永栄 少将:1942年11月29日 -
    入船直三郎 少将:1943年11月8日 - 1944年12月1日解散
  第9根拠地隊 - ペナン   1942年2月25日、第9特別根拠地隊に改編。スマトラ島西部の防衛を担当
    平岡粂一 少将:1941年10月31日 - 1942年2月25日
  第9特別根拠地隊 - スマトラ島サバン
    平岡粂一 少将:1942年2月25日 -
    広瀬末人 少将:1944年2月22日 - 終戦
  第10特別根拠地隊 - シンガポール  1942年1月に編成された
    奥信一 少将:1942年1月15日 -
    山口儀三朗 少将:1942年12月2日 -
    今村脩 少将:1943年11月25日 - 終戦
  第11特別根拠地隊 - サイゴン 1941年11月に佐世保鎮守府所管で編成され、
                               フランス領インドシナの防衛担当
                        1945年5月1日、第11根拠地隊に改編
    戸苅隆始 予備役中将:1941年11月20日 -
    堀内茂礼 中将:1942年12月4日 - 1943年9月1日
    藤田利三郎 中将:1943年9月10日 -
    近藤泰一郎 中将:1945年1月2日 - 1945年5月1日
  第11根拠地隊 - サイゴン
    近藤泰一郎 中将:1945年5月1日 - 終戦
  第12特別根拠地隊 - アンダマン諸島   第9根派遣陸戦隊とともにアンダマン攻略後、そのまま守備に就く。
    石川茂 少将:1942年2月15日 -
    原鼎三 少将:1944年6月26日 - 終戦
  第13根拠地隊 - ラングーン   ビルマ陥落後にバンコクへ転進。隷下の第12・第13警備隊はシッタン作戦で転進中に全滅
    田中頼三 少将:1943年10月1日 - 終戦

  第14根拠地隊 - ニューアイルランド島   ブーゲンビル島から撤退した第8連合特別陸戦隊に第83警備隊を合わせて編成
                             第88警備隊など隷属部隊の一部はアドミラルティ諸島で全滅
    大田実 少将:1943年12月1日 -
    田村劉吉 大佐:1944年2月10日 - 終戦
  第15根拠地隊 - ペナン島    第9根拠地隊司令部のサバン転進後、潜水艦基地として重要なペナンの
                       指揮系統整理のために、残置部隊が独立した根拠地隊となった。司令部は
                       第8潜水戦隊司令部が兼ねた。日本潜水艦のほか、ドイツ潜水艦への協力も行った。
    (兼)市岡寿 少将:1944年6月20日 -
    (兼)魚住治策 少将:1944年8月4日 -
    魚住治策 少将:1945年2月20日 - 終戦
  第21特別根拠地隊 - スラバヤ
    久保九次 少将:1942年3月10日 -
    伍賀啓次郎 少将:1942年9月25日 -
    星野応韶 少将:1943年9月13日 -
    田中菊松 少将:1944年11月17日 - 終戦
  第22特別根拠地隊 - バリクパパン    ボルネオ防衛戦に参加
    広瀬末人 少将:1942年3月10日 -
    福田良三 中将:1942年10月10日 -
    醍醐忠重 中将:1943年11月8日 -
    鎌田道章 少将:1944年8月23日 - 終戦
  第23特別根拠地隊 - マカッサル    1942年3月10日、佐世保連合特別陸戦隊司令部及び佐世保第2特別陸戦隊を
                                     セレベス島駐留用として改編
    森国造 大佐:1942年3月10日 -
    下村勝美 少将:1942年11月25日 -
    大杉守一 少将:1944年1月26日 - 終戦
  
第24特別根拠地隊 - アンボン    1943年11月30日、第24根拠地隊に改編
    畠山耕一郎 少将:1942年12月29日 -
    田弥一郎 少将:1943年3月10日 - 1943年11月30日
  
第24根拠地隊 - フロレス島    1944年9月10日解隊
    柴田弥一郎 中将:1943年11月30日 -
    福田貞三郎 少将:1944年2月1日 - 1944年9月10日
  第25特別根拠地隊 - 1942年末に呉鎮守府で編成され、マノクワリへ
                     1944年7月にアンボンへ転進  1945年1月10日、第25根拠地隊に改編
    長蔵 少将:1942年12月29日 -
    長谷真三郎 少将:1944年1月24日 - 1945年1月10日
  第25根拠地隊 - アンボン   一部は22特根指揮下でバリクパパン防衛戦に参加
    (兼)山縣正郷 中将:1945年1月10日 -
    岡田為次 少将:1945年3月10日 -
    一瀬信一 中将:1945年6月9日 - 終戦
  第26特別根拠地隊 - ハルマヘラ島カウ   西部ニューギニア防衛のため1943年11月編成。
                              ワクデ島などに派遣隊を送り、マノクワリに第18警備隊を置く
    横川市平 少将:1943年11月1日 -
    一瀬信一 中将:1944年5月25日 - 1945年5月29日解散
  
第27特別根拠地隊 - 東部ニューギニアのカイリル島  1944年3月に第2特根と第7根を改編
                                     隷下の第90警備隊はホーランジアの戦いで全滅
  第28特別根拠地隊 - ビアク島     ビアク島の戦いで全滅
    千田貞敏 少将:1944年5月1日 - 1944年8月25日戦死
  第30特別根拠地隊 - パラオ    1944年3月1日、第30根拠地隊に改編
    伊藤賢三 少将:1944年1月10日 - 1944年3月1日
  第30根拠地隊 - パラオ    1944年5月頃には第43警備隊や特設掃海艇などを有した
    伊藤 賢三 少将:1944年3月1日 - 終戦
  第31特別根拠地隊(I) - マニラ
    小林徹理 少将:1942年1月3日 - 1943年2月20日解散
  第31特別根拠地隊(II)- マニラ   マニラ海軍防衛隊の基幹部隊としてマニラ市街戦を展開。
    有馬馨 少将:1944年9月10日 -
    兼)有馬馨 少将:1944年11月1日 -
    岩淵三次 少将:1944年11月17日 - 1945年2月26日戦死
  第32特別根拠地隊 - 太平洋戦争開始時には第3艦隊隷下で、南方作戦後はダバオを守備
                                  ミンダナオ島防衛戦に参加
    入船直三郎 少将:1941年11月20日 -
    代谷清志 少将:1943年3月15日 -
    土井直治 少将:1944年10月6日 - 終戦
 
 第33特別根拠地隊 - セブ島。    セブ島の戦いに参加
    原田覚 少将:1944年8月5日 - 1945年9月25日戦病死
  第51根拠地隊 - キスカ島。    1942年9月に第5警備隊を基幹に創設、創設時には第5警備隊、第5航空隊、
                        第51通信隊を有した。キスカ島撤退作戦で撤収し解隊。
    秋山勝三 少将:1942年9月15日 - 1943年8月5日
  第52根拠地隊 - 大湊。   機雷敷設艦「常磐」を旗艦とし、第52砲艇隊、第52掃海隊、第41号・第43号駆潜艇を有する
    水井静治 少将:1943年5月1日 - 1944年1月20日解散
  高雄方面根拠地隊 - 高雄
    黒瀬浩 少将:1945年5月1日 - 終戦
  
上海方面根拠地隊 - 上海。    一時期、司令官は上海海軍特別陸戦隊司令官を兼任(1941〜1944年8月)。
    平岡粂一 少将:1941年5月1日 -
    牧田覚三郎 少将:1941年9月15日 -
    大野一郎 少将:1942年2月14日 -
    畠山耕一郎 少将:1943年6月1日 -
    鈴木長蔵 少将:1944年3月20日 -
    森徳治 少将:1944年8月18日 - 終戦
  沖縄方面根拠地隊 - 沖縄島。    司令部は第4海上護衛隊司令部を兼任(〜1945年2月)。
                         沖縄戦に参加。1945年7月30日に解散
    (兼)新葉亭造 少将:1944年4月10日 -
    (兼)大田実 少将:1945年1月20日 -
    大田実 少将:1945年2月25日 - 1945年6月13日戦死
  大島方面根拠地隊 -    1942年1月解散
    大野一郎 少将:1941年10月1日 - 1942年1月15日
  千島方面特別根拠地隊 - 千島列島。   1943年に千島方面根拠地隊に改編
    新葉亭造 少将:1945年2月25日 - 1944年1月1日
  千島方面根拠地隊 - 千島列島。1945年6月18日に解散
    久保九次 少将:1944年1月1日 - 1945年6月15日
  
父島方面特別根拠地隊 - 父島
    藤森清一朗 予備役少将:1942年6月15日 -
    中邑元司 少将:1942年11月1日 -
    森国造 少将:1944年2月15日 - 終戦
  漢口方面特別根拠地隊 - 漢口
    小林仁 少将:1939年11月15日 -
    松永次郎 少将:1940年11月15日 -
    一瀬信一 少将:1941年8月11日 - 1942年1月15日解散
  
広東方面特別根拠地隊 - 広州。   太平洋戦争中に香港へ転進し、香港方面特別根拠地隊に改称。
    副島大助 少将:1939年11月15日 -
    井上保雄 少将:1941年9月1日 - 1941年12月26日
  
香港方面特別根拠地隊 - 香港
    井上保雄 中将:1941年12月26日 -
    安場保雄 少将:1942年3月10日 -
    小畑長左衛門 大佐:1942年9月1日 -
    大熊譲 大佐:1943年10月19日 - 終戦
  
廈門方面特別根拠地隊(I) - 廈門
    牧田覚三郎 少将:1939年11月15日 -
    大野一郎 少将:1940年10月15日 -
    畠山耕一郎 少将:1941年9月1日 - 1942年1月15日解散
  廈門方面特別根拠地隊(II)- 廈門
    原田清一 少将:1942年11月1日 - 終戦
  青島方面特別根拠地隊(I) - 青島
    大島四郎 少将:1939年11月15日 -
    金子繁治 大佐:1941年4月10日 -
    緒方真記 大佐:1941年5月24日 -
    大杉守一 大佐:1941年8月20日 - 1942年4月10日
  青島方面特別根拠地隊(II)- 青島。    第3遣支艦隊を改編
    桑原虎雄 少将:1942年4月10日 -
    藤田類太郎 大佐:1943年11月10日 -
    金子繁治 少将:1945年1月29日 - 終戦
  旅順方面特別根拠地隊 - 旅順。   満州国海上警察隊を協力部隊として対潜警備を実施していた
    中村重一 予備役少将:1942年1月15日 -
    原顕三郎 中将:1942年11月15日 -
    山口儀三朗 中将:1944年1月15日 -
    小林謙五 中将:1945年4月20日 - 終戦
  羅津根拠地隊 - 羅津。   1942年5月20日、羅津方面特別根拠地隊に改編
    鋤柄玉造 少将:1941年10月1日 - 1942年5月20日
  羅津方面特別根拠地隊 - 羅津
    鋤柄玉造 中将:1942年5月20日 -
    梶岡定道 少将:1942年9月1日 -
    高橋一松 大佐:1943年10月10日 -
    土井直治 少将:1944年6月25日 -
       欠     :1944年9月20日 -
    堀勇五郎 少将:1945年3月20日 - 1945年7月25日解散
  元山方面特別根拠地隊 - 元山
    堀勇五郎 少将:1945年7月25日 - 終戦
  馬公方面特別根拠地隊 - 馬公。馬公警備府を改編
    片原常次郎 予備役大佐:1943年4月1日 -
    相馬信四郎 少将:1945年7月15日 - 終戦
  揚子江方面特別根拠地隊 - 漢口。   第1遣支艦隊を改編
    大野一郎 中将:1943年8月20日 -
    畠山耕一郎 中将:1944年3月20日 -
    澤田虎夫 中将:1944年11月21日 - 終戦
  海南島根拠地隊 - 海南島。    海南警備府に改編
    福田良三 少将:1939年11月15日 -
    井上保雄 少将:1940年11月15日 - 1941年4月10日
 
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地名冠称航空隊
     外戦作戦実施部隊
   美幌海軍航空隊(のち第七〇一海軍航空隊(I))

 日本海軍の部隊の一つ。六番目の陸上攻撃機部隊として、太平洋戦争序盤より中盤にかけて最前線で爆撃・攻撃・
 偵察行動に従事した。昭和17年)11月1日に初代第七〇一海軍航空隊と改称。
  昭和15年10月1日 木更津で開隊。大湊要港部隷下
     昭和18年1月29日 レンネル島沖海戦で夜間索敵・薄暮攻撃。巡洋艦「シカゴ」を大破(のちの
    水雷戦でシカゴ撃沈)。
        3月15日 解隊
 歴代司令
 近藤勝治 大佐:昭和16年3月5日-   藤野豊:昭和17年3月20日-   不詳:昭和17年10月1日-

   千歳海軍航空隊 (第七〇三海軍航空隊)

 軍の部隊の一つ。初の北方航空隊、また第四の陸上攻撃機部隊として、太平洋戦争序盤より中盤にかけて
 最前線で 爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。昭和17年)11月1日に第七〇三海軍航空隊に改称。
  昭和14年(1939年):木更津飛行場で開隊。大湊要港部隷下。
  昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦惨敗。敵機動部隊を探索するが発見せず。
        11月1日 「第七〇三海軍航空隊」に改称
  昭和18年3月15日 解隊
 歴代司令
 大橋富士郎 大佐:昭和16年9月15日 - 昭和18年3月15日解隊

   三沢海軍航空隊 (第七〇五海軍航空隊)

 日本海軍の部隊の一つ。陸上攻撃機の実戦部隊として開かれ、太平洋戦争末期を除く期間に最前線で
 爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。
 昭和17年)11月1日には第七〇五海軍航空隊と改称している
 昭和19年)9月1日に予科練教育部隊として二代三沢空が設置されている。
  昭和17年2月10日 木更津飛行場で開隊、大湊警備府附属で北方部隊に編入
        12月1日 第七〇七海軍航空隊解隊、要員を編入
  昭和19年10月1日 解隊
  歴代司令
 菅原正雄:昭和17年2月10日−  小西成三 大佐:昭和17年12月10日−  不詳:昭和18年7月15日−
 篠田太郎八 大佐:昭和19年5月24日−昭和19年10月1日解隊
  二代 三沢海軍航空隊
 昭和19年9月1日 開隊。第19練習連合航空隊隷下。土浦海軍航空隊より甲飛14期前期450名転入。
 昭和20年3月1日 19連空解散。大湊警備府附属に転籍。甲飛第14期の一部、土浦空より転入
      6月30日 解隊
  歴代司令
 肥後武雄(昭和19年9月1日−)

   木更津海軍航空隊 (第七〇七海軍航空隊)

 日本海軍の部隊の一つ。鹿屋海軍航空隊と同時に開かれた日本初の陸上攻撃機部隊として、
 日中戦争序盤・中盤と 太平洋戦争序盤は爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。
 1942年(昭和17年)11月1日に第七〇七海軍航空隊と改称し、
 翌12月1日に七〇五空へ編入されて解隊した。
  昭和11年4月1日 開隊。横須賀鎮守府隷下。陸上攻撃機12機配備
        11月1日 「第七〇七海軍航空隊」に改称  12月1日 解隊
 歴代司令
 前原富義:昭和17年3月20日 -    藤吉直四郎 大佐:昭和17年4月1日 -  
 小西康雄:昭和17年10月19日 - 昭和17年12月1日解隊

   横浜海軍航空隊 (第八〇一海軍航空隊)

 1942年11月1日より改称した第八〇一海軍航空隊は、日本海軍の部隊の一つ。海軍初の飛行艇部隊として、
 外洋偵察・哨戒行動に従事した。
  昭和11年10月1日 開隊(飛行艇12機)。横須賀鎮守府所属
  昭和17年11月1日 第八〇一海軍航空隊に改称。再び二五航戦に編入され、ラバウルへ進出
 歴代司令
 宮崎重敏 大佐:昭和17年4月20日-昭和17年8月7日ツラギ島奇襲戦で戦死
 和田三郎:昭和17年11月1日-   菊岡徳次郎:昭和17年12月15日-
 竹中正雄:昭和19年10月10日-  江口英二:昭和20年3月1日-解隊

   豊橋海軍航空隊(I)(のち第七〇一海軍航空隊(II))

 日本海軍の部隊の一つ。陸上攻撃機要員の練成部隊として開かれたが、急遽実施部隊に変更され、
 太平洋戦争終盤に最前線で爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。昭和19年)2月20日に、
 第七〇一海軍航空隊に改称
 昭和18年4月1日 開隊。第十一航空艦隊。陸上攻撃機60機配備
      7月1日 厚木海軍航空隊と練成戦隊「第五一航空戦隊」を編成、第一二航空艦隊に編入
 歴代司令
 柴田文三(昭和18年4月1日-)  山田豊(昭和19年2月15日-)
 木田達彦(昭和19年9月5日-)  榎尾義男(昭和20年5月29日-終戦後武装解除)

鹿屋海軍航空隊(I)(のち第七五一海軍航空隊)

 日本海軍の航空部隊の一つ。戦闘機・陸上攻撃機部隊として、日中戦争・太平洋戦争で攻撃任務に従事した。
 昭和17年)11月1日に戦闘機部隊を分離し、第七五一海軍航空隊に改称された
 昭和11年)4月1日、鹿児島県鹿屋基地において開隊
 昭和16年)12月8日、太平洋戦争開戦。開戦当初は連合艦隊第十一航空艦隊第二一航空戦隊所属で、
              主に搭乗員の練成
 昭和17年)9月、カビエン・ラバウルに進出、以後ソロモン・東部ニューギニア戦線での活動に当たった。
 司令
   近藤勝治 大佐:1942年4月1日 - 9月27日  小田原俊彦 大佐:1942年9月27日 - 10月1日
  第七五一海軍航空隊
 昭和17年)10月1日、海軍の航空隊再編にともない第七五一海軍航空隊に改称された。
 昭和19年)2月、米機動部隊のマリアナ諸島空襲を迎え実動15機中11機を失う。6月あ号作戦により全機損失、
        7月10日解隊した。
 司令
 小田原俊彦 大佐:1942年10月1日 - 1943年3月29日

  鹿屋海軍航空隊 (二代)
 昭和17年)10月1日、艦上攻撃機・艦上爆撃機要員の飛行練成部隊として、鹿屋基地に 
              二代目鹿屋海軍航空隊が開隊した。

   元山海軍航空隊(I)(のち第七五五海軍航空隊)

 日本海軍の部隊の一つ。1940年(昭和15年)に第十五海軍航空隊を改編して編成された。
 編成地は現在の北朝鮮・元山(ウォンサン)。昭和17年)9月20日に、戦闘機隊を第二五二海軍航空隊として
 分離し、陸上攻撃機専門部隊となった。同年11月1日第七五五海軍航空隊に改称した。
 なお、太平洋戦争終盤に、戦闘機搭乗員を養成する訓練部隊として二代目の元山海軍航空隊が編成された
   昭和15年10月1日 元山航空隊が第十五航空隊を基幹戦力として開隊(陸攻48・艦戦48)。
   昭和16年1月15日 第十一航空艦隊を新編、二連空は第二十二航空戦隊に改編。
   昭和17年4月20日 陸攻隊、ラバウルへの転戦開始。
         11月1日 「第七五五海軍航空隊」に改称
   昭和19年1月1日 二二航戦は第四艦隊に転籍
 歴代司令 
 前田孝成:昭和16年10月1日−   嘉村栄:昭和17年11月1日−  楠本幾登:昭和19年3月4日−7月10日解隊

   高雄海軍航空隊(I)(のち第七五三海軍航空隊)

 日本海軍の部隊の一つ。木更津海軍航空隊・鹿屋海軍航空隊に続く3番目の陸上攻撃機部隊として、
 日華事変中盤から 太平洋戦争後期にかけて爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。
 昭和17年)11月1日には第七五三海軍航空隊と改称している。昭和19年)7月に解隊。
    昭和13年4月1日 開隊。第二連合航空隊に編入
    昭和16年12月8日 太平洋戦争勃発。ルソン島イバ飛行場を27機で爆撃
 歴代司令
 久邇宮朝融王 大佐:昭和17年3月20日 -  梅谷薫 大佐:昭和17年10月5日−昭和19年7月10日解隊

   東港海軍航空隊(のち第八五一海軍航空隊)

 1942年11月1日より改称した第八五一海軍航空隊は、日本海軍の部隊の一つ。横浜海軍航空隊に続く第二の   
 飛行艇部隊として外洋偵察・哨戒行動に従事した。
 昭和15年11月15日、高雄市南郊の東港鎮の大潭(大鵬湾潟湖)を浚渫して駐機プールを建設し、
              浜空の要員を分派して東港海軍航空隊を開いた。
    昭和15年11月15日 開隊。同時に第二十一航空戦隊(連合艦隊直卒)に編入。横空より8機割譲。
    昭和18年9月20日 二八航戦は新編した第十三航空艦隊に転籍
 歴代司令
 三浦艦三 中佐:昭和16年9月25日-  和田三郎:昭和17年12月22日-
 三田国雄:昭和19年7月10日-昭和19年9月20日解隊

   台南海軍航空隊(I)(のち第二五一海軍航空隊)

 1941年10月1日太平洋戦争開戦直前、第一航空隊戦闘機隊を母体に戦闘機航空隊として発足した
     12月8日の開戦時には台湾から出撃しフィリピン航空撃滅戦に従事。
 当時の日本航空隊の中では最も会戦機会の多い部隊であった。西沢広義・坂井三郎・笹井醇一・
 太田敏夫・羽藤一志ら数多くのエースパイロットを輩出したが、その一方で損耗率も高く、多くの搭乗員を失った。
 開隊時主要幹部
  司令:斎藤正久大佐:1941.10.4 - 1942.12.15
  副長兼飛行長:小園安名中佐
  飛行隊長:新郷英城大尉        先任分隊長:浅井正雄大尉    任搭乗員:坂井三郎一飛曹

 
          内戦作戦実施部隊
   大湊海軍航空隊

 昭和15年10月1日 木更津で開隊。大湊要港部隷下、11月15日 第二連合航空隊。
              木更津飛行場を拠点に訓練に従事
 昭和17年)11月1日に初代第七〇一海軍航空隊と改称
 日本海軍の部隊の一つ。大湊要港部および千島列島〜三陸沖の偵察・対潜哨戒・船団護衛を担った偵察部隊。
 昭和19年12月15日 内戦作戦航空隊を改編、九〇三空に編入され大湊派遣隊に変更。
 歴代司令
  不詳:昭和16年6月25日−昭和19年12月15日九〇三空に統合

    横須賀海軍航空隊

 大正5年横須賀海軍航空隊が神奈川県横須賀市追浜に開隊した。
 昭和19年)2月より実戦配備につく。6月15日、あ号作戦発動にともない、第27航空戦隊と八幡空襲部隊を編成し、
 マリアナ方面の後詰として硫黄島へ進出した。
 歴代司令
  草鹿龍之介 少将:1942年11月23日 -  山田定義 少将:1943年12月6日 -  吉良俊一 中将:1944年3月15日 -
  服部勝二 少将:1944年7月10日 -    加藤唯雄 大佐:1944年9月29日 -  松田千秋 少将:1945年3月20日 -

   館山海軍航空隊

 昭和5年)6月1日 開隊。横須賀鎮守府隷下。艦上攻撃機・水上偵察機を装備
 第九〇三海軍航空隊
  昭和19年)12月15日をもって、日本各地で対潜哨戒を担当していた航空隊は、東日本の九〇三空と西日本の
  第九五一海軍航空隊に集約されることとなった
   大湊海軍航空隊  父島海軍航空隊  串本海軍航空隊  小松島海軍航空隊
 歴代司令
  安藤栄城 大佐:昭和17年3月20日 -  山県駿二:昭和17年8月15日 -  田元成:昭和18年1月22日 -
  高橋農夫吉 大佐:昭和18年10月1日 -  中村達夫:昭和19年6月10日 -
  野元為輝 少将:昭和19年12月15日 − 戦後解隊 …司令官

 二代館山海軍航空隊
 鬼塚武二大佐を司令として、1945年(昭和20年)3月15日に開かれた最後の内戦航空隊である

   父島海軍航空隊


   串本海軍航空

 日本海軍の部隊の一つ。大阪警備府および熊野灘〜紀伊水道口の偵察・対潜哨戒・船団護衛を担った偵察部隊
 昭和17年12月1日 開隊。大阪警備府隷下。定数・水上偵察機8機
 昭和19年12月15日 内戦作戦航空隊を改編、九〇三空に編入され串本派遣隊に変更

   呉海軍航空隊

 軍航空隊・佐世保海軍航空隊に次いで開かれた三番目の海軍鎮守府直率の海軍航空隊である。
 昭和6年6月1日 広分遣隊を独立、呉海軍航空隊開隊
 歴代司令
  和田三郎:昭和16年8月11日−  堀江朝茂:昭和17年4月20日−
  篠田太郎八 大佐:昭和18年6月20日−  不詳:昭和19年5月2日−昭和20年5月5日解隊

   佐伯海軍航空隊

 日本海軍の部隊の一つ。瀬戸内海奥に位置する呉軍港から太平洋に出撃する艦艇が航行する豊後水道の
 安全確保を図るため、上空哨戒を行う航空隊である。ほぼ全期間を呉鎮守府部隊として
 豊後水道の哨戒に専念した。
 昭和9年12月1日 開隊。呉鎮守府隷下
 歴代司令
   浜田武夫:昭和18年2月25日−  長井満 大佐:昭和18年12月25日−  梅谷薫 大佐:昭和19年7月10日−
   三田国雄:昭和20年1月1日−   野村勝:昭和20年5月頃−戦後解隊

   佐世保海軍航空隊(のち第九五一海軍航空隊)

 日本海軍の部隊の一つ。横須賀海軍航空隊に次いで開かれた二番目の海軍航空隊である
 昭和19年12月15日に、西日本の哨戒航空隊を統合した第九五一海軍航空隊の主力隊に変容した。
 本稿では統合後の九五一空も合わせて述べる
 大正9年12月1日 開隊。

  第九五一海軍航空隊
 昭和19年12月15日をもって、日本各地で対潜哨戒を担当していた航空隊は、西日本の九五一空と東日本の
 第九〇三海軍航空隊に集約されることとなった。
   
舞鶴海軍航空隊
   舞鶴鎮守府隷下の航空隊で、太平洋戦争時は串本・沖縄・旅順など各地の哨戒航空隊を増援することが多かった。
   
鎮海海軍航空隊
   鎮海警備府隷下の航空隊で、哨戒航空隊としては数少ない艦上攻撃機部隊でもあったことから、
   沖縄方面に派遣されて中距離哨戒に従事することが多かった。
   
沖縄海軍航空隊
   沖縄の小禄飛行場をはじめ南西諸島各地に展開した部隊だが、不明
   
第四五三海軍航空隊
   指宿水上機基地に駐留する部隊で、連合艦隊隷下で水上機搭乗員養成を担った宿毛海軍航空隊を
   実戦化したもの。当時最先端の磁気探知機を導入した数少ない精鋭部隊であった。
   
第二五六海軍航空隊
   上海基地に駐留する戦闘機・攻撃機の混成隊で、編制当初より上海の防空とともに台湾海峡の
   哨戒・掃討を任務としていた
  九五一空の年譜
 昭和19年12月17日 S作戦発動。九州西方〜北西海域の対潜掃討のため、水偵13機・陸上攻撃機2機を投入
 昭和20年5月15日 規模縮小。佐世保(水偵12機)・指宿(水偵12機)・大村(陸攻3機)に集約。
 昭和20年7月1日 司令官制度を廃止。藤原喜代間司令官転出

   舞鶴海軍航空隊

 日本海軍の部隊の一つ。軍都・舞鶴の防衛及び日本海側の各都市の防空のために設置された防衛部隊。
 昭和10年)10月1日、舞鶴要港部にほど近い舞鶴湾口の京都府与謝郡栗田村の海岸に水上偵察機用の
 施設を設置し、 日本海沿岸の航空隊としては初めて半個隊6機編成で開隊した。
 昭和17年12月1日 串本海軍航空隊開隊につき、原隊復帰準備
 昭和19年12月15日 解隊  第九五一海軍航空隊の舞鶴派遣隊に改編され
 歴代司令
   篠崎長帥:昭和17年12月−  宇宿主一:昭和18年10月1日−
   清宮善高:昭和19年6月1日−昭和19年12月15日九五一空に編入

   鎮海海軍航空隊

 日本海軍の部隊の一つ。鎮海要港部・鎮海警備府に属し、朝鮮半島沿岸・黄海・対馬海峡の
 偵察・対潜哨戒・船団護衛を 担った偵察部隊。朝鮮半島南部の鎮海に開かれた
 昭和11年10月1日 開隊。鎮海要港部隷下。定数・水上偵察機8機
 昭和19年12月15日 内戦作戦航空隊を改編、九五一空に編入され鎮海派遣隊に変更
 歴代司令
   青木節二:昭和19年5月1日−昭和19年12月15日九五一空に統合

教育訓練部隊
 実用機訓練

 松島海軍航空隊(旧宮崎海軍航空隊)(陸上攻撃機)
 筑波海軍航空隊(戦闘機

  
昭和9年8月15日 霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊発足、末期には特別攻撃隊を編成筑波隊は64名のうち55名が突入して壊滅した。
 神ノ池海軍航空隊(戦闘機)    岡村基春(昭和19年2月15日 - )
  昭和19年、海軍は茨城県鹿島郡鹿島町に開設
 谷田部海軍航空隊(II)(戦闘機)  福田太郎(昭和19年5月2日 - 谷田部移転後も留任)
  神ノ池飛行場は桜花と一式陸上攻撃機に占有されたうえ谷田部に移転せざるを得なくなった。
 豊橋海軍航空隊(II)(陸上攻撃機)
 厚木海軍航空隊(のち第二〇三海軍航空隊)
 大井海軍航空隊(偵察機)
 名古屋海軍航空隊(艦上攻撃機)
 鈴鹿海軍航空隊(偵察機)
 徳島海軍航空隊(戦闘機)
 小松島海軍航空隊(偵察機)
 宿毛海軍航空隊(のち第四五三海軍航空隊)
 博多海軍航空隊(偵察機)
 大分海軍航空隊(戦闘機)
 宇佐海軍航空隊(艦上攻撃機)


基地要員部隊(通称・海軍乙航空隊)

 北東海軍航空隊
    大橋恭三(昭和20年5月25日 - 戦後解隊)
   昭和19年10月1日に編成された。美幌飛行場を拠点とし、北海道・千島列島各地の飛行場を管轄した。

 馬来海軍航空隊    篠田太郎八 大佐:昭和19年10月1日 - 戦後解隊
   昭和19年10月1日に編成された。ペナン島飛行場を拠点とし、マレー半島・スマトラ島各地の飛行場を管轄した。

 東印海軍航空隊    是枝操(昭和19年10月1日 - 戦後解隊)
   昭和19年10月1日に編成された。ジャワ島スラバヤ飛行場を拠点とし、中部蘭印各地の飛行場を管轄した。

 北菲(ほくひ)海軍航空隊    古瀬貴季 大佐:昭和19年11月15日菲島空司令より留任 - 戦後解隊
   昭和19年11月15日に三分割された「菲島海軍航空隊」の基幹部隊。ニコルスを拠点にルソン島基地の防衛を継続した。

 中菲(ちゅうひ)海軍航空隊    根来茂樹(昭和19年11月15日 - 戦後解隊)
  セブ島を拠点とし、セブ島基地の防衛を継続した。分割した頃には、機体はほぼ払底しており、稼動機は皆無だった。

 南菲海軍航空隊    前田孝成(昭和19年11月15日 - 戦後解隊)
  ミンダナオ島を拠点とし、ミンダナオ島基地の防衛を継続した。陸戦要員として終戦まで戦闘を続けた。

 中支海軍航空隊    梅崎卯之助(昭和20年2月20日 - 戦後解隊)
  昭和20年2月20日に編成された乙航空隊のひとつ。上海を拠点とし、揚子江流域各地の飛行場を管轄した。

 西海海軍航空隊    糸永冬生(昭和20年7月15日 - 戦後解隊)
  昭和20年3月20日に編成、航空隊を統括するために大分飛行場を拠点として設置された。

 山陰海軍航空隊    櫛引誠雄(昭和20年5月5日 - 戦後解隊)
  昭和20年5月5日に編成、小松飛行場を拠点として設置された。

 内海海軍航空隊    森敬吉少将(昭和20年5月10日 - 戦後解隊)
  昭和20年5月10日に編成。本隊は愛媛県の松山基地に置かれた。

 印度支那海軍航空隊  埴田照之:20年5月16日 - 戦後解隊
  昭和20年5月15日に編成、サイゴン近郊のツダウム飛行場を拠点とし、ベトナム各地の飛行場を管轄した。

 朝鮮海軍航空隊    近藤勝治 少将:昭和20年6月10日 - 戦後解隊
  昭和20年6月10日に編成、釜山飛行場を拠点として設置された。

 北台海軍航空隊    鈴木由次郎(昭和20年6月15日台湾空司令より留任 - 戦後解隊)
  昭和20年6月15日引き続き新竹を拠点に台湾北部に駐留した。

 南台海軍航空隊    伊藤信雄(昭和20年6月15日 - 戦後解隊)
  昭和20年6月15日に「台湾海軍航空隊」を分割した乙航空隊のひとつ。高雄を拠点に台湾南部に駐留した。

 奥羽海軍航空隊    関郁乎 少将:昭和20年6月20日 - 戦後解隊
  昭和20年6月20日に「関東海軍航空隊」を分割した乙航空隊のひとつ。神町飛行場を拠点に東北各地に駐留した

 東海海軍航空隊    江島久雄(昭和20年6月20日 - 戦後解隊)
  昭和20年6月20日に「関東海軍航空隊」を分割した乙航空隊のひとつ。明治飛行場を拠点に東海各地に駐留した。

 近畿海軍航空隊    佐藤治三郎(昭和20年7月15日 - 戦後解隊)
  昭和20年7月15日に編成した最後の乙航空隊。柳本飛行場(天理市)を拠点に近畿各地に駐留した。

 
        護衛戦隊一覧
  第101戦隊

 1944年11月15日編成。1945年1月12日にヒ86船団護衛中にグラティテュード作戦によるアメリカ機動部隊の空襲を
 受けて壊滅。同年3月25日に戦時編制から除かれ、残存艦は第一護衛艦隊に編入された。
 新編時の編制:軽巡洋艦「香椎」、海防艦「対馬」・「大東」・「鵜来」・第23号・第27号・第51号
司令官:渋谷紫郎少将( -1945年1月12日戦死)

  第102戦隊

 1945年1月1日編成。第一護衛艦隊隷下で船団護衛や対潜作戦に従事。第35号海防艦は第101戦隊が壊滅したのと
 同じグラティテュード作戦による空襲で沈没。「御蔵」と第33号海防艦は、1945年3月28日にアメリカ潜水艦「トリガー」を
 撃沈したが、同日に空襲や別の潜水艦との交戦で沈没した。
 新編時の編制:軽巡洋艦「鹿島」、海防艦「屋代」・「御蔵」・第2号・第33号・第34号・第35号
  司令官:浜田浄少将

  第103戦隊

 1945年1月20日編成。第一護衛艦隊隷下で南号作戦による船団護衛に従事し、「久米」・「昭南」・第18号海防艦を失う。
 南方航路閉鎖後は朝鮮海峡での対潜作戦にも従事し、第25号海防艦を失った。
 新編時の編制:駆逐艦「春月」、海防艦「昭南」・「久米」・第18号・第25号・第60号・第67号
  司令官:久宗米次郎少将

  第104戦隊

 1945年4月10日編成。大湊警備府部隊として日本海北部やオホーツク海で行動し、津軽海峡や宗谷海峡を防備。
 寒冷地での行動に適した占守型海防艦と択捉型海防艦で構成されている。アメリカ潜水艦によるバーニー作戦で
 「笠戸」が大破させられた。
 新編時の編制:海防艦「占守」・「国後」・「八丈」・「択捉」・「福江」・「笠戸」

  第105戦隊

 1945年5月5日編成,舞鶴鎮守府護衛部隊として日本海で行動し、アメリカ潜水艦のバーニー作戦に対処、
 日号作戦に従事, 北海道空襲で第65号海防艦と第112号海防艦を失った。
 新編時の編制:駆逐艦「響」、海防艦第12号・第40号・第65号・第112号・第150号・第205号
  司令官:松山光治少将
 
                         大日本帝国海軍航空隊 
  昭和16年)4月、海軍の空母群を一つに集約した強力な打撃部隊として、第一航空艦隊が編成された 。
 日本軍は合計10隻の空母を保有しており、その内の6隻は艦隊空母、4隻は小型・改装空母であった。
 1941年1月、外地方面担当の基地航空部隊として第十一航空艦隊が編成された。

 開戦時の航空兵力
    開戦時、帝国海軍航空隊は2900機以上の航空機を定数としていた
 内訳
   
連合艦隊
         艦戦360機、艦爆144機、艦攻200機、陸攻324機、飛行艇48機、陸偵22機
         水偵251機。計1346機。他に輸送機など
   
支那方面艦隊
         21機(主に水偵)
   内戦部隊
         1618機(主に練習機)

終戦直前の海軍組織

    海軍総隊
海軍総隊とは、日本海軍の実戦部隊であり、大戦末期の1945年5月に新設された。
1945年5月、連合艦隊、海上護衛総司令部(海上護衛総隊)に加え、各鎮守府(事実上、海軍の全部隊)
も指揮する海軍総隊が新設された。その長は、海軍総司令長官である。
従来まで、日本海軍の主力艦艇のほとんどは、連合艦隊に所属していた。しかし、1944年10月のレイテ沖海戦の
敗北後、連合艦隊は弱体化し、1945年4月、戦艦大和以下第二艦隊による沖縄突入(海上特攻)で、
連合艦隊は事実上壊滅した。生き残った艦船は、燃料不足で活動できなかったため、
鎮守府の警備艦に格下げされた。こうして、連合艦隊が有名無実なものとなると、海軍艦艇の主力は、
特殊潜航艇、人間魚雷などの特攻兵器からなる特別攻撃隊となった。
海軍総隊は、連合艦隊の組織・人材をそのまま流用した。海軍総隊司令長官には、特別攻撃隊、
護衛艦艇の司令官としての役割が求められた。
 歴代の海軍総司令長官
1.豊田副武大将(1945年(昭和20年)5月1日 - 1945年5月29日)
2.小沢治三郎中将(1945年(昭和20年)5月29日 - 1945年10月10日)

   海上挺身部隊
海上挺身部隊とは太平洋戦争の末期の日本海軍で、大型艦艇が相次いで撃沈・大破・燃料不足等で
航行不能となっていた状態の中、間近に迫っていた本土決戦に向けて、本土に上陸してきた
アメリカ軍を奇襲攻撃する為に編成された部隊である。
 概要
海上挺身部隊は小沢治三郎連合艦隊司令長官によって編成された(艦艇は後述)、日本海軍最後の
組織的行動が可能な可能な水上艦部隊である。終戦直前の大日本帝国海軍は、それまでの戦闘で
多数の艦艇を損失しており、残存した艦艇も燃料不足や戦況の悪化で外洋への航行は
事実上不可能になっていた。そういった状況で本土決戦が現実味を帯びて来ると、海軍の攻撃は 
航空機・回天・震洋等の特攻作戦が主任務となり、その中で同戦隊の任務は
アメリカ海軍艦船が本土に進攻してきた際に邀撃奇襲作戦をする事であった。
 編成
  昭和20年5月25日に行われた最初の編成
  
指揮官=第31戦隊司令官鶴岡信道少将
    第11戦隊
 
  旗艦−軽巡洋艦酒匂
    第53駆逐隊−(桜、柳、橘、楢、黶j
    直属−(駆逐艦宵月、夏月、榎、柿、楠、雄竹、菫、響−軽巡洋艦北上)
    第31戦隊
   旗艦−駆逐艦花月
   第43駆逐隊(槇、榧、竹、蔦、椎)
   第52駆逐隊(杉、樫、梨、萩、桐、楡)

  昭和20年7月15日の最終的な編成
   
指揮官=第31戦隊司令官松本毅少将
    第31戦隊
   第41駆逐隊(冬月、夏月)
   第43駆逐隊(宵月、榧、竹、槇、桐、蔦、椎)
    第52駆逐隊(杉、樫、楓、梨、萩、樺)
   軽巡洋艦北上戦隊中最大の艦
   駆逐艦波風

      海軍情報




 
 
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