赤松 貞雄 |
陸士34期・陸大46期恩賜 秋田 大佐 |
昭和15年11月 陸軍大臣秘書官兼副官 |
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昭和16年10月 大佐 東条首相秘書官 |
昭和19年 7月 陸軍省軍務局軍務課長 |
昭和20年 2月 歩157連隊長(師団が根拠地を上海) |
兄 小松崎力雄(24)は陸軍少将 |
井本 熊男 |
陸士37期(恩賜)・陸大46期(恩賜) 山口 大佐 |
昭和17年12月 第8方面軍参謀 |
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昭和18年10月 陸軍大臣秘書官 |
昭和19年 2月 兼 大本営参謀 |
昭和19年 3月 大佐 |
昭和19年 8月 支那派遣軍参謀 |
昭和19年 9月 第11軍高級参謀 |
昭和20年 1月 第13軍高級参謀 |
昭和20年 4月 第2総軍作戦課長 兼 連合艦隊参謀 本土決戦を目的に設立された 広島 |
広島市への原子爆弾投下で被爆、負傷する |
岡村 愛一 |
陸士34期・陸大46期 三輪潔少将と同期 大佐 |
昭和16年)7月17日第3鉄道監部参謀 |
おかむらなるいち |
昭和17年)4月21日、陸軍大学校教官 |
昭和19年)3月1日、陸軍大佐 第28軍高級参謀 |
岡村誠之陸軍大佐は弟 |
金光恵次郎 |
少尉候補生7期 岡山 任 大佐 |
昭和11年 3月 大尉 |
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昭和11年 8月 野砲10連隊中隊長 |
昭和16年 3月 少佐 |
昭和17年 8月 第23軍兵器部員 |
昭和18年 8月 野砲56連隊大隊長 |
昭和19年 9月 戦死大佐 二階級特進 拉孟守備隊長として拉孟・騰越の戦いに従軍し、1944年9月に戦死した |
岸本 重一 |
陸士34期・陸大46期 大佐 |
昭和16年 9月 航空総監部第4課長兼航空本部第6課長 |
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昭和16年10月 大佐 |
昭和17年10月 航空本部教育部典範課長 |
昭和18年 6月 兼 大本営参謀 |
昭和19年 9月 第8飛行師団参謀長 台湾の台北へ |
久門 有文 |
陸士36期・陸大44期恩賜 任 大佐 |
昭和14年 8月 中佐 |
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昭和15年12月 大本営作戦課航空班長 |
昭和16年 9月 バンコク出張 |
昭和17年10月 殉職(千島) 大佐 |
西郷 従吾 |
陸士36期・陸大44期 鹿児島 大佐 |
昭和15年 8月 中佐 参謀本部ドイツ班長 |
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昭和17年11月 大本営参謀 |
昭和19年 1月 南方軍参謀 |
昭和19年 3月 大佐 ビルマ方面軍参謀 |
昭和20年 1月 第23軍参謀 中国広東方面 |
昭和20年 3月 第20軍高級参謀 終戦を衡陽で迎える |
元帥 西郷従道(隆盛の弟)の孫 |
佐伯 静雄 |
陸士29期 大佐 |
昭和16年10月 捜索第5連隊長 |
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昭和17年 8月 大佐 |
昭和18年 8月 騎兵学校教導隊長 |
昭和19年 7月 戦車第29連隊長 |
昭和20年 4月 独立戦車第2旅団長 |
島貫 武治 |
陸士36期・陸大45期恩賜 大佐 |
昭和16年 4月 北支那方面軍作戦主任参謀 |
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昭和17年 6月 第11軍高級参謀 |
昭和17年 8月 支那派遣軍参謀 |
昭和17年12月 第11軍高級参謀 |
昭和18年 8月 大佐 参謀本部鉄道課長 |
昭和18年10月 第1方面軍高級参謀 |
昭和19年 3月 第11軍高級参謀 |
昭和19年 9月 航空総監部 附 終戦時は敦化に |
杉山 茂 |
陸士36期・陸大45期 岡山 大佐 |
昭和11年)12月:第10師団参謀 |
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昭和17年)11月:第18軍作戦主任参謀 |
昭和18年)7月:第18軍高級参謀 |
昭和23年)2月:戦争裁判の判決が確定、禁錮5年となる |
辻 政信 |
陸士36期恩賜・陸大43期恩賜 石川 大佐 |
昭和16年 7月 参謀本部兵站班長 |
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昭和16年 9月 第25軍参謀(作戦主任) |
昭和17年 3月 参謀本部作戦班長 |
昭和17年 9月 第17軍参謀(大本営派遣) |
昭和18年 2月 陸大教官 |
昭和18年 8月 大佐 支那派遣軍第3課長 |
昭和19年 7月第33軍作戦主任参謀高級参謀 |
昭和20年 5月 第39軍高級参謀 |
昭和20年 7月 第18方面軍作戦課長 |
名作戦の数々に感嘆し、辻を「作戦の神様」と謳った |
ポートモレスビー攻略作戦やガダルカナル島の戦いにおける日本軍の敗戦について批判される |
ノモンハン事件、シンガポール華僑虐殺事件、バターン死の行進などにおける失策 |
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戦後、衆議院議員で自由党を経て自由民主党・鳩山一郎派、石橋派 |
西 竹一 |
陸士36期 東京 任 大佐 |
昭和 4年 9月 騎兵学校長期学生終了 |
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昭和 5年 4月 欧米〜米国出張 |
昭和 7年 8月 ロス・オリンピック馬術優勝 |
昭和 8年 8月 大尉 騎兵学校教官 |
昭和11年 3月欧州出張ベルリンオリンピック出場 |
昭和14年 3月 少佐 軍馬補充部十勝支部員 |
昭和15年 8月 農林省馬政局鍛錬課事務官 |
昭和17年11月 第26師団捜索隊長 |
昭和18年 7月 第1師団捜索隊長 |
昭和18年 8月 中佐 |
昭和19年 3月 戦車26連隊長 |
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昭和19年 3月 戦車26連隊長 満州北部(北満)防衛の任 |
昭和20年 3月 戦死(硫黄島) 大佐 |
種村 佐孝 |
陸士37期・陸大47期 三重 大佐 |
昭和16年 2月 大本営戦争指導班長 |
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昭和17年 1月 第15課高級課員 |
昭和18年 6月 兼 杉山元帥副官 |
昭和19年 3月 大佐 |
昭和19年 7月 大本営第20班長 |
昭和20年 4月 軍務局課員 |
昭和20年 8月 第17方面軍参謀 |
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戦後にシベリア抑留に遭い、モンゴルのウランバートルにあった |
服部卓四郎 |
陸士34期・陸大42期恩賜 山形 大佐 |
昭和15年 6月 教育総監部附兼陸大教官 兼 大本営参謀 |
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昭和15年10月 参謀本部作戦班長 |
昭和16年 7月 参謀本部作戦課長 |
昭和16年 8月 大佐 |
昭和17年12月 陸軍大臣秘書官兼副官 |
昭和18年10月 参謀本部作戦課長 |
昭和20年 2月 歩65連隊長 |
同期の西浦・堀場とともに「三十四期の三羽烏」と称されるほどの俊秀であった。 |
不破 博 |
陸士39期・陸大50期 大佐 |
昭和16年 7月 第5軍参謀(作戦) |
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昭和18年 1月 第15軍参謀(作戦主任) |
昭和18年 3月 ビルマ方面軍参謀(作戦主任) |
昭和19年 9月 第7方面軍作戦課長 |
昭和20年 4月 第1総軍作戦課長 |
昭和20年 6月 大佐 第12方面軍高級参謀 兼 連合艦隊参謀 |
堀場 一雄 |
陸士34期・陸大42期恩賜 愛知 大佐 |
昭和14年12月 支那派遣軍参謀 |
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昭和16年 6月 総力戦研究所員 |
昭和16年 8月 大佐 |
昭和17年 8月 浜松飛行教官 |
昭和17年11月 飛62戦隊長 |
昭和18年10月 第2方面軍作戦課長 |
昭和19年 3月 南方軍作戦課長 |
昭和19年 6月 第5航空軍参謀副長(支那、朝鮮) |
昭和28年)10月21日 病没 52歳没 |
八原 博道 |
陸士35期・陸大41期恩賜 大佐 |
昭和15年 9月 タイ・マレー潜入 |
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昭和16年 2月 大本営参謀(作戦課) |
昭和16年 5月 タイ国武官補佐官 |
昭和16年11月 第15軍作戦主任参謀 |
昭和17年 3月 陸大教官 |
昭和18年 3月 大佐 |
昭和19年 3月 第32軍高級参謀 |
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昭和20年 6月 捕虜(沖縄) |
李(禺) 公 |
陸士45期・陸大55期 朝鮮公家 任大佐 |
昭和13年 3月 大尉 |
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昭和16年10月 少佐 |
昭和17年 3月 陸大研究部員 |
昭和19年 3月 第1軍作戦参謀 |
昭和20年 6月 中佐 第2総軍参謀 |
昭和20年 8月 戦死(広島原爆) 大佐 陸軍中将李王 垠(29)の甥 |
藤原 岩市 |
陸士43期・陸大50期 兵庫 中佐 |
昭和16年 8月 少佐 |
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昭和16年10月 バンコク派遣 |
昭和16年12月 南方軍参謀 |
昭和18年 3月 第15軍情報主任参謀 |
昭和19年 8月 中佐 |
昭和19年12月 陸大教官 |
昭和20年 4月 第2総軍作戦主任参謀 |
昭和20年 6月 第57軍高級参謀 |
藤原を戦犯とする裁判が始まった |
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インド独立を先導 1946年3月、ラングーン経由でシンガポールはチャンギーの刑務所に送られ、尋問を受けた。 |
山内 豊秋 |
陸士45期・陸大52期 高知 中佐 |
昭和16年 8月 参謀本部庶務課電報班長 |
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昭和16年10月 少佐 |
昭和17年 8月 第17軍参謀 ソロモン諸島方面 |
昭和18年 5月 参謀本部部員 |
昭和19年 7月 第36軍参謀(情報) |
昭和19年12月 防衛参謀 埼玉県浦和に移動 |
昭和20年 4月 第1総軍参謀(情報) |
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昭和20年 6月 中佐 東京湾兵団参謀 旧土佐藩主 山内家18代当主 |
加登川幸太郎 |
陸士42期・陸大50期 中佐 |
昭和16年 3月 少佐 |
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昭和18年10月 第2方面軍参謀 |
昭和19年 3月 中佐 |
昭和19年 8月 兼 第4南遣艦隊参謀 |
昭和19年11月 第35軍参謀 レイテ島の戦い |
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昭和20年 4月 第38軍参謀(政務) |
昭和20年 7月 第13軍参謀(作戦) |
瀬島 龍三 |
陸士44期恩賜・陸大51期首席 富山 中佐 |
昭和14年12月謀本部兼大本営参謀(作戦全般) |
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昭和16年10月 少佐 |
昭和19年 8月 兼 軍令部部員 |
昭和20年 2月 兼 連合艦隊参謀 |
昭和20年 3月 中佐 |
昭和20年 7月 関東軍参謀(作戦) 満州へ赴任。同年8月15日の日本の降伏後、極東ソビエト赤軍総司令官 |
ヴァシレフスキー元帥との停戦交渉に赴く同年9月5日、関東軍総司令官山田乙三陸軍大将や総参謀長秦彦三郎陸軍中将らと |
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ともに捕虜..瀬島はソ連のシベリアへ11年間抑留されることとなる |
晴気 誠 |
陸士46期・陸大53期恩賜 佐賀 任 中佐 |
昭和15年 6月 支那派遣軍参謀 |
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昭和16年 7月 大本営作戦課参謀 |
昭和17年 8月 少佐 |
昭和20年 8月 自決(陸軍省内)サイパン陥落に責任を感じ、陸軍省内の大正天皇御野立所で自決(切腹)。 |
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兄 慶胤(35)は陸軍大佐 |
空閑 昇 |
陸士(22期)・陸軍歩兵学校甲種を卒業 佐賀 少佐 |
シベリア出兵に従軍 |
くがのぼる |
1928年3月、陸軍少佐に進級 |
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江湾鎮西北方の敵を攻撃したが自らも重傷を負い空閑は戦死と誤認され遺棄された。空閑は中華民国の将校甘介瀾に
救われが一時は捕虜として真茹野戦病院に収容される空閑は捕虜となったことを恥じ、部下らの戦没五七日忌に
あたる3月29日、自らの部隊が奮戦した地点へ戻り拳銃により自決した。その死は美談として映画や小説等が作られた。
映画「空閑少佐」新興キネマ(1932年3月10日公開) |
朝枝 繁春 |
陸士45期・陸大52期恩賜 中佐 |
昭和16年10月 第25軍参謀 |
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昭和17年 7月 関東軍参謀 |
昭和19年 3月 大本営参謀(作戦課) |
昭和19年 9月 第14方面軍参謀(作戦) |
昭和20年 1月 大本営参謀(満州方面作戦) |
昭和20年 6月 中佐 |
朝枝 繁春 |
陸士45期・陸大52期恩賜 中佐 |
昭和16年10月 第25軍参謀 |
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昭和17年 7月 関東軍参謀 |
昭和19年 3月 大本営参謀(作戦課) |
昭和19年 9月 第14方面軍参謀(作戦) |
昭和20年 1月 大本営参謀(満州方面作戦) |
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昭和20年 6月 中佐 |
東 平作 |
高知県 陸軍士官学校(31期) 中佐 昭和14年)11月南寧の上陸作戦などを歴戦 |
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以後、仏印、シンガポール、ジャワ島、ガダルカナル島を歴戦、 第18軍高級副官としてニューギニアで終戦 |
渡辺洋 |
大佐 |
第4軍参謀長 |
宇都宮直賢 |
大佐 |
第14方面軍参謀副長 |
小森田親玄 |
大佐 |
第14方面軍参謀副長 |
久米川好春佐 |
大佐 |
第14方面軍高級参謀 |
友近美晴 |
大佐 |
第14方面軍参謀副長 |
小林修治郎 |
大佐 |
第14方面軍高級参謀 |
藤室良輔 |
陸士27期 大佐 |
第21軍参謀副長 |
志村文雄 |
大佐 |
第25軍参謀長 |
佐藤三代次 |
沖縄戦で牛島司令官と割腹自決 大佐 |
第32軍参謀長   |
幸道貞治 |
大佐 |
第38軍参謀長 |
浅野憲一郎 |
陸士33期 大佐 |
第41軍参謀長 |
加藤義秀 |
大佐 |
第58軍参謀長 |
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