海軍省とは、大日本帝国海軍の軍政機関である。大日本帝国陸海軍大元帥の天皇が 最高司令官として全権を統帥した 軍令は天皇直属の軍令部が担当する。
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歴代海軍大臣
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軍令部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軍令部とは日本海軍の中央統括機関(海軍省と共同で行う)である。海軍省が内閣に従属し軍政・人事を担当するのに対し、 令部は天皇に直属し、その統帥を輔翼する立場から、海軍全体の作戦・指揮を統括する。 長は軍令部長(後に軍令部総長)であり、天皇によって海軍大将又は海軍中将が任命される。次長は総長を補佐する。 歴代軍令部総長
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海軍軍旗![]() 海軍階級章 ![]() 海軍階級 昭和17年7月改正
昭和16年の開戦時281,000名 、17年 409、000名 、 終戦時1,178,000名で本土決戦特攻要員増加 海軍士官 (昭和17年7月1日) 元帥:2名 大将:11名 中将:92名 少将:200名 大佐:878名 中佐:897名 少佐:983名 大尉:1729名 中尉:713名 少尉:727名 候補生:1080名 士官合計 7、310名 |
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海軍学校 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
上級将校養成 海軍大学校 日本海軍の上級将校教育機関である。略語として海大とも呼称される。 入学選抜
海軍兵学校 明治9年 - 昭和20年,明治から昭和の太平洋戦争終戦まで存続した大日本帝国海軍の海軍将校の養成を 目的とした教育機関である。戦前、江田島といえば、海軍兵学校を意味した。 生徒の採用
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昭和14年 海軍各部局の系統図 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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連 合 艦 隊 連合艦隊は、旧日本海軍が二個以上の常設の艦隊で編成した、非常設の艦隊である。日本海軍が使用した略称は GF(Grand Fleet または General Fleet から)連合艦隊は天皇に直属する連合艦隊司令長官がこれを統括し、軍令に関しては 軍令部総長の、軍政に関しては海軍大臣の指示を受ける。 連合艦隊司令部には、司令長官を補佐する幕僚として、参謀長、参謀副長(昭和19年〜)、首席参謀(先任参謀と通称)、 砲術参謀、水雷参謀、航空参謀、通信参謀、航海参謀、機関参謀、戦務参謀、政務参謀、主計長、軍医長、機関長、 暗号長、気象長、副官等が配置されていた。 歴代司令長官
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太平洋戦争開戦時の連合艦隊編成 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時の日本海軍とは即「連合艦隊」を示すのではなく、外戦部隊と内戦部隊と 言うように、他に複数の艦隊が存在していた。1944年(昭和19年)にこれらは連合艦隊に統一された。 以下に太平洋戦争開戦当時(1941年12月8日)の艦隊編成と、各艦隊司令長官を記した。戦艦大和などは 艦籍登録が開戦以降なので記載していない。 |
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連合艦隊直属(司令長官:山本五十六大将) 本土近海の防衛を担当
第一艦隊(司令長官:高須四郎中将) 戦艦を主軸とした主力艦隊(本土近海の防衛を担当)
第二艦隊(司令長官:近藤信竹中将) 重巡洋艦を主軸とした艦隊(南方作戦全般を支援)
第三艦隊(司令長官:高橋伊望中将) フィリピン攻略作戦支援のための艦隊
第四艦隊(司令長官:井上成美中将) 南洋群島防衛のための艦隊
第五艦隊(司令長官:細萱戊子郎中将) 北方(千島列島〜本土東海上〜小笠原諸島)防衛のための艦隊
第六艦隊(司令長官:清水光美中将) 潜水艦隊(ハワイ方面攻略を担当)
第一航空艦隊(司令長官:南雲忠一中将) 空母機動部隊(北太平洋方面攻略を担当)
機動部隊護衛として第三戦隊の戦艦「比叡」「霧島」、第八戦隊の重巡洋艦「利根」「筑摩」、 第一水雷戦隊の旗艦、軽巡洋艦「阿武隈」及び第十七、十八駆逐隊の駆逐艦8隻が加わっており、 駆逐艦「秋雲」はこの指揮下に入った。 第十一航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将) 基地(陸上)航空部隊
南遣艦隊(司令長官:小沢治三郎中将) 仏印進駐部隊、マレー作戦を支援
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艦政本部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
艦政本部とは、海軍大臣に隷属し造艦に関係する事務を掌った大日本帝国海軍の重要な官衙であり、海軍省の外局の一つ。 長は本部長であり、原則海軍中将が就任した。 太平洋戦争時の組織 第一部:砲熕部(大砲) 第二部:水雷部 第三部:電気部(無線、電探) 第四部:造船部 第五部:造機部(機関) 第六部:航海部 第七部:潜水艦部 歴代艦政本部長
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航空本部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本の海軍省の外局の一つ。通称、航本。航空機や航空兵器の研究・計画・審査を管掌し、航空要員の教育も担当した 長は本部長であり、原則海軍中将が就任した。1927年(昭和2年)4月に設立、昭和20年11月の海軍省廃止と共に解体 日本海軍は従来航空分野に関する中央総括部署を持たずに、海軍省内部部局や艦政本部が別々に分割担当する 態勢を取っていた。しかし、刻々と進歩する航空分野に十分対応するためには統一的に管轄する担当部署が必要で であるとの認識から航空関連部署を新設することになった。これが海軍航空本部であり、海軍航空本部令 昭和2年)4月4日勅令第61号)により艦政本部から分離独立する形で設立された。 海軍航空本部の組織
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北東方面艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北東方面艦隊は、アリューシャン列島・千島列島・樺太方面の哨戒・警備に当たることを目的として編成された 日本海軍の艦隊である。 アリューシャン列島・千島列島・樺太方面の作戦は第五艦隊が担当していたが、 それを支援するため昭和18年5月18日付けで 第十二航空艦隊を創設。第五艦隊と第十二航空艦隊を 統括指揮する目的で昭和18年8月5日付けで北東方面艦隊が編成された。 北東方面艦隊司令長官は第十二航空艦隊司令長官を兼任している。 アッツ島・キスカ島がすでにアメリカ軍に奪還されており、編成後は主として千島列島・樺太方面の 哨戒任務を行っていた。 昭和19年10月、水上警戒部隊であった第五艦隊が北東方面艦隊の編成下に置かれたまま 南方作戦参加のため移動。 フィリピン沖海戦に参加する。その後昭和19年12月に第五艦隊が 南西方面艦隊の隷下に正式に転属することになり、 水上部隊を失った北東方面艦隊は解隊した。残された第十二航空艦隊は連合艦隊の隷下に入り、 終戦まで千島・樺太方面の警戒にあたった(司令長官は大湊警備府が兼任)。
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南東方面艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南東方面艦隊は1942(昭和17)年12月に編成された大日本帝国海軍の艦隊のことである 南東方面(ソロモン・ニューギニア)担当の部隊は水上部隊の第八艦隊であったが、第十一航空艦隊の ラバウル進出の際に 第八艦隊が第十一航空艦隊司令長官の指揮を受けることになった。 これが南東方面艦隊の編成の前段階である。 その後昭和17年12月に正式に第十一航空艦隊及び第八艦隊を統括指揮する艦隊として編成された。 昭和18年11月15日に第九艦隊が新編され隷下部隊に加わるが、 昭和19年3月25日で南西方面艦隊に転出している。
1942年12月24日 新編時の編制 1943年11月15日 第九艦隊新編時の編制 ・第八艦隊 ・第八艦隊 ・第十一航空艦隊 ・第十一航空艦隊 ・第九艦隊 1945年6月1日 最終時の編制 ・直属 - 第14根拠地隊 ・第八艦隊 ・第十一航空艦隊 ・附属 - 第81、84〜86警備隊、第8潜水艦基地隊、横須賀鎮守府第8特別陸戦隊、 第8通信隊、第8港務部、第101設営隊 |
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南西方面艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南西方面艦隊は、大日本帝国海軍によって1942年(昭和17年)4月10日に編制された艦隊である。 南方作戦完了後、フィリピン・インドシナ・インドネシア・マレー方面の哨戒・輸送・警備は別個の艦隊によって行われていたが、 これら地域の作戦を統括指揮する目的で編制された。後発の方面艦隊は陸上・水上艦隊と航空艦隊からなるが、 南西方面艦隊は警備艦隊の集合体である。 昭和18年)9月に第十三航空艦隊を編入。11月に第二南遣艦隊を二分割し、東インドネシアに第四南遣艦隊を新設して 連合軍の北上に備えた。第四南遣艦隊は1945年(昭和20年)3月に解散した。なお、遊兵となった第一・第二南遣艦隊と 第十三航空艦隊は1945年(昭和20年)2月に新設した第十方面艦隊に移管され、最終的に南西方面艦隊が指揮したのは、 第三南遣艦隊とフィリピン戦と同時に編入された第一航空艦隊のみになっている。 歴代司令長官
東南アジアの駐留・防衛のために編制された。 昭和16年)7月31日に編制し、南仏印に進駐した。主力となるのは地上部隊の第81警備隊で、海軍が建造した艦艇は香椎・占守に 過ぎない、実態は根拠地隊に近い小艦隊だった。 太平洋戦争開戦に伴い陸軍のマレー作戦を援護すべく大本営と連合艦隊司令部により戦力が増強された。 山本五十六連合艦隊司令長官は小沢中将の要請を是として高雄型重巡洋艦「鳥海」を追加した。 マレー沖海戦ではイギリス海軍の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を撃沈している。 編制
平田昇中将(1941年7月31日-) 小沢治三郎中将(1941年10月18日-改名後も留任) 澤田虎夫少将(1941年7月31日-改名後も留任) |
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シンガポールに司令部を置き、マレー半島・インドシナ・ビルマ・ニコバル諸島・アンダマン諸島に根拠地隊を置いた。 1942年(昭和17年)4月10日には3個南遣艦隊が連合した南西方面艦隊の指揮下に置かれた。 1945年2月5日、第二南遣艦隊とともに第十方面艦隊に移籍し、終戦まで駐留を継続した。 なお、第十方面艦隊司令部は第一南遣艦隊司令部が兼任している。 編制 (南西方面艦隊新編時の編制) 直卒-香椎、占守 第9根拠地隊(マレー半島防衛、司令部はペナン島) 第10特別根拠地隊(インドシナ防衛、司令部はサイゴン) 第11特別根拠地隊(シンガポール防衛、司令部はシンガポール) 第12特別根拠地隊(ニコバル諸島・アンダマン諸島防衛、司令部はポートブレア) 附属-敷設艦勝力、特設水上機母艦相良丸、第5駆逐隊、第3測量隊、第40航空隊 歴代司令長官 歴代参謀長 小沢治三郎中将(留任-) 澤田虎夫少将(留任-) 大川内伝七中将(1942年7月14日-) 浜田浄少将(1939年6月20日-) 田結穣中将(1943年9月20日-) 鳥越新一少将(1943年8月27日-) 福留繁中将(1945年1月13日-降伏) 朝倉豊次少将(1944年8月16日-降伏) |
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ボルネオ島・セレベス島・スンダ列島・西ニューギニアを管轄したが、広大すぎることから1943年11月30日に 第四南遣艦隊を分割し、東部の管轄区域を移譲した。大規模な戦闘は経験せず、潜水艦攻撃と機動部隊の空襲によって 消耗した。第四南遣艦隊は1945年3月10日に解散したが、隷下部隊は第二南遣艦隊に復帰することなく、 第十方面艦隊直卒となった。第一南遣艦隊と同様に、南西方面艦隊・第十方面艦隊に属した。 最初の1年間は、南西方面艦隊司令部の直卒部隊として司令部を兼任した。 編制 (改称時の編制) 直卒-足柄、厳島 第16戦隊-名取、鬼怒、五十鈴 第21特別根拠地隊(ジャワ島防衛、司令部はスラバヤ) 第22特別根拠地隊(ボルネオ島防衛、司令部はバリクパパン) 第23特別根拠地隊(セレベス島防衛、司令部はマカッサル) 第24特別根拠地隊(スンダ列島・ニューギニア防衛、司令部はアンボン) 附属 - 筑紫、山陽丸、第2砲艦隊、第9測量隊 歴代司令長官 南西方面艦隊司令長官兼任(改称-)※実質的に第三艦隊司令長官高橋伊望中将の留任→高須四郎中将に継承 岩村清一中将(1943年4月15日-) 三川軍一中将(1943年9月3日-) 河瀬四郎中将(1944年6月18日-) 柴田弥一郎中将(1945年1月29日-降伏) 歴代参謀長 南西方面艦隊参謀長兼任(改称-)※実質的に第三艦隊参謀長中村俊久少将の留任 松崎彰少将(1943年4月15日-) 長谷真三郎少将(1945年1月19日-降伏) |
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抽出し、第三艦隊はさらに南方のインドネシア攻略に向かった。 1942年4月より、南方の通商航路を保護する第一海上護衛隊を隷下に置いているのが特徴である。 これはやがて南西方面艦隊を経て、海上護衛総司令部へと移譲された。陸海軍の協定により、 海軍は中部・南部フィリピンの防衛担当となったため、ルソン島は陸軍に任せて規模を縮小している。 1944年夏より、フィリピン奪還に備えて再びルソン島の増強を図っている。そのため南西方面艦隊司令部はフィリピンに移り、 第三南遣艦隊司令部を兼任した。しかしフィリピンの地上戦によって司令部は孤立化し、途絶した 第一・第二南遣艦隊を統率するために第十方面艦隊を新設せねばならなくなった。 編制 (新編時の編制) 直卒-球磨、八重山 第31特別根拠地隊(ルソン島防衛、司令部はマニラ) 第32特別根拠地隊(ミンダナオ島防衛、司令部はダバオ) 附属-讃岐丸、第36共同丸、日祐丸、第2測量隊 歴代司令長官 杉山六蔵中将(1942年1月3日-) 太田泰治中将(1942年12月1日-) 岡新中将(1943年9月20日-) 南西方面艦隊司令長官兼任(1944年8月15日-降伏)※三川軍一→大川内伝七が歴任 歴代参謀長 近藤泰一郎少将(1942年1月3日-) 橋本象造少将(1943年1月11日-) 島本久五郎少将(1944年7月27日-) 南西方面艦隊参謀長兼任(1944年8月15日-降伏)※有馬馨が兼任 |
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東部方面の防衛を担当するために編制したのが第四南遣艦隊で、スンダ列島やバンダ海周辺の島嶼部の防衛を担当した。 1944年の初期のうちに、第四南遣艦隊から西ニューギニアへの増援部隊を抽出することが決まり、 1944年5月、第九艦隊の本拠地ホーランディアが陥落する直前に、編制が完了したばかりの第28特別根拠地隊を ビアク島に派遣した。しかしビアク島も連合軍の直撃を受け、半年間の籠城戦の末に玉砕した。 その後連合軍はフィリピンに上陸したため、遊兵化した第四南遣艦隊は1945年3月10日に解散し、第十方面艦隊に吸収された。 編制 (新編時の編制) 直卒-厳島 第24根拠地隊(スンダ列島防衛、司令部はフローレス島) 第25特別根拠地隊(セラム島防衛、司令部はアンボン) 第26特別根拠地隊(ハルマヘラ島防衛、司令部はカウ) 附属-第934航空隊、2個防空隊、1個設営隊 歴代司令長官 山縣正郷中将(全期間)※解散後、帰国中に中国大陸で戦死、海軍大将に昇進。 歴代参謀長 岡田為次少将(全期間) |
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第十方面艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十方面艦隊とは、昭和20年2月5日に日本海軍が編成した艦隊である。 インドシナ方面及びインドネシア方面はそれぞれ第一南遣艦隊、第二南遣艦隊が南西方面艦隊の指揮下で作戦を 担当していたが、アメリカ軍のフィリピン侵攻により南西方面艦隊司令部がフィリピンに孤立してしまい 取り残された二個南遣艦隊を南西方面艦隊から分離し、インドネシアの防空を担当していた第十三航空艦隊とあわせて 指揮するために編成された。 司令部要員は第十三航空艦隊司令部と兼任である。 終戦時、司令部はシンガポールにあった。 歴代司令長官 1.福留繁中将 昭和20年2月5日〜終戦 歴代参謀長 1.朝倉豊次少将 昭和20年2月5日〜終戦 隷下部隊 1945年2月5日 新編時の編制 直属 - 第5戦隊(羽黒、足柄、大淀)、第4航空戦隊(伊勢、日向) 第一南遣艦隊 ・ 第二南遣艦隊 ・ 第十三航空艦隊 ・ 附属 - 南海、白沙 1945年6月1日 最終時の編制 直属 - 第5戦隊(羽黒、足柄) ※羽黒は書類上の在籍(1945年5月16日戦没、同年6月20日除籍)。 第一南遣艦隊 ・ 第二南遣艦隊 ・ 第十三航空艦隊 ・ 附属 - 五十鈴、南海、第33、105防空隊、第36、201〜203、224、232設営隊 |
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支那方面艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
支那方面艦隊とは、支那事変初期の1937年(昭和12年)10月に編成された、大日本帝国海軍の艦隊の一つである。 昭和12年)10月に新たに第四艦隊が追加編成され第三艦隊と統合して支那方面艦隊が成立した。 太平洋戦争開戦時には、3個艦隊はとりあえず指揮下にあったが、編成当初に保有していた重巡洋艦や 駆逐艦など 即戦力の艦艇は、ほとんど連合艦隊に供出し終えていた。 昭和17年)4月に第三遣支艦隊を青島方面特別根拠地隊に、昭和18年)8月に第一遣支艦隊を 揚子江方面特別根拠地隊に 降格し、支那方面艦隊の直轄部隊とした。 歴代司令長官 歴代参謀長 古賀峯一 大将:1941年9月1日 - 大川内傳七 中将:1940年10月1日 - 吉田善吾 大将:1942年11月10日 - 田結穣 少将:1942年3月16日 - 近藤信竹 大将:1943年12月1日 - 宇垣完爾 少将:1943年9月1日 - 福田良三 中将:1945年5月15日 - 1945年11月30日 左近允尚正 中将:1944年12月15日 - 1945年11月30日 編制
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「隅田」「嵯峨」)を1918年8月10日に改編し、初めて名乗った。この部隊は翌年の1919年8月9日に「第一遣外艦隊」へ改名し、 上海駐留を継続している。その後、1939年11月15日に支那方面艦隊隷下の3個艦隊が第一、第二、第三遣支艦隊を名乗り、 太平洋戦争の推移に合わせて規模を縮小しつつも中国大陸で作戦行動を継続した。本稿では、この支那方面艦隊隷下の 3個遣支艦隊について述べる。
主な戦力は武漢に駐留する陸戦隊の漢口方面特別根拠地隊と、揚子江の航路確保のために全ての砲艦を集約した 第11戦隊である。これに九江や南京に駐留する若干の陸上部隊が加わる。 1943年8月20日、艦隊全体が揚子江方面特別根拠地隊に降格した。 陸上部隊は武漢・南京・九江など拠点の駐留、砲艦は揚子江の航路確保に従事した。 末期にはほとんどの砲艦を喪失したものの、揚子江特根は終戦まで陸上での戦闘を継続した 編制
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南シナ海に面する海域を担当するため、水上勢力は1個水雷戦隊に匹敵する。ただし、太平洋戦争に備えて、 鳥海は五十鈴、駆逐隊は砲艦や掃海艇に差し替えられている。一方の陸上戦力は3個特別根拠地隊を備えている。 開戦直後に香港を占領したことから、広東特根は香港に移転し、以後は香港に艦隊司令部を置いて敗戦まで統率した。 ほとんどの水上艦を敗戦までに失ったが、陸上部隊は香港・厦門を中心に各地で敢闘し、降伏調印まで艦隊を維持した。 編制
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1942年1月15日、南方攻略作戦に必要な陸戦隊を捻出するため、青島特根は警備隊に降格となった。 これを受けて、第三遣支艦隊が1942年4月10日をもって解散し、保有していた陸上戦力を集約して二代目の青島特根となった 編制 1941年12月10日 太平洋戦争開戦時の編制 磐手 (装甲巡洋艦) 第11水雷隊 青島方面特別根拠地隊 歴代司令長官 杉山六蔵 中将:1941年7月5日 - 河瀬四郎 中将:1941年12月26日 - 青島特根降格と同時に転出 歴代参謀長 緒方真記 少将:1941年5月24日 - 大杉守一 少将:1943年8月20日 - 青島特根降格と同時に転出 |
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海軍総隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
海軍総隊とは、日本海軍の実戦部隊であり、大戦末期の1945年5月に新設された。 1945年5月、連合艦隊、海上護衛総司令部(海上護衛総隊)に加え、各鎮守府(事実上、海軍の全部隊)も指揮する 海軍総隊が新設された。その長は、海軍総司令長官である。 従来まで、日本海軍の主力艦艇のほとんどは、連合艦隊に所属していた。しかし、1944年10月のレイテ沖海戦の敗北後、 連合艦隊は弱体化し、1945年4月、戦艦大和以下第二艦隊による沖縄突入(海上特攻)で、連合艦隊は事実上壊滅した。 生き残った艦船は、燃料不足で活動できなかったため、鎮守府の警備艦に格下げされた。こうして、連合艦隊が 有名無実なものとなると、海軍艦艇の主力は、特殊潜航艇、人間魚雷などの特攻兵器からなる特別攻撃隊となった。 海軍総隊は、連合艦隊の組織・人材をそのまま流用した。海軍総隊司令長官には、特別攻撃隊、護衛艦艇の司令官 としての役割が求められた。 歴代の海軍総司令長官 1.豊田副武大将(1945年(昭和20年)5月1日 - 1945年5月29日) 2.小沢治三郎中将(1945年(昭和20年)5月29日 - 1945年10月10日) |
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第一艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第一艦隊は、旧日本海軍の部隊の一つ。もっぱら戦艦を主力とした決戦艦隊に位置づけられていた。 1903年12月26日に常備艦隊を二分割して編制した。この時に分離した第二艦隊とともに常設艦隊となり、日露戦争で活躍した。 それ以降、何度も第二艦隊とともに連合艦隊を編制している。 太平洋戦争中は作戦行動に出撃する機会が少なく、特に戦艦で構成する第二戦隊は柱島に常時停泊しており 「柱島艦隊」と揶揄された。ミッドウェー作戦で主力部隊として出動した後は、所属していた航空戦隊や水雷戦隊を 正式に他の艦隊に移籍させ、瀬戸内海で訓練艦隊として扱われていた。1944年2月25日解散。 沿革 1941年4月10日 第一航空艦隊新設のため航空戦隊を供出。 8月1日 太平洋戦争出師準備完了、第一戦隊を連合艦隊に供出 8月11日 連合艦隊司令部の兼職を解除。独自に第一艦隊司令部を設置。 11月 真珠湾作戦機動部隊収容のため日本近海に出動。 1942年4月 ドーリットル空襲作戦部隊追撃のため出動 6月 ミッドウェー作戦支援のため出動 以後は戦隊単位で個別に行動 1942年7月14日 第三艦隊編制のため第三航空戦隊を供出。 11月10日 ソロモン方面で第八艦隊と行動していた第六戦隊が壊滅のため解散 1943年3月15日 重雷装艦「北上」・「大井」からなる第九戦隊、用途なく解散 4月1日 第一水雷戦隊を第五艦隊に供出(同年、キスカ島撤収に成功)。 駆逐艦練成部隊として第十一水雷戦隊、潜水艦練成部隊として第十一潜水戦隊を新設、第一艦隊に配備。 1943年6月8日 「陸奥」爆沈。爆沈時の司令長官清水光美中将が更迭される 1944年1月1日 第十一潜水戦隊を第六艦隊に供出 2月25日 解隊 編制 1941年開戦時は前記載済で参照
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第二艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1903年12月28日 創設。常備艦隊を二分割し、戦艦を中心とする第一艦隊と別に、巡洋艦を中心に編制した。 1940年11月15日 第六艦隊新設のため潜水戦隊を供出 1942年5月8日 第五戦隊が珊瑚海海戦に参加。 6月4日 ミッドウェー海戦に参加 7月14日 戦時編制改定により、第七、第八戦隊を第三艦隊に供出。第一艦隊から第三戦隊(金剛、榛名)を編入。 8月24日 第二次ソロモン海戦に参加 10月26日 南太平洋海戦に参加 11月12日〜13日 第四水雷戦隊が第三次ソロモン海戦(第一夜戦)に参加 1943年4月1日 戦時編制改定により、第三戦隊を第三艦隊に供出 11月2日 第五戦隊がブーゲンビル島沖海戦に参加 1944年3月1日 第三艦隊と連合して第一機動艦隊を編制、第一機動艦隊司令部指揮下となる 6月19日 マリアナ沖海戦に前衛部隊として参加 8月15日 第一戦隊(武蔵 、大和 、長門)と第三戦隊(金剛 、榛名)を編入 10月22日 レイテ沖海戦に出動。24日シブヤン海海戦で「武蔵」戦没 11月15日 戦時編制改定により第一機動艦隊解隊 1945年4月7日 坊ノ岬沖海戦で「大和」戦没、第二水雷戦隊壊滅 4月20日 解隊 編制 1941年4月10日、太平洋戦争臨戦態勢完成時の編制
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第三艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
常設だった第一艦隊・第二艦隊と違い、必要に応じて編制・解散される特設艦隊であったため、日露戦争から 太平洋戦争までの間に六代にわたって編制と解散を繰り返した。 五代(1941年4月10日新編〜1942年3月10日第二南遣艦隊へ改称) フィリピン攻略部隊として編制した。陸海軍協定でルソン島攻略を陸軍が、ミンダナオ島を海軍が攻略することになり、 パラオ諸島で開戦を待った。 ラモン湾の上陸支援、レガスピー攻略作戦に従事し、フィリピン占領後は蘭印攻略に向かう。 太平洋戦争を経験した三代の「第三艦隊」の中で、終戦まで艦隊としての地位を維持した唯一の部隊である。 編制
ミッドウェー海戦で壊滅した第一航空艦隊の後継部隊として、ミッドウェー海戦に参加しなかった翔鶴・瑞鶴を中心に 再建した機動部隊である。壊滅した第一航空艦隊の長官南雲忠一中将と参謀長草鹿龍之介少将は第三艦隊の指揮官として そのまま機動部隊の指揮を執ることになった。 第三艦隊は空母六隻(翔鶴、瑞鶴、瑞鳳と飛鷹、隼鷹、龍驤の2組)と戦艦2隻、巡洋艦4隻、長良を旗艦とする 駆逐艦16隻の合計29隻の大艦隊の予定であった。 1944年2月に戦艦中心の第一艦隊が廃されたこともあり、翌3月に第二艦隊と連合して第一機動艦隊を編制し、 第三艦隊司令部が機動艦隊司令部を兼ねた。マリアナ沖海戦で旗艦大鳳や大量の艦上機と搭乗員を失い、 その後練成した航空機も台湾沖航空戦で消耗し、レイテ沖海戦では艦上機をほとんど搭載しない「囮艦隊」として参加した。 レイテ沖海戦後、残存する空母は第1航空戦隊に集められて連合艦隊付属(後に第二艦隊へ編入)となり 第4航空戦隊の航空戦艦伊勢・日向は第二艦隊に編入されて、第三艦隊は廃止された。 編制
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第四艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日露戦争末期に陸軍の樺太上陸支援のために編成された部隊と、日中戦争で増援のために編制され 華北方面に進出した。 部隊、太平洋戦争時に南洋諸島防衛を目的に編制された部隊の三つがある。 1905年6月14日、樺太作戦のために編成された。 第四艦隊(三代目) 1939年11月15日、前第四艦隊が第三遣支艦隊に改名すると同時に、南洋諸島の基地建設地調査と防衛に充てるために 三代目の第四艦隊を編制した。1940年11月15日より連合艦隊に編入された。保有戦力は港湾防御艦艇と 偵察航空隊程度で、「厳島」・「八重山」・「能登呂」を主要艦艇としたほか、カロリン諸島・パラオ諸島・・マーシャル諸島・ カロリン諸島の防衛のために陸戦用の防備隊を置いた。軍隊区分上の扱いは、内南洋防衛を担当する 内南洋部隊と定められている。 太平洋戦争開戦後は軍隊区分上で内南洋の外まで担当する南洋部隊とされ、旧式艦艇を主力とした。 水上艦基地としてトラック環礁、潜水艦基地としてクェゼリン環礁を活用するとともに南部フィリピン・グァム島・ ウェーク島・ギルバート諸島・東ニューギニア・ビスマーク諸島・ソロモン諸島への攻略拠点部隊として機能した。 ウェーク島攻略作戦や珊瑚海海戦での不手際が問われた井上成美司令長官が更迭され、 以後は頻繁に司令部が交代している。 1944年3月4日、日本海軍は中部太平洋方面艦隊を新編し、サイパン島に司令部を置いた。 この時に第四艦隊はその隷下に入った。中部太平洋方面艦隊の隷下部隊のうち第十四航空艦隊は 稼動機がなく、実質的に第四艦隊が戦力のすべてであった。サイパンの戦いで中部太平洋方面艦隊司令部は 全滅し、遠隔地に取り残された第四艦隊は 本土との補給がほぼ完全に止まり、終戦まで各部隊が自活を余儀なくされた。 編制
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第五艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧帝国海軍の部隊の1つ。日華事変で増援のために編制され、華南方面に進出した部隊と、太平洋戦争時に 本土東方警備・アリューシャン列島攻略を目的に編制した部隊の二つがある。 1938年2月1日、支那方面艦隊の増援部隊として編制し、同艦隊の3番目の艦隊として華南方面に進出した。 二代の第五艦隊 1941年7月25日、連合艦隊の北方部隊として「多摩」・「木曽」・「鷺」・「鳩」の4隻で編制し、千島列島〜本土東海上〜 小笠原諸島に展開した アッツ島沖海戦での完勝が果たせなかった責任を問われ、細萱戊子郎司令長官が更迭されている。 木村昌福司令官が指揮する第1水雷戦隊は、キスカ島からの陸上部隊撤退(キスカ島撤退作戦)に成功した 1943年8月5日に第十二航空艦隊と合同で北東方面艦隊を編制し、その隷下に収まる。 1944年10月に、北東方面艦隊に在籍したまま南方部隊に転進し、いわゆる「志摩艦隊」としてフィリピン沖海戦に参加。 11月5日にはマニラで空襲を受け旗艦那智が戦没する。のちに礼号作戦にも参加。 12月15日に正式に南西方面艦隊に移籍したが、1945年2月5日に第十方面艦隊新設とともに解散し、所属艦艇はその隷下 編制
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第六艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧日本海軍の部隊の一つ。1940年11月15日、潜水艦部隊の一元運用を図るため、各艦隊に分散配置されていた潜水戦隊を 統合して編制した。当初はアメリカ西海岸方面、インド洋方面、オーストラリア東沖方面での偵察・漸減邀撃をもくろんだ。 太平洋戦争開戦時はハワイ方面の偵察、特殊潜航艇による真珠湾突入、東太平洋での通商破壊、オーストラリア方面の 機雷敷設に従事した。しかし真珠湾攻撃の成功により、主目的であった漸減邀撃の必要性が薄れ、オーストラリア東沖や インド洋での通商破壊に重きを置くようになる。 昭和17年6月のミッドウェー作戦のおいては作戦の不備から潜水艦の展開が遅れ戦機を逸してしまった。 昭和18年のソロモン攻防戦から終戦まで、潜水艦は艦隊攻撃を行っては空しく撃沈されるものが相次いた。制空権を失い 孤島に対する輸送任務に多く使われ、多くの損害を出す。 1944年11月8日より、人間魚雷「回天」の実戦投入が始まり、回天母艦として潜水艦を運用することになった。 以後、終戦までに28回出撃している。 編制 (新編時の編制) 第1潜水戦隊-旗艦:香取 、大鯨 伊号第20 第一潜水隊(伊15・伊16・伊17) 第2潜水戦隊-五十鈴 第十一潜水隊(伊74・伊75) 第十二潜水隊(伊68・伊69・伊70) 第二〇潜水隊(伊71・伊72・伊73) 第3潜水戦隊-長鯨 伊7 第七潜水隊(伊1・伊2・伊3) 第八潜水隊(伊4・伊5・伊6)
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第七艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太平洋戦争末期昭和20年4月10日に編成された日本海軍最後の艦隊であった。西内海地域の関門、対馬等の 海峡の 防備を任務とした艦隊であった。艦隊司令部は福岡県門司に設置された。 七艦隊の編成は、1945年(昭和20年)3月末にアメリカ軍による機雷攻撃(飢餓作戦)が開始されたことに伴い、 急遽行われた。 これは、西内海を防備範囲とするはずの呉鎮守府には、大規模な航空機雷敷設に対処する 能力が無いために採られた措置である。形式的には連合艦隊の所属であるが、任務の性質上、実質的には 海上護衛総司令部の指揮下にあった。 そのため、初代司令長官は、第一護衛艦隊司令長官で海上護衛総司令部参謀長を務めたこともある 岸福治中将が兼任し、 同じく参謀長の後藤光太郎少将も第一護衛艦隊参謀長と兼任だった。 編制 1945年6月1日時点 第18戦隊(常磐、高栄丸、永城丸) ※1945年6月5日に解隊、3隻とも第七艦隊附属となる。 附属 - 第102、104、106、154海防艦 下関防備隊
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第八艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭和17年(1942年)7月14日に日本海軍が編成した艦隊である。軍隊区分上は外南洋部隊として扱われた 日本海軍が、太平洋戦争中にニューギニア島・ソロモン諸島方面(外南洋)を担当する艦隊として水上部隊及び 陸上部隊を をもって編成した。アメリカ軍とのソロモン諸島の戦いでは最前線部隊として奮戦した。 のちニューギニア方面は第九艦隊の 担当となり、ソロモン方面作戦に専念する。戦争後半に水上部隊が 引揚げられ、ブーゲンビル島ブインに置いた司令部から ソロモン諸島に点在する基地間の輸送任務及び 海軍陸戦隊の指揮を行った。 編制
南東方面艦隊 昭和17年12月20日-終戦 |
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第九艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭和18年(1943年)11月15日に日本海軍が編成した艦隊である。オーストラリアで整備中のアメリカ軍の北上に備え、 西部ニューギニアの防衛を担当する艦隊として水上部隊及び陸上部隊をもって編成された。 しかし、「艦隊」と称しても水上艦艇は若干の駆潜艇しかなく、主力は陸上の2個根拠地隊である。 昭和19年)3月に第2特別根拠地隊と合併して第27特別根拠地隊となった。 昭和19年)4月22日にアメリカはホーランディアに上陸すると、カイリル島に置かれた第27特別根拠地隊本隊以外の 艦隊全兵力(約1,000人)で迎撃した(ホーランジアの戦い)。しかし、サルミへ撤退中の5月3日の戦闘で 第九艦隊司令部は壊滅し、遠藤喜一長官・緒方真記参謀長・鬼束鉄夫第90警備隊司令ら幹部が戦死する。 その2日前には、新たな隷下部隊としてビアク島へ駐留させるべく、第28特別根拠地隊が 第四南遣艦隊隷下で編成されたが、第九艦隊への増援は実現しなかった。 第27特別根拠地隊のみが孤立し、艦隊としての体をなさなくなったため、 1944年7月10日をもって第九艦隊は解隊した。 第27特別根拠地隊は南西方面艦隊直率となり、終戦まで自活を強いられた。 編制
南東方面艦隊 昭和18年11月15日〜昭和19年3月25日 南西方面艦隊 昭和19年3月25日〜昭和19年7月10日(解隊) |
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航空艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
航空艦隊とは、海軍または空軍の編制単位の一つ。日本海軍では機動部隊または基地航空隊を指す。 1941年1月、大日本帝国海軍連合艦隊の下位艦隊として基地航空隊を統一した第十一航空艦隊が、 同4月に航空母艦(空母)を 集中運用する第一航空艦隊が創設された。 それぞれ数個の航空戦隊で構成されていた。 第一航空艦隊はミッドウェー海戦のあと解隊されるが、 1943年7月1日に大本営直属の基地航空隊として再編成された |
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第一航空艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
旧日本海軍の空母艦隊及び基地航空部隊のことである。この艦隊を中核に他の艦艇を合わせた世界初の 空母機動部隊として 運用された。大戦後半に基地航空部隊として再編成され、陸上飛行場を拠点として 作戦を行う機動航空部隊として運用された。 空母艦隊として誕生 昭和16年)4月10日、南雲忠一海軍中将を司令長官として編成(艦隊参謀長は草鹿龍之介少将)された。 第一航空戦隊「赤城」「加賀」、第二航空戦隊「飛龍」「蒼龍」の航空母艦を基幹としたが、太平洋戦争開戦直前に 第五航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」が編入された。 草鹿参謀長は攻撃は一太刀と決め周到な計画の下行いすぐ他の敵に構えることを信念にした 南雲長官は航空に関しては素人であり、草鹿参謀長も源田実航空参謀を評価し献策を入れたため、 源田艦隊と呼ぶ声まであった 源田参謀は従来所属艦で行われた航空隊の指揮と訓練を機種ごとに分けた空中指揮で行った 1942年6月のミッドウェー作戦では、同時に実施されたアリューシャン作戦に参加する 第四航空戦隊「隼鷹」、「龍驤」基幹の部隊を軍隊区分により第二機動部隊としたため、従来の 第一航空艦隊基幹の 機動部隊は第一機動部隊としてミッドウェー作戦に参加した。ミッドウェー作戦は、 空母4隻を失って失敗に終わり 海戦後に第一航空艦隊は解隊された。 基地航空隊として再建 1943年6月1日第261航空隊佐世保鎮守府所属として鹿児島で発足し、7月1日第261航空隊と第761航空隊で 第一航空艦隊が発足した。1944年1月13個航空隊になる。2月一航艦を10個航空隊による 61航空戦隊(一航艦司令長官直卒)と 3個航空隊の62航空戦隊(司令官杉本丑衛指揮)に分離した。 62航戦の戦力充実は9月を目標にした。 1944年7月のテニアンの戦いにおいて角田司令長官は玉砕した。 神風特攻隊開始 残存部隊はフィリピンに撤退し再建を進め、1944年8月7日寺岡謹平中将が一航艦長官に就任した。 10日南西方面艦隊に編入、 フィリピン沖海戦で、大西長官の主導の下、クラーク基地の第761航空隊と マバラカット基地の201航空隊によって 最初の神風特別攻撃隊による作戦が実施された。 特攻後大西長官は福留繁第二航空艦隊長官を説得し第一航空艦隊と第二航空艦隊を統合した 連合基地航空隊を編成し、 福留長官が指揮官、大西長官が参謀長を務めた。 強引な神風特攻隊拡大に批判的な航空幹部もいたが、大西長官は「今後俺の作戦指導に 対する批判は許さん」 「反対する者は叩き切る」と指導した しかし実動機が払底したため、年末には台湾へ再度撤退し、フィリピン海峡越えの出撃を強いられた。 昭和20年)5月10日、最後の司令長官に志摩清英中将が就任。 約1ヵ月後の6月15日、第一航空艦隊は解隊された。 所属部隊 (空母艦隊) 第一航空戦隊:1941年4月10日 - 1942年7月14日 第二航空戦隊:1941年4月10日 - 1942年7月14日 第四航空戦隊:1941年9月1日 - 1942年7月14日 第五航空戦隊:1941年9月1日 - 1942年4月12日
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第一航空戦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第一航空戦隊とは、日本海軍の機動部隊の一翼を担った部隊である。 昭和3年4月に試験的に「赤城」「鳳翔」と第6駆逐隊の「梅」「楠」で編成され、 昭和4年)4月より第一艦隊に常備となった。 太平洋戦争開戦時の第一航空戦隊は、「赤城」「加賀」と第7駆逐隊の駆逐艦2隻で編成されていた。 太平洋戦争開戦時の指揮官は第一航空艦隊の司令長官南雲忠一海軍中将が直率。真珠湾攻撃・ ラバウル攻略・ ポートダーウィン空襲・セイロン沖海戦・ミッドウェー海戦などに参加。 昭和17年)6月のミッドウェー海戦で「赤城」「加賀」が沈没したため解隊されたが、8月に「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」を 中心とした部隊として再建された。 昭和19年)3月に「大鳳」が完成し第一航空戦隊に入ったため、「瑞鳳」が第三航空戦隊に編入された。 その後1944年6月のマリアナ沖海戦で「翔鶴」「大鳳」が潜水艦の攻撃で沈没したため解隊。 1944年8月に完成した「雲龍」「天城」をもって再度第一航空戦隊は編成されたが、搭載予定の601空は マリアナ沖海戦後の 再編途上、また母艦自体も練成中であることから作戦投入可能になるのは 44年末と想定されていた。11月に入りレイテ沖海戦後解隊された第二航空戦隊の残存艦「隼鷹」と「龍鳳」、 また新たに完成した「葛城」「信濃」が第一航空戦隊に編入された。 しかし「信濃」は完成直後に潜水艦の攻撃で沈没、「隼鷹」「龍鳳」「雲龍」は南方への輸送任務に投入されたが 「隼鷹」が潜水艦の攻撃で大破、「雲龍」も沈没し輸送任務からは外された「天城」「葛城」の2隻が再編中の 601空と共に 瀬戸内海で訓練を続けていた。 昭和20年)1月に入っても第一航空戦隊の訓練は続いていたが、2月に入り「大和」が第一航空戦隊に編入された一方、 艦艇用燃料の払底に伴い「龍鳳」「天城」「葛城」は任務を解かれ呉軍港周辺に繋留、搭載していた601空も 基地航空隊に改編されたことで空母部隊としての活動を終了、第一航空戦隊は「大和」沈没後の4月20日に解隊された。 歴代司令官 河瀬四郎 少将:昭和16年4月10日 - 第一航空艦隊司令長官(南雲忠一中将)直率:昭和16年9月1日 - 古村啓蔵 少将:昭和19年10月1日 - 大林末雄 少将:昭和19年12月10日 - 欠:昭和20年2月11日 - |
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第二航空戦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本海軍の機動部隊の一翼を担った空母部隊のことである。戦局の悪化により1944年(昭和19年)7月10日解隊。 1934年より第二艦隊に設置された。「蒼龍」「飛龍」は竣工するとさっそく第二航空戦隊に編入され、 戦没するまで定位置だった。 主に、真珠湾攻撃や、ウェーク島攻撃、ポートダーウィン攻撃、セイロン沖海戦に参加するが、ミッドウェー海戦で 主力空母2隻を失い解隊された。その後7月に、空母「隼鷹」「飛鷹」「龍驤」で再建された。 司令官は角田覚治少将。「龍驤」が第二次ソロモン海戦で沈没したため、「龍鳳」が第二航空戦隊に加わった。 マリアナ沖海戦で「飛鷹」は沈没。 歴代司令官 山口多聞 少将:1940年(昭和15年)11月1日 - 1942年(昭和17年)6月5日戦死 角田覚治 少将:1942年7月14日 - 酒巻宗孝 少将:1943年(昭和18年)5月22日 - 城島高次 少将:1943年9月1日 - |
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第四航空戦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
日本海軍の部隊の1つ。航空母艦を主力とする機動部隊。解隊と再編成を繰り返した部隊。 太平洋戦争開戦3ヶ月前の1941年(昭和16年)9月1日に第一航空艦隊を構成する部隊として設立される。 太平洋戦争開戦時の主な艦艇は空母「龍驤」「春日丸」、第3駆逐隊が所属していた セイロン沖海戦、アリューシャン作戦などに参加した。しかしミッドウェー海戦での敗北をきっかけに 昭和17年7月に解隊された。 昭和19年5月には、戦艦「日向」(戦隊旗艦)、戦艦「伊勢」にて、世界でも類を見ない航空戦艦による 航空戦隊として編成される。 この部隊は捷一号作戦、北号作戦といった戦争末期の作戦に参加した。 エンガノ岬沖海戦では、米海軍機の激しい攻撃を回避、多数を撃墜して無事生還。 歴代司令官 桑原虎雄少将(1941年(昭和16年)4月10日 -) 角田覚治少将(1941年9月1日 - 1942年(昭和17年)7月14日解隊) 松田千秋少将(1944年(昭和19年)5月1日 - 1945年(昭和20年)3月1日解隊) |
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第五航空戦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太平洋戦争開戦直前に編成された空母機動部隊。当時の日本海軍の空母建造技術の粋を集めた最新鋭艦、 翔鶴型空母「翔鶴」、「瑞鶴」と護衛の駆逐艦「朧」、「秋雲」で編成されていた。 航空隊の練度については同じく第一航空艦隊を形成していた第一航空戦隊の赤城・加賀、第二航空戦隊の 飛龍・蒼龍に及ばないものとして扱われた。 珊瑚海海戦での航空機の大量損失も搭乗員の練度の低さが原因とされた。 ミッドウェイ海戦での敗北後に解隊され、「翔鶴」と「瑞鶴」は新たに編成された第一航空戦隊に所属することになる。 歴代司令官 原忠一少将:昭和16年9月1日 - 昭和17年7月14日 |
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第十一航空艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
太平洋戦争時からあった外地向けの基地航空部隊である。開戦当初はフィリピン・マレー・ジャワに 進出し南方作戦の 航空作戦を指揮する。 ガダルカナル戦が始まると、テニアン島にあった司令部はラバウルに移動し南東方面航空作戦の主力として活躍。 昭和17年12月に南東方面艦隊が編成されるとその隷下に入る(南東方面艦隊司令部要員は 第11航空艦隊司令部要員が兼任) 航空隊がトラック島に撤退し、本土とラバウルの補給が途絶えた後は 自給自足の生活で終戦まで部隊を維持した。 編成 (太平洋戦争開戦時) 第21航空戦隊 - 第一航空隊、鹿屋海軍航空隊、東港海軍航空隊、「葛城丸」 第22航空戦隊 - 第三航空隊、台南海軍航空隊、高雄海軍航空隊、「小牧丸」 第23航空戦隊 - 元山海軍航空隊、美幌海軍航空隊、鹿屋海軍航空隊の一部、「富士川丸」、「りおん丸」、「慶洋丸」、「加茂川丸」 第34駆逐隊
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第二航空艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1944年6月15日創設、1945年1月8日解散。フィリピン防衛のため台湾各地に展開したが、 台湾沖航空戦で消耗したため、 フィリピンに前進できた機体は僅かだった。早くも11月には機体を 台湾に撤退させ、基地要員は陸戦に従事した。 編制 1944年7月10日、マリアナ諸島陥落〜フィリピン防衛準備中の編制 第21航空戦隊 - 台湾海軍航空隊(基地防衛) 第25航空戦隊 - 南西諸島海軍航空隊(基地防衛) 直卒 ・第一四一海軍航空隊(偵察/台湾)、第二二一海軍航空隊(艦戦/台湾)、第三四一海軍航空隊(紫電/台湾) ・第七六二海軍航空隊(銀河/ダバオ)、第七六三海軍航空隊(銀河/台湾) ・基地隊 - 九州海軍航空隊
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第三航空艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1944年7月10日創設、1945年10月15日解散。本土防衛のため当初は関東、硫黄島陥落後は南九州を中心に展開し、 硫黄島および沖縄への積極迎撃・艦船や機動部隊への攻撃・特攻及び本土防空を担当した。 編制 1944年7月10日、新編時の編制 ・第27航空戦隊 - 南方諸島海軍航空隊・関東海軍航空隊(基地)、第二五二海軍航空隊(艦戦/硫黄島)、 第七五二海軍航空隊(陸攻/硫黄島)、第八〇一海軍航空隊(飛行艇/横浜) ・直卒 ・第二一〇海軍航空隊(紫電/明治)、第三四三海軍航空隊(紫電改/松山。のちに第五航空艦隊に編入される) ・第一三一海軍航空隊(艦爆、艦攻/松山)、第六〇一海軍航空隊(艦上機部隊) ・第一〇二三海軍航空隊(輸送機)
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第五航空艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1945年2月10日創設、1945年10月20日解散。本土防衛のため九州を中心に展開し、 沖縄への積極迎撃・艦船や 機動部隊への攻撃・特攻及び本土防空を担当した。終戦の詔勅が 発表された直後に、宇垣長官が独断で特攻自決した。 編制 1945年2月10日、新設時の編制 ・南西諸島海軍航空隊・九州海軍航空隊(基地防衛) ・第二〇三海軍航空隊(艦戦/笠之原) ・第七〇一海軍航空隊(陸攻/国分。九州沖航空戦直前に、彗星の2個攻撃飛行隊と天山の1個飛行隊からなる 航空隊に変更)、第七二一海軍航空隊(桜花/鹿屋)、第七六二海軍航空隊(陸爆=銀河)、 第八〇一海軍航空隊(飛行艇/横浜) ・第一〇二二海軍航空隊(輸送機
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第十航空艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1945年3月1日創設、1945年10月10日解散。航空要員練成のために連合練習航空総隊を拡張して設置した。 所属部隊はすべて練成航空隊で、即戦力は持たない。 編制 1945年3月1日、新設時の編制 ・第11連合航空隊 ・予科練 - 大和海軍航空隊 ・初歩練(陸上機) - 百里原海軍航空隊、谷田部海軍航空隊、神町海軍航空隊、第二郡山海軍航空隊、 第三岡崎海軍航空隊、東京海軍航空隊 ・初歩練(水上機) - 鹿島海軍航空隊、北浦海軍航空隊、大津海軍航空隊、第二河和海軍航空隊 ・実機練 - 筑波海軍航空隊(戦闘)、名古屋海軍航空隊(艦爆)、松島海軍航空隊(陸攻)、豊橋海軍航空隊(陸攻) ・第12連合航空隊 ・予科練 - 岩国海軍航空隊 ・初歩練(陸上機) - 光州航海軍空隊、観音寺海軍航空隊、釜山海軍航空隊、峰山海軍航空隊、 西条海軍航空隊、諫早海軍航空隊 ・初歩練(水上機) - 詫間海軍航空隊、天草海軍航空隊、福山海軍航空隊 ・実機練 - 宇佐海軍航空隊(攻撃)、大村海軍航空隊(総合)、博多海軍航空隊(攻撃)、築城海軍航空隊(総合) ・第13連合航空隊 ・予科練 - 霞ヶ浦海軍航空隊 ・実機練 - 鈴鹿海軍航空隊(総合)、大井海軍航空隊(攻撃)、徳島海軍航空隊(攻撃)、青島海軍航空隊(攻撃)、 高知海軍航空隊(攻撃)
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第十二航空艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1943年5月18日創設、1945年11月30日解散。第五艦隊とともに北東方面艦隊を編制し、 千島・樺太・北海道防衛のため 千歳飛行場を中心に展開した。1943年末には一部がマーシャル諸島に 前進したものの玉砕。 北東方面艦隊解散後は連合艦隊直卒で大湊警備府司令部が兼任した。 編制 1943年8月5日、北東方面艦隊新設時の編制 ・第24航空戦隊 - 第五三一海軍航空隊(艦爆/千歳)、第七五二海軍航空隊(陸攻/ミレ島) ・第27航空戦隊 - 第二八一海軍航空隊(艦戦/幌莚)、第四五二海軍航空隊(水戦/幌莚)、 第八〇一海軍航空隊(飛行艇/横浜) ・第51航空戦隊 - 豊橋海軍航空隊(陸攻/練成)、厚木海軍航空隊(艦戦/練成) 1944年4月1日 戦時編制制度改定後の編制 ・第27航空戦隊 - 第二五二海軍航空隊、第四五二海軍航空隊、第七五二海軍航空隊、第八〇一海軍航空隊 ・第51航空戦隊 - 第二〇三海軍航空隊、第五〇二海軍航空隊、第五五三海軍航空隊、第七〇一海軍航空隊 ・附属 - 第四一航空基地隊 ・千島方面根拠地隊 - 第1駆逐隊(野風、波風、神風)、石垣、国後、八丈、第3魚雷艇隊、第51〜53警備隊、 占守通信隊、第15輸送隊 1944年8月15日 マリアナ沖海戦後の編制 ・第51航空戦隊 - 第二〇三海軍航空隊、第五〇二海軍航空隊、第五五三海軍航空隊、第七〇一海軍航空隊 附属 - 第四五二海軍航空隊 ・千島方面根拠地隊 - 第1駆逐隊(野風、波風、神風)、国後、八丈、第3魚雷艇隊、 第51〜53警備隊、占守通信隊、第15輸送隊 1945年6月1日 最終時の編制 ・北東海軍航空隊 ・千島方面根拠地隊 - 第3魚雷艇隊、第51〜53、57警備隊、占守通信隊、第15特設輸送隊
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第十三航空艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1943年9月20日創設、1945年9月12日解散。防空部隊を持たなかった南西方面艦隊の航空支援を 担うために編制した。 インドシナはツダウム、マレー半島はペナン、西インドネシアはスラバヤ、東インドネシアは アンボンを拠点として分散配置された。 1945年2月5日に第十方面艦隊が編制されると、そのエアカバー部隊となって終戦まで細々と運用された。 編制 1943年9月20日、新編時の編制 ・第23航空戦隊 - 第二〇二海軍航空隊(艦戦/ダバオ)、第三八一海軍航空隊(混成/バリクパパン)、 第七五三海軍航空隊(陸攻/ケンダリー) ・第28航空戦隊 - 第三三一海軍航空隊(艦戦/ビルマ)、第五五一海軍航空隊(艦攻/スマトラ)、 第八五一海軍航空隊(飛行艇/マレー) ・第七三二海軍航空隊(陸攻/豊橋)
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第十四航空艦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1944年3月4日創設、同年7月18日解散。第四艦隊とともに中部太平洋方面艦隊を編制し、テニアン島を拠点として 内南洋各地に展開した。すでにトラック環礁やパラオ諸島は空襲のために基地機能は壊滅しており、ほとんどテニアンに 貼り付けの状態であった。5月にはマリアナ海戦に備えて第一航空艦隊がテニアンに進出。その増強のためにすべての 稼動機を譲渡し、僅か2ヶ月でテニアンの地上戦を待たずに戦闘力を完全に失った。 サイパン島の陥落によって中部太平洋艦隊司令部が玉砕したことを機に、正式に解散した。 編制 1944年3月4日、新編時の編制 ・第22航空戦隊 - 第二〇二海軍航空隊(艦戦/トラック)、第三〇一海軍航空隊(艦戦/硫黄島)、 第五〇三海軍航空隊(艦爆/ヤップ)、第五五一海軍航空隊(天山/テニアン)、 第七五五海軍航空隊(陸攻/テニアン) ・第26航空戦隊 - 第二〇一海軍航空隊(艦戦/サイパン)、第五〇一海軍航空隊(艦攻/サイパン)、 第七五一海軍航空隊(陸攻/カビエン) ・秋津洲 司令長官 1.中部太平洋方面艦隊司令長官兼任(全期間)※南雲忠一中将 歴代参謀長 1.中部太平洋方面艦隊参謀長兼任(全期間)※矢野英雄少将 |
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海上護衛総司令部(海上護衛総隊) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
海上護衛総司令部とは、大日本帝国海軍において太平洋戦争後期に通商護衛を司った部署である。 設置は1943年11月正式な呼称は「海上護衛総司令部」であったが、しばしば海上護衛総隊とも呼ばれ、 また海護総隊とも略称、 南方で獲得した資源を日本本土まで輸送するシーレーンを確保するための防衛戦略が 検討されることはほとんどなかった。 海上交通確保の動きが高まっていき、1943年6月25日兵備局第3課長大石保らの推進で海軍運輸本部、 運輸部が設置される、 そして1943年11月1日海上護衛総司令部が創設された。 1943年12月15日第901海軍航空隊編入。また特設空母4隻の編入も決定された。 活動 1944年8月18日ルソン島北西岸で空母大鷹と最新鋭甲型海防艦3隻で護衛する船団が襲われて、 タンカーなどの輸送船とともに 大鷹もなすすべなく潜水艦に撃沈された。 翌日残った甲型海防艦も3隻ともなすすべなく撃沈された。 8月25日空母雲鷹、9月17日神鷹と撃沈された。被害は増え続け 1944年10月をピークにその後は輸送する船がなくなった。 1945年(昭和20年)になって、西内海方面警護のために第7艦隊が編成された。 1945年3月末以降、石油や希少金属は一切、内地には届かなくなった。開戦前には世界第3位、600万トンの 輸送船を保有していた日本に終戦時残されていた輸送船は、わずかに30万トンであった。
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特設護衛船団司令部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
特設護衛船団司令部(とくせつごえいせんだんしれいぶ)とは、日本海軍が太平洋戦争中に大規模な護送船団の 指揮のために編成した部隊である。 司令官のほかに固有の幕僚・戦闘兵力を持たない点が特色で、船団の運航に際して臨時の参謀を加え 適宜集められた護衛艦艇を 指揮下に入れた。本項目では、固有の戦闘兵力を有する発展的な 護衛専門部隊として、編成された部隊番号100番台の 戦隊についても述べる。
1944年5月2日に第一海上護衛隊へ編入されてヒ船団の護衛に投入されるが、わずか3週間で旗艦が 撃沈されて司令官が戦死する。 司令官 伊集院松治少将(1944年4月8日-同年5月24日戦死) - 最終時にはヒ63船団指揮のため海防艦「壱岐」座乗 ![]()
ついで同じくマリアナ諸島行きの第3503船団を指揮し、その復航の第4517船団では旗艦「朝凪」が 撃沈されるが 司令官以下第24号海防艦により救助される。 司令官の交代後、同年7月23日または24日に小笠原諸島方面への緊急増援輸送のため 再び横須賀鎮守府部隊への 緊急増援輸送のため再び横須賀鎮守府部隊へ編入されるが、 8月に船団護衛任務中に旗艦が撃沈されて司令官以下全滅した。 司令官 清田孝彦少将 高橋一松少将(1944年7月8日-同年8月4日戦死) - 最終時には第4804船団指揮のため駆逐艦「松」座乗 ![]()
前者は輸送からの復航で2隻を失った。その後も司令官が交代しつつマリアナ諸島方面への輸送に従事するが、 第3606船団護衛中に旗艦が撃沈されて着任間もない新司令官を失った。 司令官 鶴岡信道少将(1944年4月8日 門前鼎少将(1944年6月1日-同月9日戦死) - 最終時には第3606船団指揮のため駆逐艦「松風」座乗 ![]()
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海上護衛総司令部附属を経て1944年6月29日に第一海上護衛隊へ編入され、門司・シンガポール間の 船団護衛任務にも従事したが、1945年1月20日に戦時編制から除かれた 司令官 吉富説三少将 ![]()
担当船団に大きな損害を受けた。1944年9月12日に旗艦が撃沈されて司令官が戦死する。 司令官 梶岡定道少将(1944年4月8日-1944年9月12日戦死) - 最終時にはヒ72船団指揮のため海防艦「平戸」座乗 ![]()
海上護衛総司令部附属を 経て第一海上護衛隊に編入 1944年10月から11月には南西方面艦隊の指揮下に移されて多号作戦にも参加したが、1945年2月25日に 第一護衛艦隊の戦時編制から除かれた 司令官 松山光治少将(1944年4月8日 駒沢克己少将(1944年12月23日 ![]()
1945年3月25日に戦時編制から除かれた 司令官 佐藤勉少将(1944年4月15日 |
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海軍陸戦隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
海軍陸戦隊は日本海軍が編成した陸上戦闘部隊である。単に陸戦隊と呼ぶこともある。もともとは恒常的な 部隊ではではなく、艦船の乗員などの海軍将兵を臨時に武装させて編成することを原則としたが、 1930年代には常設的な部隊も誕生した。 太平洋戦争では戦域が拡大するにつれ、島嶼や局地防衛の必要から、特別陸戦隊のほか警備隊や防衛隊などの 称で陸戦隊が次々と編成された。また、海軍独自の空挺部隊(パラシュ−ト部隊)(陸軍の空挺部隊とともに 空の神兵の愛称)や 戦車部隊も保有した。空挺部隊は1942年1月にセレベス島メナドで日本最初の 落下傘降下作戦を実施し、空挺部隊は 1942年1月にセレベス島メナドで日本最初の落下傘降下作戦を実施し、 指揮官の堀内豊秋中佐はその功を讃えられ、 特別に昭和天皇に拝謁した。終戦前には本土決戦に向けて 艦艇部隊などの多くが陸戦隊に改編され、 総兵力は10万人に達していた。 編制 艦船乗員による陸戦隊 昭和18年頃の第2艦隊隷下の水雷戦隊では、第1編制(528人)から第3編制(1268人)まで3パターンの連合陸戦隊が 規定されていた。単艦ごとの部隊は艦名を付して「軍艦長門陸戦隊」、連合陸戦隊ならば「第一艦隊連合陸戦隊」と いうような呼び方をするのが通常である。 特別陸戦隊 特別陸戦隊とは、艦船乗員ではなく、鎮守府の海兵団など陸上部門の人員をもとに編成する陸戦隊のことである。 警備隊 警備隊は、占領地の防衛・治安任務のために編成された専門の陸上部隊である。特別陸戦隊と異なり機動的な 運用は想定されていない。純粋な陸戦隊である陸上警備科(陸警科)と、沿岸用の小型艇を持つ水上警備科(水警科) から成り、規模は中隊から大隊相当で多様、司令は中佐か大佐が一般的であった。 太平洋戦争中には特別陸戦隊を改編するなどして多数が編成され、根拠地隊(後述)や各艦隊の隷下に置かれた。 防空隊 地上戦闘ではなく、基地の防空を任務とする高射砲兵部隊である。 甲編制(高角砲8門)、乙編制(対空機銃24門)、丙編制(高角砲4門・機銃12門)の3種が存在した。 多数が編成されたが、太平洋戦争後期には全て解隊されて警備隊などに編入された。 根拠地隊・特別根拠地隊 拠点を臨時の海軍基地として防衛、管理運営する組織である。根拠地隊は正式には特設根拠地隊の名称で、 特設艦船部隊令にもとづいて編成される。 |
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海軍根拠地隊一覧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第1根拠地隊(I) - 上海 園田滋 少将:1937年12月1日 - 伍賀啓次郎 少将:1938年12月15日 - 1939年11月15日解散 第1根拠地隊(II) - サイゴン 久保九次 少将:1940年11月15日 - 1942年2月11日解散 第1根拠地隊(III)- ブーゲンビル島ブイン。ソロモン諸島北部で活動 板垣盛 少将:1942年10月31日 - 武田勇 少将:1943年11月1日 - 終戦 第2根拠地隊(I) - 広東 鋤柄玉造 少将:1938年9月15日 - 1939年11月15日解散 第2根拠地隊(II) - ボルネオ島 広瀬末人 大佐:1941年1月15日 - 1942年3月10日 解散・第22特別根拠地隊に改編 第2特別根拠地隊 - 東部ニューギニア。第9艦隊の主力部隊の一つとなり、1944年3月に第7根(II)と 合併して第27特根に改編 鎌田道章 少将:1942年12月29日 - (兼)緒方真記 少将:1943年12月10日 - 1944年3月24日解散 第3根拠地隊(I) - 厦門 宮田義一 少将:1938年11月15日 - 1939年11月15日解散 第3根拠地隊(II) - パラオ 1942年4月10日に第3特別根拠地隊と改称 中村一夫 少将:1940年11月15日 - 武田盛治 少将:1942年3月20日 - 1942年4月10日 第3特別根拠地隊(I) - パラオ 武田盛治 少将:1942年4月10日 - 1942年6月15日解散 第3特別根拠地隊(II)- タラワ島 ギルバート諸島の平定後、横須賀第6特別陸戦隊を改編。 タラワの戦いで全滅。1944年1月5日解散 友成佐市郎 少将:1943年2月16日 - 柴崎恵次 少将:1943年7月20日 - 1943年11月25日戦死 第4根拠地隊(I) - 海南島 太田泰治 少将:1939年1月20日 - 1939年11月15日解散 第4根拠地隊(II) - チューク諸島(トラック) 茂泉慎一 少将:1941年8月11日 - 武田盛治 中将:1942年6月15日 - 若林清作 中将:1943年7月15日 - 有馬馨 少将:1944年2月19日 - 第4艦隊長官直率:1944年5月1日 - 終戦 第5根拠地隊(I) - サイパン島 1942年4月10日、第5特別根拠地隊に改編 元泉威 少将:1940年11月15日 - 樋口修一郎 少将:1941年1月15日 - 茂泉慎一 少将:1941年4月10日 - 春日篤 予備役少将:1941年8月11日 - 1942年4月10日 第5根拠地隊(II)- サイパン島 1944年3月1日、第5特別根拠地隊を改編。サイパンの戦いで全滅。 辻村武久 少将:1944年3月1日 - 1944年7月8日戦死 第5特別根拠地隊 - サイパン島 春日篤 予備役少将:1942年4月10日 - 友成佐市郎 少将:1942年9月15日 - 福沢常吉 少将:1943年2月16日 - 辻村武久 少将:1943年10月1日 - 1944年3月1日 第5根拠地隊(II)に改編 第6根拠地隊 - ロイ=ナムル島(ルオット)。 クェゼリンの戦いで隷下の第61警備隊などとともに全滅。 八代祐吉 少将:1941年1月15日 - 1942年2月1日戦死 阿部孝壮 少将:1942年2月5日 - 秋山門造 少将:1943年11月29日 - 1944年2月6日戦死 第7根拠地隊(I) - 父島 1942年6月、父島方面特別根拠地隊に改編 阿部嘉輔 少将:1941年10月1日 - 藤森清一朗 予備役少将:1942年4月10日 - 1942年6月15日 第7根拠地隊(II) - ラエ、 後ウェワク。ラエ・サラモアの戦いに敗れ、サラワケット越えで消耗しながらウェワク転進 第9艦隊の主力部隊の一つとなり、1944年3月に第2特根と合併して第27特根に改編 藤田類太郎 少将:1942年7月14日 - 森国造 少将:1943年9月9日 - 工藤久八 少将:1943年10月25日 - 1944年3月25日 第8特別根拠地隊 - ラバウル 陸警科は舞鶴第2特別陸戦隊を改編したもの 1942年4月10日、第8根拠地隊に改編 金沢正夫 少将:1942年2月1日 - 1942年4月10日 第8根拠地隊 - ラバウル 金沢正夫 少将:1942年4月10日 - 徳永栄 少将:1942年11月29日 - 入船直三郎 少将:1943年11月8日 - 1944年12月1日解散 第9根拠地隊 - ペナン 1942年2月25日、第9特別根拠地隊に改編。スマトラ島西部の防衛を担当 平岡粂一 少将:1941年10月31日 - 1942年2月25日 第9特別根拠地隊 - スマトラ島サバン 平岡粂一 少将:1942年2月25日 - 広瀬末人 少将:1944年2月22日 - 終戦 第10特別根拠地隊 - シンガポール 1942年1月に編成された 奥信一 少将:1942年1月15日 - 山口儀三朗 少将:1942年12月2日 - 今村脩 少将:1943年11月25日 - 終戦 第11特別根拠地隊 - サイゴン 1941年11月に佐世保鎮守府所管で編成され、 フランス領インドシナの防衛担当 1945年5月1日、第11根拠地隊に改編 戸苅隆始 予備役中将:1941年11月20日 - 堀内茂礼 中将:1942年12月4日 - 1943年9月1日 藤田利三郎 中将:1943年9月10日 - 近藤泰一郎 中将:1945年1月2日 - 1945年5月1日 第11根拠地隊 - サイゴン 近藤泰一郎 中将:1945年5月1日 - 終戦 第12特別根拠地隊 - アンダマン諸島 第9根派遣陸戦隊とともにアンダマン攻略後、そのまま守備に就く。 石川茂 少将:1942年2月15日 - 原鼎三 少将:1944年6月26日 - 終戦 第13根拠地隊 - ラングーン ビルマ陥落後にバンコクへ転進。隷下の第12・第13警備隊はシッタン作戦で転進中に全滅 田中頼三 少将:1943年10月1日 - 終戦 第14根拠地隊 - ニューアイルランド島 ブーゲンビル島から撤退した第8連合特別陸戦隊に第83警備隊を合わせて編成 第88警備隊など隷属部隊の一部はアドミラルティ諸島で全滅 大田実 少将:1943年12月1日 - 田村劉吉 大佐:1944年2月10日 - 終戦 第15根拠地隊 - ペナン島 第9根拠地隊司令部のサバン転進後、潜水艦基地として重要なペナンの 指揮系統整理のために、残置部隊が独立した根拠地隊となった。司令部は 第8潜水戦隊司令部が兼ねた。日本潜水艦のほか、ドイツ潜水艦への協力も行った。 (兼)市岡寿 少将:1944年6月20日 - (兼)魚住治策 少将:1944年8月4日 - 魚住治策 少将:1945年2月20日 - 終戦 第21特別根拠地隊 - スラバヤ 久保九次 少将:1942年3月10日 - 伍賀啓次郎 少将:1942年9月25日 - 星野応韶 少将:1943年9月13日 - 田中菊松 少将:1944年11月17日 - 終戦 第22特別根拠地隊 - バリクパパン ボルネオ防衛戦に参加 広瀬末人 少将:1942年3月10日 - 福田良三 中将:1942年10月10日 - 醍醐忠重 中将:1943年11月8日 - 鎌田道章 少将:1944年8月23日 - 終戦 第23特別根拠地隊 - マカッサル 1942年3月10日、佐世保連合特別陸戦隊司令部及び佐世保第2特別陸戦隊を セレベス島駐留用として改編 森国造 大佐:1942年3月10日 - 下村勝美 少将:1942年11月25日 - 大杉守一 少将:1944年1月26日 - 終戦 第24特別根拠地隊 - アンボン 1943年11月30日、第24根拠地隊に改編 畠山耕一郎 少将:1942年12月29日 - 田弥一郎 少将:1943年3月10日 - 1943年11月30日 第24根拠地隊 - フロレス島 1944年9月10日解隊 柴田弥一郎 中将:1943年11月30日 - 福田貞三郎 少将:1944年2月1日 - 1944年9月10日 第25特別根拠地隊 - 1942年末に呉鎮守府で編成され、マノクワリへ 1944年7月にアンボンへ転進 1945年1月10日、第25根拠地隊に改編 長蔵 少将:1942年12月29日 - 長谷真三郎 少将:1944年1月24日 - 1945年1月10日 第25根拠地隊 - アンボン 一部は22特根指揮下でバリクパパン防衛戦に参加 (兼)山縣正郷 中将:1945年1月10日 - 岡田為次 少将:1945年3月10日 - 一瀬信一 中将:1945年6月9日 - 終戦 第26特別根拠地隊 - ハルマヘラ島カウ 西部ニューギニア防衛のため1943年11月編成。 ワクデ島などに派遣隊を送り、マノクワリに第18警備隊を置く 横川市平 少将:1943年11月1日 - 一瀬信一 中将:1944年5月25日 - 1945年5月29日解散 第27特別根拠地隊 - 東部ニューギニアのカイリル島 1944年3月に第2特根と第7根を改編 隷下の第90警備隊はホーランジアの戦いで全滅 第28特別根拠地隊 - ビアク島 ビアク島の戦いで全滅 千田貞敏 少将:1944年5月1日 - 1944年8月25日戦死 第30特別根拠地隊 - パラオ 1944年3月1日、第30根拠地隊に改編 伊藤賢三 少将:1944年1月10日 - 1944年3月1日 第30根拠地隊 - パラオ 1944年5月頃には第43警備隊や特設掃海艇などを有した 伊藤 賢三 少将:1944年3月1日 - 終戦 第31特別根拠地隊(I) - マニラ 小林徹理 少将:1942年1月3日 - 1943年2月20日解散 第31特別根拠地隊(II)- マニラ マニラ海軍防衛隊の基幹部隊としてマニラ市街戦を展開。 有馬馨 少将:1944年9月10日 - 兼)有馬馨 少将:1944年11月1日 - 岩淵三次 少将:1944年11月17日 - 1945年2月26日戦死 第32特別根拠地隊 - 太平洋戦争開始時には第3艦隊隷下で、南方作戦後はダバオを守備 ミンダナオ島防衛戦に参加 入船直三郎 少将:1941年11月20日 - 代谷清志 少将:1943年3月15日 - 土井直治 少将:1944年10月6日 - 終戦 第33特別根拠地隊 - セブ島。 セブ島の戦いに参加 原田覚 少将:1944年8月5日 - 1945年9月25日戦病死 第51根拠地隊 - キスカ島。 1942年9月に第5警備隊を基幹に創設、創設時には第5警備隊、第5航空隊、 第51通信隊を有した。キスカ島撤退作戦で撤収し解隊。 秋山勝三 少将:1942年9月15日 - 1943年8月5日 第52根拠地隊 - 大湊。 機雷敷設艦「常磐」を旗艦とし、第52砲艇隊、第52掃海隊、第41号・第43号駆潜艇を有する 水井静治 少将:1943年5月1日 - 1944年1月20日解散 高雄方面根拠地隊 - 高雄 黒瀬浩 少将:1945年5月1日 - 終戦 上海方面根拠地隊 - 上海。 一時期、司令官は上海海軍特別陸戦隊司令官を兼任(1941〜1944年8月)。 平岡粂一 少将:1941年5月1日 - 牧田覚三郎 少将:1941年9月15日 - 大野一郎 少将:1942年2月14日 - 畠山耕一郎 少将:1943年6月1日 - 鈴木長蔵 少将:1944年3月20日 - 森徳治 少将:1944年8月18日 - 終戦 沖縄方面根拠地隊 - 沖縄島。 司令部は第4海上護衛隊司令部を兼任(〜1945年2月)。 沖縄戦に参加。1945年7月30日に解散 (兼)新葉亭造 少将:1944年4月10日 - (兼)大田実 少将:1945年1月20日 - 大田実 少将:1945年2月25日 - 1945年6月13日戦死 大島方面根拠地隊 - 1942年1月解散 大野一郎 少将:1941年10月1日 - 1942年1月15日 千島方面特別根拠地隊 - 千島列島。 1943年に千島方面根拠地隊に改編 新葉亭造 少将:1945年2月25日 - 1944年1月1日 千島方面根拠地隊 - 千島列島。1945年6月18日に解散 久保九次 少将:1944年1月1日 - 1945年6月15日 父島方面特別根拠地隊 - 父島 藤森清一朗 予備役少将:1942年6月15日 - 中邑元司 少将:1942年11月1日 - 森国造 少将:1944年2月15日 - 終戦 漢口方面特別根拠地隊 - 漢口 小林仁 少将:1939年11月15日 - 松永次郎 少将:1940年11月15日 - 一瀬信一 少将:1941年8月11日 - 1942年1月15日解散 広東方面特別根拠地隊 - 広州。 太平洋戦争中に香港へ転進し、香港方面特別根拠地隊に改称。 副島大助 少将:1939年11月15日 - 井上保雄 少将:1941年9月1日 - 1941年12月26日 香港方面特別根拠地隊 - 香港 井上保雄 中将:1941年12月26日 - 安場保雄 少将:1942年3月10日 - 小畑長左衛門 大佐:1942年9月1日 - 大熊譲 大佐:1943年10月19日 - 終戦 廈門方面特別根拠地隊(I) - 廈門 牧田覚三郎 少将:1939年11月15日 - 大野一郎 少将:1940年10月15日 - 畠山耕一郎 少将:1941年9月1日 - 1942年1月15日解散 廈門方面特別根拠地隊(II)- 廈門 原田清一 少将:1942年11月1日 - 終戦 青島方面特別根拠地隊(I) - 青島 大島四郎 少将:1939年11月15日 - 金子繁治 大佐:1941年4月10日 - 緒方真記 大佐:1941年5月24日 - 大杉守一 大佐:1941年8月20日 - 1942年4月10日 青島方面特別根拠地隊(II)- 青島。 第3遣支艦隊を改編 桑原虎雄 少将:1942年4月10日 - 藤田類太郎 大佐:1943年11月10日 - 金子繁治 少将:1945年1月29日 - 終戦 旅順方面特別根拠地隊 - 旅順。 満州国海上警察隊を協力部隊として対潜警備を実施していた 中村重一 予備役少将:1942年1月15日 - 原顕三郎 中将:1942年11月15日 - 山口儀三朗 中将:1944年1月15日 - 小林謙五 中将:1945年4月20日 - 終戦 羅津根拠地隊 - 羅津。 1942年5月20日、羅津方面特別根拠地隊に改編 鋤柄玉造 少将:1941年10月1日 - 1942年5月20日 羅津方面特別根拠地隊 - 羅津 鋤柄玉造 中将:1942年5月20日 - 梶岡定道 少将:1942年9月1日 - 高橋一松 大佐:1943年10月10日 - 土井直治 少将:1944年6月25日 - 欠 :1944年9月20日 - 堀勇五郎 少将:1945年3月20日 - 1945年7月25日解散 元山方面特別根拠地隊 - 元山 堀勇五郎 少将:1945年7月25日 - 終戦 馬公方面特別根拠地隊 - 馬公。馬公警備府を改編 片原常次郎 予備役大佐:1943年4月1日 - 相馬信四郎 少将:1945年7月15日 - 終戦 揚子江方面特別根拠地隊 - 漢口。 第1遣支艦隊を改編 大野一郎 中将:1943年8月20日 - 畠山耕一郎 中将:1944年3月20日 - 澤田虎夫 中将:1944年11月21日 - 終戦 海南島根拠地隊 - 海南島。 海南警備府に改編 福田良三 少将:1939年11月15日 - 井上保雄 少将:1940年11月15日 - 1941年4月10日 |
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大日本帝国海軍航空隊一覧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
母艦飛行機隊 航空母艦「鳳翔」飛行機隊・ 航空母艦「赤城」飛行機隊・ 航空母艦「加賀」飛行機隊・ 航空母艦「龍驤」飛行機隊 航空母艦「鳳翔」飛行機隊・ 航空母艦「赤城」飛行機隊・ 航空母艦「加賀」飛行機隊・ 航空母艦「龍驤」飛行機隊 航空母艦「祥鳳」飛行機隊・ 航空母艦「瑞鳳」飛行機隊・ 航空母艦「隼鷹」飛行機隊・ 航空母艦「飛鷹」飛行機隊 航空母艦「龍鳳」飛行機隊 水上機母艦「若宮」飛行機隊・ 水上機母艦「能登呂」飛行機隊・ 水上機母艦「神威」飛行機隊 水上機母艦「千歳」飛行機隊・ 水上機母艦「千代田」飛行機隊・ 水上機母艦「瑞穂」飛行機隊 水上機母艦「神川丸」飛行機隊・ 水上機母艦「聖川丸」飛行機隊・ 水上機母艦「君川丸」飛行機隊 水上機母艦「国川丸」飛行機隊・ 水上機母艦「相良丸」飛行機隊・ 水上機母艦「香久丸」飛行機隊 水上機母艦「山陽丸」飛行機隊・ 水上機母艦「讃岐丸」飛行機隊
美幌海軍航空隊(のち第七〇一海軍航空隊(I)) 日本海軍の部隊の一つ。六番目の陸上攻撃機部隊として、太平洋戦争序盤より中盤にかけて最前線で爆撃・攻撃・ 偵察行動に従事した。昭和17年)11月1日に初代第七〇一海軍航空隊と改称。 昭和15年10月1日 木更津で開隊。大湊要港部隷下 昭和18年1月29日 レンネル島沖海戦で夜間索敵・薄暮攻撃。巡洋艦「シカゴ」を大破(のちの 水雷戦でシカゴ撃沈)。 3月15日 解隊 歴代司令 近藤勝治 大佐:昭和16年3月5日- 藤野豊:昭和17年3月20日- 不詳:昭和17年10月1日- ![]() 千歳海軍航空隊 (第七〇三海軍航空隊) 軍の部隊の一つ。初の北方航空隊、また第四の陸上攻撃機部隊として、太平洋戦争序盤より中盤にかけて 最前線で 爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。昭和17年)11月1日に第七〇三海軍航空隊に改称。 昭和14年(1939年):木更津飛行場で開隊。大湊要港部隷下。 昭和17年6月5日 ミッドウェー海戦惨敗。敵機動部隊を探索するが発見せず。 11月1日 「第七〇三海軍航空隊」に改称 昭和18年3月15日 解隊 歴代司令 大橋富士郎 大佐:昭和16年9月15日 - 昭和18年3月15日解隊 ![]() 三沢海軍航空隊 (第七〇五海軍航空隊) 日本海軍の部隊の一つ。陸上攻撃機の実戦部隊として開かれ、太平洋戦争末期を除く期間に最前線で 爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。 昭和17年)11月1日には第七〇五海軍航空隊と改称している 昭和19年)9月1日に予科練教育部隊として二代三沢空が設置されている。 昭和17年2月10日 木更津飛行場で開隊、大湊警備府附属で北方部隊に編入 12月1日 第七〇七海軍航空隊解隊、要員を編入 昭和19年10月1日 解隊 歴代司令 菅原正雄:昭和17年2月10日− 小西成三 大佐:昭和17年12月10日− 不詳:昭和18年7月15日− 篠田太郎八 大佐:昭和19年5月24日−昭和19年10月1日解隊 二代 三沢海軍航空隊 昭和19年9月1日 開隊。第19練習連合航空隊隷下。土浦海軍航空隊より甲飛14期前期450名転入。 昭和20年3月1日 19連空解散。大湊警備府附属に転籍。甲飛第14期の一部、土浦空より転入 6月30日 解隊 歴代司令 肥後武雄(昭和19年9月1日−) ![]() 木更津海軍航空隊 (第七〇七海軍航空隊) 日本海軍の部隊の一つ。鹿屋海軍航空隊と同時に開かれた日本初の陸上攻撃機部隊として、 日中戦争序盤・中盤と 太平洋戦争序盤は爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。 1942年(昭和17年)11月1日に第七〇七海軍航空隊と改称し、 翌12月1日に七〇五空へ編入されて解隊した。 昭和11年4月1日 開隊。横須賀鎮守府隷下。陸上攻撃機12機配備 11月1日 「第七〇七海軍航空隊」に改称 12月1日 解隊 歴代司令 前原富義:昭和17年3月20日 - 藤吉直四郎 大佐:昭和17年4月1日 - 小西康雄:昭和17年10月19日 - 昭和17年12月1日解隊 ![]() 横浜海軍航空隊 (第八〇一海軍航空隊) 1942年11月1日より改称した第八〇一海軍航空隊は、日本海軍の部隊の一つ。海軍初の飛行艇部隊として、 外洋偵察・哨戒行動に従事した。 昭和11年10月1日 開隊(飛行艇12機)。横須賀鎮守府所属 昭和17年11月1日 第八〇一海軍航空隊に改称。再び二五航戦に編入され、ラバウルへ進出 歴代司令 宮崎重敏 大佐:昭和17年4月20日-昭和17年8月7日ツラギ島奇襲戦で戦死 和田三郎:昭和17年11月1日- 菊岡徳次郎:昭和17年12月15日- 竹中正雄:昭和19年10月10日- 江口英二:昭和20年3月1日-解隊 ![]() 豊橋海軍航空隊(I)(のち第七〇一海軍航空隊(II)) 日本海軍の部隊の一つ。陸上攻撃機要員の練成部隊として開かれたが、急遽実施部隊に変更され、 太平洋戦争終盤に最前線で爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。昭和19年)2月20日に、 第七〇一海軍航空隊に改称 昭和18年4月1日 開隊。第十一航空艦隊。陸上攻撃機60機配備 7月1日 厚木海軍航空隊と練成戦隊「第五一航空戦隊」を編成、第一二航空艦隊に編入 歴代司令 柴田文三(昭和18年4月1日-) 山田豊(昭和19年2月15日-) 木田達彦(昭和19年9月5日-) 榎尾義男(昭和20年5月29日-終戦後武装解除) ![]() 鹿屋海軍航空隊(I)(のち第七五一海軍航空隊) 日本海軍の航空部隊の一つ。戦闘機・陸上攻撃機部隊として、日中戦争・太平洋戦争で攻撃任務に従事した。 昭和17年)11月1日に戦闘機部隊を分離し、第七五一海軍航空隊に改称された 昭和11年)4月1日、鹿児島県鹿屋基地において開隊 昭和16年)12月8日、太平洋戦争開戦。開戦当初は連合艦隊第十一航空艦隊第二一航空戦隊所属で、 主に搭乗員の練成 昭和17年)9月、カビエン・ラバウルに進出、以後ソロモン・東部ニューギニア戦線での活動に当たった。 司令 近藤勝治 大佐:1942年4月1日 - 9月27日 小田原俊彦 大佐:1942年9月27日 - 10月1日 第七五一海軍航空隊 昭和17年)10月1日、海軍の航空隊再編にともない第七五一海軍航空隊に改称された。 昭和19年)2月、米機動部隊のマリアナ諸島空襲を迎え実動15機中11機を失う。6月あ号作戦により全機損失、 7月10日解隊した。 司令 小田原俊彦 大佐:1942年10月1日 - 1943年3月29日 鹿屋海軍航空隊 (二代) 昭和17年)10月1日、艦上攻撃機・艦上爆撃機要員の飛行練成部隊として、鹿屋基地に 二代目鹿屋海軍航空隊が開隊した。 ![]() 元山海軍航空隊(I)(のち第七五五海軍航空隊) 日本海軍の部隊の一つ。1940年(昭和15年)に第十五海軍航空隊を改編して編成された。 編成地は現在の北朝鮮・元山(ウォンサン)。昭和17年)9月20日に、戦闘機隊を第二五二海軍航空隊として 分離し、陸上攻撃機専門部隊となった。同年11月1日第七五五海軍航空隊に改称した。 なお、太平洋戦争終盤に、戦闘機搭乗員を養成する訓練部隊として二代目の元山海軍航空隊が編成された 昭和15年10月1日 元山航空隊が第十五航空隊を基幹戦力として開隊(陸攻48・艦戦48)。 昭和16年1月15日 第十一航空艦隊を新編、二連空は第二十二航空戦隊に改編。 昭和17年4月20日 陸攻隊、ラバウルへの転戦開始。 11月1日 「第七五五海軍航空隊」に改称 昭和19年1月1日 二二航戦は第四艦隊に転籍 歴代司令 前田孝成:昭和16年10月1日− 嘉村栄:昭和17年11月1日− 楠本幾登:昭和19年3月4日−7月10日解隊 ![]() 高雄海軍航空隊(I)(のち第七五三海軍航空隊) 日本海軍の部隊の一つ。木更津海軍航空隊・鹿屋海軍航空隊に続く3番目の陸上攻撃機部隊として、 日華事変中盤から 太平洋戦争後期にかけて爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。 昭和17年)11月1日には第七五三海軍航空隊と改称している。昭和19年)7月に解隊。 昭和13年4月1日 開隊。第二連合航空隊に編入 昭和16年12月8日 太平洋戦争勃発。ルソン島イバ飛行場を27機で爆撃 歴代司令 久邇宮朝融王 大佐:昭和17年3月20日 - 梅谷薫 大佐:昭和17年10月5日−昭和19年7月10日解隊 ![]() 東港海軍航空隊(のち第八五一海軍航空隊) 1942年11月1日より改称した第八五一海軍航空隊は、日本海軍の部隊の一つ。横浜海軍航空隊に続く第二の 飛行艇部隊として外洋偵察・哨戒行動に従事した。 昭和15年11月15日、高雄市南郊の東港鎮の大潭(大鵬湾潟湖)を浚渫して駐機プールを建設し、 浜空の要員を分派して東港海軍航空隊を開いた。 昭和15年11月15日 開隊。同時に第二十一航空戦隊(連合艦隊直卒)に編入。横空より8機割譲。 昭和18年9月20日 二八航戦は新編した第十三航空艦隊に転籍 歴代司令 三浦艦三 中佐:昭和16年9月25日- 和田三郎:昭和17年12月22日- 三田国雄:昭和19年7月10日-昭和19年9月20日解隊 ![]() 台南海軍航空隊(I)(のち第二五一海軍航空隊) 1941年10月1日太平洋戦争開戦直前、第一航空隊戦闘機隊を母体に戦闘機航空隊として発足した 12月8日の開戦時には台湾から出撃しフィリピン航空撃滅戦に従事。 当時の日本航空隊の中では最も会戦機会の多い部隊であった。西沢広義・坂井三郎・笹井醇一・ 太田敏夫・羽藤一志ら数多くのエースパイロットを輩出したが、その一方で損耗率も高く、多くの搭乗員を失った。 開隊時主要幹部 司令:斎藤正久大佐:1941.10.4 - 1942.12.15 副長兼飛行長:小園安名中佐 飛行隊長:新郷英城大尉 先任分隊長:浅井正雄大尉 任搭乗員:坂井三郎一飛曹 |
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内戦作戦実施部隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大湊海軍航空隊 昭和15年10月1日 木更津で開隊。大湊要港部隷下、11月15日 第二連合航空隊。 木更津飛行場を拠点に訓練に従事 昭和17年)11月1日に初代第七〇一海軍航空隊と改称 日本海軍の部隊の一つ。大湊要港部および千島列島〜三陸沖の偵察・対潜哨戒・船団護衛を担った偵察部隊。 昭和19年12月15日 内戦作戦航空隊を改編、九〇三空に編入され大湊派遣隊に変更。 歴代司令 不詳:昭和16年6月25日−昭和19年12月15日九〇三空に統合 ![]() 横須賀海軍航空隊 大正5年横須賀海軍航空隊が神奈川県横須賀市追浜に開隊した。 昭和19年)2月より実戦配備につく。6月15日、あ号作戦発動にともない、第27航空戦隊と八幡空襲部隊を編成し、 マリアナ方面の後詰として硫黄島へ進出した。 歴代司令 草鹿龍之介 少将:1942年11月23日 - 山田定義 少将:1943年12月6日 - 吉良俊一 中将:1944年3月15日 - 服部勝二 少将:1944年7月10日 - 加藤唯雄 大佐:1944年9月29日 - 松田千秋 少将:1945年3月20日 - ![]() 館山海軍航空隊 昭和5年)6月1日 開隊。横須賀鎮守府隷下。艦上攻撃機・水上偵察機を装備 第九〇三海軍航空隊 昭和19年)12月15日をもって、日本各地で対潜哨戒を担当していた航空隊は、東日本の九〇三空と西日本の 第九五一海軍航空隊に集約されることとなった 大湊海軍航空隊 父島海軍航空隊 串本海軍航空隊 小松島海軍航空隊 歴代司令 安藤栄城 大佐:昭和17年3月20日 - 山県駿二:昭和17年8月15日 - 田元成:昭和18年1月22日 - 高橋農夫吉 大佐:昭和18年10月1日 - 中村達夫:昭和19年6月10日 - 野元為輝 少将:昭和19年12月15日 − 戦後解隊 …司令官 二代館山海軍航空隊 鬼塚武二大佐を司令として、1945年(昭和20年)3月15日に開かれた最後の内戦航空隊である ![]() 父島海軍航空隊 ![]() 串本海軍航空 日本海軍の部隊の一つ。大阪警備府および熊野灘〜紀伊水道口の偵察・対潜哨戒・船団護衛を担った偵察部隊 昭和17年12月1日 開隊。大阪警備府隷下。定数・水上偵察機8機 昭和19年12月15日 内戦作戦航空隊を改編、九〇三空に編入され串本派遣隊に変更 ![]() 呉海軍航空隊 軍航空隊・佐世保海軍航空隊に次いで開かれた三番目の海軍鎮守府直率の海軍航空隊である。 昭和6年6月1日 広分遣隊を独立、呉海軍航空隊開隊 歴代司令 和田三郎:昭和16年8月11日− 堀江朝茂:昭和17年4月20日− 篠田太郎八 大佐:昭和18年6月20日− 不詳:昭和19年5月2日−昭和20年5月5日解隊 ![]() 佐伯海軍航空隊 日本海軍の部隊の一つ。瀬戸内海奥に位置する呉軍港から太平洋に出撃する艦艇が航行する豊後水道の 安全確保を図るため、上空哨戒を行う航空隊である。ほぼ全期間を呉鎮守府部隊として 豊後水道の哨戒に専念した。 昭和9年12月1日 開隊。呉鎮守府隷下 歴代司令 浜田武夫:昭和18年2月25日− 長井満 大佐:昭和18年12月25日− 梅谷薫 大佐:昭和19年7月10日− 三田国雄:昭和20年1月1日− 野村勝:昭和20年5月頃−戦後解隊 ![]() 佐世保海軍航空隊(のち第九五一海軍航空隊) 日本海軍の部隊の一つ。横須賀海軍航空隊に次いで開かれた二番目の海軍航空隊である 昭和19年12月15日に、西日本の哨戒航空隊を統合した第九五一海軍航空隊の主力隊に変容した。 本稿では統合後の九五一空も合わせて述べる 大正9年12月1日 開隊。 第九五一海軍航空隊 昭和19年12月15日をもって、日本各地で対潜哨戒を担当していた航空隊は、西日本の九五一空と東日本の 第九〇三海軍航空隊に集約されることとなった。 舞鶴海軍航空隊 舞鶴鎮守府隷下の航空隊で、太平洋戦争時は串本・沖縄・旅順など各地の哨戒航空隊を増援することが多かった。 鎮海海軍航空隊 鎮海警備府隷下の航空隊で、哨戒航空隊としては数少ない艦上攻撃機部隊でもあったことから、 沖縄方面に派遣されて中距離哨戒に従事することが多かった。 沖縄海軍航空隊 沖縄の小禄飛行場をはじめ南西諸島各地に展開した部隊だが、不明 第四五三海軍航空隊 指宿水上機基地に駐留する部隊で、連合艦隊隷下で水上機搭乗員養成を担った宿毛海軍航空隊を 実戦化したもの。当時最先端の磁気探知機を導入した数少ない精鋭部隊であった。 第二五六海軍航空隊 上海基地に駐留する戦闘機・攻撃機の混成隊で、編制当初より上海の防空とともに台湾海峡の 哨戒・掃討を任務としていた 九五一空の年譜 昭和19年12月17日 S作戦発動。九州西方〜北西海域の対潜掃討のため、水偵13機・陸上攻撃機2機を投入 昭和20年5月15日 規模縮小。佐世保(水偵12機)・指宿(水偵12機)・大村(陸攻3機)に集約。 昭和20年7月1日 司令官制度を廃止。藤原喜代間司令官転出 ![]() 舞鶴海軍航空隊 日本海軍の部隊の一つ。軍都・舞鶴の防衛及び日本海側の各都市の防空のために設置された防衛部隊。 昭和10年)10月1日、舞鶴要港部にほど近い舞鶴湾口の京都府与謝郡栗田村の海岸に水上偵察機用の 施設を設置し、 日本海沿岸の航空隊としては初めて半個隊6機編成で開隊した。 昭和17年12月1日 串本海軍航空隊開隊につき、原隊復帰準備 昭和19年12月15日 解隊 第九五一海軍航空隊の舞鶴派遣隊に改編され 歴代司令 篠崎長帥:昭和17年12月− 宇宿主一:昭和18年10月1日− 清宮善高:昭和19年6月1日−昭和19年12月15日九五一空に編入 ![]() 鎮海海軍航空隊 日本海軍の部隊の一つ。鎮海要港部・鎮海警備府に属し、朝鮮半島沿岸・黄海・対馬海峡の 偵察・対潜哨戒・船団護衛を 担った偵察部隊。朝鮮半島南部の鎮海に開かれた 昭和11年10月1日 開隊。鎮海要港部隷下。定数・水上偵察機8機 昭和19年12月15日 内戦作戦航空隊を改編、九五一空に編入され鎮海派遣隊に変更 歴代司令 青木節二:昭和19年5月1日−昭和19年12月15日九五一空に統合 ![]()
松島海軍航空隊(旧宮崎海軍航空隊)(陸上攻撃機) 筑波海軍航空隊(戦闘機 昭和9年8月15日 霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊発足、末期には特別攻撃隊を編成筑波隊は64名のうち55名が突入して壊滅した。 神ノ池海軍航空隊(戦闘機) 岡村基春(昭和19年2月15日 - ) 昭和19年、海軍は茨城県鹿島郡鹿島町に開設 谷田部海軍航空隊(II)(戦闘機) 福田太郎(昭和19年5月2日 - 谷田部移転後も留任) 神ノ池飛行場は桜花と一式陸上攻撃機に占有されたうえ谷田部に移転せざるを得なくなった。 豊橋海軍航空隊(II)(陸上攻撃機) 厚木海軍航空隊(のち第二〇三海軍航空隊) 大井海軍航空隊(偵察機) 名古屋海軍航空隊(艦上攻撃機) 鈴鹿海軍航空隊(偵察機) 徳島海軍航空隊(戦闘機) 小松島海軍航空隊(偵察機) 博多海軍航空隊(偵察機) 大分海軍航空隊(戦闘機) 宇佐海軍航空隊(艦上攻撃機) ![]()
北東海軍航空隊 大橋恭三(昭和20年5月25日 - 戦後解隊) 昭和19年10月1日に編成された。美幌飛行場を拠点とし、北海道・千島列島各地の飛行場を管轄した。 馬来海軍航空隊 篠田太郎八 大佐:昭和19年10月1日 - 戦後解隊 昭和19年10月1日に編成された。ペナン島飛行場を拠点とし、マレー半島・スマトラ島各地の飛行場を管轄した。 東印海軍航空隊 是枝操(昭和19年10月1日 - 戦後解隊) 昭和19年10月1日に編成された。ジャワ島スラバヤ飛行場を拠点とし、中部蘭印各地の飛行場を管轄した。 北菲(ほくひ)海軍航空隊 古瀬貴季 大佐:昭和19年11月15日菲島空司令より留任 - 戦後解隊 昭和19年11月15日に三分割された「菲島海軍航空隊」の基幹部隊。ニコルスを拠点にルソン島基地の防衛を継続した。 中菲(ちゅうひ)海軍航空隊 根来茂樹(昭和19年11月15日 - 戦後解隊) セブ島を拠点とし、セブ島基地の防衛を継続した。分割した頃には、機体はほぼ払底しており、稼動機は皆無だった。 南菲海軍航空隊 前田孝成(昭和19年11月15日 - 戦後解隊) ミンダナオ島を拠点とし、ミンダナオ島基地の防衛を継続した。陸戦要員として終戦まで戦闘を続けた。 中支海軍航空隊 梅崎卯之助(昭和20年2月20日 - 戦後解隊) 昭和20年2月20日に編成された乙航空隊のひとつ。上海を拠点とし、揚子江流域各地の飛行場を管轄した。 西海海軍航空隊 糸永冬生(昭和20年7月15日 - 戦後解隊) 昭和20年3月20日に編成、航空隊を統括するために大分飛行場を拠点として設置された。 山陰海軍航空隊 櫛引誠雄(昭和20年5月5日 - 戦後解隊) 昭和20年5月5日に編成、小松飛行場を拠点として設置された。 内海海軍航空隊 森敬吉少将(昭和20年5月10日 - 戦後解隊) 昭和20年5月10日に編成。本隊は愛媛県の松山基地に置かれた。 印度支那海軍航空隊 埴田照之:20年5月16日 - 戦後解隊 昭和20年5月15日に編成、サイゴン近郊のツダウム飛行場を拠点とし、ベトナム各地の飛行場を管轄した。 朝鮮海軍航空隊 近藤勝治 少将:昭和20年6月10日 - 戦後解隊 昭和20年6月10日に編成、釜山飛行場を拠点として設置された。 北台海軍航空隊 鈴木由次郎(昭和20年6月15日台湾空司令より留任 - 戦後解隊) 昭和20年6月15日引き続き新竹を拠点に台湾北部に駐留した。 南台海軍航空隊 伊藤信雄(昭和20年6月15日 - 戦後解隊) 昭和20年6月15日に「台湾海軍航空隊」を分割した乙航空隊のひとつ。高雄を拠点に台湾南部に駐留した。 奥羽海軍航空隊 関郁乎 少将:昭和20年6月20日 - 戦後解隊 昭和20年6月20日に「関東海軍航空隊」を分割した乙航空隊のひとつ。神町飛行場を拠点に東北各地に駐留した 東海海軍航空隊 江島久雄(昭和20年6月20日 - 戦後解隊) 昭和20年6月20日に「関東海軍航空隊」を分割した乙航空隊のひとつ。明治飛行場を拠点に東海各地に駐留した。 近畿海軍航空隊 佐藤治三郎(昭和20年7月15日 - 戦後解隊) 昭和20年7月15日に編成した最後の乙航空隊。柳本飛行場(天理市)を拠点に近畿各地に駐留した。 |
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護衛戦隊一覧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第101戦隊 1944年11月15日編成。1945年1月12日にヒ86船団護衛中にグラティテュード作戦によるアメリカ機動部隊の空襲を 受けて壊滅。同年3月25日に戦時編制から除かれ、残存艦は第一護衛艦隊に編入された。 新編時の編制:軽巡洋艦「香椎」、海防艦「対馬」・「大東」・「鵜来」・第23号・第27号・第51号 司令官:渋谷紫郎少将( -1945年1月12日戦死) ![]() 第102戦隊 1945年1月1日編成。第一護衛艦隊隷下で船団護衛や対潜作戦に従事。第35号海防艦は第101戦隊が壊滅したのと 同じグラティテュード作戦による空襲で沈没。「御蔵」と第33号海防艦は、1945年3月28日にアメリカ潜水艦「トリガー」を 撃沈したが、同日に空襲や別の潜水艦との交戦で沈没した。 新編時の編制:軽巡洋艦「鹿島」、海防艦「屋代」・「御蔵」・第2号・第33号・第34号・第35号 司令官:浜田浄少将 ![]() 第103戦隊 1945年1月20日編成。第一護衛艦隊隷下で南号作戦による船団護衛に従事し、「久米」・「昭南」・第18号海防艦を失う。 南方航路閉鎖後は朝鮮海峡での対潜作戦にも従事し、第25号海防艦を失った。 新編時の編制:駆逐艦「春月」、海防艦「昭南」・「久米」・第18号・第25号・第60号・第67号 司令官:久宗米次郎少将 ![]() 第104戦隊 1945年4月10日編成。大湊警備府部隊として日本海北部やオホーツク海で行動し、津軽海峡や宗谷海峡を防備。 寒冷地での行動に適した占守型海防艦と択捉型海防艦で構成されている。アメリカ潜水艦によるバーニー作戦で 「笠戸」が大破させられた。 新編時の編制:海防艦「占守」・「国後」・「八丈」・「択捉」・「福江」・「笠戸」 ![]() 第105戦隊 1945年5月5日編成,舞鶴鎮守府護衛部隊として日本海で行動し、アメリカ潜水艦のバーニー作戦に対処、 日号作戦に従事, 北海道空襲で第65号海防艦と第112号海防艦を失った。 新編時の編制:駆逐艦「響」、海防艦第12号・第40号・第65号・第112号・第150号・第205号 司令官:松山光治少将 |
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大日本帝国海軍航空隊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭和16年)4月、海軍の空母群を一つに集約した強力な打撃部隊として、第一航空艦隊が編成された 。 日本軍は合計10隻の空母を保有しており、その内の6隻は艦隊空母、4隻は小型・改装空母であった。 1941年1月、外地方面担当の基地航空部隊として第十一航空艦隊が編成された。 開戦時の航空兵力 開戦時、帝国海軍航空隊は2900機以上の航空機を定数としていた 内訳 連合艦隊 艦戦360機、艦爆144機、艦攻200機、陸攻324機、飛行艇48機、陸偵22機 水偵251機。計1346機。他に輸送機など 支那方面艦隊 21機(主に水偵) 内戦部隊 1618機(主に練習機) |
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終戦直前の海軍組織 |
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海軍総隊
昭和20年5月25日に行われた最初の編成 指揮官=第31戦隊司令官鶴岡信道少将 第11戦隊
昭和20年7月15日の最終的な編成 指揮官=第31戦隊司令官松本毅少将 第31戦隊
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海軍情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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