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九二式十糎加農砲

 九二式十糎加農(きゅうにしきじっせんちかのん)は、1930年代初期に大日本帝国陸軍が開発・採用した加農
 俗称は九二式十糎加農砲


運用
十糎加農は野砲・軽榴弾砲(十榴)・山砲などの
軽砲を主に運用し、団隷下となる野砲兵連隊や
山砲兵連隊といった「師団砲兵」、とは異なり、
軍直轄で運用される「軍砲兵」たる野戦重砲兵連隊で
運用された。1930年代以降の野戦重砲兵連隊は
基本的に本砲や重榴弾砲(十五榴)たる
九六式十五糎榴弾砲を運用していた。

口径 105mm
砲身長 4.725m
砲身重量 1,172kg
放列砲車重量 3,730kg
砲口初速 765m/s
最大射程 18,200m
高低射界 俯角5°〜仰角45°
方向射界 左右18°
使用弾種 九一式尖鋭弾
九一式鋼性銑榴弾
九二式榴弾
九五式尖鋭弾
九五式破甲榴弾
十四年式榴霰弾
九五式焼夷弾
総生産数 180門


九六式十五糎榴弾砲

 九六式十五糎榴弾砲(ちりゅうだんほう)は、
 1930年代中期に 開発・採用した榴弾砲。
 国陸軍の主力重榴弾砲(野戦重砲)として、
 主に軍司令部直轄

    
重量 4,140kg
口径 149.1mm
砲身長 3,523mm(23.6口径)
初速 540m/s
最大射程 11,900m
高低射界 -5°〜+65°
水平射界 左右15°
使用弾種 九二式榴弾
九五式破甲榴弾等
総生産数 約440門


九〇式野砲

三八式野砲を改良して
最大射程を伸ばした
                        機動九〇式野砲
重量 九〇式野砲 1,400kg
口径 75mm
砲身長 2,883mm
砲口初速 683m/s
最大射程 14,000m
使用弾種 九〇式尖鋭弾
九〇式榴弾
九四式榴弾
九四式榴弾
九〇式破甲榴弾
三八式榴霰弾
九〇式榴霰弾
九〇式焼夷弾
九〇式照明弾
九〇式発煙弾
一式徹甲弾
総生産数 九〇式野砲 約200門
機動九〇式 約600門


十四年式十糎加農砲

十四年式十糎加農(かのん)は、1920年代初期に
開発・採用された
開脚式砲架を有する実用砲としては日本初、
また自動車牽引(機械化砲兵)を考慮した
点でも初であった。



口径 105mm
砲身長 3,590mm
砲身重量 932kg
放列砲車重量 3,115kg
初速 640m/秒
最大射程 15,300m
使用弾種 十四年式榴弾
九二式榴弾
十四年式鋼性銑榴弾
一式鋼性銑榴弾
十四年式鋼性銑尖鋭弾
九一式尖鋭弾
九五式尖鋭弾
九五式破甲榴弾
十四年式榴霰弾
十四年式発煙弾
九五式焼夷弾
総生産数 64門


四年式十五糎榴弾砲

四年式十五糎榴弾砲(りゅうだんほう)は、日本陸軍が
大正4年に制式制定した榴弾砲,本砲は昭和7年の
上海事変を皮切りに実戦投入された。
昭和13年には新型の九六式十五糎榴弾砲が、
制式採用され、4式は旧式化したが、貴重な重砲として
第二次世界大戦の終結まで運用され続けた。


口径 149.1mm
砲身長 1880mm(12.5口径)
初速 398m/s
最大射程 8800m
使用弾種 破甲榴弾
鋳鉄破甲榴弾
十年式鋼性銑榴弾
九二式榴弾改一
九二式榴弾改一
代用弾甲, 代用弾乙
代用弾乙

総生産数 280門
 1920年代から30年代初期にかけて開発・採用された大日本帝国陸軍の加農(加農砲)。
 俗称は八九式十五糎加農砲(はちきゅうしきじゅうごせんちかのんほう)。
 昭和20年)の沖縄戦において本砲8門を擁する第32軍(司令官・牛島満中将)第5砲兵司令部隷下の
 独立重砲兵第100大隊(大隊長・河村秀人中佐)は、洞窟を利用し陣地を構築したうえでそこに砲を隠


八九式十五糎加農砲

 1920年代から30年代初期にかけて開発・採用された大日本帝国陸軍の加農(加農砲)。
 昭和20年)の沖縄戦において本砲8門を擁する第32軍(司令官・牛島満中将)第5砲兵司令部隷下の
 独立重砲兵第100大隊(大隊長・河村秀人中佐)は、洞窟を利用し陣地を構築したうえでそこに砲を隠す

口径 149.1mm
砲身長 5,963mm
砲身重量 3,390kg
放列砲車重量 10,422kg
初速 734.5m/s
最大射程 18,100m
使用弾種 九三式榴弾
九三式尖鋭弾
破甲榴弾
榴霰弾
生産数 約150門


七年式三十糎榴弾砲

  大日本帝国陸軍が大正7年(1918年)に制式化した口径305mmの重砲。
 七年式三十糎短榴弾砲(右画像)と七年式三十糎長榴弾砲の二種が存在し、開発当初は固定砲床を持つ
 海岸要塞用の沿岸砲組み立ては天候や地形にも左右されるが30名の人員で約30時間標準とした。
 実際の運用では60名で25時間、最初に制式化された破甲榴弾は弾量400kg・炸薬は茶褐薬40kgを使用する。
 信管は着発式弾底信管であり、
 薬莢は黄銅製で装薬は四号帯状薬である。1944年)に始まるフィリピンの戦いでは三十糎短榴弾砲4門を
 装備した独立重砲兵第4大隊が戦地に送られ、途中で1門は海没したが3門はルソン島の戦いで使用された。
口径 305 mm
砲身長 7,220mm
砲身重量 97,700kg
放列砲車重量 /
初速 500m/秒(長)
最大射程 14,800m
破甲榴弾
使用弾種 九〇式破甲榴弾
九五式破甲榴弾
二式曳火榴弾
生産数 /
 炸薬(さくやく)とは、爆弾などにつめて、爆発(炸裂)させるのに用いるもの。火薬の一種
 信管(しんかん) とは弾薬を構成する部品の一つであり、弾薬の種類と用途に応じて所望の時期と場所で
           弾薬を作動させるための装置である。


四五式二十四糎榴弾砲

 大日本帝国陸軍が1912年に制式化した榴弾砲(攻城砲)である。なお、本稿では24センチ榴弾砲の原型として
 設計・開発された四五式二十糎榴弾砲についても説明する。
 本砲は、日本の火砲として初の空気式駐退復座機を採用し、砲身長後座機能を持つ画期的な砲であった。
 日中戦争や第二次世界大戦では使用機会が減少したが、1941年の香港攻略戦ではイギリス軍の
 香港島要塞攻撃に使用されている。またフィリピンの戦いにおいても、バターン半島の戦いや、コレヒドール要塞の
 攻略戦に投入された記録がある。
口径 240mm
砲身長 3.892m
砲身重量 33,058kg
放列砲車重量 33、058kg
初速 350m/秒
最大射程 10,350m
/
使用弾種 /
/
要員数 9名
生産数 80


二式十二糎迫撃砲

 大日本帝国陸軍の迫撃砲である。実際の制式制定は1943年(昭和18年)8月であった。
 本砲は迫撃砲隊の主火器として制定された滑腔砲であり有翼弾を発射する。従来の中迫撃砲は
 九六式中迫撃砲が722kg、 駐退復座機を省いた九七式中迫撃砲も木材副床板を
 除いても340kgと重かった。 本砲との主な相違点は砲身長が1,800mmに延長されており、
 重量の増大に伴い自動車牽引砲とされていることである。
 全備重量は550kgで、うち走行装置が185kgを占めていた。
砲口径 120mm
砲身長 1535mm
放列砲車重量 260kg
砲弾初速 239m/秒
射程距離 60〜4,200m
発射速度 15発/分
水平射界 10度
俯仰角 +40 - +80度
使用弾種 二式榴弾
二式重榴弾
穿孔榴弾
生産数 約750門


三八式十五糎榴弾砲

 日本陸軍が1911年(明治44年)に制式制定した榴弾砲。、昭和に入って三八式十五糎榴弾砲と改称された。
口径 149.1mm
砲身長 1880mm
重量 2095kg
放列砲車重量 /
初速 275m/s
最大射程 5900m
使用弾種 破甲榴弾
九二式榴弾
十一年式榴弾
代用弾甲
総生産数 /


九一式十糎榴弾砲

 1930年代初頭に大日本帝国陸軍が採用した榴弾砲。
 帝国陸軍の主力軽榴弾砲として、主に師団砲兵たる野砲兵連隊が運用した。
昭和8年)3月に制式制定され、国産化された。 フランスのシュナイダー社に試製を依頼した。


九一式十糎榴弾砲



機動九一式十糎榴弾砲
口径 105mm
砲身長 2090mm
重量 1,500kg
放列砲車重量 /
初速 454m/s
最大射程 10,800m
九一式尖鋭弾
使用弾種 九五式尖鋭弾
破甲榴弾
十四年式鋼性銑榴弾
九一式鋼性銑榴弾
十四年式榴弾
九一式榴弾
九五式榴霰弾
九五式焼夷弾
九五式代用弾甲
十四年式代用弾
総生産数 1,100門
        機動九一式十糎榴弾砲の相違点
重量 1,750kg
総生産数 100門
 

四一式騎砲


 大日本帝国陸軍が1911年(明治44年)に制式制定した、騎兵部隊用の軽量野砲である。
 各騎兵旅団の騎砲兵隊ないし騎砲兵連隊は昭和10年代に各々解散するまで本砲を使用し続けており、
 なかんずく最後の乗馬騎兵旅団であった騎兵第4旅団の騎砲兵第4連隊は昭和20年)の終戦時に中国軍に
 武装解除されるまで本砲を装備していた。

口径 75mm
砲身長 2195mm
重量 928kg
放列砲車重量 /
初速 510m/s
最大射程 8380m
使用弾種 十年式榴弾
九〇式榴弾
九四式榴弾
九五式破甲榴弾
九七式鋼性銑榴弾
三八式榴霰弾
八七式鋼性銑尖鋭弾
九〇式榴霰弾
九〇式焼夷弾
九〇式照明弾
九〇式発煙弾
総生産数 /


四一式山砲


 1910年(明治43年)前後に開発・採用された大日本帝国陸軍の山砲
 1930年代中期からは歩兵砲として、防楯を付すなど小改修を施した本砲が歩兵連隊に配備されたため、
 連隊砲とも称された。 第二次世界大戦においては九四式山砲とともに主力山砲のひとつとつとして
 終戦まで運用が続けられ、また、太平洋戦争 では作戦地の地形や道路の状況から九四式山砲と
 もども野砲兵連隊などに配備される例も多く、各戦線に投入された。
 本砲は海軍陸戦隊でも使用されている
  
 四一式山砲(歩兵用
  
               
口径 75mm
砲身長 2195mm
重量 539.5kg
発射速度 約10発/分
初速 352.4m/秒
最大射程 7,100m (九四式榴弾
十年式榴弾
使用弾種 九〇式榴弾
九四式榴弾
九五式破甲榴弾
徹甲弾
発煙弾

照明弾
タ弾
総生産数 /


四五式十五糎加農砲

 明治末から大正初期に大日本帝国陸軍が設計開発した重砲である
 本砲は四五式二十糎榴弾砲の次に開発された重砲である。設計としては近代的な火砲で、
 砲身に駐退復座装置と防楯を装備し

口径 149.1mm
砲身長 7.515m
重量 22,800kg
発射速度 /
初速 875m/s
最大射程 20,200m
弾薬重量 40.6kg
使用弾種 九三式榴弾
九三式尖鋭弾
総生産数 /


九〇式二十四糎列車加農

 大日本帝国陸軍が1930年(昭和5年)に採用した列車砲(カノン)。
 本砲は最大射程50,120m(50.12km)を誇り、この性能はのちに登場する大和型戦艦の四十六糎砲の
 42,000m(42km)を 凌駕するなど、日本軍では最大射程の火砲であると同時に唯一の列車砲であった。
 フランスのシュナイダー社特別研究費で1門の購入を決定

口径 240 mm
砲身長 12.83m
重量 136t
発射速度 /
初速 1050m/s
最大射程 50.12Km
/
使用弾種 /
/
総生産数 /


九二式歩兵砲

 1930年代初期に採用された大日本帝国陸軍の歩兵砲。
 個歩兵大隊に対し本砲2門を擁する大隊砲小隊が付随するため、「大隊砲(だいたいほう)」の通称をもつ
 主力歩兵砲として歩兵の傍にあった推定約3,000門が生産された

口径 70mm
砲身長 790mm
重量 204kg
発射速度 10発/min
初速 197m/s
最大射程 2,800m
使用弾種 榴弾
照明弾
煙幕弾
総生産数 約3000門以上


九四式山砲

 1930年代初中期に大日本帝国陸軍が開発・採用した山砲。
 従来の帝国陸軍主力山砲である四一式山砲は、他の同級野戦砲と比して威力が劣ることおよび、
 安定が良好でないと言う欠点があり、開戦においては四一式山砲とともに主力山砲として使用された。
口径 75mm
砲身長 /
重量 536kg
発射速度 /
初速 392m/s
最大射程 8,300m
榴弾甲、榴弾乙
使用弾種 九〇式尖鋭弾
九五式破甲榴弾
九〇式発煙弾
九四式榴弾
総生産数 /


九五式野砲

 昭和10年 に完成し、1937年に日本陸軍が制式採用した野砲。
 九〇式野砲の重量が重過ぎるため、参謀本部の主導により新規に開発された軽量野砲である。

口径 75mm
砲身長 2325mm
重量 1108kg
発射速度 10700m
初速 520m/s
最大射程 10700m
使用弾種 九七式鋼性銑榴弾
九〇式尖鋭弾
九五式破甲榴弾
九〇式発煙弾
九〇式焼夷弾
三八式榴霰弾
九四式榴弾
総生産数 200門


九六式十五糎加農砲 

 本砲の砲列砲車全ての重量は25tとなり、3車に分解して牽引車で牽引した。
 用途は海岸要塞砲、または八九式十五糎加農砲の後方から火力支援する
口径 149.1mm
砲身長 7.86m
重量 6.781kg
発射速度  ・ 
初速 860m/s
最大射程 26,200m
使用弾種 九五式破甲榴弾
九六式尖鋭弾


九六式十五糎榴弾砲

 1930年代中期に大日本帝国陸軍が開発・採用した榴弾砲
 太平洋戦争/大東亜戦争)における帝国陸軍の主力重榴弾砲
 昭和13年5月に制式制定、陸軍造兵廠大阪工廠において量産体制

口径 149.1mm
砲身長 3,523mm
重量 4,140kg
発射速度 /
初速 540m/s
最大射程 11,900m
使用弾種 九二式榴弾
九五式破甲榴弾
/
総生産数 440門


九六式二十四糎榴弾砲

 1936年(昭和11年)に制式化した榴弾砲(攻城砲)である。
 四五式二十四糎榴弾砲の後継として開発された。固な陣地を破壊するための砲である。大重量のため
 4つの部分に分解し、九五式十三屯牽引車で輸送する。四五式二十四糎榴弾砲が40人を使用し10時間を要したが、
 本砲は4時間で済んだ。
口径 240mm
砲身長 /
重量 37,562kg
発射速度 /
初速 530m/秒
最大射程 16,000m
使用弾種 /
/
総生産数 /


九六式中迫撃砲

 大日本帝国陸軍の迫撃砲である。実際の制式制定は1939年4月であった。昭和14年)4月に九六式中迫撃砲として制定された。
口径 150.5mm
砲身長 1,325mm
重量 722kg
発射速度 /
初速 214m/秒
最大射程 3,900m
使用弾種 九六式榴弾
二式水中弾
総生産数 90門

九七式軽迫撃砲


 実際の制式制定は1943年(昭和18年)3月であった。九四式軽迫撃砲の問題点を改良
口径 90.5mm
砲身長 1,300mm
重量 173.5kg
発射速度 /
初速 227m/秒
最大射程 100〜3,800m
使用弾種 九四式榴弾
九四式重榴弾
二式榴弾
二式重榴弾
総生産数 159門

九七式中迫撃砲


 昭和12年:西暦1937年)を示す九七式であるが、これは設計着手、年度から取ったものと思われる。
 実際の制式制定は1942年(昭和17年)6月であった。本砲は九六式中迫撃砲から駐退復座機を省略して運動性の
 向上と構造の簡略化を図ったものである

口径 150.5mm
砲身長 1,935mm
重量 342kg
発射速度 /
初速 212m/秒
最大射程 100〜3,800m
使用弾種 九九式榴弾
二式水中弾
総生産数 171門


九八式臼砲

 1930年代中後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の臼砲(迫撃砲)。
 名称には「臼砲」を用いているが砲身は存在せず、一般的な火砲とは構造が全く異なっており、
 迫撃砲の一種である。 スピガット・モーター(差込型迫撃砲)に該当する。弾体と発射台だけで
 砲身が無いことから別名「ム弾」や「無砲弾」とも 呼称された。帝国陸軍の秘密兵器として
 開発・採用され、太平洋戦争では緒戦の南方作戦(シンガポール攻略戦・・ブキテマ高地の
 戦い、末期の硫黄島の戦い・沖縄戦・占守島の戦いでももその大火力と心理的効果をもって活躍した。

口径 330mm
砲身長 /
重量 1215kg
発射速度 /
初速 110m/s
最大射程 1200m
砲弾 300kg
使用弾種 /
総生産数 /


九九式小迫撃砲

 歩兵用突撃兵器及び空挺部隊が携行するための火砲として開発された
 小型軽量の迫撃砲で、直接照準により九七式曲射歩兵砲と共通の有翼砲弾(一〇〇式榴弾)を発射する。
 共通の有翼砲弾(一〇〇式榴弾)を発射する。

口径 81mm
砲身長 642.5mm
重量 24.8kg
発射速度 /
初速 82m/s
最大射程 650m
使用弾種 100式榴弾
総生産数 598門


九九式十糎山砲

 昭和15年)に制式化した口径105mmの山砲である。
 94式山砲よりもやや重量が増すが、分解して駄載することは可能と判断してこの砲を再設計し、
 分解して10頭に駄載可能な 99式10センチ山砲として制式化された。
 砲身はオートフレッタージュ(自己緊縮)方式の単肉砲身で、
 油圧式駐退機を装備し、分解可能な折りたたみ式脚架を持っていた。ばん曳に要する馬は2頭、
 分解駄載に要する馬は10頭である。
 制式採用の直後に太平洋戦争に突入したため、本砲よりも92式歩兵砲の生産が優先されることとなった。

口径 105mm
砲身長 1,200mm
重量 800kg
発射速度 /
初速 334m/秒
最大射程 7,500m
使用弾種 九九式尖鋭弾
使用弾種 /
総生産数 /


一式機動四十七粍速射砲

 1940年(昭和15年)前後に大日本帝国陸軍が開発・採用した対戦車砲(速射砲)。俗称は一式機動四十七粍速射砲。
 九四式三十七粍砲の後継対戦車砲として、太平洋戦争(大東亜戦争)中後期に使用された。
 本砲の最大の特徴は、これまでの九四式や試製九七式が輓馬牽引だったのに対し、
 自動車牽引を前提にしている事である。
 
   
口径 47mm
砲身長 2.526.5m
重量 800kg
発射速度 /
初速 830m/秒
最大射程 6,900m
使用弾種 徹甲弾
榴弾
総生産数 約2,300門


九四式37mm速射砲
 1930年代初中期に大日本帝国陸軍が開発・採用した対戦車砲俗称は九四式三十七粍速射砲
 本砲登場以前の37mm級火砲としては、歩兵砲である狙撃砲や
 十一年式平射歩兵砲が存在した。1935年3月29日に仮制式が上申、放列砲車重量は327kgで
馬1頭により牽引されるが、 戦場では砲手3名により人力で牽引することも可能である。
 九四式三十七粍砲が初めて大規模な対戦車戦闘を行ったのは、1939年のノモンハン事件である。

口径 37mm
砲身長 1,706.5mm
重量 327kg
発射速度 /
初速 700m/秒(徹甲弾)
最大射程 6,700m(徹甲弾)
九四式徹甲弾
使用弾種 九四式榴弾
九四式徹甲弾代用弾
九四式榴弾代用弾
総生産数 約3,400門


九四式軽迫撃砲

 昭和9年)に完成し、1936年(昭和11年)に制式制定され、大日本帝国陸軍で運用された迫撃砲。
 通常の迫撃砲ではなく、 毒ガス戦用のガス弾投射機として開発された。
 (昭和11年)に制式制定となった。 迫撃大隊は3個中隊編制で、1個中隊当たり本砲12門を装備した。

口径 90.5mm
砲身長 1,207mm
重量 159kg
発射速度 20発/分
初速 227.4m/秒
最大射程 3,800m
使用弾種 九四式榴弾
九四式重榴弾
九五式あか弾
九五式きい弾
総生産数 608門


十一年式曲射歩兵砲

 日本軍が大正11年(1922年)に採用した迫撃砲である。当時の日本陸軍では迫撃砲は
 砲兵科の管轄する兵器であったため、歩兵科が扱うために曲射歩兵砲という名称になり歩兵砲の一種である
口径 70mm
砲身長 750mm
重量 65kg
発射速度 20発/分
初速 84m/秒〜147m/秒
最大射程 1,550m
使用弾種 九四式榴弾
九四式重榴弾
九五式あか弾
九五式きい弾
総生産数 234門


五式十五糎高射砲

 太平洋戦争中に大日本帝国陸軍が使用した 高射砲である
 ドイツ・テレフンケン社の対空射撃用測距装置ウルツブルグ・レーダーと連動して高高度で本土に
 侵入する B-29 爆撃機撃墜を目的とした。
 昭和20年8月1日午後1時30分、上空を飛ぶB-29の編隊に向かって発砲し、
 1発で2機を撃墜したというものである。
 2門は共に東京の井の頭線久我山駅近くに設置
口径 150mm
砲身長 9,000mm
重量 9.2t
最大射高 19,000m
初速 /
最大射程 26,000m
発射速度 約六秒/発
使用弾種 /
総生産数 /


四式七糎半高射砲


 
従来の八八式七糎半野戦高射砲の威力および、運動性の不足を考慮し新しく研究する必要に迫られていたが、
 研究に割く時間がないなどの理由で、中国で鹵獲したボフォース社の75mm Lvkan m/29高射砲を
 リバースエンジニアリングでコピーしたが、運行用の接続砲車の設計は日本独自に行なった。
 昭和19年)制式としたが、70門ほどしか生産できなかった。
口径 75mm
砲身長 4.230m
重量 3,355kg
最大射高 11,000m
初速 850m/s
最大射程 17,000m
発射速度 /
使用弾種 三式高射尖鋭弾
試製一式徹甲弾
牽引車 九八式六屯牽引車
総生産数 70門


三式12cm高射砲


 1943年(昭和18年)に制式化された日本陸軍の高射砲
 量産された高射砲の中で、一万m以上の高高度を飛ぶ、B-29に対抗できた数少ない高射砲である。
 約120門が生産された。
口径 120mm
砲身長 6,710mm
重量 19.80トン
最大射高 14,000m
初速 853m/秒
最大射程 20,500m
発射速度 /
使用弾種 /
牽引車 /
総生産数 120門


九九式八糎高射砲

 昭和16年)に準制式制定された日本陸軍の高射砲である。
 昭和14年)にデッドコピー版3門が国産された。昭和20年)にかけて500門以上
口径 88mm、45口径
砲身長 3960mm
重量 6500kg
最大射高 10420 m
初速 800 m/s
最大射程 15700 m
発射速度 /
使用弾種 /
/
牽引車 /
総生産数 500門〜1000門以下


八八式七糎野戦高射砲

 1920年代中後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の野戦高射砲。
 九九式八糎高射砲とともに帝国陸軍の主力高射砲として使用された。

口径 75mm
砲身長 3.212m
重量 2,450kg
最大射高 9,100m
初速 720m/s
最大射程 13,800m
発射速度 15~20発/min
使用弾種 九〇式尖鋭弾
九〇式榴弾
九五式破甲榴弾
九〇式高射尖鋭弾
九四式榴弾
総生産数 2000門


四〇口径三年式八糎高角砲

 大正5年2月に正式化されたもの。その後四〇口径八糎高角砲と改称し大正期の代表的高角砲として
 5500トン型軽巡洋艦や扶桑型戦艦、伊勢型戦艦、空母鳳翔などに搭載された。
 昭和期に入り徐々に他の対空兵装に置き換わっていき、太平洋戦争時には旧式砲となっていた。
口径 76.2mm
砲身長 /
重量 2.6トン
最大射高 6,800 m
初速 670m/s
最大射程 10,800 m
発射速度 13発/分
使用弾種 /
砲弾重量 9.43kg
総生産数 /


九八式二十粍高射機関砲

 昭和13年)に日本陸軍が開発した口径20mmの高射機関砲。
 フランスのオチキス(Hotchkiss)社製の機関砲を基に開発されており、語頭のHを発音した名称「ホチキス」からホキ砲、
 また九八式高射機関砲、九八式高などとも呼称された。太平洋戦争における陸軍の
 主力高射機関砲として使用され続けた。
口径 20 mm
砲身長 /
重量 373.0 kg
最大射高 /
初速 950m/s
最大射程 6,000 m
発射速度 300 発/分
装填方式 20発箱型弾倉給弾式
使用弾種 /
砲弾重量 /
総生産数 約2,600門


ホ式十三粍高射機関砲

 1933年に大日本帝国陸軍が準制式化した口径13.2 mmの高射機関砲。
 原型はフランスのオチキス社が開発した13.2mm重機関銃(en)であり同機銃を起源に持つ火器として
 大日本帝国海軍の九三式十三粍機銃
口径 /
砲身長 /
重量 380 kg
最大射高 /
初速 800 m/s
最大射程 6,000 m
発射速度 /
装填方式 弾倉給弾式
弾薬 九二式普通弾
九二式徹甲弾
九二式曳光弾
九二式除銅弾
九二式焼夷弾
総生産数 /


三年式機関銃

 大正3年に制式化された、大日本帝国陸軍の制式機関銃である。
 三年式機砲及び三年式機銃の名称で使用されていた。

口径 6.5mm
銃身長 737mm
重量 53.3kg
最大射高 /
初速 25.6kg
最大射程 4000m
発射速度 500発/分
装填方式 1,700 m
弾薬 三八式実包
総生産数 3000挺


九六式軽機関銃
 1936年に九六式軽機関銃として制式採用される事となったが実際の制式化は1938年(昭和13年)6月となった
 昭和18年)に打ち切られるまでの6年間で約41,000挺が生産された。

口径 6.5mm
銃身長 550mm
重量 10.2kg
初速 735 m/s
最大射程 3,500m
有効射程 800m
発射速度 550発/分
装弾数 30発
装填方式 三八式実包
弾薬 /
総生産数 41000挺


九二式重機関銃

 1932年(皇紀2592年)に九二式重機関銃[1]として採用した。九二式重機関銃1挺を持つ
 「戦銃分隊(定数:下士官1名、兵10名、 馬2頭)」と「弾薬分隊(定数:下士官1名、兵10名、馬8頭)で運用する。
 帝国陸軍のみならず海軍陸戦隊にも供与され
 日本軍主力重機関銃として活躍した。また、一定数が満州国軍やインド国民軍など同盟軍
 にも供与されている。総生産数は約45,000挺。

口径 7.7m
銃身長 72.1cm
重量 27.6kg(本体のみ)
初速 732 m/s
最大射程 4500m
有効射程 800m
発射速度 450発/分
装弾数 30発
装填方式 ガス圧
弾薬 /
総生産数 45000挺


九九式軽機関銃

 本銃は九六式軽機関銃を基本設計に開発された新型軽機関銃であり、九九式軽機関銃の
 生産数は合計約53,000挺と推定

口径 7.7m
銃身長 483mm
重量 11kg(本体のみ)
初速 715 m/s
最大射程 /
有効射程 2000m
発射速度 550発/分
装弾数 30発
装填方式 九九式普通実包
弾薬 /
総生産数 53000挺


九七式車載重機関銃

 1937年に採用されて以来、陸軍の戦車、装甲車に搭載された。
口径 7.7mm
銃身長 70.0cm
重量 12.4kg(本体のみ)
初速 735 m/s
最大射程 3420m
有効射程 540m
発射速度 550発/分
装弾数 20発
装填方式 九二式普通実包
弾薬 /
総生産数 18000挺


一〇〇式機関短銃

 1944年より生産された後期型は、緩速機構を省略し、第二次世界大戦に実戦投入された日本軍で
 唯一制式化された短機関銃である。資料等によっては「百式」、また制式名の
 「機関短銃」1942年)に生産された前期型は、銃床がワンピース型であった。管状着剣装置を廃止し
口径 8mm
銃身長 230mm
重量 3440g
初速 334m/秒
最大射程 3420m
有効射程 150m
発射速度 450発/分
装弾数 30発
装填方式 九二式普通実包
全長 820mm
総生産数 10000挺


九九式狙撃銃

 1940年代初期に開発・採用された大日本帝国陸軍の狙撃銃当時の日本軍主力小銃であった
 九九式小銃(九九式短小銃)を ベースとし、九七式狙撃銃とともに第二次世界大戦における帝国陸軍の
 主力狙撃銃として使用された。
 (昭和17年、皇紀2602年)5月に仮制式が上申された。量産は小倉陸軍造兵廠・名古屋陸軍造兵廠で行われ、
 総生産数は約10,000挺(九七式は約22,500挺)。
口径 7.7mm
銃身長 797mm
重量
初速 730m/秒
最大射程 /
有効射程 1500m
発射速度 450発/分
装弾数 5発
装填方式 /
全長 /
総生産数 10000挺


九七式狙撃銃

 1930年代に開発・採用された大日本帝国陸軍の狙撃銃。
 日本軍主力小銃であった三八式歩兵銃をベースとし、九九式短狙撃銃とともに第二次世界大戦における帝国陸軍の
 主力狙撃銃として使用された。昭和14年)3月7日に制式制定された。
口径 6.5mm
銃身長 797mm
重量 4450g
初速 730m/秒
使用弾薬 三八式実包
有効射程 1500m
発射速度 450発/分
装弾数 5発
作動方式 ボルトアクション方式
全長 1,276mm
総生産数 22500挺


三八式歩兵銃

 日露戦争における主力小銃であった三十年式歩兵銃は、機関部の構造が複雑なうえ、分解結合の際に
 撃針が折れる故障が 時折発生した。また、戦地の満洲をはじめ中国大陸が開発時の想定以上の
 厳しい気候風土であったため、大陸特有の細かい砂塵が 機関部内に入り込み作動不良を引き起こした。
 こうした欠点を補うためも含めた主な改良点は、機関部の構造の簡素化・遊底と連動する
 遊底被の付加・三八式実包の採用・ 扇転式照尺の装備・弾倉底の落下防止等の改良完全軍装の歩兵は
 弾薬5発を1セットにした挿弾子(クリップ)を 30発分収めた前盒(弾薬盒)を前身頃に2つ、また60発入の
 後盒1つをそれぞれ革帯(ベルト)に通し計120発を1基数として携行した。
 銃剣には三十年式銃剣を使用、 明治41年3月から始められ、約2年ほどで三十年式歩兵銃からの更新
 三八式歩兵銃は数多くの改良型・派生型が開発された。

口径 6.5mm
銃身長 797mm
重量 3730g
初速 762m/秒
使用弾薬 三八式実包
最大射程 2400m (有効460m)
発射速度 -
装弾数 5発
作動方式 ボルトアクション方式
全長 127.5cm
総生産数 3,400,000挺
 三八式騎銃(三八式騎兵銃)(下図の方)
 三八式歩兵銃を基に、騎兵用に騎銃(騎兵銃、カービン)として全長を約300mm短くしたもの
 四四式騎銃(四四式騎兵銃)
 三八式騎銃を基に、騎兵銃として特化させたもの。折畳式の銃剣(スパイク・バヨネット)を備える。
 三八式短小銃
 三八式歩兵銃を基に、取り回しが便利な軽便銃として銃身を切り詰めたもの。
 全長は三八式歩兵銃と三八式騎銃の中間ほど
 九七式狙撃銃/三八式改狙撃銃
 三八式歩兵銃を基に、狙撃銃として三八式歩兵銃の生産ライン途中において銃身精度の高い物を選び出し、
 狙撃眼鏡を付すなど改造を 行い狙撃仕様としたもの。1939年3月7日に制式制定された
           
三八式実包 帝国陸軍の小銃の系譜 三十年式銃剣


四四式騎銃

 大日本帝国陸軍のボルトアクション式騎兵銃(騎銃)騎兵のみならず、歩兵、砲兵、輜重兵、憲兵、
 挺進連隊(陸軍落下傘部隊)の挺進兵などでも使用された。

口径 6.5mm
銃身長 419mm
重量 3965g
初速 708m/秒
使用弾薬 /
有効射程 500m
発射速度 450発/分
装弾数 5発
作動方式 ボルトアクション方式
全長 955mm
総生産数


三十年式歩兵銃

 明治30年)に採用された大日本帝国陸軍のボルトアクション式小銃
 日露戦争では帝国陸軍の主力小銃として使用された。日清戦争で単発式の十三年式・十八年式村田単発銃
 (開発・村田経芳) を主力小銃として使用した。
 明治22年に日本初の連発式ボルトアクション式小銃である二十二年村田連発銃が採用されてはいたが、
 同銃は管状弾倉式で 装填の手間や、特に平頭弾に由来する命中精度の悪さなどで難があり、実戦では
 使い物にならず主力小銃とはなりえなかった。
 三十年式歩兵銃は、村田経芳の後を受けた有坂成章によって設計され、尾筒弾倉式で連発を実現することで
 装填を簡単にした。 1903年(明治36年)に全野戦軍(部隊)への配備を完了した。
口径 6.5mm
銃身長 790mm
重量 4035g
初速 720m/秒
使用弾薬 三十年式実包
最大射程 /
発射速度 /
装弾数 5発
作動方式 ボルトアクション方式
全長 1275mm
総生産数 554,000挺 小銃
45000挺  騎銃


二式小銃

 九九式短小銃をベースとして、挺進兵が落下傘降下時に不便なく小銃を携行できるよう2つに分割可能にした
 挺進連隊(空挺部隊)用の
 特殊兵器である。挺進落下傘/挺身落下傘からテラ銃、二式テラ銃とも称される。
 落下傘降下時に長い銃身が邪魔になるため
 九九式短小銃をベースに前後に分解可能
口径 7.7mm
銃身長 650mm
重量 4035g
初速 720m/秒
使用弾薬 九九式普通実包
有効射程 -
発射速度 3000m
装弾数 5発
作動方式 ボルトアクション方式
全長 1118mm
総生産数 19000挺


九九式短小銃

 昭和14年に大日本帝国陸軍が採用したボルトアクション式小銃。
 三八式歩兵銃(三八式小銃)の後継銃として採用され、部隊配備は昭和16年から、連合国軍との戦闘に用いられた
 「九九式小銃」自体は大きく分けて短銃身型(九九式短小銃)と長銃身型(九九式小銃)の二種類が存在するが、
 一般に「九九式小銃」と言った場合は短銃身型を指す。
  三八式歩兵銃からの改善点は以下の通り
 ・弾薬を九九式軽機関銃と共通化
 ・威力向上のため、6.5mmから7.7mmへ口径の大型化
 ・命中精度向上のため、照星・照門の改良
 ・反動増大対策(銃口安定性増大)のため、単脚の装備
 ・機動性向上のため、銃身の短縮、総重量の軽減
口径 7.7mm
銃身長 657mm
重量 3800g
初速 730m/秒
最大射程 3400m
有効射程 1500m
発射速度 450発/分
装弾数 5発
装填方式 /
全長 1118mm
総生産数 2,500,000挺
使用弾薬 九九式普通実包
作動方式 ボルトアクション方式

小銃の種類

  
 
        上より三十年式・中段:三八年式・下:四四式


  



南部7mm自動拳銃
 第1次世界大戦の戦訓を取り入れ自国内で生産、装備するという基本理念に基づいて、軍事拳銃を制式化すること
 になり、南部麟次郎少佐が設計する。

口径 7mm
全長 23.cm
銃身長 11.5cm
重量 874g
初速 340m/sec
装弾数 8発

十四年式8mm自動拳銃
 南部式自動拳銃を基本に設計され大正14年に完成し、昭和9年に一部改良をされた。弾倉安全装置の追加
口径 8mm
全長 23.cm
銃身長 11.5cm
重量 874g
初速 340m/sec
装弾数 8発

九四式8mm自動拳銃
 陸軍を退任した南部元中将が昭和9年に軍部から将校用拳銃の設計・制作の依頼を受け開発し昭和10年完成
口径 8mm
全長 18.1cm
銃身長 9.8cm
重量 720g
初速
装弾数 8発

二式8mm拳銃
 昭和15年頃、浜田銃器研究所が、陸軍矢頭少佐に依頼して設計制作した市販用の自動拳銃で、機構・形状も
 ベルギーのブローニングM1910を基礎としていた。軍部は「一式拳銃」の名称で大戦初期に大量に買い上げる

口径 8mm
全長 cm
銃身長 6.57cm
重量 375g
初速 730m/sec
装弾数 8発

二十六年式7mm回転拳銃
 明治22年に国産制式拳銃の開発研究が始まる。各国の回転式拳銃の比較試験が行われ、
 明治26年に、中折れ式 の二六式拳銃が制定された。故障が少なく長い期間使用された。

口径 8mm
全長 cm
銃身長 6.57cm
重量 375g
初速 730m/sec
装弾数 8発



砲弾


  榴弾(りゅうだん)
 兵器の1つであり、狭義には弾の内部に火薬が詰められた砲弾を指す。榴弾は、弾丸の内部に炸薬が封入されており、
 着弾時など信管が定めるタイミングで爆発(炸裂)する。

   弾殻
 弾体の主な外形を作る弾殻は厚い鉄で作られ、すべて一体の中空成型か、または弾底部だけが別部品で
 作られ接合によって一体化している。

 
       

  薬莢と薬嚢
 小中口径の砲弾では、保管と運搬や発射時の取扱いの簡便さのために、金属製の薬莢に収められた
 発射薬と弾体とが 一体になっているのが多い。また、弾殻の後部が薬莢内の発射薬に埋め込まれて
 いるものがあり、火砲の設計もそれに 合わせてある。薬莢を使用しない分離型の砲弾では、
 発射薬は装薬(そうやく)と呼ばれ、薬嚢(やくのう)と呼ばれる
 燃焼性の包みに入れられ、発射時には金属製の薬嚢缶から取り出されて弾体の後ろに位置する
 砲尾の薬室内に 装填(そうてん)され、閉鎖機が閉じられた後、火管によって火炎が
 薬室に侵入し装薬が発火する。

   弾帯
 
弾殻の外周部には、「弾帯」(だんたい)や「導環」と呼ばれる銅のような軟金属または樹脂製の弾丸口径より
 僅かに大きい径の リングが付けられている。弾帯は、発射時に砲内のライフリングと噛み合って、弾殻に
 回転を与え弾道特性を向上させと同時に、後部からの発射薬の燃焼ガスが前方に漏れるのを防ぐ効果もある。

   炸薬
 
弾殻の内部に炸薬が充填される。炸薬は威力の面からは爆轟時の爆速が速く反応生成ガス量の
 多い爆薬ほど適しており、 大口径の砲弾では生産性の面からTNTが用いられることが多く、
 コンポジションBも用いられる。

  信管
 
用途によって多様な信管が使用され、着弾時の衝撃によって起爆する瞬発信管だけでなく、
 空中炸裂による曳火砲撃が可能な 時限信管や、着弾後に少し遅れて起爆する遅延信管、
 対航空機用砲弾での近接信管などを備えるものが多い。



  徹甲弾(てっこうだん)
 徹甲弾は装甲に穴をあけるために設計された砲弾である主として航空機関砲や艦砲・戦車砲で用いられる。
 弾体の硬度と質量を大きくして装甲を貫くタイプと、逆に弾体を軽くして速度を高めて運動エネルギーで
 貫くタイプ徹甲弾は、金属板や軽金属で作られた被帽と鋼鉄で作られた弾体から構成弾体の中に
 少量の炸薬を詰め込み貫徹後の 内部破壊を期待する徹甲榴弾も存在する。これは、主に艦砲で
 用いられるが、第二次世界大戦当時の日本軍や ドイツ軍の場合は戦車砲でも用いられた。
 日本軍の九一式徹甲弾、アメリカ軍のSHSで一つの頂点に達したと言える。
 鉄の装甲を貫く徹甲弾の材質は特に強靭性がもとめられる。


1:被帽
2:弾芯
3:炸薬
4:信管
5:弾帯
                          大和ミュージアムに展示されている
                           九一式徹甲弾
          九一式徹甲弾は戦艦「大和」「武蔵」の主砲砲弾として搭載された。
  砲弾諸元
口径 全長 砲弾重量 炸薬重量 炸薬比率 射程
46cm 1,955mm 1,460kg 33.85kg 2.32% 42030m
40cm 1,738.5mm 1,020kg 14.888kg 1.46% 37900m
36cm 1,524.7mm 673.5kg 11.102kg 1.65% 35450m
20.3cm 906.2mm 125.85kg 3.100kg 2.46% 27400m
15.5cm 677.8mm 55.87kg 1.152kg 2.00% 27400m


  焼夷弾(しょういだん)

 
焼夷剤(発火性の薬剤)を装填した、爆弾・砲弾・銃弾である。攻撃対象を焼き払うために使用する。
 そのため、発生する爆風や飛散する破片で対象物を破壊する通常の爆弾と違い、焼夷弾は中に入っているもの
 (焼夷剤)が燃焼することで対象物を火災に追い込む。
 このような燃焼を利用する銃砲弾が全て焼夷弾ということではなく、同様の機構を持ちながらも目的の異なる、
 照明弾・曳光弾・発煙弾・ガス弾などもある。

  焼夷剤の種類
     
 テルミット焼夷弾    テルミット反応を使う
        
エレクトロン焼夷弾は、テルミットの燃焼によりさらにエレクトロン(マグネシウム合金)に点火する。
      第二次世界大戦の対ドイツ爆撃に多用された(日本へも若干用いられた)。


     
 油脂焼夷弾
        
油脂を使う。化学的な意味での「油脂」だけでなく、ナフサ・重油などの石油製品もこれに含まれる。
        ナパーム弾は、ナフサに各種薬剤を混ぜた「ナパーム剤」を使う。
        第二次世界大戦の対日爆撃でM69などが、ベトナム戦争の北爆でナパームBが多用された。


      
黄燐焼夷弾
        黄燐(白燐)の自然発火を使う。
        主剤ではないが、エレクトロン焼夷弾や油脂焼夷弾の点火剤にマグネシウムが使われることもある。

  第二次世界大戦に投入された焼夷弾
      
M47A2
        
4ポンド(約 1.8 kg)のナパーム弾。外形は六角柱。6発ずつ束ねてT19集束機に搭載された。
      
M50
        
4ポンド(約 1.8 kg)のテルミット・マグネシウム弾。外形は六角柱。110発を束ね、M17集束焼夷弾
        (公称重量500ポンド)として投下された。

      
M69
        
6ポンド(約 2.7 kg)のナパーム弾。外形は六角柱。E28・E36・E46・E48集束焼夷弾
     (いずれも公称重量500ポンド)して投下された。木造の日本家屋を効率よく焼き払うため、
     第二次大戦時に米軍が開発した焼夷弾M69焼夷弾1発あたりの大きさは、
     直径8cm・全長50cm・重量2.4kg程度。
     38発のM69焼夷弾を子弾として内蔵するクラスター爆弾「E46集束焼夷弾」などとして
     投下された。投下後上空700m程度でこれらが分離し、一斉に地上へ降り注ぐ。

    
 M76
        
公称重量500ポンド、実重量約480ポンド(約 218 kg)の、大型のナパーム・マグネシウム弾。


   曳光弾(えいこうだん)
               曳光弾の内部構造赤い部分が発火体
 射撃後、飛んでいく間に発光することで軌跡がわかるようになっている弾丸のことである。軌跡を知ることで
 射撃中に方向を修正することができるため対空射撃などに、または航空機からの射撃で各種の
 合図のために使用、欠点は発射元の位置も推測されてしまう事。第一次世界大戦(1914-1918年)から
 使われたとされており、 各国陸軍の機関銃で通常弾4発に対して曳光弾1発の割合で混ぜられた。
 航空機用の機関銃では2-3発に1発の 割合となる。曳光弾の発光体は、花火や照明弾に使われるものに近い。


   照明弾(しょうめいだん)

 飛行機・船舶・車両などから夜間等に発光する物体を空中に放ち、周囲を照らし視界を確保または合図を
 行うためのものである。夜間に目標を照明し観測するために使用する砲弾である。
 榴弾砲や迫撃砲などの各種火器で上空に打ち上げられるか、
 強い光を出すマグネシウム粉と硝酸ナトリウムが使用

  榴散弾(りゅうさんだん)


 
19世紀初頭から20世紀半ばごろまで使われた対人・対非装甲目標用の砲弾で、野砲や榴弾砲から発射する。
 砲弾内部には球体の散弾が多数詰まっており、目標のやや手前上空で弾丸底部の炸薬を炸裂させ(曳火)、
 散弾をばら撒いて人や馬を殺傷し軟目標を破壊する。旧軍では榴霰弾と表記した。
砲弾頭部に球体の散弾が
詰められたいる

  キャニスター弾


 
大砲で使用される対人用の散弾である。 第二次世界大戦のM3 37mm砲から現代のラインメタル
 120 mm L44まで様々な時代の火砲で使用されており、18世紀から19世紀にかけて使用された
 ぶどう弾とも類似している。 火薬に点火すると散弾はキャニスターに収まったまま発射され、
 砲口から飛び出した後にキャニスターが
 が分解して散弾をばらまく。
 直接照準で運用される野砲で使用されることが多く、主に砲兵の
 対歩兵近接戦闘や突撃する敵歩兵の排除などに用いられることが多かった。
 第二次世界大戦においてはアメリカ軍がM3 37mm砲で日本陸軍の
 歩兵突撃阻止に使用し、現在でも戦車の対歩兵近接戦闘用に生産されている。








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