飛行・その他連隊

日本陸軍 飛行戦隊総覧編


   編成地:岐阜 編成年:昭和13年7月5日 
飛行第1戦隊

 第一次世界大戦(日独戦争)時の青島攻略戦で初陣を飾った「臨時航空隊」は、大正4年)1月初頭帰国後解散した。
 飛行第1連隊は当初は大隊規模であったものの、2個偵察機中隊の転属を受け、偵察機中隊2個、戦闘機中隊2個に
 増強された。その後、飛行連隊は実戦部隊と支援部隊の空地分離に合わせ飛行戦隊に改称し、
 飛行第1連隊は飛行第1戦隊(1F)となった。
 使用機種:九七式戦闘機、一式戦闘機「隼」、四式戦闘機「疾風」
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
第1航空軍・第12飛行団 埼玉(日高) 四至本広之烝
   歴代の戦隊長
1.加藤敏雄 中佐 1938.7. - 戦死・ノモンハン事件
2.原田文男 中佐 1939.7.20 - 1939.7.29 戦死・ノモンハン事件
3.吉田直 少佐 1939.8.2 - -
4.武田金四郎 少佐 1940.9.5 - -
5.沢田貢 少佐 1943.3.1 - 戦死、ニューギニア・ラエ上空
6.松村俊輔 少佐 1943.3.15- 1944.10.28 戦死、フィリピン・マナプラ
7.春日井敏郎 大尉 1944.11.7- 1944.11.25 戦死
8.橋本重治 少佐 1944.11. - 1944.12.22 戦死、ポーラック上空
9.四至本広之烝 大尉 1945.3.18 - -

   編成地:岐阜 編成年:昭和13年7月31日 
飛行第2戦隊

 昭和20年)7月15日、第12独立飛行隊(12FS)に改編された。
 飛行分科:偵察
 使用機種:九二式偵察機、九七式司令部偵察機、九八式直接協同偵察機、一〇〇式司令部偵察機「新司偵」
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
第1航空軍・第12飛行団 福岡 鈴木剛一
   歴代戦隊長
3代・小林孝知 大佐 1940.2.16 -
4代・今津正光 中佐 1942.6.2 -
5代・沢井光二 中佐 1943.10.1 -
6代・鈴木剛一 少佐 1944.1.4 -

   編成地:滋賀・四日市 編成年:昭和13年8月31日 
飛行第3戦隊

 太平洋戦争後期には、艦船攻撃用の新戦術である跳飛爆撃を本格的に導入した部隊の一つとなった。
 フィリピンの戦いにおいて、1944年(昭和19年)10月24日、九九式双発軽爆撃機22機による日本陸軍では
 最大規模の跳飛爆撃を試みたが、敵戦闘機に迎撃されて目標到達前に壊滅した。
 飛行分科:軽爆、偵察、襲撃
 使用機種:九八式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、一〇〇式司令部偵察機「新司偵」、キ102
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
 第16飛行団-第12飛行団 秋田(能代) 並木好文

   編成地:芦屋  編成年:昭和13年8月31日 
飛行第4戦隊

 飛行分科:偵察、戦闘
 編成時期:1938年(昭和13年)8月31日(飛行第4連隊(4FR)を改編)
 使用機種:九四式偵察機、九五式戦闘機、九七式戦闘機、九七式司令部偵察機、二式複座戦闘機「屠龍」

最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
 第12飛行団 下関 町田久雄
    歴代戦隊長
3代:岡本修一 中佐 1941.4.10 -
4代:長野綱男 少佐 1942.9.12 -
5代:黒田武文 少佐 1943.6.18 -
6代:小林公二 大尉 1944.10.6 -
7代:町田久雄 少佐 1945.6.6 -

   編成地:立川 編成年:昭和13年8月31日 
飛行第5戦隊

 大正10年12月に編成された航空第五大隊を前身とする。陸軍戦闘機隊のなかでも長い歴史を持つ。
 昭和17)年3月97戦から二式複戦に機種転換。大正10年12月に編成された航空第五大隊を前身とする。
 陸軍戦闘機隊のなかでも長い歴史を持つ。太平洋戦争中は二式複戦の部隊として運用。
 1943年から1944年8月までバンダ海周辺の防空や船団護衛に活躍。1944年以降中京地区の防衛任務に
 清洲飛行場を基地に従事するが戦果は挙げられなかった。五式戦へ機種転換するが、爆撃で生産が止まり改編は
 半数機で終了。その後、本土決戦にむけて戦力の温存につとめ、ほとんど邀撃などの戦闘には参加していない。
 飛行分科:戦闘
 編成時期:1938年(昭和13年)8月31日(飛行第5連隊(5FR)を改編)
 使用機種:九七式戦闘機、二式複座戦闘機「屠龍」、五式戦闘機
 終戦時の所在地:清洲飛行場(愛知県甚目寺町)
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
- 下関 山下美明
   歴代戦隊長
3代:小松原虎男 中佐 1942.8.1 - 1943.10.16 殉職
4代:高田勝重 少佐 1943.10.20- 1944.5.27 戦死・ビアク島付近
5代:松山武夫 少佐 1944.6. - -
6代:山下美明 少佐 1944.9.25 - -

   編成地:立川 編成年:昭和13年8月31日 
飛行第6戦隊
 飛行分科:軽爆
 編成時期:1938年(昭和13年)8月31日
 使用機種:九五式戦闘機、九七式軽爆撃機、九八式軽爆撃機、九九式襲撃機
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
第5航空軍 大邱(朝鮮) 藤本鉄熊
   歴代戦隊長
2代:平田勝治 大佐 1939.8.1 -
3代:佐藤吉直 中佐 1941.10.15 -
4代:広田一雄 少佐 1943.3.1 -

   編成地:静岡 編成年:昭和13年7月31日 
飛行第7戦隊
 飛行分科:重爆
 編成時期:1938年(昭和13年)8月31日
 使用機種:九三式重爆撃機、九七式重爆撃機、百式重爆撃機、四式重爆撃機
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
 第6航空軍 兵庫(伊丹 高橋猛
   歴代戦隊長
3代:深井英一 中佐 1941.3.1 -
4代:大西豊吉 少佐 1942.5.30 - 1944.1.17
5代:高橋猛 少佐 1943.3.28 -

    編成地:台湾 編成年:昭和13年7月31日 
飛行第8戦隊
 飛行分科:司偵、軽爆
 編成時期:1938年(昭和13年)8月31日(飛行第8連隊(8FR)を改編)
 成地:屏東(台湾)
 使用機種:九七式司令部偵察機、九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、一〇〇式司令部偵察機「新司偵」
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
台湾 長屋義衛
   歴代戦隊長
2代:本多三男 大佐 1940.8.1 -
3代:塩田要 少佐 1942.6.1 -
4代:釘宮清重 中佐 1943.8.2 -
5代:肱岡直 少佐 1944.2.22 -
6代:長屋義衛 少佐 1944.11.15 -

   編成地:朝鮮(会寧) 編成年:昭和13年7月1日 
飛行第9戦隊
 飛行分科:戦闘
 編成時期:1938年(昭和13年)7月1日
 使用機種:九五式戦闘機、九七式戦闘機、二式単座戦闘機
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
 第13飛行団 中国(南京) 平家輔
 飛行分科:戦闘
 編成時期:1938年(昭和13年)7月1日
 使用機種:九五式戦闘機、九七式戦闘機、二式単座戦闘機
   歴代戦隊長
2代:秋田熊雄 大佐 1940.12.1 -
3代:高梨辰雄 少佐 1942.3.24 -
4代:役山武久 少佐 1944.7.8 - 1944.12.27 戦死
5代:平家輔 少佐 1945.1.4 -

   編成地:満州(嫩江) 編成年:昭和13年8月31日 
飛行第10戦隊
 飛行分科:偵察、軽爆
 使用機種:九四式偵察機、九七式司令部偵察機、九八式軽爆撃機、一〇〇式司令部偵察機
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
独立第25飛行団 台湾(台北) 新沢勉
   歴代戦隊長
2代:田副登 少佐 1938.10.10 - 陸軍中将、第5飛行師団長、航空総軍参謀長
3代:白銀 重二 少佐 1939.8.1 - 陸軍中将、、第7飛行師団長、第9飛行師団長
4代:星駒太郎 少佐 1940.8.1 - -
5代:土田兵吾 少佐 1943.5.1 - -
6代:下村兵一 中佐 1943.8.2 - -
7代:新沢勉 中佐 1944.9.9 - -

   編成地:満州(ハルピン) 編成年:昭和13年8月31日 
飛行第11戦隊
 飛行分科:戦闘
 使用機種:九七式戦闘機、一式戦闘機、四式戦闘機
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
 第12飛行団 茨城(高萩) 溝口雄二
   歴代戦隊長
2代:岡部貞 少佐 1939.9.11 - 1942.3.21 少佐→中佐、戦死・ビルマ
3代:杉浦勝次 少佐 1942.3.24 - 1943.2.6 戦死・ニューギニア、中佐特進
4代:森下清次郎 少佐 1943.2.10 - -
5代:金谷祥弘 少佐 1944.8.16- 1944.10.12 戦死、台湾基隆
6代:溝口雄二 少佐 1944.10.21 - -

    編成地:満州公主嶺() 編成年:昭和13年8月31日 
飛行第12戦隊
 飛行分科:重爆
 使用機種:イ式重爆撃機、九七式重爆撃機、百式重爆撃機
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
- 台湾(屏東) 浜田益生
   歴代戦隊長
2代:山本健児 大佐 1939.8.1 - 陸軍中将、第7飛行団長、第8飛行師団長
3代:北島熊男 大佐 1941.7.2 - -
4代:吉井宝一 大佐 1942.8.1 - -
5代:野本重男 少佐 1943.5.19 - -
6代:浜田益生 少佐 1945.2.6 - -

   編成地:満州(公主嶺) 編成年:昭和13年8月31日 
飛行第13戦隊
 飛行分科:戦闘
 使用機種:九五式戦闘機、九七式司令部偵察機、九七式戦闘機、一式戦闘機、二式複座戦闘機、四式戦闘機
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
第25飛行団 台湾(屏東) 丸川公一
   歴代戦隊長
3代:立山武雄 中佐 - 1941.10.15大佐
4代:秋田熊雄 中佐 - -
5代:長野綱男 少佐 1943.6.6 - 1943.11.16 少佐、戦死・ウェワク
6代:中野和彦 大尉 1944.11. - 1944.12.13 大尉、戦死・パナイ島
7代:丸川公一 少佐 1945.1.23 - -

   編成地:台湾(屏東) 編成年:昭和13年8月30日 
飛行第14戦隊
 飛行分科:重爆
 使用機種:九七式重爆撃機、四式重爆撃機
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
第1飛行団 台湾(屏東) 新田
   
   編成地:満州(新京) 編成年:昭和13年8月30日 
飛行第15戦隊
 飛行分科:偵察
 使用機種:九四式偵察機、九七式司令部偵察機、九七式軽爆撃機、九八式直接協同偵察機、一〇〇式司令部偵察機
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
第2飛行団 サイゴン 高橋勝夫
    歴代戦隊長
4代:中浜吾祐 中佐 1941.7.16 - -
5代: 中佐 1942.4.8 - -
6代:高橋勝夫 中佐 1943.6.6 - 1945.5.2 1945年5月2日 廃止

   成地:満州(海浪) 編成年:昭和13年8月30日 
飛行第16戦隊
 飛行分科:軽爆
 使用機種:九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機、二式複座戦闘機、四式重爆撃機
最終所属部隊 最終所在地 最終連隊長名 備考
第8飛行団 平壌 佐藤大六
   歴代戦隊長
1代:下山 琢磨 大佐 1938.6.30 - 陸軍中将、第4飛行師団、、第5航空軍司令官
4代:梁瀬健吾 中佐 1941.12.4 - -
5代:川守田庄治郎 中佐 1942.3.14 - -
6代:甘粕三郎 中佐 1942.12.22 - -
7代:森 桂 中佐 1944.5.38 - 1944.8.2 戦死・安康
8代:佐藤三郎 少佐 1944.8.11 - 戦死・老河口
9代:林正博 少佐 1945.2.3 - 1945.5.26 戦死・沖縄戦
10代:佐藤大六 少佐 1945.6.17 - -

陸軍 挺進連隊(ていしんれんたい)

 大日本帝国陸軍の部隊編制(連隊)の一つで、空挺作戦用の空挺部隊(落下傘部隊)である。
 第二次世界大戦時に創設されパレンバン空挺作戦(パレンバン降下作戦)などを行った。
 通称は陸軍落下傘部隊、陸軍空挺部隊、挺進部隊など。愛称は空の神兵。
 挺進連隊は、複数個連隊や支援部隊を合わせた旅団に相当する団である挺進団を構成し
 戦闘序列に編入され、大戦後期には更なる上級部隊として師団に相当する集団である
   創設から初陣
 日本陸軍は、空挺部隊と空挺兵(落下傘兵)の創設育成に着手した。
 太平洋戦争開戦直前の12月4日には、挺進第1連隊(1Ri)と、輸送機により空挺兵や物資の輸送降下を担当する
 飛行戦隊である挺進飛行戦隊(RFR)から成る第1挺進団(1RB)が編成完結した
 開戦後、蘭印作戦におけるスマトラ島パレンバンへの降下作戦には挺進第2連隊が投入され、
 日本陸軍最初の空挺作戦を成功させた。
    戦歴
 パレンバン空挺作戦
 スマトラ島のパレンバンは蘭印最大かつ東南アジア有数の大油田地帯
 1942年2月14日には挺進飛行戦隊、第12輸送飛行中隊、飛行第98戦隊(物資投下担当)、
 飛行第64戦隊・飛行第59戦隊(戦闘機による直掩・間掩。戦闘機隊の総指揮官は第64戦隊・戦隊長加藤建夫)の支援で
 約400名が降下しオランダ軍守備隊と戦闘、結果、パレンバン大油田とロイヤル・ダッチ・シェルの製油所、
 および飛行場2箇所をほぼ無傷で制圧した。
 ラシオ空挺作戦
 1942年4月27日か28日に決行する予定であったが第5飛行師団長小畑英良は29日の決行を命じた。
 この作戦はパレンバンと違い奪取すべき目標が無く、退路を遮断できる緊要地形が付近には無かった。
 
高千穂空挺隊
 レイテ島の戦いにおいて、第2挺進団(団司令部の秘匿名「高千穂部隊」)が、地上総攻撃と呼応してレイテ島の
 ブラウエン飛行場群及びタクロバン飛行場、ドラッグ飛行場への空挺攻撃を実施した。
 義烈空挺隊
 挺進第1連隊の抽出人員を基幹に編成され、第3独立飛行隊所属の九七式重爆撃機12機で、沖縄のアメリカ軍
 飛行場への強行着陸を試みた。少なくとも1機は突入に成功し、アメリカ軍機や飛行場設備に被害を与えた。
 
輸送機
 一〇〇式輸送機 - 主力輸送機。パレンバン空挺作戦や高千穂空挺隊で使用。
 ロ式輸送機/一式貨物輸送機 - パレンバン空挺作戦でのみ使用
 九七式重爆撃機 - 物資投下や強行着陸に使用。
 一〇〇式重爆撃機 - 高千穂空挺隊が強行着陸用に4機を使用
 九七式輸送機 - 教導挺進連隊・教導挺進飛行戦隊で降下訓練機として使用
 ク1 - 最初の実用輸送グライダー。乗員を入れて8人乗りで主に練習機として使用。
 ク7 - 試作大型グライダー。エンジン付きの派生型にキ105試作輸送機がある。
 ク8 - 主力グライダー。量産型はク8-II。

 挺進連隊一覧
挺進第1連隊(1Ri) 教導挺進第1連隊を復帰させて、その人員より編成。終戦時には主力は横芝、園田隊は千歳。
挺進第2連隊(2Ri) 終戦時には宮崎県唐瀬原
挺進第3連隊(3Ri) 時期により教導挺進第3連隊。レイテ作戦時の秘匿名は「香取部隊」。
レイテ島への降下参加者は連隊長の白井垣春少佐以下、全滅。終戦時には
ネグロス島に生存者数名、ルソン島に若干名。
挺進第4連隊(4Ri) 時期により教導挺進第4連隊。レイテ作戦時の秘匿名は「鹿島部隊」。
終戦時にはセブ島・ミンダナオ島・ネグロス島に生存者計24名。
レイテ作戦時の連隊長だった斉田治作少佐は、第35軍参謀長の友近美晴少将とともに
ミンダナオ島へ転進して1945年6月20日に同島で戦死。
挺進第5連隊(5Ri) 1943年9月に編成。当初は歩兵大隊のほか、重火器大隊を有した。
1944年11月に復帰し、滑空歩兵第1連隊及び滑空歩兵第2連隊に改編
滑空歩兵第1連隊(1Ki) 主力はルソン島進出時に海没して壊滅。第1挺進集団主力として別動の2個中隊は、
ルソン島の戦いでほぼ全滅した。
滑空歩兵第2連隊(2Ki) ルソン島の戦いでほぼ全滅。クラーク地区の第1挺進集団本隊全体で生存者約100名。

野戦重砲兵第1連隊

 大正7年)5月、東京湾要塞の要塞砲兵連隊2個大隊をもって神奈川県横須賀で発足。
 同年、改編に着手し1921年(大正10年)に編成完結、翌1922年(大正11年)8月に千葉県国府台に移転した。
 昭和16年)11月6日に編成された第14軍に編入され、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦後はフィリピンリンガエン湾に
 上陸フィリピン攻略戦、南下してバターン半島砲撃戦・コレヒドール島砲撃戦に参戦、機械化重砲兵の威力を発揮した。
 昭和19年)、第32軍第5砲兵司令部隷下となり、連隊本部および第2大隊を沖縄本島に、第1大隊を宮古島に配備し、
 同じ軍砲兵である野戦重砲第23連隊(九六式十五糎榴弾砲装備)・独立重砲兵第100大隊(八九式十五糎加農装備)
 独立臼砲第1連隊(九八式臼砲装備)などとともに沖縄防衛戦に参戦。1945年(昭和20年)4月1日、アメリカ軍は
 沖縄本島に上陸し、5月4日からの総攻撃に火力戦闘を実施したが失敗し、以降は持久戦に転じる。
 6月18日、喜屋武半島真栄里の高台にて、第8海兵連隊を視察中の第10軍司令官(沖縄方面最高指揮官):
 サイモン・B・バックナー・ジュニア陸軍中将を(野戦重砲兵第1連隊)第2大隊が砲撃、バックナー中将は戦死した
 これはアメリカ軍史上(2010年現在に至るまで)最高位の階級(中将)で戦死した唯一の軍人である
 6月22日、野戦重砲兵第1連隊は連隊長・山根忠陸軍大佐以下、火砲と運命をともにし玉砕した。
    
歴代連隊長
8代:下村定 大佐 1933.12.20 - 陸軍大将・陸軍大臣、教育総監(第27代)、参議院議員(1期)
9代:石井昌一 大佐 1935.3.15 - -
11代:入江元 1939.9.11 - -
12代:山根忠 1943.3.1 - 1945.6.22 戦死:沖縄

捜索連隊

 捜索連隊とは、大日本帝国陸軍の部隊編制単位(連隊)のひとつで、戦闘斥候を任務とする機動偵察部隊である。
 第二次世界大戦期に旧来の騎兵連隊に替わる部隊として、各師団隷下に設置された。
 捜索連隊は連隊としては小規模であり、兵力は500名以下で連隊長も少佐ということが多かった。

近衛捜索連隊 - 1940年7月発令で、近衛混成旅団騎兵中隊より改編され、近衛師団に隷属。近衛第2師団
捜索第1連隊 1939年6月、騎兵第1連隊を改編。レイテ島の戦いで壊滅
捜索第2連隊 1940年9月、騎兵第2連隊を改編 仙台 仙台
捜索第4連隊 1942年6月、騎兵第4連隊を改編 堺
捜索第5連隊 940年7月発令で騎兵第5連隊を改編
捜索第7連隊 940年8月、騎兵第7連隊を改編  旭川 旭川
捜索第8連隊 1939年6月、騎兵第8連隊を改編。ルソン島の戦いで壊滅。
捜索第10連隊 1940年7月、騎兵第10連隊を改編。ルソン島の戦いで壊滅
捜索第12連隊 1940年7月、騎兵第12連隊を改編
捜索第14連隊 1940年7月、騎兵第18連隊を改編。1943年、第14師団の海洋編制化に伴い復帰。 宇都宮
捜索第16連隊 1940年7月発令で、騎兵第20連隊を改編。ルソン島の戦いで壊滅。 京都
捜索第19連隊 1940年8月、騎兵第27連隊を改編。1945年、主力は独立混成第103旅団捜索隊に改編。 羅南
捜索第20連隊 1940年7月発令で、騎兵第28連隊を改編。師団南方転出後は、留守第20師団に編合。 龍山
捜索第23連隊 第23師団捜索隊(後掲)を改編。ルソン島の戦いで壊滅。
捜索第24連隊 1939年10月編成下令。沖縄戦で壊滅。 旭川


      戦車連隊
  戦車第一連隊 
編成地   編成年 最終所属部隊 最終所在地
久留米  昭12 8 1 戦車第一師団 栃木 佐野 
日本初の戦車連隊として誕生し、太平洋戦争では開戦時のマレー作戦に第三戦車団に所属して参加
した。ジットラ陣地突破作戦に参加、この作戦に勝利した連隊は続く150kmに及ぶ追撃作戦等に戦果
を重ね、マレー作戦勝利に貢献する。
再編成後、第十五軍戦闘序列に編入されランクーンに上陸。第十八師団に所属して中部ビルマに
おける侵攻作戦を転戦した。
昭和17年9月、奉天に移動し改編される。戦車第一師団隷下に入り寧安県に駐留。
昭和20年3月、内地防衛任務に就く為に新潟経由で前橋に移動し、7月には栃木県佐野に
移動したところで終戦を迎えた。
 
  戦車第二連隊 
 千葉 昭和12 8 1 独立戦車第二旅団 上級部隊と配置 神奈川県・戸塚 
太平洋戦争開戦直前、第五五師団に配属されカムラン湾に進出し、マレー作戦に参加する。
昭和17年3月、第十五軍戦闘序列に編入され、ビルマへ転戦する。このとき軽戦車1個小隊が
ペグー北方で英印軍のM3戦車と交戦し全滅した。
8月、独立戦車第一中隊を編制、ガダルカナル作戦に参加する。
昭和20年4月6日、独立戦車第二旅団隷下に編入、内地防衛の為、神奈川県戸塚に展開したが、
そのまま終戦を迎えた。
 
  戦車第三連隊
 久留米  昭12 8 1 支那総軍第十一軍 上級部隊と配置 南支の全県
    
   戦車第四連隊
習志野 昭13 8 1 第二戦車団 上級部隊と配置  チモール 
昭和14年6月、ノモンハン事件における安岡支隊の基幹部隊として活躍。翌年第二戦車団の隷下で
ソ満国境警備の任務に就くが、太平洋戦争開戦直前に南方抽出戦力として移動し、
台湾の高雄で待機状態となる。開戦時フィリピン・ルソン島のダルモテスに上陸し園田支隊として
戦車第七連隊と共にマニラ攻略戦に参加した。
その後第十六軍隷下に移り、連隊主力は第四八師団に配属され東部ジャワ・スラバヤ攻略戦に
参加した。(第一中隊は東海林支隊に配備、第二中隊は第三八師団に配備。主力隊には
戦車第二連隊第三中隊とマニラで鹵獲したM3軽戦車が増加装備された。)
ジャワ制圧後はスラバヤにて警備任務に従事するが、昭和17年12月にチモール島に前進する。
以後警備と次期作戦に備えるが、そのまま終戦まで同地にあった。
 
   戦車第五連隊
久留米 昭12 8 1 戦車第一師団 上級部隊と配置 埼玉県加須町
編制後の昭和13年1月、牡丹江省愛河に移駐。翌年ノモンハン事件ではハイラル方面に出動した。
昭和17年6月24日、新設された戦車第一師団に所属。以後満州東部国境付近での警備と訓練に
従事する。昭和20年3月、内地防衛の為栃木県金丸原に移駐し、6月より埼玉県加須町に
配属されるが、そのまま終戦を迎えた。
 
   戦車第六連隊 
 姫路 昭12 12 1 戦車第二師団 クラーク地区で壊滅
開戦直前に第二五軍の戦闘序列に入り第三戦車団に編入、海南島三亜に集結。
開戦時のマレー半島攻略戦でタイ、シンゴラに上陸した。
昭和17年1月6日、スリムの激戦と呼ばれる戦いに参加する
連隊の第一中隊(九五式軽戦車)、第四中隊(九七式中戦車)で編制された島田戦車隊が
安藤支隊に配属され、スリム台地に布陣した英印軍に対して無謀とも言える夜襲作戦を実施した。
歩兵、工兵と共に戦車隊は英軍陣地を突破し、途中5箇所の爆破装置が仕掛けられた橋梁を突破。
縦深6kmを3時間で突進してトロラクに突入し、さらに奥のスリム鉄橋を確保すると共に
英軍旅団司令部、砲兵司令部を撃破、100両におよぶ車両を撃破することに成功した。
シンガポール攻略後は戦車第二師団の隷下に入り満州に移駐。ソ満国境警備にあたった。
昭和19年10月、マニラに移動した連隊はルソン島南部防衛に就く。翌年1月の米軍リンガエン湾上陸
の際に防衛戦を展開、米戦車団と激闘を繰り広げムニオス死守をはかる。だが連隊長(井田大佐)も
戦死し、後方山地隊に撤退したときには車両の多くを失っていた。
戦車を失った戦車兵たちは車載機関銃を降ろして歩兵として戦い続けることとなる。
 
   戦車第七連隊
久留米  昭13 7 2 第二三師団 級部隊と配置 リンガエン湾にて玉砕
開戦時に戦車第四連隊と共に園田支隊(連隊長)を編成しフィリピン攻略作戦に参加。
カバン市、マニラ市攻略戦に参加する。その後バターン攻略戦に参加し、
コレヒドール攻略作戦では戦車による強行上陸作戦を行った。
昭和17年6月、戦車第二師団の隷下に入り満州に移動したが、昭和19年9月には再びフィリピン
に戻った。昭和20年1月、米軍のリンガエン湾上陸に対して防戦を開始。
連隊を中心とした重見支隊を編成し第二三師団に配属されて奮戦を続ける。だが度重なる激戦により
戦力を消耗していく。1月27日夜、重見旅団長及び前田連隊長以下の将兵は残存戦力を率いて
米軍に突撃を敢行したが玉砕した。
 
   戦車第八連隊
 北支 昭13 7 2 第十七軍 級部隊と配置 ニューアイルランド島
北支方面軍の隷下に有ったが、昭和17年9月よりラバウルへ移駐し警備に就き、
以後ポートモレスビー、ガダルカナル島作戦の準備を進める。
昭和19年7月、ニューアイルランド島に移動し、以後戦闘に従事することなく終戦を迎えた。
 
   戦車第九連隊 
 鉄嶺 昭14 12 1 第三一軍 級部隊と配置 サイパン
戦車第三連隊、戦車第五連隊から抽出された要員によって編制された連隊である。
昭和19年4月、第三一軍の隷下に入り、第四三師団に配属された。第一、第二中隊はグァム島に
配備され、残りは連隊主力としてサイパン島に配備された。
6月15日、米軍のサイパン上陸に対しオレアイ海岸で迎撃をしただったが、米軍のバズーカ砲、
75o対戦車砲により大部分の戦車を失い、連隊長も戦死し連隊は壊滅的となる。
その後消耗戦が2週間ほど続いたが連隊は全滅した。
グァム島の戦闘も8月11日には組織的な抵抗は終わっている。
連隊員の生き残りは終戦時で僅か21名だったという。
 
   戦車第十連隊 
ハルビン 昭15 3 1 戦車第二師団 級部隊と配置 リンガエン湾サンニコラス
戦車第五連隊と戦車第九連隊から抽出した要員を基幹として編制し、編制当初は東安に駐留していた。
昭和17年6月、新設された戦車第二師団・戦車第四旅団に配属される。
昭和19年7月、南方への戦力抽出により釜山経由でフィリピン・ルソン島に向かう。
連隊主力はサンフェルナンドに上陸したが、第二中隊は乗船した輸送船(千早丸 津山丸)が
バシー海峡で撃沈した為将兵1/3を失った。また第五中隊も戦車の全てを失った。
10月、ルソン島中部の渋るスプリングに集結し再編制。第一中隊はレイテ島に派遣された。
昭和20年1月、リンガエン湾に上陸した米軍と対し、サン・ニコラスに展開して迎撃態勢を敷いた。
だが火力の劣勢はどうしようもなく、1ヶ月で戦車の殆どを失った。以後歩兵戦闘に移行したが、
連隊は壊滅状態となった。
 
   戦車第十一連隊
斐徳(満州) 昭15 3 1 戦車第二師団 級部隊と配置 占守島(北千島)
戦車第五連隊と戦車第九連隊から抽出した要員を基幹として編制し、第二戦車団、
そして戦車第二師団の隷下に入った。
昭和19年2月、戦車第二師団の隷下を離れ、北千島に派遣が決定した。小樽に集結し、
一部は幌延島・松輪島・得撫島に分散して駐留したが、主力は占守島に駐留した。
昭和20年8月、ソ連参戦。18日には武装解除の準備をしていた日本側の停戦交渉に応じることなく
砲撃を加え上陸してきたソ連軍と戦闘状態に陥いった。僅か1日の戦闘ではあったが
連隊は大損害を受け、翌19日に停戦協定が成立した。
停戦後、連隊はウラジオストックに送られた。
 
   戦車第十二連隊
北支 昭14 10 28 第十七軍 上級部隊と配置 京城
 
   戦車第十三連隊 
漢口 昭14 11 30 戦車第三師団 上級部隊と配置 北京
第二・第六・第七独立軽装甲車中隊を母体に編制。昭和14年12月〜昭和15年2月まで中支方面に
における作戦の殆どに参加、その後宣撫作戦、漢水作戦、予南作戦、第一次長沙作戦、確山作戦、
第二次長沙作戦と昭和17年1まで転戦を重ねた。
その後京漢沿線地区掃討作戦、ベン陽作戦、浙カン作戦、に参加。
昭和18年5月からは江南殲滅作戦に参加。その後は漢口から厚和に移動して同地の警備に従事し、
続いて平地泉警備に任じた。大陸打通作戦では京漢作戦、霊員地区会戦、湘桂作戦に参加。
後は終戦まで湖南省特別警備に当たる。
戦車第十三連隊は全期間を中国大陸で作戦した稀有な連隊と言える。
 
   戦車第十四連隊 
広東 昭14 11 10 第十八師団 上級部隊と配置 ピリレ
太平洋戦争開戦前の昭和16年7月から行われた南部仏印進駐作戦に参加。
その後開戦により仏印国境を通過してバンコクに移動し同地の警備に就く。
昭和17年1月よりマレー作戦に参加したが19日のバクレの戦いにおいて第三中隊が全滅の
危機に陥いった。(ほぼ全滅)その後シンガポール攻略戦に参加しプギテマ高地の戦いで活躍した。
昭和17年4月、第五六師団に配属され、北部ビルマに転戦し、ビルマ方面軍唯一の戦車部隊と
して活躍する。また装備の一部は鹵獲した米軍のM3軽戦車であった。
昭和19年3月、インパール作戦時に第三三師団に配属されテクノパール攻略戦に参加。
5月には反転してケネデピークを超えてインパール平地に侵入した。
6月5日にはニンソウコンに進出し攻撃したが作戦は進展せず、7月8日師団は攻略を断念した。
歩兵2個大隊と共に井瀬支隊を編制、師団の後退援護任務に就くが井瀬連隊長の戦死をはじめ連隊
は壊滅的打撃を受ける。後退した戦車は僅か4両でしかなかった。
昭和20年2月、イラワジ河南岸の戦闘。そしてメークラーテの戦闘で相沢連隊長戦死
月マンダレー街道を後退しラングーンに向かう途中交戦状態となり全ての戦車を失った。
その後ピリレに集結を図ったが再起不能となり、そのまま終戦を迎えた。
 
   戦車第十五連隊
孫呉 昭17 6 24 第二九軍 上級部隊と配置 カールニコバル島
 
   戦車第十六連隊 
久留米 昭17 6 24 独立混成第十三連隊 上級部隊と配置 ウェーク島
ハイラルで編制された連隊は昭和19年1月にウェーク島に移動。6月より独立混成第十三連隊に
編合され、同島防衛任務に従事したまま終戦を迎えた。また連隊の一部は南鳥島に上陸し、
同島で終戦を迎えている。
 
   戦車第十七連隊 
津田沼 昭17 8 20 戦車第三師団 上級部隊と配置 天津
 
   戦車第十八連隊
久留米 昭17 6 24 独立戦車第五旅団 上級部隊と配置  崎県綾町付近 
戦車第一連隊補充隊を母体として編制される。昭和20年、本土防衛任務として九州防衛に就く。
 
   戦車第十九連隊 
青野ヶ原 昭17 6 24 独立戦車第四旅団   久留米  
戦車第六連隊補充隊を母体として編制される。昭和20年、本土防衛任務として九州防衛に就く。
 
   戦車第二二連隊  
盛岡 昭17 8 2 第五方面軍 上級部隊と配置 帯広
昭和19年8月より帯広に移駐米軍の北海道防衛に就き、根室地区上陸に備えての研究を行っていた。
   戦車第二四連隊 
四平楊木林 昭17 3 30 独立戦車第八旅団 上級部隊と配置 豊橋
編制後、関東軍直轄部隊となるが、昭和17年6月より機甲軍教導戦車旅団所属となる。
四平戦車学校の研究教育の支援を行った後、本土決戦の為に独立戦車第八旅団の隷下に配属される
昭和20年5月に内地に戻り、豊橋付近に展開したまま終戦を迎えた。
 
   戦車第二五連隊 
包頭内モンゴル自治区 昭19 3 17 第十方面軍直轄 台湾 高雄
戦車第十二連隊の一部を基幹戦力として編制された連隊であり、当初包頭付近の警備を担当していた。
昭和19年8月、台湾に移駐し、新竹州、高雄州の警備にあたった。
昭和20年5月、連隊を基幹とした臨時戦車撃滅連隊を編制、7月には第十方面軍直轄部隊として独立
混成第四二連隊に改編される。主に歩兵部隊に対し陣地構築、対戦車肉薄攻撃等の指導にあたった。
 
   戦車第二六連隊 
牡丹江 昭19 3 17 戦車第一師団 級部隊と配置 (減)硫黄島
戦車第一師団捜索隊を改編して編成された連隊。編制後サイパン防衛の為朝鮮半島釜山に移動したが
マリアナ海戦に破れ、奪回の見込みが無い為、小笠原諸島防衛に回された。以後硫黄島に進出し、
同島防衛にあたることとなるが、昭和19年7月輸送中に輸送船が沈没し28台の戦車が失われた。
西連隊長は残存戦車を集め、23両で硫黄島に展開した。
昭20年2月、米軍の硫黄島上陸に対し応戦。連隊長(西竹一中佐)以下、激戦を展開し、戦車を失った
後は切り込みを行って玉砕した。
(連隊長:西中佐は米軍の投降呼びかけに応じず、3月21日に自決したと伝えられている。)
   戦車第二七連隊
満州勃利 昭19 3 17 戦車第二師団 級部隊と配置 宮古島(第三中隊のみ)
戦車第二師団捜索隊を改編して編成された連隊
 
   戦車第二八連隊
千葉 昭19 7 6 戦車第四師団 千葉県黒砂町
葉陸軍戦車学校教導隊を基幹として編制。昭和20年4月、改編により臨時動員となり千葉県に配備された。
 
   戦車第二九連隊 
(不明) 昭19 7 6 戦車第四師団 千葉県二宮町
習志野陸軍騎兵学校教導隊を基幹に編制。
 
   戦車第三十連隊 
(不明) 昭19 7 6 戦車第四師団 習志野
平陸軍戦車学校教導連隊と陸軍公主領学校の人員を基幹に編制。 
   戦車第三三連隊 
満州東安 昭20 4 6 独立戦車第三旅団 千葉
 
   戦車第三四連隊 
満州勃利 昭19 11 15 第三方面軍 奉天
昭和20年5月、四平に移駐  昭和20年8月、ソ連侵攻に伴ない奉天に移動して終戦を迎えた。 
   戦車第三五連隊 
満州 勃利 昭19 10 15 戦車第一旅団 新京
編制当初は勃利付近の警備に従事したが、昭和20年5月、四平に移駐。
昭和20年8月、ソ連侵攻に伴ない新京に移動して終戦を迎えた。
 
   戦車第三六連隊 
習志野 昭20 4 6 独立戦車第三旅団 千葉県白井村
 
   戦車第三七連隊 
久留米 昭20 4 6 独立戦車第六旅団 鹿児島県由野
 
   戦車第三八連隊 
習志野 昭20 4 6 独立戦車第七旅団 茨城県内原村
 
   戦車第三九連隊 
習志野 昭20 4 6 独立戦車第七旅団 茨城県鯉淵村
 
   戦車第四十連隊 
久留米 昭20 4 6 独立戦車第六旅団 鹿児島県川辺町
 
   戦車第四一連隊  
習志野 昭20 4 6 独立戦車第二旅団 神奈川県
 
   戦車第四二連隊 
青野ヶ原 昭20 4 6 独立戦車第四旅団 北九州高良台
 
   戦車第四三連隊  
久留米 昭20 4 6 独立戦車第六三旅団 宮崎県八代町
戦車第十八連隊補充隊を基幹として編制。
 
   戦車第四四連隊  
盛岡 昭20 4 6 第十一方面軍 盛岡
戦車第二二連隊補充隊を基幹として編制。東北地区唯一の戦車連隊
 
   戦車第四五連隊  
津田沼 昭20 4 6  第五五軍 四国
 
   戦車第四六連隊 
(不明) 昭20 4 6  第五六軍 福岡県福島町
 
   戦車第四七連隊 
盛岡 昭20 4 6 第五五軍 四国
 
   戦車第四八連隊 
 (不明) 昭20 4 6 第五二軍 千葉県八街町
 
   戦車第五一連隊 
吉林省四平 昭20 8 5 独立戦車第九連隊 新京
四平戦車学校と独立戦車第一旅団の転属者を基幹とし、在満招集者によわって編制された。
昭和20年8月、ソ連進行に伴ない第四四軍の隷下に入り四平付近で戦闘準備を整えたが
戦闘することなく終戦を迎えた。
 
   戦車第五二連隊 
吉林省四平 昭20 8 5 独立戦車第九連隊 新京
四平戦車学校と独立戦車第一旅団の転属者を基幹とし、在満招集者によわって編制された。
昭和20年8月、ソ連進行に伴ない第四四軍の隷下に入り四平付近で戦闘準備を整えたが
戦闘することなく終戦を迎えた。
 
 
    高射砲兵連隊 
連隊 最終連隊長 編成時期 編成地 終戦上官 終戦地
高射砲兵第15連隊 寺田伊平 昭和13年7月2日 北京 北支那方面軍 北支那
高射砲兵第20連隊 野中 侃 昭和14年11月13日 北支那 第5飛行師団 ビルマ
高射砲兵第21連隊 野元留芳 昭和14年11月13日 張家口 第13軍 南京
高射砲兵第22連隊 加藤助一 昭和14年11月13日 漢口 第20軍 武漢
高射砲兵第24連隊 前田二雄 昭和17年4月14日 札幌 第5方面軍 帯広
高射砲兵第25連隊 新穂実徳 昭和17年4月14日 牡丹口 第31軍 サイパン
高射砲兵第26連隊 加藤直太郎 昭和17年4月14日 新京 第3方面軍 鞍山
高射砲兵第101連隊 山県 諒 昭和19年4月19日 パレンパン パレンバン防衛隊 パレンバン
高射砲兵第102連隊 二宮精一 昭和19年4月19日 パレンバン パレンバン防衛隊 パレンバン
高射砲兵第103連隊 古荘武雄 昭和19年4月19日 パレンバン パレンバン防衛隊 パレンバン
高射砲兵第104連隊 花岡美三 昭和19年8月7日 パンカラン
   ブタン
パンカランブタン
     防衛隊
パンカランブタン
高射砲兵第111連隊 武田文雄 昭和19年4月19日 板橋 高射第1師団 安行村
高射砲兵第112連隊 大島知義 昭和19年4月19日 世田谷 高射第1師団 祖師谷
高射砲兵第113連隊 都築 晋 昭和19年4月19日 川崎 高射第1師団 川崎
高射砲兵第114連隊 西野貞光 昭和19年4月19日 月島 高射第1師団 月島
高射砲兵第115連隊 伏屋 宏 昭和19年4月19日 市川 高射第1師団 市川
高射砲兵第116連隊 谷口正三郎 昭和19年4月19日 板橋 高射第1師団 板橋
高射砲兵第117連隊 樋口忠治 昭和19年4月19日 横浜 高射第1師団 横浜市中区
高射砲兵第118連隊 栗田逞治 昭和19年4月19日 東京 高射第1師団 後楽園
高射砲兵第119連隊 水野縫一 昭和20年7月 市川 高射第1師団 市川
高射砲兵第121連隊 樋口易信 昭和19年4月19日 大阪 高射第3師団 大阪
高射砲兵第122連隊 五峯作一 昭和19年4月19日 大阪 高射第3師団 大阪
高射砲兵第123連隊 山岡重孝 昭和19年4月19日 神戸 高射第3師団 神戸
高射砲兵第124連隊 山田正樹 昭和19年4月19日 名古屋 高射第2師団 愛知県上野町
高射砲兵第125連隊 大中正光 昭和19年4月19日 名古屋 高射第2師団 名古屋
高射砲兵第131連隊 刈谷春次 昭和19年4月19日 小倉 高射第4師団 小倉
高射砲兵第132連隊 飯塚国松 昭和19年4月19日 小倉 高射第4師団 熊本
高射砲兵第133連隊 池辺栄弘 昭和19年4月19日 八幡 高射第4師団 福岡
高射砲兵第134連隊 力石静夫 昭和19年4月19日 長崎 高射第4師団 長崎
高射砲兵第136連隊 篠浦信一 昭和20年4月28日 小倉 高射第4師団 都城
高射砲兵第141連隊 武久太郎 昭和19年4月19日 室蘭 第5方面軍 室蘭
高射砲兵第151連隊 長岐準吉 昭和19年4月19日 釜山 第17方面軍 釜山
高射砲兵第152連隊 杉野庭義 昭和19年4月19日 京城 第17方面軍 京城
高射砲兵第161連隊 平野千嘉良 昭和19年4月19日 台北 第10方面軍 台北
高射砲兵第162連隊 安河内成美 昭和19年4月19日 高雄 第10方面軍 台中
高射砲兵第171連隊 荒木事由 昭和19年4月19日 大連 第3方面軍 大連
   
       野砲兵・山砲兵連隊
連隊 最終連隊長 編成時期 編成地 終戦上官 終戦地
近衛野砲兵第1連隊 岸 武大夫 昭和18年5月14日 東京 近衛第1師団 東京
近衛野砲兵第2連隊 木之本武之助 昭和18年5月14日 スマトラ 近衛第2師団 スマトラ
近衛野砲兵第3連隊 小笠原勝国 昭和19年4月4日 東京 近衛第3師団 成東
野砲兵第1連隊 熊川至長 明治17年5月24日 東京 第1師団 セブ島
野砲兵第2連隊 石崎益雄 明治17年5月24日 仙台 第2師団 サイゴン
野砲兵第3連隊 河原 征 明治17年5月24日 名古屋 第3師団 江西省九江
野砲兵第4連隊 森 利邦 明治17年5月24日 大阪 第4師団 タイ
野砲兵第5連隊 近藤秀夫 明治17年5月24日 広島 第5師団 セラム島
野砲兵第6連隊 中村光平 明治17年5月24日 熊本 第6師団 ブーゲンビル島
山砲兵第7連隊 佐武千代光 明治32年10月28日 旭川 第7師団 北海道池田町
野砲兵第8連隊 瀬戸口岩次郎 明治29年7月13日 弘前 第8師団 マニラ東方
山砲兵第9連隊 都村宗一 明治29年7月13日 金沢 第9師団 台湾 新竹
野砲兵第10連隊 多勢清作 明治29年7月13日 姫路 第19師団 ルソン島
山砲兵第11連隊 小幡 実 明治29年7月13日 善通寺 第11師団 高知
野砲兵第12連隊 松川信正 昭和20年7月16日 北海道 第42師団 稚内
野砲兵第14連隊 渡辺左之 昭和15年7月10日 宇都宮 第51師団 東部ニューギニア
山砲兵第15連隊 原 捷吉 昭和15年7月10日 石門子 第15師団 宮崎県小林
野砲兵第17連隊 吉富徳三 昭和19年10月11日 ハイラル 第23師団 ルソン島
山砲兵第18連隊 松川信正 昭和14年8月22日 広州 第18師団 南ビルマ
山砲兵第19連隊 石浜 勲 昭和12年9月9日 高田 第13師団 湖南省衡陽
野砲兵第21連隊 藤岡 勇 昭和13年4月4日 名古屋 第15師団 タイ
野砲兵第22連隊 近藤嘉名男 明治38年7月18日 京都 第16師団 レイテ島
野砲兵第23連隊 菅井房吉 昭和13年4月4日 姫路 第17師団 ラバウル
野砲兵第24連隊 小倉三男 明治40年11月13日 久留米 第12師団 台南
山砲兵第25連隊 谷口瑶之助 大正4年10月14日 羅南 第19師団 ルソン島
野砲兵第26連隊 佐伯縄四郎 大正4年10月14日 龍山 第20師団 ニューギニア
山砲兵第27連隊 村上誠一 昭和13年6月21日 天津 第27師団 南昌
山砲兵第28連隊 梶 松次郎 昭和15年7月10日 公主嶺 第28師団 宮古島
野砲兵第30連隊 大塚 昇 昭和18年5月14日 平壌 第30師団 ミンダナオ島
山砲兵第31連隊 吉田宝重 昭和18年3月22日 中支那 第31師団 モールメン
野砲兵第32連隊 三田村佐一 昭和14年2月7日 東京 第32師団 ハルマヘラ島
山砲兵第33連隊 龍 福松 昭和14年2月7日 仙台 第33師団 タイ
山砲兵第37連隊 河野武夫 昭和14年2月7日 久留米 第37師団 タイ
山砲兵第38連隊 神吉武吉 昭和14年6月30日 名古屋 第38師団 ラバウル
野砲兵第39連隊 佐野芳蔵 昭和14年6月30日 広島 第39師団 満州 四平
山砲兵第41連隊 大野斌夫 昭和14年6月30日 宇都宮 第41師団 ニューギニア
野砲兵第42連隊 西沢勇雄 昭和14年10月6日 海城 第24師団 沖縄
野砲兵第44連隊 高雄 実 昭和19年4月4日 信太山 第44師団 茨城
山砲兵第47連隊 笹島太郎 昭和18年5月14日 弘前 第47師団 済南
山砲兵第48連隊 六反田荘吉 昭和15年11月30日 海南島 第48師団 チモール島
山砲兵第49連隊 岡田豊二 昭和19年1月16日 龍山 第49師団 タトン
山砲兵第50連隊 田中次郎 昭和19年5月3日 台北 第50師団 屏東
山砲兵第51連隊 稲井民雄 昭和13年4月4日 弘前 第21師団 ハノイ
山砲兵第52連隊 本田和助 昭和13年4月4日 高田 第22師団 バンコク
野砲兵第53連隊 横田武夫 昭和16年9月16日 京都 第53師団 南ビルマ
野砲兵第54連隊 湯屋繁治 昭和15年7月10日 姫路 第54師団 南ビルマ
山砲兵第55連隊 井上義幸 昭和15年7月10日 善通寺 第55師団 プノンペン
野砲兵第56連隊 山崎周一郎 昭和15年7月10日 久留米 第56師団 チェンマイ
野砲兵第57連隊 高瀬正二 昭和15年7月10日 弘前 第57師団 福岡
山砲兵第71連隊 石山虎夫 昭和17年4月16日 琿春 第71師団 台南
野砲兵第72連隊 岩本東三 昭和19年4月4日 仙台 第72師団 保原町
野砲兵第73連隊 野末一丸 昭和19年7月6日 名古屋 第73師団 二川町
山砲兵第77連隊 一柳恒市 昭和19年3月27日 旭川 第77師団 牧園町
山砲兵第79連隊 成川一郎 昭和20年2月6日 羅南 第79師団 図們
野砲兵第81連隊 前田知玄 昭和19年4月4日 宇都宮 第81師団 岩瀬
野砲兵第84連隊 川崎盛利 昭和19年7月6日 姫路 第84師団 小田原
野砲兵第86連隊 佐川武彦 昭和19年4月4日 久留米 第86師団 志布志
山砲兵第88連隊 日野常蔵 昭和20年2月28日 上敷香 第88師団 豊原
山砲兵第93連隊 山口嘉良 昭和19年7月6日 金沢 第93師団 松戸
野砲兵第94連隊 山澄邦太郎 昭和19年10月4日 チュンポン 第94師団 マレー
野砲兵第104連隊 横川止知 昭和13年6月16日 信太山 第104師団 南支那
野砲兵第107連隊 角田文雄 昭和19年5月16日 阿山 第107師団 音徳爾
野砲兵第108連隊 徳田芳吉 昭和20年7月10日 海城 第108師団 遼陽
野砲兵第112連隊 塚本清太郎 昭和20年7月10日 琿春 第112師団 密江峠
野砲兵第116連隊 中園好熊 昭和20年7月10日 穆稜 第124師団 穆稜
野砲兵第119連隊 石口 茂 昭和19年10月11日 ハイラル 第119師団 ハルビン
野砲兵第121連隊 今井建己 昭和20年1月16日 成子 第121師団 済州島
野砲兵第122連隊 安井 清 昭和13年5月15日 京都 第116師団 宝慶
野砲兵第123連隊 町田賢助 昭和20年1月16日 孫呉 第123師団 孫呉
野砲兵第124連隊 滝波幸助 昭和20年1月16日 牡丹江 第122師団 南湖頭
野砲兵第125連隊 横山秋蔵 昭和20年7月10日 通化 第125師団 通化
野砲兵第126連隊 木庭一之 昭和20年7月10日 東安 第126師団 横道河子
野砲兵第127連隊 斉藤実明 昭和20年7月10日 琿春 第127師団 八道河子
野砲兵第128連隊 勝又文雄 昭和20年7月10日 東寧 第128師団 東満州
野砲兵第134連隊 渡辺俊三 昭和20年7月10日 チャムス 第134師団 方正
野砲兵第135連隊 江藤寛治 昭和20年7月10日 西東安 第134師団 横道河子
野砲兵第136連隊 正木儀市 昭和20年7月10日 海城 第136師団 奉天
野砲兵第137連隊 大津山勝二 昭和20年7月10日 羅南 第137師団 定平
野砲兵第138連隊 住友兵一 昭和20年7月10日 黄旗屯 第138師団 南木
野砲兵第139連隊 田久保岩松 昭和20年7月10日 敦化 第139師団 敦化
野砲兵第148連隊 武田粂彦 昭和20年7月10日 新京 第148師団 新京
野砲兵第149連隊 吉岡貞二 昭和20年7月10日 チチハル 第149師団 ハルビン
野砲兵第158連隊 不明 昭和20年8月10日 満州 第158師団 満州
野砲兵第201連隊 勝沼 勝 昭和20年4月2日 東京 第201師団 御殿場
山砲兵第202連隊 斉藤 武 昭和20年4月2日 仙台 第202師団 群馬
野砲兵第205連隊 小林 繁 昭和20年4月2日 広島 第205師団 高知
山砲兵第206連隊 田島昌治 昭和20年4月2日 熊本 第206師団 伊作町
山砲兵第209連隊 青木精一 昭和20年4月2日 金沢 第209師団 金沢
野砲兵第212連隊 北山正次 昭和20年4月2日 久留米 第212師団 都農
野砲兵第214連隊 内野貞利 昭和20年4月2日 宇都宮 第214師団 西那須野
野砲兵第216連隊 名川義人 昭和20年4月2日 京都 第216師団 松橋
 
      重砲兵連隊
連隊 最終連隊長 編成時期 編成地 終戦上官 終戦地
重砲兵第1連隊 白木良三 昭和15年7月15日 下関 第30軍 北安
重砲兵第2連隊 吉本正英 昭和16年7月16日 阿城 第3軍 八道河
重砲兵第3連隊 平岡正夫 昭和16年7月16日 阿城 第3軍 図們
重砲兵第5連隊 金丸清俊 昭和15年7月10日 加太町 中部軍管区 加太町
重砲兵第6連隊 末松五郎 昭和19年5月3日 奄美大島 独混第64旅団 奄美大島
重砲兵第7連隊 樋口良彦 昭和19年5月3日 沖縄 独混第44旅団 沖縄
重砲兵第8連隊 入野大二郎 昭和19年5月3日 東京 独混第45旅団 石垣島
重砲兵第9連隊 大坪四郎 昭和19年5月22日 父島 第109師団 父島
重砲兵第12連隊 鵜飼源吉 昭和20年1月4日 澎湖島 独混第75旅団 澎湖島
重砲兵第13連隊 木下 滋 昭和20年1月4日 基隆 独混第76旅団 基隆
重砲兵第14連隊 兼松 旭 昭和20年1月22日 長者町 第52軍 旭町
重砲兵第15連隊 石黒豊治 昭和20年1月22日 佐世保 独混第98旅団 内ノ浦
重砲兵第16連隊 村田定雄 昭和20年2月17日 高雄 独混第100旅団 高雄
重砲兵第17連隊 松岡啓正 昭和20年5月23日 長崎 独混第122旅団 長崎
重砲兵第18連隊 矢野穆彦 昭和20年5月23日 佐賀関 独混第118旅団 佐賀関
重砲兵第19連隊 神田達志 昭和20年7月10日 公主嶺 第30軍 四平
東寧重砲兵連隊 渡辺 馨 昭和15年7月10日 東寧 第3軍 満州南陽
牡丹江重砲兵連隊 纐纈哲三 昭和16年11月21日 阿城 第34軍 穆稜
舞鶴重砲兵連隊 米倉雄吉 昭和11年5月30日 舞鶴 中部軍管区 舞鶴
独立重砲兵第13連隊 小原文雄 昭和20年6月15日 昭南島 第7方面軍 昭南島
 
 
 
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