九五式戦闘機 キ10 呼称・略称は九五戦 川崎航空機 |
全幅 |
10.02m |

陸軍最後の複葉戦闘機であり、主に日中戦争(支那事変)
初期の主力戦闘機として使用された
|
全長 |
7.55m |
全高 |
3.00m |
自重 |
1,360kg |
最高速度 |
400km/h |
航続距離 |
1,100km(落下タンク有)/1,620km(正規) |
武装 |
7.7mm機関銃X2挺 |
|
(携行弾数各270発) |
爆装 |
翼下30kg~250kg爆弾2発 |
生産数 |
5,751機 |
乗員 |
1名 |
|
九七式戦闘機 キ27 略称・呼称は九七戦 中島飛行機 |
全幅 |
11.31m |
陸軍初の低翼単葉戦闘機として、1940年前後の
主力戦闘機として使用された。
|
全長 |
7.53m |
全高 |
3.28m |
自重 |
970kg |
最高速度 |
最大速度:460km/h |
航続距離 |
航続距離:700km |
武装 |
7.7mm機関銃(八九式固定機関銃) |
|
×2(携行弾数各500発 |
爆装 |
250kg×4 |
生産数 |
3386機 |
乗員 |
1名 |
九五式戦の後継機として昭和13年4月実戦参加する。 |
1939年(昭和14年)、日本軍とソ連軍がモンゴルで2度に渡って戦った |
太平洋戦争開戦時、一式戦の配備の遅れから数の上では九七戦が陸軍主力戦闘機であった。 |
末期には他の機体と同様に特攻機に転用され、多くの若年操縦者が操縦の容易な |
九七戦に爆弾を搭載し出撃している。 |
|
一式戦闘機 キ43 愛称:隼 中島飛行機 |
全幅 |
10.837m |

九七式戦の後継機として昭和12年12月開発を開始
昭和16年12月8日マレーで初戦果を挙げ、
大戦全期間を通じて第一戦として活躍する。
太平洋戦争における事実上の主力機として使用された。
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全長 |
8.92m |
全高 |
3.085m |
自重 |
1,975kg |
最高速度 |
後期型:548km/h/6,000m |
航続距離 |
3,000km(落下タンク有)/1,620km(正規) |
武装 |
機首12.7mm機関砲(ホ103)2門 |
(携行弾数各270発) |
爆装 |
翼下30kg~250kg爆弾2発 |
生産数 |
5,751機 |
乗員 |
1名 |
加藤隼戦闘隊こと第64戦隊の戦隊長として南方作戦で活躍し軍神と称された加藤建夫少将が有名
|
二式戦闘機 キ44 愛称は鍾馗(しょうき) 中島飛行機 |
全幅 |
9.448m |

本機は帝国陸軍が採用した最初の遊撃戦闘機である。
昭和13年開発開始、初飛行:1940年10月
昭和17年1月シンガポールにて初戦果を挙げる
1942年12月には性能向上した二型(キ44-II)が量産
|
全長 |
8.85m |
全高 |
3.248m |
自重 |
2,109kg |
最高速度 |
605km/h(高度5,200m) |
航続距離 |
1,600km(落下タンク有) |
武装 |
胴体12.7mm機関砲二門 弾数各250発 |
|
翼内12.7mm機関砲2門 弾数各250発 |
爆装 |
30kg~100kg爆弾2発または250kg爆弾1発 |
生産数 |
1225機 |
乗員 |
1名 |
太平洋戦争緒戦の南方作戦に従軍し、インドシナ、マレー、ビルマと転戦したが、補助タンクを装備しても
航続距離が短く一式戦にくらべて華々しい活躍の機会には恵まれず
1942年5月には内地に呼び戻され、のちに飛行戦隊(飛行第47戦隊)に増強改編された。
|
三式戦闘機 キ61 飛燕(ひえん) 川崎航空機 |
全幅 |
12.00m |

初飛行:1941年12月昭和15年2月開発開始で
昭和17年に初陣我国で使用された唯一の
液冷式発動機搭載戦闘機である。
|
全長 |
8.75m |
全高 |
3.70m |
自重 |
2,210kg |
最高速度 |
590km/h |
航続距離 |
1,600km(正規) |
武装 |
7.7mm機関銃7X2 弾数各250発 |
|
翼内12.7mm機関銃2門 弾数各250発 |
爆装 |
250kg爆弾2発 |
生産数 |
2,750 - 3153機 (諸説あり) |
乗員 |
1名 |
|
四式戦闘機 疾風(はやて) キ61 中島飛行機 |
全幅 |
11.238m |

初飛行:1943年4月
実戦部隊は1944年3月1日付編成
陸軍初の2000馬力級発動機搭載戦闘機であった。
総生産数は零戦・隼に次いで我が国3位で
生産期間からみて記録的な数字である
|
全長 |
9.920m |
全高 |
3.385m |
自重 |
2,680kg |
最高速度 |
628km/h |
航続距離 |
2,920km |
武装 |
20.00mm機関砲X2 |
12.7mm機関銃X2 |
爆装 |
30kg~250kg爆弾2発 |
生産数 |
約3,482機 |
乗員 |
1名 |
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五式戦闘機 キ100 川崎航空機 |
全長 |
8.8m |

初飛行:1945年2月 生産開始:1945年2月
大日本帝国陸軍最後の制式戦闘機で、
大戦末期に登場したため活躍は少ないものの、
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全幅 |
12m |
全高 |
3.75m |
自重量 |
2525kg |
最大時速 |
580km/時(高度6,000m |
航続力 |
(正規)2200km |
武装 |
機首20mm機関砲(ホ5)2門、 |
翼内12.7mm機関砲(ホ103)2門 |
爆弾 |
250kg爆弾 2個 |
生産数 |
396機 |
乗員 |
1名 |
1945年6月5日に飛行第111戦隊の13機がB-29爆撃機を攻撃して6機撃墜・5機不確実・搭乗員脱出者23名を主張
五式戦の未帰還機は2機だった。
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二式複座戦闘機 屠龍(とりゅう) キ45改 川崎航空機 |
全幅 |
11.00m |
初飛行:1941年5月 運用開始:1941年10月
|
全長 |
15.07 m |
全高 |
|
自重 |
4,000 kg |
最高速度 |
547 km/h |
航続距離 |
1,500 km |
武装 |
7.7mm(旋回)×1、12.7mm×2 |
20mm上向機関砲×2 |
爆装 |
|
生産数 |
1,690機 |
乗員 |
2名 |
昭和17年2月採用され同月には実戦配備する
1942年(昭和17年)6月、中国大陸の広東方面において爆撃隊の護衛として桂林攻撃に参加
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九三式重爆撃機 キ1 三菱重工業 |
生産数 |
174機 |
初飛行:1932年 運用開始:1933年
1936年(昭和11年)には、本機は製造中止となった。
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全幅 |
19.96m |
全長 |
15.07 m |
全高 |
4.64m |
自重 |
2,000 kg |
最高速度 |
283 km/h |
航続距離 |
1,000 km |
武装 |
7.7mm(旋回)×2、12.7mm×2 |
|
|
爆装 |
500kg |
乗員 |
2名 |
初陣は1937年(昭和12年)7月に勃発した支那事変(日中戦争)で7月26日に6機が爆撃を行った。
その後、陸軍機として初めて500kg爆弾を使用するなど、各地で使用された。
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九七式軽爆撃機 キ30 三菱重工業 |
生産数 |
685機 |
初飛行:1937年
|
全幅 |
14.55m |
全長 |
10.34 m |
全高 |
3.64m |
自重 |
2,230 kg |
最高速度 |
423 km/h |
航続距離 |
1,700 km |
武装 |
7.7mm(旋回)×2、12.7mm×2 |
爆装 |
400kg |
乗員 |
2名 |
昭和13年)6月に陸軍最初の単発単葉軽爆撃機、九七式単軽爆撃機として制式採用された
太平洋戦争の末期には特攻機として使用された機体もあった。
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九八式軽爆撃機 キ32 川崎航空機 |
生産数 |
854機 |

昭和12年)3月に試作1号機が完成した。
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全幅 |
15.00m |
全長 |
11.53 m |
全高 |
2.90m |
自重 |
2,349 kg |
最高速度 |
432 km/h |
航続距離 |
1,960 km |
武装 |
7.7mm(旋回)×2、12.7mm×2 |
爆装 |
450kg |
乗員 |
2名 |
|
エンジンのトラブルが多く大型ラジエターからの水漏れ等の故障が頻発するなど整備員泣かせの機体であった。 |
支那事変の中期以降は主力軽爆撃機として各地で活動し、太平洋戦争初期のシンガポールの戦い |
香港攻略戦にも参加した。昭和17年)以降は前線から引き上げられ、訓練部隊や司令部飛行班に回された。 |
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九九式双発軽爆撃機 キ48 川崎航空機 |
生産数 |
1977機 |
初飛行:1939年(昭和14年) |
全幅 |
17.47m |
全長 |
12.875 m |
全高 |
4.32m |
自重 |
4550 kg |
最高速度 |
505 km/h |
航続距離 |
2,400 km |
武装 |
7.7mm(旋回)×4、12.7mm×2 |
爆装 |
500kg |
乗員 |
4名 |
対ソ連戦を想定して開発され昭和15年5月採用、中国戦線で活躍
日中戦争(支那事変)、太平洋戦争(大東亜戦争)全期間を通して主力軽爆撃機として使用された。
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九三式双発重爆撃機 キ2 三菱重工業 |
生産数 |
174機 |
初飛行:1933年(昭和8年)5月
運用開始:1933年(昭和8年)11月 |
全幅 |
19.962 m |
全長 |
12.60 m |
全高 |
4.635 m |
自重 |
2,800 kg |
最高速度 |
255 km/h |
航続距離 |
900 km |
武装 |
7.7mm八九式旋回機関銃 × 2 |
爆装 |
爆弾最大500kg |
乗員 |
3名 |
初陣は1937年(昭和12年)7月に勃発した支那事変(日中戦争)で7月26日に6機が爆撃を行った。
その後、陸軍機として初めて500kg爆弾を使用するなど、各地で使用された。
|
九七式重爆撃機 キ21 三菱重工業 |
生産数 |
2055機 |
初飛行:1937年
|
全幅 |
22.50m |
全長 |
16.018 m |
全高 |
4.85m |
自重 |
6,070 kg |
最高速度 |
478 km/h |
航続距離 |
2,700 km |
武装 |
ホ103 12.7 mm機関砲 ×1 |
テ4 7.7 mm旋回機関銃 ×4 |
八九式 7.7 mm 遠隔操作機関銃 ×1 |
爆装 |
750kg |
乗員 |
7名 |
昭和10年に開発し、昭和16年春から採用して活躍
1937年勃発した支那事変(日中戦争)に投入された九七式重爆は活躍したが、航続距離不足・
ハ5改信頼性不足という問題もあるため、1940年(昭和15年)12月に九七式重爆撃機二型として制式採用された。
|
一〇〇式重爆撃機 呑龍(どんりゅう) キ49 中島飛行機 |
生産数 |
813機 |

初飛行:1939年8月 |
全幅 |
20.42m |
全長 |
16.608 m |
全高 |
4.25m |
自重 |
6,540 kg |
最高速度 |
492 km/h |
航続距離 |
3,000 km |
武装 |
7.7mm(旋回)×5挺 |
|
20mm機関砲X1 |
爆装 |
1,200kg |
乗員 |
8名 |
|
九七式の後継機として昭和17年のフィリピン攻略戦から実戦参加
陣地爆撃を主目的として太平洋戦争中の中国戦線及び南方方面で活躍した。また輸送機としても使用された。
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四式重爆撃機 飛龍(ひりゅう) キ67 三菱重工業 |
生産数 |
635機 |
初飛行:1942年(昭和17年)12月27日
昭和19年8月制式採用
|
全幅 |
22.50m |
全長 |
18.70 m |
全高 |
4.80m |
自重 |
6,540 kg |
最高速度 |
537 km/h |
航続距離 |
3,800 km |
武装 |
二式 20 mm 機関砲 ×1(胴体上部) |
|
二式 20 mm 機関砲 ×1(胴体上部) |
爆装 |
1,000kg |
乗員 |
6~8名 |
|
1944年(昭和19年)1月、四式重爆の飛行性能から陸軍は三菱に対し、生産中の四式重爆100機に
雷撃装備を搭載するよう命令
|
九九式襲撃機・偵察機 キ51 三菱重工業 |
生産数 |
2385機(偵察機含む) |
初飛行:1939年6月 |
全幅 |
9.21m |
全長 |
12.10 m |
全高 |
2.73m |
自重 |
1,873 kg |
最高速度 |
424 km/h |
航続距離 |
1,060 km |
武装 |
7.7mm機関銃×3挺 |
爆装 |
250kg |
乗員 |
2名 |
地上部隊協力する襲撃機と戦術偵察機の機能を兼ねて製造されたもので、優れて操縦性と運動性を持った
実用性の高い複座機である。昭和13年5月に制式採用
|
九二式偵察機 三菱重工業 |
生産数 |
210機 |
運用開始:1932年 |
全幅 |
12.75m |
全長 |
8.515 m |
全高 |
3.48m |
自重 |
1,0360 kg |
最高速度 |
237 km/h |
航続距離 |
3,800 km |
武装 |
7.7mm機関銃固定×1挺 |
7.7mm機関銃旋回×1挺 |
乗員 |
2名 |
1932年(昭和7年)に九二式偵察機として制式採用された。 |
九四式偵察機 キ4 中島飛行機 |
生産数 |
383機 |

|
全幅 |
12.00m |
全長 |
7.73 m |
全高 |
3.50m |
自重 |
1,664 kg |
最高速度 |
300 km/h |
航続距離 |
3,800 km |
武装 |
7.7mm機関銃 固定×2挺 |
7.7mm機関銃 旋回×1~2挺 |
乗員 |
2名 |
1934年7月に九四式偵察機として制式採用された。
|
九七式司令部偵察機 キ15 三菱重工業 |
生産数 |
437機 |
初飛行:1936年 生産開始:1936年 |
全幅 |
12.00m |
全長 |
8.40 m |
全高 |
3.34m |
自重 |
1,399 kg |
最高速度 |
480 km/h |
航続距離 |
2,400 km |
武装 |
7.7mm機関銃 固定×2挺 |
乗員 |
2名 |
|
一〇〇式司令部偵察機 新司偵(しんしてい) キ46 三菱重工業 |
生産数 |
1093機 |
|
全幅 |
14.70m |
全長 |
11.00 m |
全高 |
3.88m |
自重 |
3,263 kg |
最高速度 |
604 km/h |
航続距離 |
2,474 km |
武装 |
7.7mm機関銃 固定×1挺 |
乗員 |
2名 |
本機は、戦略偵察機として登場したキ15の後継機として開発された双発複座機である。
昭和15年9月に制式採用して日中戦争から終戦まで活躍
一〇〇式司令部偵察機 キ46 3型・4型 三菱重工業
生産数 |
?機 |
|
全幅 |
14.70m |
全長 |
11.00 m |
全高 |
3.88m |
自重 |
5,724 kg |
最高速度 |
630 km/h |
航続距離 |
4,000 km |
武装 |
37mm機関砲斜め方向 |
乗員 |
2名 |
キ46-III試作第1号機は1943年(昭和18年)3月に完成、翌1944年(昭和19年)3月に基本審査を終え実用審査を経た |
同年8月に一〇〇式司令部偵察機三型として制式採用された |
1943年、三菱が開発したターボチャージャーを有するハ112-IIル二段二速エンジンを |
一〇〇式司偵にも搭載することとし、陸軍はキ46-IVとして開発を三菱に指示。12月、キ46-IV試作第1号機が完成。 |
三型(キ46-III)をベースに大幅な改造がされることなく開発された本機は、1944年1月12日に |
各務原陸軍飛行場で初飛行に成功した。 |
その後はターボチャージャーの完全実用化に悩まされ量産前に終戦を迎え、試作に近い4機が生産されたにとどまる。 |
|
九八式直接協同偵察機 キ36 立川飛行機・川崎航空機 |
生産数 |
800機 |
|
全幅 |
11.80m |
全長 |
8.00 m |
全高 |
3.64m |
自重 |
1,247 kg |
最高速度 |
349 km/h |
航続距離 |
2,474 km |
武装 |
7.7mm機関銃 固定×2挺 |
乗員 |
2名 |
地上部隊に直接協力し捜査、指揮連絡、弾着観測などを行うため開発された。昭和13年12月制式採用
日中戦争から終戦まで全戦域で活躍
|
カ号観測機 オ号観測機 萱場製作所 |
生産数 |
?機 |
初飛行:1941年5月26日 |
回転翼直径 |
12.20m |
全幅 |
3.30m |
全長 |
6.68 m |
全高 |
3.64m |
自重 |
775 kg |
最高速度 |
165 km/h |
航続距離 |
280 km |
武装 |
|
爆装 |
50kg |
乗員 |
2名 |
昭和18年)始めに完成した。国産型の胴体は萱場製作所製で、エンジンと駆動装置は神戸製鋼所製であった。 |
昭和17年)11月に国産型はカ号一型観測機(カ-1)として採用され、1943年(昭和18年)に60機分(予定)、 |
昭和19年)に毎月20機分(予定)、の量産が発注された。 |
昭和18年陸軍はカ号を戦時標準船を改造した護衛空母に艦載して対潜哨戒機として使うことを考えた。 |
|
九七式輸送機 キ34 中島飛行機 |
生産数 |
318機+α |
初飛行:1936年6月12日(原型機)
運用開始:1937年11月
|
全幅 |
19.92m |
全長 |
15.30 m |
全高 |
4.15m |
自重 |
3,500 kg |
最高速度 |
360 km/h |
航続距離 |
1,200 km |
武装 |
|
乗員 |
3名 |
九七輸は空挺部隊である挺進部隊の落下傘降下訓練用に使用
|
一〇〇式輸送機 キ57 三菱重工業 |
生産数 |
509機以上 |
初飛行:1940年 運用開始:1940年 |
全幅 |
17.00m |
全長 |
12.50 m |
全高 |
3.05m |
自重 |
2,880 kg |
最高速度 |
300 km/h |
航続距離 |
800 km |
乗員 |
3名+8名 |
指示の主な内容は九七式重爆撃機(キ21)の胴体部分を改設計し、人員輸送を主目的とするというものだった。 |
一〇〇式輸送機として制式採用された。 |
軍用輸送機である一〇〇輸はMC-20(MC20)の名称で民間用旅客機としても転用・製造され、 |
大日本航空や朝日新聞社はじめ航空会社・新聞社などで多数機が使用された。 |
|
一式輸送機 キ59 日本国際航空工業 |
生産数 |
121機 |

運用開始:1941年 |
全幅 |
19.96m |
全長 |
15.00 m |
全高 |
3.60m |
自重 |
4,850 kg |
最高速度 |
400 km/h |
航続距離 |
? km |
乗員 |
3~4名+14名 |
本機は主翼は全木製、胴体は鋼管骨組みに合板張りの構造の双発高翼機で、主脚は固定式だった。
陸軍では本機を主に司令部飛行班の人員輸送機として運用した。
|
一式貨物輸送機 キ56 川崎重工 |
生産数 |
121機 |

運用開始:1941年 |
全幅 |
19.64m |
全長 |
14.90 m |
全高 |
3.60m |
自重 |
4,672 kg |
最高速度 |
400 km/h |
航続距離 |
3,300km |
乗員 |
3~4名+14名 |
1941年(昭和16年)12月に一式貨物輸送機として制式採用された |
1943年(昭和18年)9月までに121機が製造され、太平洋戦争(大東亜戦争)のパレンバン空挺作戦では、 |
一〇〇式輸送機ともども挺進連隊(陸軍落下傘部隊)の輸送・降下に使用され、終戦まで各地で物資や |
人員の輸送任務に就いていた。 |
|
九五式一型練習機 キ9 日本国際航空工業 |
生産数 |
2618機 |
|
全幅 |
10.32m |
全長 |
7.90 m |
全高 |
3.10m |
自重 |
1,120 kg |
最高速度 |
240 km/h |
航続距離 |
|
乗員 |
2名 |
|
|
石川島(立川)と日本国際航空工業。赤とんぼと呼ばれる練習機 |
本機は飛行特性が優れた練習機として陸軍飛行学校で広く使用され、日本軍航空部隊練習機の |
塗装である橙色から海軍の九三式中間練習機と並んで「赤とんぼ」の愛称で親しまれた。 |
|
九五式二型練習機 キ6 中島飛行機 |
生産数 |
20機 |
|
全幅 |
15.44 m |
全長 |
11.25m |
全高 |
2.819 m |
自重 |
1,640 kg |
最高速度 |
245 km/h |
航続距離 |
1,045km |
乗員 |
8名 |
|
|
|
九五式三型練習機 キ17 立川飛行機 |
生産数 |
660機 |
初飛行:1938年12月 |
全幅 |
9.82m |
全長 |
7.85 m |
全高 |
2.95m |
自重 |
914 kg |
最高速度 |
174 km/h |
航続距離 |
500Km |
乗員 |
2名 |
昭和10年9月制定採用
|
一式双発高等練習機 キ54 立川飛行機 |
生産数 |
1,342機 |

初飛行:1940年(昭和15年)6月 |
全幅 |
17.90m |
全長 |
11.94 m |
全高 |
3.58m |
自重 |
2,956 kg |
最高速度 |
367 km/h |
航続距離 |
960Km |
武装 |
7.7mm機関銃 ×4挺 |
乗員 |
5名~9名 |
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九九式高等練習機 キ55 立川飛行機 |
生産数 |
700機 |
初飛行:1939年4月 |
全幅 |
11.80m |
全長 |
8.00 m |
全高 |
2.85m |
自重 |
1,292 kg |
最高速度 |
349 km/h |
航続距離 |
1,060 km |
武装 |
7.7mm(旋回・固定)×各1挺 |
20mm機関砲X1 |
爆装 |
250kg |
乗員 |
2名 |
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